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情報洪水の時代をどう生きるか(その6)

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情報洪水の時代をどう生きるか(その6)

情報洪水の時代をどう生きるか(その6)

2022/12/06

火曜はいつも生活デザイン・ヘルス関連の記事を

投稿しているんですが、12月に入ってからは、

イレギュラーな形での投稿を試していて、

「情報洪水の時代をどう生きるか」というテーマで

記事を書き続けていて、今日が6回目になりました。
 

昨日までの記事や、このテーマについて

書き始めた前提となる以下の記事を未読の方は、

それをまず確認されてから

本日分の記事をお読み頂ければ有難いです。

 

17才の私はずっとそこにいる(薬師丸さんの誕生日に寄せて)

庄司薫『バクの飼い主めざして』のこと
情報洪水の時代をどう生きるか(その0)

情報洪水の時代をどう生きるか(その1)

情報洪水の時代をどう生きるか(その2)

情報洪水の時代をどう生きるか(その3)
情報洪水の時代をどう生きるか(その4)
情報洪水の時代をどう生きるか(その5)

 

その4、その5では、情報生産のプロセスを観察して
情報というものがどのように生まれるのか、

そのしくみを見抜き、

自分自身が情報生産者になることの大切さを説いた

上野千鶴子さんの本に書かれた内容などを

ご紹介しました。

 

それで、今日のテーマは「初源に立ち返る原理思考」

なんですが、たとえばその上野さんは、

「情報生産」という考え方や技術を

いったい誰から学んだのか?という問いを立て、

その源流を辿っていくと、京都学派のひとりで

1969年に『知的生産の技術』を著した梅棹忠夫や、

KJ法の川喜田二郎といった面々が

浮かび上がってきます。

 

植物の身体も、よく観察すれば、

根幹と枝葉に分かれるように、

ひとくちに情報といっても、

一次情報、二次情報、三次情報といろいろあります。

 

結局、どの情報が信頼に足る大事な情報かといえば、

直接現地へ赴き、自分の足で歩き、自分の目で見て、

人に直接聞いて得た「一次情報」であることは、

言うまでもありません。

 

確かにこんにちは、情報洪水の時代ではありますが、

よく観察して、情報が生まれるしくみを知れば、

たとえば、マスコミの流す情報や統計の数値データに

どれだけの信憑性があるのかがわかりますし、

価値ある大事な情報が、世の中にそんなにたくさん

溢れているわけではないことも、わかってきます。

 

つまり、価値ある情報とは何か?という〝問い〟や

その判断を下すモノサシが自分の中にないと、

視界に入ってくる情報すべてが

フラットな関係というか、

同じくらい価値あるモノに見えてしまいますから、

そうした情報に振り回され、押し流されてしまう

ということになるのでしょう。

 

たとえば、学力について考えるとき、

主要5教科には

国語、数学、英語、理科、社会とありますが、

国語の学力は科目に関わらずすべての学力の

基礎をなしていることがわかりますし、

また、数学は物事のしくみの理解につながります。

 

国語は抽象から具体へと向かうのに対して

数学は具体から抽象へと向かっていてベクトルが逆。

昔から「よみかき、そろばん」と言われているのも

国語と数学の2科目は、

基礎的学力の根幹をなしている故であるとわかります。

 

では、どうしたら国語力が身につくのでしょうか?

 

たしかに、国語力というのは

生まれて以来の言語能力に依存するところがあって、

塾や学校で国語を教えている先生でも

この問いに自信をもって答えられる人は

少ないかも知れません。

 

たとえば、昔から文豪と呼ばれた人たちは、

ほぼ例外なく、古典作品の音読、書写を

日課としていたと言われているんですが、

「初源を遡る」「源流をたどる」アプローチには、

この問いについて考えるヒントが

あるようにおもうのです。

 

つまり、同時代を生きている人の書いた現代文を

解釈したり問題を考えたり解いたりすることは、

頭の中だけの思考に止まりがちで、

それをどんなに繰り返したとしても、

そうした行為でその人の国語力が変化するようには

あまりおもえないんですが、

その素材が古典文となると事情が違ってきます。

 

言葉もまた時代につれて変化していくものですから、

江戸よりは鎌倉、鎌倉よりは平安、

平安よりは奈良、飛鳥というように

時代を遡れば遡るほど、より言葉のモト、

原種とでも言うべき存在に

近づいていけるという見方は可能です。

 

また、文を解釈したり問題を考えたりするのは

大脳思考の次元ですが、

声を出して文を読む音読や

手を動かして文を書写する行為は、

実際に身体を動かす必要があるので、

身体次元の感覚を伴います。

 

さきほど、「国語力が身につく」と書いたんですが、

わたしたちは、何かを習得することを

「身につける」と言っても、

「頭につける」「脳につける」とは言いません。笑

 

古典文の音読と書写は、そのまま原種に触れる体験、

日本語の源流をたどる体験につながるわけです。

 

たとえば、源氏物語は平安時代に書かれた作品なので

1000年以上にわたって読まれてきたわけですが、

1000年を経ても今なお残っているということは、

それだけの価値ある作品だからではないかと。

 

高校などで古文や漢文の授業はありますが、

音読したり書写したりすることはほとんどなく、

現実に行われている内容は、

現代語に解釈する学習がほとんどです。

 

豊かな国語力を習得するための鍛錬として、

先人たちが古典文の音読と書写を

繰り返し行ってきた伝統があるのは、

それなりに意味や価値があるからのことで、

それに勝るアプローチが無かったからでしょう。

 

 

つぎの記事に書いたことをおもいだしてみてください。

原生的疎外・・すべての生物がもつイノチの力について

 

脳と身体と比較したとき、

脳が身体をコントロールしているように

脳の方が大事だとおもってしまいがちですが、

生物の進化の順番を考えると、じつは、

身体が先で、脳は後に生まれたものなんですね。

(つづく)

 

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