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大人ってどんな人のこと?(その4)

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大人ってどんな人のこと?(その4)

大人ってどんな人のこと?(その4)

2024/02/13

昨日投稿した記事の続きで、

大人とはどんな人のことをいうのかについて、

考察してきたこの記事も4回目となりました。

 

(その1)では、その前日の記事で紹介した

内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』

まえがきの内容にあったフレーズや

シェアした記事にあった文言をとっかかりに、

大人への通過儀礼(イニシエーション)が

形骸化している今日において、

自分で決めて自分でやるセルフラーニング方式の

らくだメソッドの学習

その役割をはたしているかもしれないと

開発者・平井雷太さんが書かれた文章を

入口にしながら、そもそも

大人とはどんな人のことをいうのかについて、

考察していきたいとテーマを提示したうえで、

橋本治さんの『ぼくらのSEX』15章の

冒頭部分を紹介しました。

 

また、(その2)では、(その1)についての

わたしのコメントを記した後、

まついなつきさんの『恋する女はみんなバカ』より

大人の定義について触れている

LESSON21家は文化1を紹介しました。

 

そして、昨日投稿した(その3)では、

(その2)で紹介したまついなつきさんの文章を

おさらいしながら、

日本の場合は「家」の問題が根深く、

それをどのように捉え、どう位置づけるかによって、

恋愛の不思議さも違った様相を見せるし、

子どもと大人の関係についても

再考できることを

吉本隆明さんの3つの幻想領域の話も

引き合いにしながら、

わたしなりのコメントを記しました。


また、まついさんのように、

自分自身のこれまでの恋愛体験をふりかえって、

何がその恋を求めさせたのか、

なぜその恋は続けられなかったのか、

そして、その体験から自分は何を学んだのかを、

言語化できるってことは、

「大人」のあり方の一つと言えるでしょう。

 

ただ、前提としてこのブログ記事全体に対して

言えることでもあるんですが、

わたしが何か特定の主義主張を

唱えるために書いているわけじゃなく、

あくまでわたしは、読まれる皆さんが

自身で考えるための〝素材〟になりそうなことを

記しているだけで、たとえば、

「子どもじゃダメで,もっと大人になりなさい!」

ナンテことを

言いたいわけじゃありません。

 

そもそもわたし自身、

今年9月に誕生日を迎えれば

65歳という、日本社会においては、

高齢者と呼ばれる齢にもなるんですが、

自らの精神年齢について

「17歳くらいからあまり成長してません」って

常々公言するのを憚らず、

過去に在籍していた塾生の何人かから、

わたしのことを

「子どもみたいな人」って言われたことがあり、

わたし自身もまたそれを

褒め言葉と解釈しているくらいですから。笑

 

まついさんの大人についての定義は、

あくまでまついさん自身のものですから、

それが唯一の正解ってわけではなく、

皆さんは、皆さんご自身でお考えになって

ご自身で判断されればいいわけで。

 

子どもが大人になるってことについては、

人間という存在をフィジカルな要素だけで見れば、

生殖が可能であるか否かというモノサシだけで

生物学的に簡単に判断できるでしょう。

 

でも、人間にはフィジカルな要素だけではなく、

目には見えないメンタルな要素や

社会的な存在価値など多様なモノサシがあって、

年月を経さえすれば、誰もが同じように

知恵や経験が獲得され、

思慮が深まって

大人になってゆくとは限らないんですね〜

 

 

さて、ここからが今日の本題です。

 

そういう意味で、4回目の今日は、

哲学者フリードリッヒ・ニーチェが

この問題をどのように考えたかを示すために、

『ツァラトストラ』第1部より、

「三様の変化 駱駝、獅子、小児」を

紹介しようとおもいます。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。

 

すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、

駱駝が獅子となり、

獅子が小児となるかについて述べよう。

 

畏敬を宿している、強力で、重荷に堪える精神は、

数多くの重いものに遭遇する。

そしてこの強靭な精神は、重いもの、

最も重いものを要求する。


何が重くて、担うのに骨が折れるか、

それをこの重荷に堪える精神はたずねる。

そして駱駝のようにひざまずいて、

十分に重荷を積まれることを望む。


最も重いものは何か、英雄たちよ、と、

この重荷に堪える精神はたずねる。

 

わたしはそれを自分の身に担って、

わたしの強さを喜びたいのだ。


最も重いのは、こういうことではないか。

おのれの驕慢に痛みを与えるために、

自分を低くすることではないか?

自分の知恵をあざけるために、

自分の愚かさを外にあらわすことではないか?


もしくは、こういうことか。

自分の志すことが成就して勝利を祝うときに、

そのことから離れることか。

誘う者を誘うために、高い山に登ることか。


もしくは、こういうことか。

乏しい認識の草の実によって露命をつないで、

真理のためにおのが魂の飢えを忍ぶことか。


もしくは、こういうことか。

病んでいるのに君は君を慰めにくる者を家に帰らせ、

君の望むことをけっして聞くことのない

聾者と交わりを結ぶということか。


もしくは、こういうことか。

真実の水であるならば、

どんなにきたない水であっても、

そのなかに下り立ち、冷ややかな蛙をも

熱気のあるがまをも追いはらおうとしないことか。


もしくは、こういうことか。

われらを軽蔑する者を愛し、

妖怪がわれらを恐れさせようとするときに、

それに手をさしのべることか。


すべてこれらの最も重いことを重荷に堪える精神は、

重荷を負って砂漠へ急ぐ駱駝のように、

おのれの身に担う。

そうしてかれはかれの砂漠へ急ぐ。


しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、

第二の変化が起こる。

 

そのとき精神は獅子となる。

精神は自由をわがものとしようとし、

自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。


その砂漠でかれは

かれを最後に支配した者を呼び出す。

かれはその最後の支配者、

かれの神の敵となろうとする。

勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。


精神がもはや主と認めず神と呼ぼうとしない

巨大な龍とは、何であろうか。

 

「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。

しかし獅子の精神は言う、「われは欲す」と。


「汝なすべし」が、

その精神の行く手をさえぎっている。

金色にきらめく有鱗動物であって、

その一枚一枚の鱗に、

「汝なすべし」が金色に輝いている。


千年にわたったもろもろの価値が、

それらの鱗に輝いている。それゆえ、

あらゆる龍のうちの最も強力なこの龍は言う。

 

「諸事物のあらゆる価値 - それはわたしの身に

輝いている」と。


「いっさいの価値はすでに創られた。

そして創られたこのいっさいの価値 - それは

わたしである。

まことに、もはや『われ欲す』は、

あってはならない」そう龍は言う。


わたしの兄弟たちよ。

何のために精神の獅子が必要になるのか。

なぜ重荷を担う、

諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。


新しい諸価値を創造すること - それはまだ

獅子にもできない。

しかし新しい創造を目ざして

自由をわがものにすること - これは

獅子の力でなければできないのだ。


自由をわがものとし、

義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、

わたしの兄弟たちよ、そのためには、

獅子が必要なのだ。


新しい諸価値を立てる権利を

みずからのために獲得すること - これは

重荷に堪える敬虔な精神にとつては、

身の毛もよだつ行為である。

まことに、それはかれにとっては強奪であり、

強奪を常とする猛獣の行なうことである。


精神はかつて、「汝なすべし」を、

自分の奉ずる最も神聖なものとして愛していた。

いまかれはこの最も神聖なもののなかにも、

迷妄と恣意を見いださざるをえない。

そして自分が愛していたものからの

自由を強奪しなければならない。

この強奪のために獅子を必要とするのだ。


しかし思え、わたしの兄弟たちよ。

獅子さえ行なうことができなかったのに、

小児の身で行なうことができるものがある。

それは何であろう。なぜ強奪する獅子が、

さらに小児にならなければならないのだろう。


小児は無垢である、忘却である。新しい開始。

挑戦、おのれの力で回る車輪、始源の運動、

「然り」という聖なる発語である。


そうだ、わたしの兄弟たちよ。

創造という遊戯のためには、

「然り」という聖なる発語が必要である。

そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。

世界を離れて、おのれの世界を獲得する。


精神の三様の変化をわたしは君たちに述べた。

どのようこして精神が駱駝になり、

駱駝が獅子になり、

獅子が小児になったかを述べた。 


ツァラトウストラはこう語った。

そのときかれは「まだら牛」と呼ばれる

都市に滞在していた。

 

フリードリッヒ・ニーチェ(手塚富雄訳)

 『ツァラトウストラ』第1部 三様の変化 駱駝、獅子、小児より

 

 

 

※この続きはまた明日に

 

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