読む力を身につけるにはどうしたらいいですか?(その1)
2024/03/03
少し前に、塾生のひとりから
「読む力を身につけるのにどうしたらいいですか?」
と問われたことがありました。
そのときはその問いに対して、
わたしなりの回答をしたんですが、
そのときは、その質問をしてきた
塾生の特性にフォーカスした形で話したので、
その内容をそのままの形でここに再現しても
その塾生がそれを読めば
その塾生にとっての復習になっても、
他の人が読まれても、
あまり参考にならないでしょう。
それで、他の人が読まれても
その人なりに何かを受け取って貰える様に
一般化した形で話の内容を再構築し、
昨日投稿した記事の続きとして、
書いてみようとおもいたったので、
以下の記事を読んでみて下さい。
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昨日投稿した記事の終わりに
わたしは次のように書きました。
学習において大事なのは、
「自ら問いを立てる力」であり、
「読み、書き、ソロバン(算数)」ってことに
なるんですね〜
つまり、
読む力を身につけるのにどうしたらいいですか?
という問いにある「読む力」とは、
「読み、書き、ソロバン」のうちの
「読み」のことですから、
つまり「〝情報入力〟のプロセス」に
あたるわけですが、
そもそもこの「読む」とは
どういうことなのか、
原点に遡って考えてみましょう。
コンピュータのことを
「情報処理演算装置」ということがあります。
入力があって、何らかの処理をして、
出力をするというスタイルからすれば、
人間もまた、情報処理マシンのひとつと
言えるんですね。
つまり、
①外部から情報をとり入れる・・・・・入力
②得た情報を脳など自分の内部で
編集、統合するなど思考を加える・・加考(工)
③その結果を外部に向けて表現したり、
判断や行動したりすること・・・・・出力
という「3つのプロセス」があるわけですから。
たとえば、「読む」という行為を
同じ、目を使った情報入力ということで
言い換えれば、「観察力」ってことになります。
また、目という感覚器官を
そのまま耳に置き換えて考えれば、
「聞く力」ってことになるわけですが、
まず大前提として、こんなふうに
3つのプロセスに分かれているってことを
自覚することでしょう。
そして、更に大事なことは、
その3つのプロセスの前段として、
自分はそもそも何のために、
どういう情報をインプットしようとしているのか、
つまり、どういう問いがその前提として
自分の中にあるのかを自覚することが
決定的に重要だとおもうのです。
この前提が意識されていないと、
結局、自分がこれまで無自覚につくっていた枠を
拡げるってことには
なかなかつながっていかないので。
以前にも、そもそも何のために学習するのか、
まず、その〝動機〟が何よりも大事って話は、
何度か記事に書いたことがあったんですが、
覚えていますか?
たとえば、こちらの記事で紹介した
響月ケシーさんの『現実創造の掟』①大前提編でも
「選んだ〝理由〟の世界で生きることになる」って
話されていましたね。
結局、不安や恐怖が動機になっている人は、
学習すればするほど、不安や恐怖が増大していって、
そこから解放されることがありませんが、
人生を楽しくしよう、充実させよう、
ラクにしようという目的で学習している人は、
学べば学ぶほど楽しくラクになっていくでしょうから。
学習において動機って、ホント大事なんです。
でも、わたし自身もふくめ、
ほとんどの人は、学生時代に、
そうした自覚などまったくなしに、
ただただ試験に出るからという理由で、
情報をあれこれインプットしようとするような、
そんな勉強法をしていたんじゃないでしょうか?
結局それだと、アタマの中に情報が
ドンドン増えていくばかりだし、
そんなふうに、使わないような知識を
せっせと詰め込んだところで、
結果的にアタマの中には
どんどんゴミが溜まっていくばかりで、
非効率極まりないんですね。
それで、高校生以後は、人間の脳の記憶の仕組みが
丸暗記中心から
経験中心としたものに変わって行くので、
知識を詰め込むばかりの勉強法のスタイル自体を
改めた方がいいって話を
書いたこちらの記事で紹介したことがありました。
この記事もとても重要なことを書いたので、
未読の方は確認しておいてくださいね。
15年程前から寺子屋塾の塾生として
大人の人たちも積極的に受け入れるように
それまでの方針を改めたんですが、
そうなってみて驚いたコトの一つが、
大人になって以後も、正しい答を探したり、
知識をアタマに詰め込むような
学生時代と同じスタイルの勉強法を続けている人は
おもいのほか少なくないってことでした。
現実には、学習することについて
そもそも〝何のために〟という前提を
確認されることはほとんどありませんから、
無意識に刷り込まれていたものに
左右されてしまうというか、
幼少時に親や先生から刷り込まれたものが、
自動機械のように、そのままの形で
作動してしまっていることが少なくないのでしょう。
たとえば、寺子屋塾では、
「寺子屋塾で学習することを
学習者自身が自分で決めた者であること」を
入塾の条件にしていますが、
子どもの場合、現実には
ほとんど親御さんの意向がきっかけとなって、
それに子どもが合意する形で
学習がスタートすることになりますから、
現実には子ども自身だけで
主体的に決めていることはほとんどありませんし、
大人の場合であっても、
「自分で決める」ってことに対して
明確に自覚出来ているのはむしろレアケースです。
でも、それだからこそ、
寺子屋塾のセルフラーニングの学習は、
それまで無自覚に行ってきている
学習という営みにおいて、
他でもない自分自身が主体者であると自覚し
仕切り直しするきっかけになるわけですし、
そのことに価値があると
考えているわけなんですが。
わたし自身の場合は、
高校時代に大きな病気をして
以後はあまり真面目に勉強せず、
大学にも行かなかったので、
幸いなことに、人よりはわりと早い時期に
そういう勉強法から離脱できたってことも
結果的にはラッキーだったかもしれません。
※この続きはまた明日に!
【関連過去記事】
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