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寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その6)

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寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その6)

寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その6)

2023/08/25

8/20からこのblogでは、

寺子屋塾生・本田信英さんが

入塾時から3年余りの間、3ヶ月毎に書いていた

らくだメソッド学習のふりかえり文を紹介しながら、

わたしのコメントを記しているんですが、

今日で6回目となりました。

 

今回なぜこのような記事を投稿しようとしたかなど、

そのきっかけなどの前口上については、

8/19に投稿した(その0)をご覧ください。

 

この連載記事は1回1回、完結するスタイルで

書いていますので、前の記事を読んでいないと

以下に記す本日分の内容が

理解できないということはありませんが、

本田さんが具体的にどのように変化されたのか

そのプロセスそのものを辿りたい方は

(その1)で3ヶ月めと6ヶ月めを、

(その2)で9ヶ月めと1年めを、

(その3)で1年3ヶ月めと1年半を、
(その4)で1年9ヶ月めを、

(その5)で2年めのふりかえり文を

紹介しましたので、順番にご覧ください。

 

また、本田さんは、

学習を始めて2年3ヶ月経った2018年2月に

これらのふりかえり文をblogで公開されたんですが

なぜ大人の自分が算数、数学のプリントで

学習を続けているのかなど、

そのタイミングで

本田さん自身によって書かれた

前口上の記事が2本ありますので、

未読の方はそちらもぜひご覧ください。

大人になって算数のプリントを始めた

変化のプロセスを見ていく記録



さて、今日は2018年2月に書かれた

2年3ヶ月めのふりかえり文です。

 

(引用ここから)

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らくだメソッド2年3ヶ月の振り返り

 

あっという間の3ヶ月だった。
この間の最大の変化といえば、

150日連続プリント宣言をしたことだ。

2年の振り返り時点のできない期間を経て、

もう1度毎日プリントをやってみようという

気持ちが湧いてきた。

 

そして、2017年の暮れに、

2018年は今までの最高継続記録150日を

更新することに決めた。

以前、その記録を達成した時は

まだ始めて半年くらいで、

駆り立てられるようにやっていた。

継続できることを心の拠り所にしていたし、

明確な数値を決めてやっていたわけではない。
「できる」「できない」を一周した今とは

だいぶ状況も心境も異なる。

 

今回の150日連続は

目標として掲げているのではない。
達成したからといって

なにか商品やゴールがあるわけではないから。

達成しても失敗しても翌日は、

なんでもない顔をしてやってくる。
信賞必罰で飼いならされていると、

そこに物足りなさを感じてしまうかもしれない。

けれど、自分で決めてやっていることに

報酬などいらない。
 

だから、ただ150日やると決めただけだ。

それ以上でも以下でもない。
それは、川を渡る時の

飛び石みたいなものかもしれない。

そのまま川を渡ろうとすれば、

濡れたり水に流されてしまったりする。

かといって、

橋を立てていたら時間がかかりすぎる。

だから、飛び石という少し離れた場所に

「目安」 を用意することで、

そこへ向けてジャンプできる。
その先さらに進むのか、はたまた戻るのかは、

飛び移った後で自由に選べばいい。
なぜこの継続期間を設けたのかといえば、

1つの実験である。

自分の行動や思考パターンを変えるための

「がんばらない」実験。

今更になってわかったのは、

僕は精神論だけではどうにもならないらしい。

ガンバリズムではすぐに息切れを起こしてしまう。

それは自分の怠慢ゆえにだと思っていたけれど、

そうじゃない。
人間みんなそうなんだ。

 

「なかなか毎日できない」
寺子屋塾に行く度に、

他の塾生がそう口にする場面に出くわす。

それにも関わらず、

僕は他人に「この人は凄いんだ!」と

どこかで幻想を抱いているから、

事実を認められず「自分がだけができない。

そしてそれはガンバリが足りないから」と

自責している部分が心のどこかにあった。

それもまた現実逃避だろう。
だから、受け入れるのでも拒絶するのでもなく、

確かめてみようと思う。

 

人間みんな怠惰なものだと仮定してみる。

そもそも変えられない性質を皆もっているから、

無理やり自分を変えようとするのは無意味だ。

 

だったらどうするか?
環境を変えるのだ。 僕は影響されやすい。

それ自体は良いでも悪いでもない。

だからその特徴をうまく活用すれば良いのだ。
自分が継続できるような、いやむしろ

思わずやってしまうような環境を整えることで

毎日できるようになるのではないか? そうすれば、

いちいち自分の良し悪しを判断しなくて済む。
自動的に、考えるまでもなく行動して、

無意識でもって思考する。

それができるかの実験なのだ。

 

ただ、環境を整えるとは

具体的にどういうことか?
これは毎日やるためには

プリントをやる時間の確保が1番の鍵となる。

 

プリントをやる前後の時間、

つまり部分を考えているだけでは必ず穴ができる。

1日の時間の取り方を考える必要があった。

「時間のある時にやる」ではダメ。

また「夜にやる」のは疲れて寝てしまうのも、

既に嫌というほど思い知らされている。

ならば、朝にやらなければならない。
朝にやるためには早く起きる必要があり、

そのためには早く寝る必要がある。

そんな具合に、らくだメソッドを

中心に据えて考えてみることで
1日全体の時間の過ごし方が大きく変化した。

 

結果としては、起床して身体をほぐしたら、

まずプリントをやる。

それが定着したことで「やるか、やらないか」を

考えなくて済むようになった。
おかげで2018年1月31日時点で

32日連続プリントができている。

道半ばではあるが、

なかなかに順調に進んでいるだろう。

 

そして、副次的な効果として、

段取りがうまくなった。
もともと壊滅的に段取りが下手な僕が、

少しずつでも段取りできるようになったのは、

間違いなくらくだメソッドのおかげだ。

 

先日、寺子屋塾の新年会で、塾生ではない人に

「算数のプリントをやることが

 日常にどう役立つんですか?」と尋ねられて、

「全部に関係している」と答えていた。
らくだメソッドを始めた当初は、

とにかくプリントをやることしか考えなかった。

 

けれど、慣れてくると

ある時にふと気づいて舌打ちをする。
「また消しゴムを用意していなかった!」
「鉛筆の芯を削ってなかった!」

シビアな目安時間のプリントにおいて30秒程度

消しゴムを探すという行為がどれだけ無駄か。

それがわかってくる と、鉛筆だけでなく消しゴムも

手元に用意してから始めるようになる。
一見すると本当に些細な違いが、

段取りが上手い人と下手な人の大きな差を生むのだ。

 

上記の毎日続けるための時間の使い方にしてもそうだ。
段取りを意識するようになると、

世の中の物事は大抵

起こるべくして起こるということがわかってきた。
大事な本番で忘れ物をしたり、

直前になって慌てて作業したりする。

問題が頻発するということは、

その前段階で人為的なミスをしているからだ。

 

とはいえ、過ぎたことはもう変えられない以上、

これからのことを変える必要があるのだけど、

そのために今をなんとかしなければならない。
今起こっていることから

どれだけのことを学びとるのか。

 

1つの物事の中には、

無限と言ってもいいくらいの可能性が詰まっている。
ただ、それを引き出そうとする人と

しない人がいるだけだ。

多くの人は何度か咀嚼して、満足すると飲み込み、

あるいは吐き出してしまう。
でもずっと噛んでいれば、

いくらでも色んな味わいが出てくる。

僕はそれを知ってしまったから、

怪訝な顔で見られながら

飽きもせずに噛み続けているのだろう。

 

「身体で考える」という言葉を気に入って、

自分でも使ってきたのだけど、

ようやくちょっとだけその意味が

わかってきたように思う。

 

行為に落とし込む、ということだ。
立ち止まって腕組みして唸っていることを

考えることだと思っていた。

けれど、実際にはそういう時に

なにも考えていなかった。
それよりも、ある懸念事項が起こった時に

とにかく身体を動かす。

図を書き出してみることかもしれないし、

記録を見直してみることかもしれない。

とにかく、ある行為をすることで、

自然とアイディアが湧いてきたり、

結論が浮かび上がってきたりする。
脳と身体を分断せず、

身体全体を動かしながら思考する。

たぶん、そんな習慣を持っておくことが

「身体で考える」ということなのだろう。


僕にとってはらくだメソッドが

身体で考える手段の1つであり、

2年間積み上げてきたものは、

馬鹿にならない経験値となっている。

ただ、量が増えればかさ張ってしまうものだ。
だから、僕はいまそれらの情報を整理して、

なにが自分に有用で不要なのかを、

実験を通して確かめているのかもしれない。


自分自身を思い込みで判断しないことは、

なるほど確かに大事なことかもしれない。

しかし、では実際のところ、どうすればいいのか?
 
僕なりの答えとしては、

自らを取り囲む環境を変えようとすることだ。

そうすれば、いちいち自分を評価することから

解放される。
わざわざ変えようとしなくても、人間は変わる。

同じ場所に留まっていることの方が

実は難しいのだから。
ただ、東に進んでいる人を無理やり西に

引っ張って行こうとするからおかしくなる。

西に進むように身体の向きを変えてやるか、

方角そのものを逆転してやればいいのだ。
それが環境を整えるということだ。

現実世界では難しくても、

自分の内側とそれを取り巻く世界は

自由に変えられるのだ。

 

最後に、この3ヶ月間におけるプリント記録の中で

めぼしいものをあげておく。

-----------

 


1/3 高-46(?分)15:29 ⑥
 ●(8)の問題が少し考えればわかる問題だったのに、全然意味がわからなくて混乱していた。少しひっかけられただけで、こんなにもあっさりと引っかかってしまう。やっぱり杓子定規的な教えてもらったパターンでしか解けないのではダメだ。強くそう思った。そうでなければ、世の中にはびこる悪意と、ボタンの掛け違えた善意に簡単に惑わされてしまう。 わからないからといって、簡単に諦めるな。解けると信じて、泥臭く粘るんだ。少なくとも「自分で精一杯やった」と確信してから諦めるんだ。わかってみればなんでもないことなんだ。わかるとわからないの隙間にある薄紙1枚に気づけるようになることが、人間の可能性を広げるのだ。

1/21 高-51(20?分)21:29 ⑤
●8問中全問不正解だと思っていたけれど、正解しているものが3問あったことにむしろ驚きを感じている。めちゃくちゃでも全く身についていないことはなかったのだ。以前はこういう時に間違った数に目が行っていたことを考えると、僕の思考も変わってきたのだなとしみじみ実感する。いや、違うか。自分にとって捉え方を選べるということができるようになったのだ。

1/25 高-51(20?分)36:40⑤
●ちゃんと答えを書かなきゃ結局間違いになってしまう。だって聴かれたことに対して答えてないんだから。そういうことって日常会話でもよくあることだ。「知ってる? タレントのAさんが結婚したんだって」「俺、Aさんのこと好きじゃないんだよなぁ」みたいな。問題や問いに対して、きちんと応えられているか? という視点が結構大事。 ところで51のプリントが1回目2回目を解いた時よりも、今回10分以上時間が伸びていることに驚きを感じてる。秒単位で時間が伸びることや最後まで問題を解かなかったプリントで伸びることは今まではあっても、最後まで問題を埋めたプリントでこれだけハッキリと時間が伸びる現象は起こったことはなかった。つまり、私は自分にとって学力の最前線にいるのではないだろうか? おぼろげでも聴いたことがあるとか、そういう次元でもなく全くの未知の領域に入っている。だからこそ、急がば回れのような真なる理解のためのじっと耐えるプロセスを歩んでいるのかもしれない。

-----------
1年9ヶ月の振り返りから

突然この抜粋を始めたのだけれど、

今になってこれも意味のあることだと思えてきた。

これらのプリント記録は、

僕のEvernoteに記録されていて、

要望がない限り公開していない。

 

この振り返り文章は「線」だ。
けれど、「点」となる毎日の記録がなければ、

この線は生まれない。

すなわち、この記録の1つ1つこそが

僕の学びの原点であり、生命線なのだ。

だから、僕がどんな点を打ってきたのか

記しておくことが、伝わりやすいと思う。
 

さて、順調に続けば、次の振り返りでは

100日を超えているだろう。

どうなることやらわからないけれど、

珍しく楽観的な僕がいる。 (2018年2月9日)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)


本田さんの文章は、

これまで2年3ヶ月の積み重なりが反映された

ふりかえり文になっているので、

以前のふりかえり文から

順番に読まれていなかったとしても、

特別わかりにくい表現はなかったとおもいます。

 

でも、らくだメソッドを実体験されていない方が

読まれることも意識しながら、

らくだメソッドにどんな可能性があるかを
タイムマネジメントという観点から

コメントしてみようかと。

 

 

らくだメソッドの学習は、

「1日1枚のプリント」を原則としながら、
だれからも一切強制されない環境において、

「自分で決めて、自分でやる」という

スタイルをとっているので、

別段難しいコトをやっているわけでなく、

非常にシンプルな学習と言ってよいでしょう。

 

このふりかえり文を書いていた頃、

本田さんは高校数学の単元を学習していました。

 

らくだメソッドの高校教材は

全部で231枚あって、

プリントによっては、

1枚やるのに1時間近くかかるものもあります。

 

でも、小中学校の算数、数学の範囲であれば、

プリントの難易度に多少違いはあっても、

だいたい、答え合わせややり直しを入れて

30分前後あれば学習を終えられるわけです。

 

ただ、本田さんも書いていたように、

「1日1枚のプリントを自分で決めてやる」

というのは、

プリントを学習するために必要な

正味時間さえ確保できていれば、

うまくやれるというわけではありません。

 

なぜなら、たった30分であっても、

そうした学習を毎日欠かさず継続していくためには、

イレギュラーなアクシデントなども想定し、

必要な環境設定というか、

準備や段取りが

どこまで具体的になされているかが

問われることになるからです。

 

本田さんは、

1つの物事の中には、

無限と言ってもいいくらいの可能性が詰まっている。
ただ、それを引き出そうとする人と

しない人がいるだけだ。

と書かれていましたが、

つまり、「一事が万事」のことわざ通り

その「一事」に、その人の日頃の時間の使い方や、

あらゆる物事に対処する姿勢が

自ずと投影されていると

おもえるかどうかなんですね。
 

そのようにふだんから自覚していれば、

たかがプリント1枚、

たった30分の時間であっても、

けっして疎かにできないわけで。

 

でも、逆にいえば、そのわずか30分の過ごし方に

自分のエネルギーを集中することで、
自分の時間管理能力や、

自己管理能力などが高まることは、

十分起こり得るということでもあるんですね。

 

あくまでわたしの実感でしかないんですが、

世の中の多くの人・・・おそらく

10人のうち7〜8人ほどは、それをしません。

 

しません・・・というか、

自分で「できない」って

勝手におもいこんでいるんですね。

 

もちろん、すぐに変化することはあり得ないし、

すぐできるようにはならないので

それはその通りなんですが、

多くの人がその、すぐにできないことを

「できない」って定義していて、

無いものねだりをしていることに

自分で気が付いていないんじゃないかと。

 

未来に軸足を置いていた

それまでの時間の使い方を見直し、

1日のうちに、わずか30分であっても

いま、ここ、自分に軸足を置く時間の使い方

というか、

自覚的姿勢を持続することにチャレンジするという、

何かの目的を立て、

それに向かって努力するという従来型のやり方とは

異なるアプローチなので、

やってみないと実感できないというか、

ほとんどの人にとっては

イメージしにくいとおもうんですが。

 

これは、上意下達的に何かを教えるスタイルで

実現しようとすることは不可能に近く、

個別に異なる課題にアプローチしながら、

タイミングを見計らっての対話的やりとりが

どうしても欠かせないので、

寺子屋塾では、それを

〝教えない教育〟と称しているわけです。

 

本田さんは、このふりかえり文中では、

身体で考えるという言葉を使っていましたし、

わたしもblogでこれと同じことを

繰り返し繰り返し書いているんですが、

ポイントはアタマ主導の思考回路が

カラダ主導に切り替わっているかどうか

プリント学習のみならず、

日々起きているさまざまな現象をめぐって、
指導者であるわたしと、対等に

対話的やりとりができるかどうか

あるわけで。

 

寺子屋塾の教室では「何でも聞いてイイ」という

ルールがあるんですが、それは、

多くの人が、

人に聞けばすぐ解決するような問いを

人に聞かずに自分で考えようとし、

自分のアタマで考えるべき問いを

人に聞こうとしてしまうところがあるからで、

わたしが教室でいつも塾生たちに

インタビューゲームが最も大事で、

わたしはこれを100回以上くりかえすことで

人生が変わってしまったと話しているのは、

そういう意味なんです。

 

もちろんこの、100回というのはあくまで

かつて自分が体験していなかった多くの回数

という意味のメタファーであり、結果にすぎないので

100回できることが

到達目標というわけでないし、

回数自体、あくまでめやすにすぎないんですが。

 

対話的コミュニケーションが日常化し、

頑張らなくても

身体がスッと自然に動くようになると、

地道なことがコツコツ継続できることだけでなく

本当にいろんなことがラクに

実現できるようになりますから。

 

 

わたし自身も2013年から

プリント学習を再開したので、

今年でちょうど10年になるんですが、

いま、そのプリント学習に

わたしが割いている時間は、

プリントをやるのに3分、答え合わせに2分なので、

1日のうちわずか5分にすぎません。

 

もう10年もやっているのに、

しかも1日のうち、たった5分なのに、

1年365日ある間で、

未だ元旦から大晦日まで1年通して

1日も欠かすことなくやれた年が

1度もないという有様なんですが・・・(^^;)

 

それでも、10年もこんなことを続けているので、

ようやくここ数年ではやれない日数が、

1年のうちひと桁台にまでにはなってきていて、

ちなみに、2023年は元旦から今日までのうち

できなかった日は1日だけです。

 

つまり、たとえ1日わずか5分の学習であっても、

それを続けるという「一事」と

ちゃんと向き合うことで、

それを始める前の過去の自分と比べてみると、

時間の使い方が

格段にうまくなってきている実感は、

確実にあるんですね。(^_^)v

 

 

あと、このタイムマネジメントと類似するテーマで、

最近、山口周さんが書かれた記事がバズったようで、

有料記事ですが、無料で読める範囲だけでも

主旨は十分読み取れるとおもいますので、

興味のある方はぜひ

アクセスしてみてください。

人生を変えたければ時間配分をかえろ 

 時間ポートフォリオについて

 

 

なお、本田さんのnoteにアップされている記事には、

このふりかえり文を書かれた時から

すこし時間を置いたタイミング(2018年2月)で

本田さん自身が書かれたコメントも付されていて、
わたしとは異なった視座、視点が垣間見えますから、

是非ご覧になってみてください。

らくだメソッド2年3ヶ月の振り返り

 

この続きはまた明日に!

 

【関連する参考記事リンク集】
まず、ひとつのことから
自分の器を拡げるためにできること(その6)
事実を柔らかく受け止められる心はどうしたら育つ?(その3)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その9)
ギトン「学校は最長距離を教えるところ」(「今日の名言・その12」)
内田樹『日本辺境論』より(今日の名言・その32)

らくだメソッドは根本原理の組み替えツール

アンラーン、アンラーニングに関する本

 

 

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