寺子屋塾

まず、ひとつのことから

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2022/08/13

土曜はらくだメソッドや塾生関連の記事を

投稿しています。

 

昨日教室にやってきた塾生のひとりから、

「結局のところ、この教室で一番

大事にしていることって何ですか?」

と問われたので、

基本教材であるらくだメソッドの土台となっている

セルフラーニングシステムの考え方について

話してみました。

 

以下の文章は、その内容を整理したもので、

すこし長いんですが、

ひとつひとつプロセスを踏んで

丁寧に書いたつもりですから

ぜひ読んでみてください。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

日本国憲法第26条に定められているように

わたしたち国民は、すべて教育を受ける

権利を与えられています。

 

権利は義務を果たすことによって行使できる・・

つまり、権利と義務はセットですから、

小学校や中学校という義務教育のシステムは、

その権利を保障するためにあり、

先生やわたしたち大人たちは

それを保障する義務を負っているわけですね。

 

よって、子どもたちにとって、

学校へ行って学習することは、

自分に与えられた権利の行使であって

しなければならない義務ではないのです。

 

でも、ほとんどの学校教育においては

その学習の成果が人と比較され、

他者から評価される環境にあるのが現実で、

学校へ行くことは子どもの義務であって、

人から強制されないと学べないと

考えている人は少なくありません。

 

そういう状況下に長く置かれていれば、

本来は楽しいものであった学習が、

苦しい、ツマラナイ、面白くないものとして映り

他律的,受動的、義務的なものとして

受け止められるようになってしまうのも

当然の成り行きといってよいでしょう。

 

寺子屋塾で基本教材としているらくだメソッドは、

そのように他律的,受動的、義務的なものに

なってしまっている人間の学習という営みを、

どうしたら内発的、能動的、主体的なものに

していけるのか、

学習者自身の手に取り戻すことができるか

チャレンジしている学習なわけです。

 

28年前、開塾当初は小中学生ばかりだった塾生が、

現在では8割以上が成人、社会人になっており、

結局このことは、子どもたちだけの問題ではなく、

大人の問題でもあるということに、

わたし自身も後から気づかされたのでした。

 

らくだメソッドのセルフラーニングのしくみは

至ってシンプルで、

「自分で決めて、自分でやる」ってことですから、

誰からも強制されない環境のなかで、

1日1枚を原則に、目の前にあるプリントを

やり続けるということにチャレンジする学習です。

 

「1日1枚」を原則にしているのは、

1日は24時間あって、だれにも平等に

与えられているわけですから、

小中学生の算数数学教材であれば、その9割以上が

答え合わせも含め30分以内で終わるプリントが

1日のうちに1枚できない理由はありませんからね。

 

つまり、1日24時間のうち、プリント学習のために

30分確保することを自分で本気で決めていれば、

その30分以外の時間の過ごし方も

おのずと変わって行くはずなんです。

 

「日々の生活や仕事がどんなに忙しくても、

プリントをするしないとは関係ない」

「体調が良かろうが悪かろうが、

プリントをするしないとは別」

切り離して考えられるかどうかなのです。

 

また、人間の気分というのは、刻々変化するもので、

ずっと同じということもあり得ず、

いつでも気分良くやれるとは限りませんから、

「気分の良し悪しと、プリントをするしないとは別」

と考え、

やりたくない気持ちのときには、

そのやりたくない気持ちを否定せずに、

やりたくない気持ちのままで、やればいいわけで。

 

なぜ,自分はプリントをやりたくないのか、

その「やりたくない」という気持ちが

自分のいったいどこから出てくるのかを

何に起因しているのか観察できる

またとないチャンスにもなります。

 

実際、プリントをやりたくない億劫な気持ちは、

プリントをやり始めるまでで、

プリントをやり始めてしまうと、だいたい

「やりたくない」気持ちはどこかに吹き飛んで

しまいますから。

 

皆さん、「やる気」があったらプリントができると

考えがちなんですが、実はそうではなくて、

プリントをやっているうちに

「やる気」は後から起きてくるものなので、

順序が逆というか、大脳思考の錯覚というか。

 

ある人が、「やる気」はじっと待ってても

どうしたら「やる気」になるかをいくら考えても、

結局、向こうからはやって来てくれないので

自分から迎えにいかなければいけないんだと。

 

つまり、「やる気」という言葉に

自分が振り回されないことが大事なんですね。

 

また、1日1枚というのは、あくまで原則ですから、

1枚全部やるのがどうしても辛いということなら、

半分ならできるかもしれないし、

1行だけでもできるはずです。

 

もし、そのように、できることをしないのであれば、

自分の意志以外の外的条件のために

「できない」と言うよりは、

自分でやろうとしていないというか、

自分で「しない」と決めていると

言った方がよいでしょう。

 

「1枚全部やらなければ!」とおもってしまうのは、

原則にガンジガラメに縛られているからで、

柔軟に運用できてはじめて〝原則〟なのです。

 

でも、そうやってわたしが言うと、今度は、

「じゃあ半分やればいい、1行やればいいのか」って

おもって、毎日1行ずつやってくるツワモノの輩も

塾生の中にときどきいるんですが、笑

それは「1日1枚」という原則を無視し

自分の都合の良いように

ルールをねじ曲げてしまっているわけです。

 

状況は日々変化し続けていますし、

1枚全部やるのが辛い日ばかりではないはずで

原則に縛られず、かといって原則を無視せず、

自分にできるギリギリを模索しようとする姿勢が

あってはじめて、自分というものが見えてくるし、

そのこと自体が大切なのですから。

 

つまり、「自分で決めて、自分でやる」ってことは、

こんなふうに、

すべては自分の手に委ねられているし、

自分次第でどうにでもなるという姿勢を

どこまで本気で実現しようとしているかってことで、

自分自身が〝どのように〟決めているかに対して、

どこまで自覚的であるかが常に問われます。

 

よって、毎日やり続けている状態というのは、

あくまで結果として実現することであって、

目的にはなり得ないものであるし、

たとえ、プリントができない日があったとしても、

自ら日々そう努めることで育つ力があり、

それ自体が学習になり得るわけなんですね。

 

結局、自分の意志で「やる」と本気で決めていないと、

「できない体験」は生まれませんし、

「できない状態」を経験しないと、

「なぜできないんだろう?」と

自分に対して問いが浮かぶこともありません。

 

この「できない体験」という言葉は、

ネガティブに聞こえる方が少なくないでしょうが、

ただ「できない」という〝事実〟があるだけで、

そこにはポジティブもネガティブもなく、

ただその事実をネガティブに見ようとする

人間がいるだけのことです。

 

たとえば、わたし自身も2013年5月から

らくだメソッドの学習を再開していて、

丸つけも含め5分ちょっと終わる学習ですから

「必ず毎日やる」と自分で決めているんですが、

それでも、6月は30日あるうちの

3日もできない日がありました。

 

こんなふうに、自分で決めているのに

できなかったことがわかったときには、

わたしも最初はショックを受け

愕然としていたんですが、

落ち込んでいたところで仕方が無いし、

事実と自分の認識とを切り離して見ることが

少しずつできるようになっていったんです。

 

この6月も、すごい気づきがあって、

自分はこういう状況のときに、今やれることを

後回しにしようとする思考の癖が出てくるんだとか、

すぐ高を括って油断し状況に流されてしまう傾向とか

それまでの自分に見えてなくて盲点になってた部分が

少しずつ見えてきたんですね。

 

「自分でどう決めているか」ということと

「実際にやってみてどうだったか」ということのズレが

自覚的な姿勢や貴重な気づきを生み出すわけで、

それが「〝できない体験〟こそ宝物」という意味です。

 

もし、他律的,受動的、義務的だった学習が

すぐ内発的、能動的、主体的なものに転換できるなら、

誰も苦労しません。

 

よって、けっして簡単なことではありませんが、

たった1枚のプリントに対してでも、

内発的、能動的、主体的に取り組むことができれば、

それは、言ってみれば、

人間存在の根源にかかわる本質的な変化ですから、

生活面、健康面、仕事面、人間関係面など、

あらゆることに波及していく可能性があるのです。

 

その「できない体験」を

まわりの環境や条件のせいにせず、

自分を責めることもせず、

「なぜできないんだろう?」という問いと

真摯に向き合うということは、

「事実」と「認識」を切り離して見る

鍛錬と言ってもよいでしょう。

 

つまり、こうしたプロセスを、

日常の中で丁寧にふりかえって、

繰り返していく習慣がないと

なかなか自分の学習にはなっていかないし、

同じところをいつもグルグル

堂々巡りをしてしまう傾向にあります。

 

寺子屋塾では、

学校教育や家庭教育の環境ではできない学習の場を

提供しているというのはまさにこのことで、

これが実体験されていない方には

残念ながら一番伝わりにくい部分なんですが。

 

昨日8/13書いた記事で紹介した

ドラゴン桜2のハイライトシーンのひとつにも

「歯を磨くように勉強しろ」(第10巻)っていうのが

ありました。

 

歯みがきが日課になっている人にとって、

歯みがきという行動は、

頑張って努力してできていることではありません。

 

つまり、頑張って、努力してできる状態から、

頑張らなくても、努力しなくてもできる状態まで、

学習という営みそのものを、

習慣化、日常化していくわけです。

 

でも、ルソーの名言を紹介する

こちらの記事にも書いたように、

習慣化、日常化することはあくまで一つの手段で、

それ自体が最終目的ではありません。

 

学習の段階を示す「守破離」という言葉がありますが、

これで言うと「1日1枚プリントをやること」は

「守」の段階にあたるものと言え、

まずはこれをクリアして欲しいわけです。

 

頑張らなくても目の前にあることが

自分の決めたようにスッとできる・・・

この姿勢がプリント以外のことにも

応用できるようになってくると、

本当にいろんなことが楽になっていきますから。

 

 

らくだメソッドを開発された平井雷太さんが

以前、次のような詞を書かれていました。


まずひとつのことからはじめるのだ
どんなことでもいい
まずひとつ
あきらめず
しつこく
きびしく
他にはいっさい目をつぶって
ひとつのことだけを
まずきっちりとやることだ


そういえば、ドラゴン桜2の第10巻には、

次のような場面もありました。

 

なぜ、やったりやらなかったりするタイプが

成績が伸びないかわかりますよね?

 

 

目の前にあるたったひとつのことが、

きっちりできないのに、

あれもこれもやろうとして手を出したところで

できるようにはならないし、

受験に失敗するのがなぜかはわかりますよね?

 

以前紹介したつぶやき考現学のNo.59も、

ほぼ同じ内容のことを書いたものでしたし、

「まず、ひとつのことから」ということで

目の前にあるたった1枚のプリントなんです。

 

何度も繰り返すようですが、

わたしがこう言っているからとか、

わたしがこう書いているのを読んだからそうする

というのであれば、結局それは

外的刺激、環境に引っ張られているってことですから、

そうではなく、

「自分で決め、自分で実行できるかどうか」なのです。

 

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