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インタビューゲームでなぜ人生が変わるのか(番外編3・平田オリザ『わかりあえないことから』)

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インタビューゲームでなぜ人生が変わるのか(番外編3・平田オリザ『わかりあえないことから』)

インタビューゲームでなぜ人生が変わるのか(番外編3・平田オリザ『わかりあえないことから』)

2023/05/12

5/7から書き始めた

インタビューゲームをやり続けると、

なぜ人生が大きく変わってしまうのか

について考察する記事も

これで6回目になるんですが、

今日は番外編その3です。

 

番外編なので、これまで書いてきたことについての

補足ということで受け止めて頂ければ幸いです。

 

(その1)ジョハリの窓から

(その2)3つの幻想領域をふまえて

(その3)相互に相手の自由意志を尊重する

(番外編1)内田樹『先生はえらい』

(番外編2)二村ヒトシ『すべモテ』

 

さて、誤解のないよう念のために書いておきますが、

わたし自身、インタビューゲームを

やり続けてきたことで、

人生が大きく変わってしまったのですが、

それはあくまで結果であって、

人生を変えようと明確な目的をもって

インタビューゲームを

やり続けてきたわけではありません。

 

だから、もし、これを読まれたあなたが、

自分の人生を変えようという目的のために、

これからインタビューゲームを

100回やろうというのであれば、

残念ながら、あなたの人生に

変化は起きないかもしれません。

 

なぜかというと、

「自分の人生を変える」という目的のために

インタビューゲームを行うというのであるなら、

そのこと自体がすでに、

目の前の人とちゃんと向き合って

対話的にコミュニケーションするということには

なっていないのですから。

 

このblogではときどき登場するテーマ

原因と結果の取り違え」ということです。

 

以前、「そもそもこのインタビューゲームは、

らくだメソッドの指導者養成を目的に

平井雷太さんが作られたプログラムだった」

と書きました。

 

ただ、このように書くと、予め平井さんの中に

指導者養成という明確な目的が存在していて、

その目的に基づいて念密に構築された

プログラムのように読めてしまうとおもうんですが、

もともとらくだメソッドは、

教材開発を目的に完成されたものではなく、

平井さんがご長男・有太くんのために作り始められ

その結果として偶発的に生まれたものでしたから、

どうすれば、指導者が育成できるかという

明確なビジョンや方法論が最初から

平井さんの中にあったわけではないのです。

 

「らくだメソッドを使いたい」という要請が

まわりからあったため、

指導者養成の研修会をやることを決めたものの、

その研修会の開始時刻直前までノープラン状態で、

断崖絶壁状態に立たされた平井さんの口から

咄嗟に出た言葉が

「二人一組になってインタビューをしましょう」

だったのでした。

 

らくだメソッドもインタビューゲームも

ともに偶発的に誕生したものだったのです。

 

ホント、嘘みたいな話なんですが、

これ、実話らしいんです!

 

つまり、わたしもらくだメソッドで

指導するということを29年やっているんですが、

人間というのは一人ひとりすべて

顔かたちや考え方が異なるように、

どのように関われば良いかというやり方は、

本当に一人ひとりすべて個別に異なっていて、

こうすればいいという正解を、

わたし自身が予めもっているいるわけではなく、

目の前の人と対話する中で発見し

紡ぎ出していくしかありません。

 

たぶん、らくだメソッドの指導が、

学校や多くの他塾が行っている指導と

全く異なる異なるのは、

たぶん、この点にあると言ってよいでしょう。

 

昨日のblog記事で二村ヒトシさんの

『すべてはモテるためである』から

対話の極意が書かれている部分を引用しましたが、

それを読まれて、

どうすればいいかわかりましたか?

 

たぶん、わからなかったでしょう?

 

だって、すぐにわかって

すぐに実践できてしまうようなことなら、

それは極意でも何でもないわけですし、、、

 

なぜインタビューゲームを繰り返し行うと、

対話的な関係性の構築に

つながっていく可能性が高まるのかについて

考えるヒントにしてください

 

とは書きましたが、そこに

どうすればいいかは書いてないからです。

 

結局、目の前の人と〝対話〟するためには、

自分のなかにある

「こうすればいい」という正解を

捨てないとできないのです。

 

え?正解を捨てる?

どういうこと?っておもいましたか?

 

むかし、亀井勝一郎という人が、

『愛の無情について』という本を書いて

「恋愛とは美しき誤解なり」という名言を

残しました。

 

私が高校生だった1970年代でも、

こんな古典的恋愛論を

真面目に読む人は、ほとんどいませんでしたが・・

 

ファシリテーションというテーマは、

コミュニケーションの要素が

非常に多く占めているため、

ファシリテーションについて学びたいと思って

講座に参加される人の中には、

コミュニケーション・スキルを身につけようと

思っている人が少なくないんですが、

いまの社会に蔓延している問題は

能力やスキルで解決できるものではないんですね。

 

2017年の後期に非常勤講師として、

愛知淑徳大学でファシリテーションの授業を

わたしが受け持ったとき、

男女の恋愛において、女性からの

「あなたのことをもっと知りたいわ」というのは

始まりの言葉だけれど、

「あなたって人がよくわかったわ」というのは、

たいてい終わりの言葉なんです・・・

ナンテ話を授業中にしました。

 

女の子たちは、みんなクスクス笑ってましたが、

男の子たちは「え?どういうこと?」って

キョトンとしてた子が少なくなかったです。笑

 

つまり、今の日本に蔓延しているのは、

スキルや能力の問題でなく、

社会状況の側から、

理解することや理解し合うことを

強要されていること

多くの人が気がついていなくて、

そもそも理解ということ自体が幻想であり、

理解することや理解し合うことが

誰にとっても良いことで必要だという

錯覚やおもい込みに過ぎないことを、

無自覚のウチに大前提としてしまっているために

起きている同調圧力の問題なんですね。

 

このあたりの話があまりピンと来ない方は、

3月に書いたこちらのblog記事で紹介した、

生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会

などの記事もご覧になって、

「生きづらさ」というものが

どういうメカニズムで発生しているかについて

考えてみてください。

 

 

さてそれで、今日のblog記事の冒頭の写真は、

2013年の暮れに三重大学に

平田オリザさんが来られて講演されるというので、

教室を臨時休業して聴きに出かけたときに

撮影したものなんですが、

番外編3はこれまた

インタビューゲームのルールシートに

関連推薦図書としてリストアップしている1冊、

平田オリザさんの

『わかりあえないことから

 コミュニケーション能力とは何か』です。

 

オリザさんの言葉は、以前このblogでも

「今日の名言シリーズ」で取りあげたことがあり、

対話というテーマを掘り下げたり、

新刊書を紹介したりしたことがありましたので、

未読の方はご覧ください。

平田オリザ『ディベートとダイアローグのちがいは?』(今日の名言・その38)

 

対話的な関係性の構築って書きましたが、

いまの日本においては、これが

ほとんど成り立っていないんじゃないかって

わたしはおもっているんですが、

今日のこの記事でこのテーマも6回目になるので、

いったいどういうことを意味しているのか、

そろそろ伝わってきましたかね?

 

オリザさんがコロナ禍が始まる直前の

2019年に書かれた

他者への寛容を学ぶために。

「対話的な学び」に必要なもの

という記事を見つけたんですが、この記事から

対話と会話、対話と対論の違いについての説明と、

異文化に対する寛容さこそが、

日本の子供たちが緊急に学ばなければならない点と

指摘された箇所を紹介しておきます。

 

(引用ここから)

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演説、対論、対話、会話、独り言など、人間が話す言葉には、様々なカテゴリーがある。その中でも特に、「対話」と「会話」を区別することが重要だ。


「対話」は「dialogue」、「会話」は「conversation」。英語ではこの二つの単語は大きく意味が異なるのだが、日本語ではこの区別が曖昧だ。というよりも、日本語では、「対話」という概念が薄い。だから辞書を引くと、「対話=向かい合って話し合うこと。また、その話」(大辞泉、小学館)などとなってしまう。ちなみに同じ辞書で「会話」を引いてみると、「複数の人が互いに話すこと。また、その話」となっていて違いがよくわからない。私なりの定義は以下の通りだ。

 

会話=親しい人同士のおしゃべり。
対話=異なる価値観や背景を持った人との価値観のすりあわせや情報の交換。あるいは知っている人同士でも価値観が異なるときに起こるやりとり。

 

では、「対論」と「対話」はどう違うのか。これを私は以下のように説明してきた。

 

対論は、AとBが議論をして、Aが勝ったとしたら、Bは意見を変えなければならないがAはそのまま。
対話の場合は、AとBが話し合って、Cという新しい結論を出す。どちらも変わることを前提にしてコミュニケーションをとるのが「対話」。

価値観を一つにする方向のコミュニケーションから、価値観は異なったままで、文化的な背景の違う者同士が、どのように合意形成を行っていくかが、ここでは問われている。

 

文科省が掲げる「対話的」とは、本来、このような方向で説明されるべきだと私は思う。


さらに、「主体的」と「対話的」は時に相反するという認識も必要だ。たしかに主体性がなければ対話は成立しないのだが、主体性が強すぎても対話は成り立たない。自分の主体性を少し曲げることも、対話の中では重要だ。

 

フランス革命の理念は「自由・平等・博愛」だ。しかし、「自由」と「平等」はなかなか両立しない。自由が行き過ぎれば平等は成立しないし、平等を追求しすぎると個々人の自由が束縛される。だが、ここがフランス人の面白いところで、この矛盾する概念の中間に、「博愛」という抽象的な理念を置いた。この発明は不思議な普遍性を持って、やがて世界へと伝播していく。

 

私は半ば冗談だが、「主体的・対話的で深い学び」よりも、「主体的・対話的で愛のある学び」の方がいいのではないかと主張してきた。もしもこれが情緒的にすぎると言うなら、「主体的・対話的で寛容な学び」と言い換えてもいい。異文化に対する寛容さこそが、日本の子供たちが緊急に学ばなければならない点だと私は考える。

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(引用ここまで)

 

オリザさんの著書『わかりあえないことから』には、

ロボット演劇の話題も登場していますので、

読まれていない方はぜひ、

次の2011年に行われたTEDの講演もご覧になって

人間とロボットの違いとは何か考えてみてください。

 

最近、Chat GPTの普及によって

AIの問題が取り沙汰されていますが、

オリザさんは随分まえから

この問題に取り組まれていたんですね。

 

Oriza HIRATA [ 平田オリザ ] - TEDxSeeds 2011

(YouTube動画)

 

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