大人ってどんな人のこと?(その3)
2024/02/12
昨日投稿した記事の続きです。
そもそも大人って、
どんな人のことを言うのでしょうか?
簡単に結論が出ることではないんですが、
大人への通過儀礼(イニシエーション)が
形骸化している今日において、
自分で決めて自分でやるセルフラーニング方式の
らくだメソッドの学習は
その役割をはたしているかもしれないと
開発者・平井雷太さんが書かれた文章を
入口にしながら
大人とはどんな人のことをいうのかについて、
考察しています。
(その1)では、その前日の記事で紹介した
まえがきと、
橋本治さんの『ぼくらのSEX』15章の
冒頭部分を紹介しました。
また、(その2)では、(その1)についての
わたしのコメントを記した後、
大人の定義について触れている
LESSON21家は文化1を紹介しました。
もういちど、昨日の記事にて紹介した
まついなつきさんの文章の
骨子を復習しておきましょう。
(引用ここから)
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ちゃんと恋をしたい!のならば、それは、
ちゃんとした人間関係を築きたいってことだから、
やっぱ「大人」にならんといかん!
なぜなら、「子ども」がする恋愛なんて、
失敗して当然だから。
わたしの考える、この大人とは、ようするに
「自分のことを自分で処理できる人間」のこと。
つまり、
「自分のことを自分で考えることができる人間」は
「他人のことも自分の身に置き換えて
考えられる人間」に育つし、
「大人」の人間関係としての恋が
できるだろうから。
そして、そうした人のうちのいくらかは
結婚して家をつくり、「子ども」が生まれるけれど、
大人修行が行きすぎて、結婚しない人も大勢いて、
それはそれで全然問題はない。
結局、その家を必要としているのは
「大人」ではなく「子ども」だからで、
「子ども」は「家」に寄生している存在。
だから、「子ども」が「大人」になるためには、
「子ども」が思春期を迎えたら
さっさと「家」から追い出す
準備をしなくてはならない。
しかし、たいがいの「家」は
このような準備をさせずに、
「子ども」を「家」から出さなかったりする。
なぜなら、
「老人」にも「家」というシステムが必要で、
「家」のシステムを存続させておかないと、
足腰弱って家事労働が困難になった時に困るから。
つまり、「家」というところは、
子どもを大人にしないところであるけれども、
男の子が大人になるきっかけは、
「家」というシステムが存続する限り
永遠に失われたままになる。
だからといって、まっとうな社会は
「大人」だけで構成するのは不可能だ。
人間の一生が子ども→成人→老人と変化するし、
「大人」になるための学習として、
子どもと老人の存在くらい
役に立つことはないから。
だから、子どもと大人と老人が、
混合で社会を営むという、
必要悪として「家」は存在していると考え
必要以上に重要性を持たせなければ
話はスッキリする。
つまり、「家」ってやつは
仕方ないか、とつきあっていく類いのもの。
と、ここのあたりがクリアになれば、
恋愛をめぐる問題も
いろいろはっきりして楽になる。
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(引用ここまで)
つまり、まついさんの慧眼は、
家の問題抜きにして、
恋愛の不思議については、説明できない!って
気がつかれたところにあるって
わたしはおもうんですね。
人間にとって、恋愛は幻想の最たるものですが、
結婚生活や家という仕組みは、
ルールに基づいて行われる現実ですから、
家の問題と恋愛の問題は、なかなか厄介な
絡み方をしていると言えるでしょう。
こういう問題を解きほぐして
本質に迫っていこうとするとき、
抽象化というツールが力を発揮するわけですが、
わたしのブログにしばしば登場している
吉本隆明さんの『共同幻想論』なんて書物は、
そうしたものの頂点にあるわけです。
人間の幻想領域を
「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」という
3つの領域にわけた場合、
家族集団の多くは3人以上になるので、
共同幻想の領域にあると見做している人が
少なくありません。
でも、吉本さんが共同幻想領域だけでは不十分で、
対幻想という領域を新たに設定されたように、
恋愛問題も家の問題も、
対幻想の領域に属していると捉えてみる姿勢は、
この問題を考える一つの方向性になるのでしょう。
また、「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」の
それぞれのつながり方が
日本と欧米とでは大きく違うことを
意識する必要があるわけですが、
日本特有の家の問題はなかなか根が深くて、
結局このことは、
「大人とはどんな人のことをいうのか」という
テーマを考える上でも、
無関係ではなさそうです。
そして、こうしたまついさんの発想が
どういう所から繰り出されてくるのかを考えながら、
読んでいくと、いろいろと
見えてくることがあるんですが、
本文を全部ここに載せるわけにはいかないので、
それを考えるための素材をすこしだけ。
幸いなことに、
『恋する女はみんなバカ』には、
まついさんが過去に実体験されてきた恋愛から
学ばれた教訓を
〝RULES OF LOVE〟と題し、
・・・と、文章の合間に、イラストも加えて
この本のエッセンスというべき言葉が、
丸々1ページを使ってわかりやすく
標語ふうに表現されていて、
全部で55枚のフリップが挿まれています。
その圧巻は、本の帯にもあったこの
「好きになる相手は自分の鏡である」
という言葉で、
本文の内容もほとんどこれに集約されるんですが、
含蓄の多い言葉も少なくないので、
昨日の記事で引用した
LESSON21以外に置かれたフリップの中から
12枚だけご紹介しましょう。
いかがでしたか?
自分自身のこれまでの恋愛体験をふりかえって、
自分という人間の
何がその恋を求めさせたのか、
なぜその恋は続けられなかったのか、
そして、その体験から自分は何を学んだのか、
それがこんな形で言語化できるというのは、
「大人」としてのあり方の一つでしょうし、
こうして本が1冊書けてしまうわけですね。
そもそも大人って、
どんな人のことを言うのかについて、
あなた自身の考えを
整理するヒントになりましたか?
そうです。
この問いにも、外側に正解はなく、
自分の体験から、自分に必要な教訓を
導き出せばいいので。
※この続きはまた明日に
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