桐朋高等学校 78期卒業生の答辞
2024/03/15
卒業シーズンですね〜
今日は、一昨日3/13晩に、
ネットニュースで流れていた記事を
ご紹介しようかと。
わたしは7年勤めた進学塾を退職し、
寺子屋塾を開くまでの2年弱の間、
上京して東京都国立市に
住んでいたことがあったんですが、
記事ではこの3/2に、
その国立市にある桐朋高等学校にて
卒業式が行われ、
293名が巣立っていったことが
報じられていました。
とはいえ、わたしが国立市に住んでたって話は
単なる偶然のことで、
今回の話にじかに関係あるわけでなく、
東京都国立市という場所が
単にわたし自身にとって、
少なからずご縁のあった土地だったっていう
それだけの話なんですが。。。(^^;)
それで、本日のメインコンテンツは、
桐朋高等学校の卒業式で読まれた答辞で、
「とんでもない18歳だわ……」
「す、すごいものを見た」
「感動のあまり泣いて10回読み直した」
等々、大きな反響を呼んでいるようです。
わたしも今日3/15は中村教室にいて、
やって来ていた塾生にこの話題を紹介し、
この答辞の後半部を、
その場で音読してみたんですが、
途中ウルウルこみ上げるものがあって
危うく泣きそうになってしまいました。
やや長めのこの答辞に施されている
驚くべき仕掛けについては、
答辞の本文の後に記しますから、
まずは読んでみて下さい。
書き言葉としての読みやすさを考え、
原文にはないところで
勝手にパラグラフを分け、改行した箇所が
たくさんあることを予めお断りしておきます。
(引用ここから)
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ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、巡り巡ってアメリカ・テキサス州のハリケーンの原因となりうるでしょうか。1972年、アメリカの気象学者エドワード・ローレンツは正確な気象予報の困難さをこのように例え、初期条件の僅かな違いが観測結果に大きな影響を与えることを示しました。ローレンツのこの問いはやがて「バタフライエフェクト」として大衆文化にも受容され「偶然に導かれた数奇な因果関係」を意味する言葉として用いられています。本日体育館の外に吹いている朗らかで少し物寂しい風も、ともすると3年前・6年前初めてこの学校に足を踏みいれた時の肌寒く不安な風の名残なのかもしれません。
自らの歩みを振り返り、新たな日々を予感させる春風が吹くこの佳き日に、桐朋高等学校78期、293名の卒業式を挙行くださること、卒業生を代表し感謝申し上げます。そして六年間僕達に知的好奇心の入り口を開け続けてくださった先生方、また何より18年間僕達の成長を見守ってくださった保護者の皆様に、重ねて御礼申し上げます。
振り返ると78期は常に風と共に歩んできました。2019年4月1日、「平成」に替わる新元号「令和」の発表。出典の万葉集に曰く、「初春の令月にして、気淑く風和らぎ…」しかし、令和最初に吹いた「風」は通常の「風邪」を遥かに凌駕した未知の感染症でした。「期末試験は中止です」最後の登校日、担任の先生が複雑な表情でそう告げた時、歓喜の声を上げた僕たちのそばで一人下を向いていた友人が流した悔し涙が、コロナの残酷さを如実に物語っていました。
憎たらしいほどの青空の下で、僕たちの中学修学旅行は、部活の試合は、そして何よりマスクの下に見るはずだった皆の笑顔は、全て「不要不急」の4文字に淘汰されていき、その鬱憤を誰のせいにもできない葛藤の毎日が続きました。それでも、時計の針は進み続けます。たとえそれが黒板に打ち付けられた腕時計の針であっても。
桐朋祭は3年ぶりの有観客開催となり、熱狂の渦を取り戻しました。無事に迎えられた高校修学旅行、旅館の屋根の上、あるいは大文字山から見た京都の星空は、さぞ格別なものだったでしょう。「7回学んで8回笑え」修学旅行のこのスローガンは元々「7回笑って8回学べ」だったそうです。最後は笑いたいよね、実行委員のその一言で少しだけ変わったこのスローガンからは、一生ものの信念を感じます。
しかし、僕達のこの信念は、決して既存体制への反骨心に基づくものではなく、僕らに本質的に内在する潤澤な学びと笑いへの希求である、僕はそう思います。僕達でなくして誰が、壊れたプリンターで射的をしたでしょうか。電子研は78期の学びある笑いの象徴でした。僕達でなくして誰が、教室のベランダにガーデンテラスを作ったでしょうか。中学最後のスポ大、掟破り瀬戸際のクラTを着て優勝した3年1組が、僕はとても羨ましかった。僕達でなくして誰が、数学の問題集より分厚い修学旅行のパンフレットを作ったでしょうか。学校説明会に来た小学生がこれを見て目を輝かせていたのは忘れられません。
CreationとImaginationが同じ「そうぞう」という音なのは日本語の奇跡としか言いようがありませんが、僕達にとってこの両者はもはや同一でした。そしてまたこれも言葉の綾ですが「そうぞう」はえてして騒々しい――群馬県警を呼び、1年1組の天井を破壊し、あるインドカレー店と癒着ができました。ともかく、78期はなんというか、豪快でパワフル。
学年閉鎖をことごとく回避し「馬鹿は風邪をひかない」あまりのうるささに呆れ顔で言われたその言葉ですら、僕達には誇らしく感じられました。馬鹿と言えば、これまた「そうぞう」の一環として、生徒による学年通信「馬鹿たれ」を想起した方も多いことでしょう。学年目標を冠した本家「大鵬たれ」のパロディとして作られたこの「馬鹿たれ」、後付けではありますが、かのスティーブ・ジョブズの演説も由来の1つだそうです。 “stay hungry, stay foolish”僕達はこの演説を高2英語総合の授業で学ぶことになります。
偶然、ちょうどそのころ、この演説を扱ったある番組がNHKで放送されました。1人の細やかな営みの連鎖が、世界を動かす、と語られるこのシリーズ番組は、また偶然にも僕たちが高1の世界史で学んだ「映像の世紀」の続編で、その名も「映像の世紀 バタフライエフェクト」 2022年11月7日の放送回では、「世界を変えた愚か者」としてご存知ジョブズと、彼に影響を与えた思想家バックミンスター・フラーが紹介されていました。フラーは人類の持続可能な発展についての先駆的概念「宇宙船地球号」の提唱で知られています。バタフライエフェクトと「宇宙船地球号」はともに、いかなる矮小な存在も雄大な世界の要素であることから逃れられないことを示しました。1人の細やかな営みの連鎖が、世界を動かす。
情報化社会と呼ばれる今日、それはいよいよ僕ら若者のレベルですら現実となりつつあります。絶えず大衆を突き動かし、ふと消えていくこれらの動きは、まさに風と形容するに相応しい。ですが、風そのものはいかなる善悪も吉凶も帯びていません。曖昧で流動的で得体がしれない、だからつい単純化し、意味づけしたくなるだけなのです。0か1かで定義されるデジタル技術が世界を支配する一方、0と1の間の無限の可能性を認める多様性、個性といった言葉が盛んに繰り返されています。
しかし、個性的とは決して固定的なものではない、まして赤の他人から全角140字で押し付けられるものではない、僕は同級生の底知れぬ人間力と接する度にそう思います。僕達が一生かけて取り組む問題集には別冊の解答解説なんてついていません。解説されてたまるものか。解答なんてあるはずもない、だけれども、あるいはだからこそ、その問題を直視し、従うべき、逆らうべき風を判断せねばなりません。
さてこの“stay hungry, stay foolish” “be foolish be hungry”ではありません。僕達はいつまでfoolish、馬鹿でいられるのでしょうか。無知を馬鹿というならば、僕は永遠に馬鹿で構わない。無知とは、また新たな何かを学べるということであり、学びとはすなわちその奥に未知が存在することへの知覚なのですから。
高1の時、担任の先生がこう言っていたのを思い出します。「学ぶ意味なんて学びきるまで分からない、でも意味がわからないから学ばないってのは、あまりに安直だよね」学びには王道もなければ聖域もない。永久の学びを志向する者ならば、他者に対し冷笑的、厭世的な態度で臨むことは許されません。
馬鹿は風邪をひかない――己の無知を自覚し、故に学び続ける「馬鹿」であるならば、流言飛語やデマといった一時的な「風」に惑わされることはないはずです。未成年という防風林が除去された僕たちには、今後多くの逆風が吹きつけるでしょう。時には向きを変え、その逆風を追い風に変えることも重要な戦略の一つです。
ですが、青臭いかもしれないが、コロナ禍を乗り越えた学年として、いやそうでなくとも78期として言わせてほしい。逆風を味わうことができるのは、前に進む者だけだ、と。さらに僕達はそう遠くない未来、風を受ける側から風をおこす側になるでしょう。
最後にこんな話を紹介させてください。ある日、生徒会の意見箱に右翼や左翼といった言葉を使って特定の政治思想を中傷するものが投書されていたことがありました。どう返信しようかと悩み、そのまま机に置いて帰った次の日、誰の字とは分かりませんが、しかしはっきりと次のようなことが書かれていました。
「片方の翼だけでは、鳥は空を飛べません」
僕達が大鵬ならば、両方の翼を自在に使いこなせる大鵬でありたい。大鵬は古代中国における季節風の象徴だという説があります。中国大陸の南、太平洋を吹き抜ける季節風は、古来より貿易船の帆を押し、東西文明の融合、新たな文化の隆興を育んできました。1匹の蝶でさえハリケーンを引き起こすなら、293羽の大鵬は何をもたらすのでしょうか。僕達がおこす風もまた、曖昧な他者を融合させ誰かの「そうぞう」の一助となると信じています。
桐の朋。ですがけっして「これっきりのとも」ではないはずです。
数千里の翼を伸ばして校舎の外に尚も広く晴れ渡る大空を悠々と、颯爽と翔けていく我ら大鵬。
78期が飛び立つ空に、学びあれそして笑いあれ。
78期よいつまでも、馬鹿な大鵬であり続けよう。
2024年3月2日 78期卒業生代表
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(答辞の引用はここまで)
卒業生を代表しこの答辞を述べた
土田淳真さんの感想を紹介します。
卒業生代表の土田淳真です。78期の卒業にあたり、答辞の名誉にあずかりましたことを大変光栄に思っております。このたびの答辞を作るにあたり、78期の全てを詰め合わせるという思いで、卒業生293名全員の氏名から1文字ずつとって本文に組み込む、ということに挑戦しました。また、最後から3行目には担任団の先生方の氏名を1文字ずつ入れております。つたない文で恐縮ではございますが、78期の歴史・気概を感じ取っていただければ幸いです。
ちなみに、X(twitter)によると、
「桐の朋。ですがけっして“これっきりのとも”
ではないはずです」という文章は、
本番でのアドリブだったとのこと。
この答辞を読み
たくさんの言葉がおもいうかびました。
でも、いちばん大切なことは、
この記事を読まれたあなた自身が
この言葉に何を感じたか、
そして、その感じたことを、
今からあなた自身の人生に
どのように反映させていくかだとおもうので、
わたしからのコメントは
なぜこの寺子屋塾のブログに
この記事を載せたのかという主旨についてのみ
以下、端的に記しておきます。
寺子屋塾では、一生学び続ける姿勢を
大事にしたい人が育ってほしいと
常々おもっていることもあり、
答辞のなかで紹介されていた
高1のときの担任の先生のことば、
「学ぶ意味なんて学びきるまで分からない、
でも意味がわからないから学ばないってのは、
あまりに安直だよね」
は強いインパクトを感じました。
そして、そうしたゆるぎない指導者の姿勢が、
きっと彼から、
「僕達が一生かけて取り組む問題集には
別冊の解答解説なんてついていません。
解説されてたまるものか。
解答なんてあるはずもない、
だけれども、あるいはだからこそ、
その問題を直視し、従うべき、
逆らうべき風を判断せねばなりません。」
というステキな言葉を引き出したんでしょうね〜
いやはや全くの脱帽です。<(_ _)><(_ _)>
答辞の原文や土田さんの感想を載せたモト記事は、
桐朋高等学校公式webの
こちらの記事からご覧下さい。
この答辞へたくさんのコメントが
寄せられていましたので、
関心ある方はそちらもどうぞ。
あと、答辞の終結部に登場している
古代中国の伝説の鳥・大鵬をめぐる話題は、
荘子の文章(内篇・逍遙遊)に基づくもので、
詳しく知りたい方は原文を確認ください。
【過去に投稿した参考記事】
・天才とはバカであることを自覚している人(つぶやき考現学 No.55)
・スティーブ・ジョブズ「未来に先回りして、点と点をつなぐことはできない」(今日の名言・その54)
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
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