「自分を観る」と 「自分を探す」は似て非なること(つぶやき考現学 No.114)
2022/06/29
「自分を観る」ことと
「自分を探す」ことは似て非なること。
自分はいつでも「いま」「ここ」にいて、
必要なものはすでに
すべて与えられているのだから、
どこか別のところに
自分を探しにいく必要などないからだ。
だから、「いま、ここ」にいない
「理想の自分」を探しに行こうとするのは、
自分を見失っている表れでしかないし、
「いま、ここ」にいる
ありのままの自分の姿から目を反らし、
そのまま見ようとしていないだけのこと。
「いま、ここ」にいる自分の姿を
そのまままっすぐに観ることの大事さに
本当に気づいたなら、
理想の自分を追い求めたり、
苦しみのない世界に行こうと
努力したりする必要などなく、
すべきことなど何もないことが
わかるだろうから。
自分を受容しようと頑張るのを止め、
自分を認めようと努力するのを止め、
まだやって来ていない未来のために
頭で考えて何とかしようとするのを止め、
「いま、ここ」にいる自分の
こころの平安が保たれれば、
自ずと身体は動き出すだろうから。(2015.2.13)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.114
COMMENT:6/23以後このblogでは
ずっと観察力をテーマに書いてきていることもあり、
水曜に投稿しているこのつぶやき考現学も
2015年2月に書いた
〝観察力〟に関わるものを選んでみました。
それで、今までにこちらのblog記事に紹介してきた
つぶやき考現学を読みなおしてみたんですが、
ランダムに選んでいたつもりだったのが、
観察力に関わる詞が非常に多いことに、
改めて気付かされた次第です。
タイトルだけを観てもそのことを
感じ取って頂けるんじゃないかとおもいますが、
クリックすると記事に飛べるようになってますので、
ご覧になってみてください。
すべて必要で大切なプロセス(つぶやき考現学 No.4)
変わっていく一瞬一瞬をみつめていくことが生きること(つぶやき考現学 No.6)
事実をありのままに観察すること(つぶやき考現学 No.24)
なぜ「好き」「嫌い」があるのか?(つぶやき考現学 No.39)
問題が起きたときこそ自己観察のチャンス!(つぶやき考現学 No.96)