寺子屋塾

人間にはもともとわかろうとする力が備わっている

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人間にはもともとわかろうとする力が備わっている

人間にはもともとわかろうとする力が備わっている

2023/03/19

寺子屋塾生・板倉匡利くんのblog記事のうち

昨年11月から始めたらくだメソッド算数・数学の

2巡目の学習について書かれた記事を

2/24から3回にわたってこのblogで紹介し、

2/27に書いた次の記事には、

わたしのコメントも書きました。

わからせようとしないことで安心感が伝わる

らくだメソッド

 

それで、わたしが書いたこのblog記事に対して、

板倉くんがコメントする記事を書いてくれたので、

まずはそれを読んでみて下さい。

【わかっていないからわかるためにやっている】
 

2つの記事のタイトルをご覧いただくだけでも

「わかる」「わからない」ということが

主テーマになっていることが

伝わるかとおもうんですが、

では、そもそも「わかる」ってどういうこと?

という問いを掘り下げるために、

じつは、3/10以後投稿した以下8件のblog記事を

書いてきたとも言えるわけです。

 

森田真生『数学する身体』

わかることには際限がない(つぶやき考現学・No.57)

夏目漱石『夢十夜』より第六夜

ゲーテ「自分の内部を探したまえ」(今日の名言・その57)

TVドラマ『Get Ready!』から『記憶する心臓』が閃いて

矢は行くべきときに勝手に行くから行かせなさい

崎谷博征『グズな大脳思考 デキる内臓思考』

三木成夫『内臓とこころ』

 

仏教には不立文字という言葉があるんですが、
わたしが伝えたいとおもっていることは、

それと同じで、言葉では表現不可能というか、

短い文章で端的に書くやり方では伝わらないし、

それを読んでアタマだけでわかったところで、

まったく意味が無いようなことなので、

8回にわたって、これだけの文字を使って

わたしの言葉ではない言葉も引用、援用しながら

書いてきたわけなんですが、

「結局、一番伝えたいことは何だったんですか?」

という問いに答えるつもりで、

これらの記事全体を通じて

わたしが書きたかったことを

敢えてざっくり要約してみましょう。

 

わたしはけっして、大脳思考がダメって

全面否定しているわけでもなく、

あくまで〝補助的〟に

からだの能力を、後から助けるような姿勢で

使うようにすればいいと考えているので。

 

大脳と身体の関係は、

わたしたちのいわゆる常識の世界では

主客転倒していて、

大脳が身体をコントロールしていると

多くの人が勘違いをしてしまっているんだと。

 

なぜなら、発生学的に考えても、

生命の進化の歴史をふまえて考えても、

実は、脳よりも身体の方が賢いというか、

身体の方が親であり、

大脳(アタマ)は後から生まれた子どもなわけです。

 

たとえば、交通事故を起こしたりして

病院で治療を受けないとイノチに関わるような

ひどいケガももちろんあるんですが、

ちょっとしたケガであれば、

身体には自然治癒力というものが備わっていて、

何もせずに放っておいても、たいてい

傷口は塞がって自然に治ってしまいます。

 

自然に傷口が塞がるって、

よ〜く考えてみてください。

めっちゃ不思議でスゴイことじゃないですか?

 

だって、ガラスのコップやお皿であれば、

割れてしまったら、もう元に戻りませんから。

 

つまり、身体にはそうしたすぐれた能力が

もともと備わっているのに、

アタマの方はグズでバカなので、

全然考えていなくて、ただ悩んでいるだけなのに

自分は賢いんだとすぐ勘違いしてしまうし、

「教えなきゃ」「わからせなきゃ」

「何とかしなきゃ」と言って

余計なこと、

身体がもっている自然な力を封じ込め、

むしろ逆にその力が発揮することを

邪魔するようなことばかりを

してしまっているんじゃないかと。

 

板倉くんは、blog記事に

「わかること」というのはもしかしたら一種の

支配なのかもしれません。

と書いていましたが、

人間にはだれにも、

わかろうとする力がもともと備わっているのに、

「わからせよう」「教えよう」とするのならば、

それは、結果的に

「支配しよう」「コントロールしよう」

ということにつながってしまいかねない

危うい行為になってしまっているのではないかと。

 

じつは、このことは、わたしが進学塾で7年間、

徹底的に「教える」「わからせる」指導を

約1000人の子どもたちに対しておこなったときに

わたし自身が痛感したことでもあったのです。

 

それで、人間はだれしも学び続ける力を

もともともっていると仮定するなら、

「教えよう」「わからせよう」とすることで、

その力を封じ込めてしまうようなことだけは

わたしはしないでおこうと決めて、

この寺子屋塾を開いたのでした。

 

さらに板倉くんは、次のように続けています。

 

なぜ人は他者とコミュニケーションを

取っているのかというと、

その人のことが「わからない」からだとも

言えるでしょう。

 

その人のことがすべてわかってしまったら

コミュニケーションを取ることは

不要になるはずです。

 

そこから新しく生まれるものはあるでしょうか?

「わかった」と完結してしまうと

その世界はそこで閉じてしまうのです。

 

 

そうなのです。

「わかった」というのは、

静的というか、ある時点を点として

切り取ってみたときには言えることであっても、

そもそも生きている人間は、動的な存在であって、

わかろうとする力が備わっているのなら

すべてわかってしまうナンテことは

そもそも起こり得ないことであるし、

人間、「わかった」とおもったら最後、

それ以後は学ぶことをやめてしまうんだと。

 

だれもがわかろうとする能力を

備えていると仮定するのであれば、

「わかったつもりにならない」

「わからない」ということが大事であって、

そして、わかり続けようとしているのならば、

その能力が自然に発揮できるように

妨げないようにすることこそが

大事なのでしょう。

 

わたし自身、理想や目的をもつことを

あまり重視していないんですが、

「寺子屋塾では、どういう人が

育ったらいいとお考えですか?」

と問われたときに、だいたいいつも

「学ぶことの楽しさを日々実感できて

一生学び続けることのできる人間です」

と答えているのは、こういう理由です。

 

 

さて、板倉くん自身のことですが、

ひとつの転機が訪れているようで、

3月でいまの仕事を辞め、

4月からはフリーとのこと。

 

お願いしたいことがあるということで

blog記事を書いていたので、

読んで何かおもうことがあれば、

彼に声をかけてみてくださいね。

【4月から】

 

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