改めて〝セルフラーニング〟とは何か?
2023/12/11
昨日投稿した記事では、
為末大さんのお話を動画+文字起こしにて
ご紹介しました。
この寺子屋塾blogで
為末さんについて触れた記事が
なぜ頻繁に登場するのかというと、
為末さんが現役時代、日本人としてはとても珍しい、
コーチをつけない
セルフコーチのアスリートだったからです。
この話があまりピンと来ない方は、
為末さん自身が書かれた
次のblog記事などをご覧ください。
つまり、ひとことでいうなら、為末さんは、
寺子屋塾で大事にしている
〝セルフラーニング〟を実践して来られた
アスリートだったからなんですね。
・・・ということで、
昨日の記事を書きながら、
改めて、セルフラーニングとは何かというテーマで、
記事を書いてみたくなった次第です。
さて、人間というのは、
まわりの人間に対しては気を遣っても、
自分に対しては案外無頓着なところがあって、
「自分という人間については、
自分が一番わかっている」という錯覚が
すくなくないんじゃないでしょうか。
つまり、錯覚ということは、
ほんとうにわかっているわけではなくて、
わかっていないことに
自分でも気がついていないし、
「わかっているつもり」になりやすいって
意味なんですが。
たとえば、ある人が
X(twitter)でつぶやいていたんですが、
目の網膜から入ってくる認知情報は
全体のわずか1割程度にすぎなくて、
その残りは脳内で適当に補完しているんだと。
目の前に広がる世界の9割がたが錯覚であって、
おもい込みにすぎないんだと。
ただ、過去の体験から来る自己防衛本能などから、
「こうではないか?」と勝手に推定し、
しかも、自分で「推定している」自覚すらなく、
ほとんど「決めつけ」でしかないんだと。
加えて、人間の感情や思考というのは、
正気の状態を保つことがなかなか難しく、
ちょっとしたきっかけで揺さぶられ、
暴走しかねない性質すら抱えているわけで。
自分自身を100%コントロールできている人なんて
現実にはこの世界の中で
ほとんど存在していませんから、
多くの人が、自分の意志で生きているようでいて、
その実、これまでの生育歴や受けてきた教育で
無意識にインストールされたものに
振り回されていると言っても
過言ではないでしょう。
それと、このblogでは
繰り返し何度も書いてきている話題なんですが、
吉本隆明さんという人は
そうした人間が生み出すおもいこみや
思考によって意味づけされた世界を
幻想領域と名づけられました。
つまり、人間はみなあるがままの現実を
生きているようでいて、その実そうではなく
人間によって意味づけられた世界を
生きているというわけです。
そして吉本さんは、その幻想領域を
大きく3つに分類して、
自分自身に対する「個人幻想」
目の前の人とのペアの関係で生まれる「対幻想」
人間の集団や社会に対する「共同幻想」
という風に表現されたんですが、
この3つの幻想領域はそのまま、
対人関係としても適用可能なものと考えました。
言い換えると、この3つの対人関係は、
各々が次元が異なり、各々に還元できないもので、
3つをごっちゃにしないで分けて考え、
なおかつ
各々を同じように大切に扱う必要があるという原理を
引き出すことができるわけです。
つまり、自分自身との関係は、
目の前の他者との人間関係、組織や社会との関係と
まったく同じように大事であると。
この3つの幻想論、対人関係の話はいわゆる
アカデミックな知見に基づいたものではなく、
理解するのが易しくないとおもうのですが
これまでに何度も書いていることなので、
以上の説明でわかりにくく感じた方は
次の5つの過去記事などを参照下さると幸いです。
・3つの幻想領域の〝次元が違う〟ってどういうことですか?
・吉本隆明『人間は自分を圧殺するためにさまざまな負担をつくりだす』(今日の名言・その35)
それで、前記したように、
人間は自分という人間に対して、
わかったつもりになりやすいところがあるので、
セルフラーニングが前提にしていることを
端的にいうならば、
自分という人間が何者であるか、
一生かかってもわからないということを前提で、
そのことにどこまで自覚的になれるか
ってことなんです。
つまり、自分は自分のことなんて
ちっともわかってないってことを前提に、
自己観察や自己内対話によって
自分で掌握できる領域を拡大しようとすることや、
メタ認知力というか、
観察の解像度を上げていく学習であり、
「正気」と「狂気」の境界を付け替えるべく、
日々チャレンジし続ける学習と言ってよいでしょう。
前に確認したように、
現在の日本に生活している多くの人にとって、
〝学ぶ〟ということは、
学校という特殊な場所でするもの、
親や先生といった
他者から教えてもらわなければ
できないものというように、
他律的にコントロールされがちであった
長い歴史があります。
よって、セルフラーニングにおいては、
その学習という営みを、まわりとの関わりの中で、
自分自身の手に取り戻すことを基本姿勢とし、
過去に受けてきた教育によって、
無意識にインストールされたものに対しても
今の自分が本当に必要としているかどうか
再構築したりアンラーンを促したりすることが
少なくありません。
セルフラーニングの学習プログラムは
らくだメソッドの場合は至ってシンプルで、
「自分で決めて、自分でやってみる」ですから、
そのプロセスは学習記録表を見れば一目瞭然です。

自分の裁量で自由に使える時間を表す
「可処分時間」という概念があり、
性別や年齢、曜日、勤務体系等によって
ばらつきはあるんですが、
日本人であれば、1日平均の可処分時間は、
6時間強という統計データがあります。
1日は24時間
だれにでも平等に与えられているわけですから、
その与えられた24時間のなかで、
30分以内で終了できる1枚のプリントが
できない理由はほぼありません。
つまり、学習という営みを、
自分自身の手に取り戻せるかどうかの入口は、
「1日1枚のプリントができない理由は
どこにも存在しない」という事実に対して、
自分を責めることなく、
まわりや状況のせいにもせずに、
どこまで真摯に向き合えるかにあるのです。
人生の真実とは、
外側に見えている世界にはなく、
その外側の世界を自分がどう解釈しているか、
すべて自分自身の生きる姿勢次第と捉え、
自分の内側をいかに整えるかが重要であると
気づきさえすれば
これほど面白くて楽しい学習も
なかなかないんですが、
この楽しさは、
残念ながらコトバで教えることができないので、
日々実践しようとしている人にしかわかりません。
自分自身との約束——つまり自分で決めたことを
自分の力で実現していくという、
目の前にある小さなコトであっても、
それをどこまで大切にできるかに
日々坦々とチャレンジし続けることなんですね。
結局のところ、外側の世界は
自分の内的な世界の投影であって、
他でもない自分自身が
「できない」とおもいこんでいれば、
その「できない」という現実が
カタチとなって目の前に現れるだけのことなので、
「結局のところ、自分はどうありたいのか?」
という自分自身の本心とちゃんと向き合う力を、
自分ひとりで
何とかしようとするのではなく、
まわりの人との関わりやつながりの中で
培おうとするプロセスを
どこまで大切にできるかが
セルフラーニングの要と言ってよいでしょう。
【関連参考記事】
・米光一成「自分について考えるためには他を観察せよ」(今日の名言・その27)
・〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)
・川上不白「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候」(今日の名言・その58)
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