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大人ってどんな人のこと?(その5)

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大人ってどんな人のこと?(その5)

大人ってどんな人のこと?(その5)

2024/02/14

昨日投稿した記事の続きで、

大人とはどんな人のことをいうのかについて、

考察してきたこの記事も5回目となりました。

 

少し前に投稿した

そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その1)

そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その2)

に詳しく書いたように、

寺子屋塾は〝教えない教育〟を看板にしていて、

学習者が自分で考えること、

自分で決め実践することを大事にしている場です。

 

この〝教えない〟って言っていることの真意は、

指導者であるわたしの言うことも、

あくまで素材のひとつにすぎず、

鵜呑みにして欲しくないってことでもあるので、

前記した〝自分で決める〟について

書いた2つの記事では、

響月ケシーさんの「誰の言うことも聞くな!」

という言葉を紹介しました。

 

したがって、これまで投稿してきた記事は、

どういう人のことを大人というのか、

わたしという人間が、それを明確に定義して

皆さんに示したいからではありません。

 

つまり、読まれる皆さんが

どういう人のことを大人というのか、

ご自身で考えようとするときに

〝素材〟になりそうなことを

記してきたつもりでいるんですが、

これまでの投稿に未読記事がある方は

そうした主旨を鑑み、適宜参照された上で

本日分の記事を読んで下さると有難いです。

 

さて、昨日の記事では哲学者ニーチェの

主著とされている『ツァラトゥストラ』第1部から

「三様の変化 駱駝、獅子、小児」を引用し

ご紹介しました。

 

わたしが『ツァラトゥストラ』を最初に読んだのは、

20代の半ば頃でしたが、そのときには

何が書いてあるのかサッパリ

わからなかったってことだけ覚えています。

 

でも、25歳から7年間、

進学塾では社会科の主任講師として、

小中学生たちの指導にあたっていたお陰で、

歴史の教科書を0から学び直す必要に迫られ、

ニーチェが生きていた19世紀末の

ヨーロッパの時代背景なども

すこしずつ垣間見えるようになり、

ニーチェの思想を自分なりに

歴史の流れに位置づけながら、

把握できるようになってきました。

 

 

また、『ツァラトゥストラ』については、

2006年秋に出版された精神科医・泉谷閑示さんの

『「普通がいい」という病』

出版直後のタイミングで出会えたことが

とりわけラッキーだったように感じています。

 

とくにこの本の第5講は、

「精神の成熟過程 駱駝、獅子、小児」と題され、

ニーチェの話がメインに扱われているんですが、

この本を読んだことで、

人間の精神的な成熟というテーマが

メンタルヘルス、学習という問題とどう関係するかも

明確に意識できるようになってきました。

 

 

また、昨日も書いたように

子どもが成長し大人になるってことを

生物学的というか身体的な要素だけで見れば、

子孫を残すための生殖活動が

可能であるか否かというモノサシだけで

簡単に判断できるでしょうが、

メンタルな部分については、

子どもと大人を分けるモノサシをどう設定するかで

いろいろ変わってきて一律ではありません。

 

次の図は、以前にもこのブログに投稿した

福岡正信さんの自然農法を取りあげた記事

紹介したことがあるんですが、

この本の第4講には、

自己を形成していく考え方について、

足らないところをプラスする「塑造的自己形成」と

要らないところを削っていく「彫刻的自己形成」と

2つ示されています。

 

 

つまり、この問題を考える大きな方向性として、

必要な知識や能力を身につける「たし算」的発想と

必要なものはもともと備わっていて、

不要なものを削り取っていく「ひき算」的発想の

二通りありますし、

どちらを子どもとし、どちらを大人とするかでも

変わってくることでしょう。

 

 

『「普通がいい」という病』第10講には、

これまで紹介してきた

ニーチェの「駱駝、獅子、小児」という三段変化と

「塑造的自己形成」と「彫刻的自己形成」という

自己形成についての二通りの考え方等を加味し、

この本全体の総括として、

人間の変化成熟のダイナミクスが

次のようにAからFまでの6段階として

示されています。

 

 

 A.生まれたての状態。「本当の自分」のみだが純粋でこわれやすい。「自分」と意識は未だない。

 

 B.徐々に社会適応のために神経症性や「偽りの自分」を身につけていく。しかし、時々窮屈さを感じた「本当の自分」が反発する。いわゆる反抗期。必死で「自分」を獲得する。一人称を模索する。

 

 C.反発の挫折と社会への屈服。「偽りの自分」に「本当の自分」が飼い慣らされる。社会適応が完成し、一人前に社会人になる。神経症性のピーク。「他者本位」0人称。駱駝。

 

 D.「本当の自分」が反逆を始めようと疼きはじめる。自分を見失ってしまったための苦悩が起こったり、心身の不調や、急に起こってしまう不適応などの形でシグナルが現れてくる。「他者本位」の行き詰まり。

 

 E.「本当の自分」による革命動乱。溜め込まれていた怒りの噴出。一人称の出現。個人主義。「自分本位」。自力。獅子。

 

 F.「自分」という一人称が消え、大いなる存在にゆだね、自然や偶然に身を開いていく。宗教的な意味での0人称。他力。小児。純粋さと強さの共存。創造的遊戯。

 

 

このように〝段階〟として整理すると、

プロセスの変化がとてもわかりやすいですね。

 

C段階には「一人前の社会人」という言葉もあり、

この状態をゴールとして人生を考える人が

ほとんどでしょう。

 

したがって、多くの人にとってC段階の先は

段階として想定されていないので、

病気など本人にとって不本意な理由で

C段階からD段階に進むことになった場合に、

C段階に戻ろうとする人と

その先のE段階やF段階に進もうとする人に

大きく分かれる気がします。


わたし自身は、高校2年生という比較的早い時期に

D段階に進む体験をしたので、

一時期は、C段階とD段階を行き来しながら、

悶々としていたこともありましたが、

そうした体験を早くからしていたお陰で

E段階に進む大事さにも早めに気づくことができ、

そうした選択を自ら決断することができた、

人間のひとりと言ってよいでしょう。

 

医師にも、C段階に戻すことを治療と考える人と

E段階やF段階に進むことを治療と考える人が

あるでしょうから、

後者にあたる泉谷閑示さんのような医師は

日本では珍しい存在と言えるかもしれません。

 

※この続きはまた明日に
 

 

【過去投稿記事・関連記事】

内田樹『寝ながら学べる構造主義』

大人ってどんな人のこと?(その1)

大人ってどんな人のこと?(その2)

大人ってどんな人のこと?(その3)

大人ってどんな人のこと?(その4)

すべて必要で大切なプロセス(つぶやき考現学 No.4)

 

 

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