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AI時代に「人間らしく働く」には? 〜山口周さんの対談動画・文字起こし(その2)〜

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AI時代に「人間らしく働く」には? 〜山口周さんの対談動画・文字起こし(その2)〜

AI時代に「人間らしく働く」には? 〜山口周さんの対談動画・文字起こし(その2)〜

2026/08/08

昨日投稿した記事の続きで、

山口周さんと波頭亮さんの対談動画
文字起こしテキストの後半部分をお届けします。

 

文字起こしテキストの後には

わたしのコメントも書きました。

 

昨日の記事を未読の方は、

以下を読まれる前にどうぞ。

 

YouTube動画を再々度シェアしておきます。

スマホばかり見る人は AIに代替される」 AI時代の教養の育み方を探求。【NewsPicks/山口周/波頭亮】

昨日の文字起こしテキストは

23分50秒あたりまで紹介したんですが、

終盤部に全体を通しての核心部分を含んでいたので

今日の記事はすこし被らせて

20分25秒あたりから。


(文字起こし・ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

山口:

そうですね。今日は美意識というテーマですけれども、先ほどコンサルティング会社の話が出ました。なぜジュニアスタッフがいらなくなっているかというと、僕は知的生産もスマイルカーブになっていくと思っているんです。

 

通常、知的生産というのは、まず最初にアジェンダを立てる。マッキンゼーの言葉で言うと、イシューを設定する。その次に仮説を作る。その仮説に基づいて情報を集め、それを分析する。その仮説が検証された、あるいは棄却された、否定されたとなる。最後にアウトプットを出して、それを実行していく。

 

人工知能が一番得意なのは、情報を集めて整理するところです。つまり、真ん中の部分なんですよね。アジェンダを作るというのは、基本的にはできない。仮説を作ることはある程度できるかもしれませんが、アジェンダを作ることは基本的にできないわけです。

 

「なぜこうなっているのか」「これはおかしいのではないか」ということを、一番最初に設定する。それはある意味、ふわっと立てるわけです。その仮説に基づいて情報を集め、示唆を出して、今度は実行していく。実行していくところも、やはり人間がやらなければいけない。つまり、最上流と最下流のところに人の価値がある。真ん中のところはコンピューターがやればいい、ということです。

 

これはまさにChatGPTとやり取りして、「あなたはどこが得意なのか」「人間とやって勝てると思うところはどこなのか」と聞いたら、「情報を集めるところです」と言ったんです。「ここは非常に得意です」と言ったので、僕は「ホント?」って聞いたんですね。「情報を集めると言っても、あなたができるのは、すでにテキストになっている二次情報だけであって、世の中で起こっていることを自分の目で眺め、五感で感じて、『これはおかしいんじゃないか』と考えるところは全然できないですよね」と言ったら、「おっしゃる通りです」と返してきました。笑

 

これは何を言っているかというと、五感があるということが、人間にとって最大の武器の一つだということです。そうでなければ、アジェンダも設定できない。今、多くの人たちは世の中で何を見ているかというと、世の中を見ずにスマホを見ているんですよ。世の中を見て一次情報を取れる。目で見て、耳で聞いて、皮膚で感じることができるにもかかわらず、ずっとスマホを見ているということは、二次情報の世界の中にずっと生きているということなんです。これはものすごく弱くなる。

 

逆に言うと、これから先、五感の感度がすごく鋭い人は、大きなアドバンテージを持つようになると思います。その五感は、最終的には美意識や生活を飾ること、食を楽しむこと、音楽を楽しむこと、家具や芸術作品を見て楽しむことにもつながります。五感を、アンテナの感度としてどう保っていくか、どう高めていくか。これは、ここから先、教育のテーマとして非常に大きくなってくると思います。

 

波頭:

聞いている人に少し補足しておくと、「山口さんはそうおっしゃるけれども、カメラは猫を見たら猫だと光学的に判断できるし、音も聞ける。センサーはもう人間の五感に負けないぐらい発達しているんですよ」と思う人もいるかもしれません。

 

でも、山口さんがおっしゃっているのは、そのことではないんですよね。そこから取った情報をどう解釈するか。AIは、最終的に言語の形で分かる。定義したり、解釈したりする時に、言語化しないと人間にフィードバックできない。だから、多言語モデルの最先端のセンサー部分だけがカメラだったりマイクだったりしている。

 

人間だって、伝える時には念を送って伝えるわけにはいかない。だから言語という非常に便利なものを発明して、言語化している。でも、人間が感じたり、感情が揺さぶられたりする時には、言語にせず、目から耳から、皮膚から直結して、感動して涙が出たりする。山口さんが言ったのは、そういう認知のメカニズム、認知処理が根本的に違うということなんですね。

 

山口:

テスラが去年だったと思いますが、高速道路上に牛がいたんですよね。そこにまったく減速せずに突っ込んで、事故になってしまった。テスラにはもちろん目が付いています。カメラが付いています。それが人間の目といかに違うかということなんです。

 

大規模言語モデルは、要するに統計です。裏側で行列を動かしているだけです。牛が高速道路の上にいるというのは、母集団のデータの中にないわけです。予期できない。統計的に完全に外れ値になってしまっているものは、存在しないものとして扱われる。ですから、人間の目と、コンピューターについているカメラが同じかというと、補足的に言えば、まったく違うものです。

 

人間だったら、必ず「何かあるぞ」「これは何だ?」と思って避けていきますよね。でも、コンピューターについている目は、統計上の過去の画像データと光学データを照らし合わせ、存在しないものは存在しないと処理してしまうし、それでそのまま突っ込んでしまったということです。

 

波頭:

カメラに映っていても、「何か障害物が行く手を阻んでいる」という解釈ができないわけですね。

 

山口:

そうです。もう一つ面白い話を思い出しました。わたしの電通時代の大先輩で、白土謙二さんという、広告業界では本当にレジェンドのような方がいるんです。彼と、第一次フリースブームで盛り上がっていた頃のユニクロの店舗に行ったことがあります。店はお客さんでいっぱいで、みんな商品をどんどん買い物カゴに入れて、レジにも長い列ができていました。

 

ところが彼が店を出てすぐに、「このブランド、危機的ですね。山口さん、気づきましたか?」と言ったんです。僕はまったく能天気に、「これはまだまだブームが続くな」と思っていたので、「白土さん、なぜそう思われたんですか?」と聞きました。

 

彼の答えはこうでした。「有価証券報告書を読みました?」と言われたんです。「読みました」と答えました。すると、当時、男性物の売上が7割から8割だったんですね。「お店の中に入って、何か気づいたことはありません?」と言われて、「はっ!」と思いました。確かに、女性がほとんどだったんです。

 

女性がほとんどなのに、男性物の売上が多いのはおかしいでしょう、と。「カゴの中を見ました?」と言われました。僕は見ていませんでした。彼は仮説があるから見るわけです。この人たちは、自分の服を買っていないはずだ。では誰の服を買っているのか。旦那さんや子どもの服なんです。旦那さんや子どもの服は安く済ませて、そこで浮いた分で自分はいい服を買う。これはプロキュアメント・ビジネスだ、ということです。

 

冷蔵庫の中に牛乳が足りない、卵が足りない、ハムが足りない。だから買う。それと同じように、旦那のパンツが足りない、子どもの靴下が足りない、ということで成り立っているだけだと。タンスの中が一旦いっぱいになった時点で、必ずこのブームは止まります、と言ったんです。最後に彼が言って、決定的だなと思ったのが、「表情を見ましたか?」ということでした。「あれは服を買う時の顔じゃないですよ!」と言われたんです。

 

有価証券報告書というテキストデータ、カゴの中身という光学データ、顔の表情というインプレッション。そういったものを全部組み合わせて、このビジネスの本質はファッションではなく、家庭内の物品調達、つまり安く調達できるプロキュアメント・サービスなのだ、というインサイトを出したわけです。これは、やはりなかなか人間にしかできないことだという気がします。

 

波頭:

そうですね。人間のすごさは、たとえばその白土さんと僕が一緒に行ったら、違う意見が出るということなんですよね。同じ情報を与えられても違う意見が出せる。それは、偏在であるという意味では答えの普遍性は低いかもしれないけれど、AIと比べて偏在している。偏在しているからこそ、正解が一つに決まらないものに対して、まさにクリエイティブなポジションが取れる。そこに人間の余地があるのかもしれない。

 

先ほどの、ヒューマンワークとマネーレイバー、インテリジェンスとフィジカルという二軸の話も、そのちょうど境界のところにあるものは、いろいろな解釈が成り立つということなんですよね。その混ざり具合だったり、そこに個性があったり、どう混ぜるかだったり。純粋なブレインワークやフィジカルワークになってしまうと、本当に効率だけ、質だけという話になる。塩梅が発生する余地、人間が生き残れる余地は、そこにあるのかなと思いました。

 

山口:

「外れ値」ですよね。さっきのテスラの車が牛を認知しなかったというのは、道路の上に牛がいるというのが統計上完全に「外れ値」なので、処理できなかったという話です。だから、イーロン・マスクが「MBAを雇うな!」と人事に言っているのも同じだと思うんですよね。

 

テスラは2003年に創業していますが、あの時点で市場調査をすれば、電気自動車の需要はほぼゼロです。マーケティングや経営戦略論の定石からすると、ありえない産業です。しかも、莫大な設備投資を最初にしなければならないので、非常にリスクが大きい。そこに打って出た。おそらくあの時点で、経営学者やマーケットの専門家百人に聞いたら、百人が「やめておけ」と言ったと思います。

 

では、そこに出てきて、20年経ってどうなったかというと、自動車会社としては時価総額世界最大の会社になった。まさに外れ値のところで、半ば事業をアート作品のようにユニークに作ってきた。キャパシターを動力ユニットに使ったこと自体も、当時からすればとんでもない発想だったわけです。これは、いかに定石から外れていくかという話です。ただ、これからは「優秀さ」の定義が変わってきますよね。

 

波頭:

変わりますね。もう一人で言うと、サム・アルトマンもイーロン・マスクと一緒にやっていましたよね。サム・アルトマンもそうですし、冒頭で言ったデミス・ハサビスもそうです。ノーベル賞を取ったような人たちも、本当にたった一人の頭の良さ、着想とビジョンなんです。

 

山口:

そうですね。

 

波頭:

着想とビジョンなんですよね。これは今のところ、まだAIからは出てきていない。あるいは言葉としては出せたとしても、それを命懸けで本当に執着して、人生を賭けて実現しようとする原動力や情熱は、人間でなければ持てない。そこなんでしょうね。

 

山口:

だからサム・アルトマンなどもそうですが、今から20年前、30年前に人工知能をやるということ自体が、外れ値のオプションでした。キャリアとしては、人工知能の冬の時代だったので、とにかく「あっちに行ったら食えないぞ」と言われていたのが90年代、2000年代初頭ぐらいまでです。その時代にやった人たちが、今は需給バランスがめちゃくちゃ崩れていて、非常に高い報酬を得ている。彼らもある意味で、外れ値のキャリアを選んだということですね。

 

波頭:

今のお話で、ごく一部の人は、サム・アルトマンにしてもイーロン・マスクにしても、巨万の富を得て、ステーキでもお寿司でも食べきれないぐらいのお金持ちになる。一方で、新自由主義の分配の中では、本当にごく一部の人が一億人分の富を持つ。仕事が特権的な人に集まる。AIの保有者、所有者がアウトプットの富を独占することにつながりますよね。

 

今の資本主義のルール、新自由主義のルールだと、生産活動、つまり対価を取って経済財を生み出すタイプの仕事がAIやロボット側にシフトした暁には、産出物をどう分配するかという分配のルールを、今の資本主義や新自由主義のルールから変えておかないといけない。

 

僕はベーシックインカムが一番いいと思っています。あるいは、AIの所有権を国民に選挙権のように配るとか。そうしておかないと、最低限生きていくことが担保されない。それがあって初めて、ホモ・ルーデンスになり得ると思っているんです。そこ、いかがですか?

 

山口:

分配をどうするかは非常に悩ましいと思います。ベーシックインカムについては、僕もポジティブです。あとは、間接的に所有者になる、つまりAIを提供している企業の株主になるというのも、一つのルートだと思います。

 

「仕事が奪われる」ということに関して言うと、世の中的に議論が少し混乱しているところがあると思っています。仕事を奪うということと、作業を奪うということは、ちょっと違うと思うんです。たとえば、波頭さんも僕もコンサルティング会社の出身ですけれども、波頭さんの時代、レポートは手書きでしたよね?

 

波頭:

はい。ぎりぎり手書きでした。

 

山口:

その後、PowerPointなどが出てきました。当時のコンサルティング会社には、コンサルタントが書く手書きのドラフトが非常に汚いので、それを清書してくれるチームがありましたよね。当然、PowerPointが出てくると、そういった人たちの仕事は機械に置き換わるわけです。しかし、コンサルタントの仕事がなくなるかというと、なくならない。

 

昔は電卓を必死に叩いていたのがExcelに変わって、どうなったか。確かに、電卓の会社からMicrosoftに富は移ったかもしれない。でも、コンサルタントに支払われるお金がそれで変わるかというと、変わらないわけです。

 

ですから仕事として請け負って、その先でどういう機械を使おうが、自分のクレジットでアウトプットを出す。これが〝仕事〟です。それが残っていれば、内部でどういうプロセスが動いていたとしても、顧客にとっては知ったことではない、という話になるわけです。

 

今、僕はGeminiやChatGPTを、リサーチでも執筆でも使いまくっています。実際のところ、書籍になっているテキストの五分の一から三分の一ぐらいは、もうAIが書いています。ただ、それで世の中に本を出して、その本の著者としての社会資本がどうなるかというと、ほぼ100%僕に入ってくる。

 

もちろんAIを使う利用料は月額いくらという形で払っていますが、それは微々たるものです。構造としては、全世界でたとえば10億人の人たちがその微々たる金額を払うことで、AIの会社は莫大な収益を上げる。Microsoftも同じですよね。利用料としては微々たるものです。

 

一方で、利用者がその技術によって大きく生産性を上げる。たとえば僕の場合で言うと、生産性が二倍から三倍に上がった。それは端的に言うと、収入が二倍から三倍になるということです。その構造の中で考えると、やはり野望を持って仕事をすることが非常に重要です。作業をやって稼いでいる人は厳しい。そういう世の中がやってくると思います。

 

波頭:

なるほど。よく分かります。今のお話に加えて、コンサルタントの話が出たので言うと、山口さんの話の中にすごく大事なヒントがありました。「野望を持つ」ということの実質かもしれませんが、誰でもできることは野望を担保しないんですよね。

 

AIが生み出してくれるものは、優秀な東大生だったら誰に頼んでも同じ答えが出てくるようなものです。外れ値ではない。分布のど真ん中のところをAIは出す。だからコンサルタントは、それを出していたのでは野望も持てないし、コンサルタントに頼む必然性もない。つまり、外れ値の中にこそ最適解があるような、そういうマターを解く。答えを作ってあげる。それが、これからのコンサルタントのあり方だと思います。

 

いろいろ、仕事にも世の中にもヒントになる言葉がたくさんありました。最後に、これから「AI時代の非AI論」、つまりAI的ではない力や能力をテーマに、山口さんから最後に何かキーワードをいただけますか?

 

山口:

キーワードは「ヒューマニティ」だと思います。人間を人間たらしめるもの、生きるに値すると思えるエラン・ヴィータルですね。躍動する生命を感じられる―――波頭さんにとっては釣りなんですよ。僕はいろいろなところで言っていますが、教養というのは、歴史や哲学だと思われがちです。

 

けれども、たとえば僕が尊敬しているサーファーで、ジェリー・ロペスという人がいます。彼などは完全に哲学者なんですよね。サーフィンというものを突き詰めた先に、何か見えてくるものがある。サーフィンの本質は何かと聞かれて、彼は「待つことだ」と言うんです。

 

釣りも結構似ているのではないかと思います。波に乗ろうとすると、いい波を捉えるには「待つこと」が非常に重要になる。ありとあらゆるものは、最後に突き詰めると、ヒューマニティ、あるいは世界認識と言ってもいいと思いますが、そこにつながっていく。それをいろいろ体験できるのは、やはり若い時だと思うんですね。

 

皮肉な話ですが、「スクール」という言葉は、もともとギリシア語の「スコレー」が語源で、「暇(ひま)」という意味です。学校の語源は、もともと「暇」なんです。では、なぜなのか。暇を楽しく過ごすためには教養がいるからです。それは釣りだったり、サーフィンだったり、絵を描いたり、楽器をやったり、いろいろな言語で物語を読んだり、演劇をやったり、パフォーミングアートをやったりすることです。

 

それを学ぶためには、学校に行かなければいけないということだった。しかし今は、なぜか学校というものが、算数、国語、理科、社会を覚えて、ホワイトカラーとして通用する人間になりましょう、という場になっている。音楽、体育、美術、そんなものは劣後させればいい、ということをやっているわけです。これはまさに、AI時代に求められる非AI的なリテラシーを、どんどん阻害していることになります。

 

それを防衛するのは、もう皆さん個人として自分の人生を守っていかなければならない。ですから、いろいろな領域に手を出して、好奇心旺盛に楽しむことが重要なのではないか、というのが僕からのメッセージですね。

 

波頭:

ありがとうございました。

 

山口:

ありがとうございます。

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(文字起こし・ここまで)

 

このお二人の対談動画で印象的だったのは、

AI時代における人間の価値を、

「知識量」や「処理能力」でなく、

五感、美意識、教養、遊びといった言葉で

捉え直されていたところです。

 

AIは、情報を集めて整理し、文章を書き、

画像を作って音楽さえも作ってくれるので、

そうなると、「人間はいったい何をするのか?」

という問いが浮かぶことでしょう。

 

よく言われる答えは「創造性」や「教養」ですが、

単に「たくさん知っていること」であれば

今や断然AIの方が優れているし、

人間が活躍できる余地はほとんどありません。

 

では、このようなAI時代において、

「教養」とは何なのか?

 

わたしの結論を先に書いてしまうと、

「反応の〝前〟を整える力」ではないかと。

 

多くの人は何かを見てから判断し、感じ、

反応しているようにおもっていることでしょう。

 

けれども実際には、反応する〝前〟にすでに、

何を見ているのか、そこから何を拾っているのか、

何に対して違和感を覚えるのかが

ほぼ決まってしまってるんですね。

 

だから、そのことに自覚的であろうとすること。

 

同じ茶碗を見ても、ある人には

ただの器に見えるだけだけれど、

別の人には、土、釉薬、時代、作り手の手、

使われてきた場やそこに宿る美意識までが

立ち上がってくる。

 

同じ街を歩いても、

商売をしている人は人の流れを見、

建築家は建物を見、

教育に関わる人は子どもの表情を見る。

 

つまり、見ている世界そのものが違うのではなく、

見る人の認知の〝方向〟によって、

世界の現れ方が変わってくるわけです。

 

山口さんが語られていた「スマホばかり見ている人は

二次情報の世界に生きている」という指摘も、

この話に関わっているんじゃないかと。

 

問題は、スマホを見ること自体ではなくて、

世界と直接出会う前に、

すでに誰かが切り取り、加工し、言語化した

編集された情報の中に、

自分の認知を預けてしまっていることであり、

何よりもそのこと自体に

無自覚なままでいるようにおもうんですね。

 

AIが得意なのも、二次情報の処理で、

すでに言葉になったもの、データ化されたもの、

整理されたものを扱うことには長けている。

 

しかし、まだ言葉になる前の違和感、

身体が先に反応する微細なズレ、場の空気、

沈黙の質、表情の変化、

なぜか気になるという感覚は、

人間の五感と体験の厚みによってしか

立ち上がってこないものじゃないかと。

 

養老孟司さんが、ある動画の中で

話されていた言葉が印象的だったんですが、

「AIが人間に近づいてきたことが問題でなく、

 人間の方がAI化してしまっていることが

 何よりも問題なんです」と。

 

そして、ここで大切なのは、言葉もまた、

単なる意味の容器ではないということです。

 

「教養」という言葉はしばしば

知識の蓄積として理解されるんですが、

このお二人の対談における

「教養」という言葉の作用は、

人を情報の量へと向かわせるのではなく、

認知の〝深さ〟へと向かっているように

感じたんですが。

 

つまり、「もっと知れ」という命令でなく、

「もっと深く受け取れ」という働きを

意味するように受けとめたわけです。

 

以前にも書いたことですが、

人間の体験はけっして一枚岩のものでなく

いくつかの階層があるんですね。

 

たとえば便宜的に表層、中層、深層と3つに分けると、

表層では、情報を知る。ニュースを見る。

     AIの出力を読む。誰かの意見を聞く。

中層では、そこに違和感を覚える。問いが生まれる。

     美しい、つまらない、面白い、と感じる。

深層では、それが自分の生き方や世界観に触れ、

     どう応答するかが問われる。

 

AI時代に必要な「教養」とは、

表層の情報処理能力でなく、

中層で違和感を持ち、問いを立て、

深層で応答する力と言えるかもしれません。

 

そして、その力とは

何かを分かっている状態を言うのでなく、

今この瞬間に、自分がどの方向から

世界を見ているのかに

気づき続ける働きのことであり、

そのことに常に自覚的であろうとする

姿勢のことを言うのです。

 

だから、教養を育てるとは、

単に知識を増やすことだけではなく、

世界を見る方向性を耕し、

反応が起きる前の場を整えることなんだと。

 

AIが情報を処理する時代だからこそ、

人間には、情報になる前の世界を

受け取る力が求められるのではないかと。

 

そうした力を培う場こそ、本来の学びの場で

寺子屋塾が大切にしたい

「教養」の意味なのだとおもいました。

 

 

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●2021.9.1~2024.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

 2025年に投稿した365記事はすべて

 今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載

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