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問題が起きたときこそ自己観察のチャンス!

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問題が起きたときこそ自己観察のチャンス!(つぶやき考現学 No.96)

問題が起きたときこそ自己観察のチャンス!(つぶやき考現学 No.96)

2022/01/19

何かの「問題」が起きると
それを解決しようと躍起になるんですが、
そうしたときにはたいてい、
そもそもなぜ問題が起きたのかについて
問いかける余裕すら
なくなってしまうことが少なくありません。
 
それに、目の前に起きている「問題」に
どんなにうまく対処できたとしても、
対処できたこと自体が
所詮その場しのぎでしかないのなら、
真の「問題」には気づけないまま
何の解決もされないまま
その問題が温存されかねないからで、
解決しようと躍起になってしまう
自分自身の姿勢自体に
真の「問題」が隠れているのです。
 
つまり、ほとんどの場合、
真の「問題」は
外部環境や他者、まわりの条件にではなく
自分に見えにくい部分、
自分があまり見たくない
自分自身の内側に潜んでいるからで、
さらに言えば、
起きた「問題」の捉え方自体が、
あくまで相対的なものにすぎないし、
主観的判断の範囲を超えられず、
事実からほど遠いものだったりすることが
けっして少なくないからです。
 
結局のところ
目に見えている「問題」とは、
立場や関係性、捉え方次第で
善にも悪にもなり得るし、
そのように善悪を意味づけすることによって、
問題の構造自体を
つぶさに観察し続けようとする姿勢を
失ってしまうことにもなりかねません。
 
よって、必要なことは、
目の前で起きた問題に対して
善し悪しを決めつけることよりも、
起きた問題をどう受けとめているかを自覚し、
その問題が表面化していること自体を手がかりに
自分という人間をより深く観察し、
知っていくことの方が大事なんだという
視点の転換なのです。
 
そもそもこの世には問題のない人など
一人として存在しないわけですから、
起きた問題を解決しようと躍起になることよりも、
もっともっと大事なことが

たくさんあると気づけるし、
結局のところ自分自身はどうしたいのかについて
諦めずに考え続けていくことで、
問題が起きていること自体を
問題のある自分自身の存在自体を
飛躍のチャンスとして活かしていくことも
できるのではないでしょうか。(2018.6.19)

 

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.96

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