優秀さとは何か?(栗本慎一郎『縄文式頭脳革命』より)
2024/03/18
昨日投稿した記事で
「今日の名言シリーズ」のひとつとして
紹介したんですが、
1回の投稿で終わらせてしまうのは
あまりにもったいなく感じたので、
内容についてもうすこし書いておこうかと。
アメリカのニュージャージー州
プリンストンに本拠を置く
創業者である社会心理学者チャールズ・ケプナーと
社会学者ベンジャミン・トリゴーの名前に由来する、
ケプナー・トリゴー(Kepner-Tregoe)という
コンサルティング会社があります。
その社名ともなっている、創業者二人が体系化した
意思決定の効率的な思考プロセスに
KT法があるんですが、本書の第2章で
そのことが紹介されている箇所を
以下に引用します。
(引用ここから)
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アメリカの経営学者でコンサルタントでもあった人たちに、チャールズ・ケプナーとベンジャミン・トリゴーという二人がいた。彼らは、この世の中で「優秀」と言われている人には、なにかはっきりと「凡人」とは違うところがあるのに気づいた。もちろん、発想法や思考法における違いである。
優秀といわれる人たちは、どこかがはっきりと、しかも系統だって普通の人とは違うのである。だから、優秀な人間は、なんとなくお互いを知るということも起きる。そこで何が違うか。彼ら二人は、誰からも優秀な管理職と見なされている二千人を対象にして調査をした。そして、結果を次のようにまとめた。
いかにも、体を使って考えるアメリカ人の面目躍如だ。そういうやりかたが面白いではないか。妙な先入観にとらわれない知的パワー、そんなものを日本の学者は感じるであろう。ケプナーもトリゴーも、間違いなく優秀な人たちである。
ケプナーがK、トリゴーがT。この二つの頭文字をとってKT法というのが、その考察に基づいた、優秀な人の思考法はどういうものかという理解であり、かつその優秀な人のやり方を学んで新たに優秀な人を作り出す方法である。なかなか考えさせるし、面白いので、ここで紹介しよう。
で、ともかくこういうことだ。優秀な人たちは、問題を解決できる。そうだ。そこが、ただぶつぶつ言っているだけで、なにも解決にいたらない「凡人」と一番違ってくる点だ。だが、問題を解決するには、言うまでもなく、まず問題に取り組まねばならぬ。当たり前だ。
優れたと言われる人たちには、その取り組みかたに四つの特徴がある。と言うより、四つのどれかに当たるやりかたで彼らは問題にぶつかる。それを私(栗本のこと)の言葉でまとめてお伝えする。細かくは、『新・管理者の判断力』(産業能率短期大学出版部)を読んでもらえばよいのである。しかし、私のまとめかたを信用しなさい。そのほうが、分かりやすいのだから。
でも、『新・管理者の判断力』はとても良い本である。企業内教育の関係のかたには、ご推薦をしておく。もっとも、ケプナーとトリゴーが研究して開発した「人を優秀にさせる法」は、すでに一流企業ではかなり知られているし、実際に使われているもいるから、いまさら宣伝は不要と思われる。
さて、四つとは、次のとおりだ。
まずキイポイントは、優秀な人は、なんと、いきなり問題そのものにはぶつからない人だということである。これは、先に、視野を広げるためには視野をせばめよという、一見、逆説的なことを言ったのとあい通じるところがあるではないか。なかなか興味深い一致である。そして、優秀な人は次のどれかのアプローチをまず採用するという。
1、まず、何が問題となっているのかを 見ようとする。 問題がそこにあるのは 誰にもよく分かっているが、 それが何かをつきとめるようにすることだ。
を考えようとする。
その方向を考える。 あるいは、少なくとも軽減を考える。
どういうことになるのか、を考える。 もちろん、解決方法も考える。
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ということだ。こうまとめると、なにか当たり前のようにも感じるだろうか。
いや、決してそうではない。もっとも、これは、私が私の言葉でまとめたので、まだしもよいのだが、原文だと場合によるともっと当たり前ふうに書いてある部分だってあるのだ。でも、これは決して、凡庸なことを言っているのではないぞ。
言っていることは要するに、優秀な人は、問題という戦場のなかで、いきなり白兵戦を始める人ではないということだ。いきなり、切った張ったを始めてしまえば、事態はさらに悪くなる。
また、不思議なことだが、そういうような気短な人にかぎって、はっきり問題の本質が分かっているときにこそ、逆にもじもじして行動しない。そして、必ず正解の正反対を出すようなことが起きる。
なぜかと言えば、いきなり切った張ったを始めるのは、じつはしばしば、問題を怖がっているからなのだ。気が小さくて恐怖心が大きいから、事態を見つめるのも怖い。それで、とりあえず、最初に気づいたことをやってしまうのである。ある意味で、早く負けてしまおうとばかり、負けるほうの手段を無意識のうちに選択するのである。(中略)
それにしても、無意識とは頑固でしっかりしていて、確実なものである。それをこれまたしっかり取り除いておかなければ、あなたが投手なら、必ず9回裏2死満塁のピンチに、思わず強打者に内角高めの棒だまを投げ込むのだ。他人が客観的にそれを見ると、まるでわざとやっているように見えるものだ。
監督は、「またやりやがって」と、頭にくる。それども、そいういうとき、管理者が「駄目だ、そうするな」と言うだけでは、絶対にその「癖」は直らない。
そういう管理者は、管理者としては失格である。自分は、成功ばかりしていて滅多に失敗しなかった大選手が、なかなか優秀な監督になれないのは、こういうことに無理解だからということが多いものだ。
まずその無意識を取り除くよう、働きかけねばならない。たとえば、そのように行動しなくても大丈夫なだけの力があるのだということをその選手に知らせる必要がある。そういうケースで、結果としてたまたまヒットを打たれても、実力いっぱいに投げ込んでいたということが見て取れたら、しっかり誉める必要もある。
これは、野球だろうと、会社だろうと、研究室だろうと、同じことである。(中略)
こういうことから言えることがある。KT法を生かすためには、自分自身の無意識を乗り越えておくことが要求されるということだ。
実は、乗り越えるなんて簡単にはできないから、自分自身の無意識の方向を知っておくことだけでも、ずいぶん、違うのである。少なくとも、またまた9回裏に棒だまをど真ん中には投げ込まないようになるというわけだ。
※栗本慎一郎『縄文式頭脳革命』第2章 優秀な人の発想法(文庫版P.54〜60)より
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(引用ここまで)
昨日の記事にも書いたように、
わたしがこの本を最初に読んだのは、
小中学生対象の進学塾で専任講師をしていた頃です。
その頃は、徹底的に教えるスタイルの教育を
実践していて
指導者がどのように教えれば
優秀な人間が育つかという
たし算の発想で考えていましたし、
それだからこそ、
当たり前の筋を踏みはずさなければ、
あなたはかならずユニークになってしまう
構造があるという本書の記述に
インパクトを感じたわけなんですが。
たとえば、「優秀な人ってどういう人ですか?」と
問われたときに、どのように答えるか、
本書1冊に書かれている全体の内容を踏まえて
わたしなりに7項目に絞って
整理すると以下のようになります。
1.空気のように受け入れる素直さがある 2.何が問題か原因を含め的確にキャッチできる 3.システム、構図を見抜き大局的判断ができる 4.自己中心的発想に囚われない相対化能力がある 5.すばやく状況に適応できる柔軟性がある 6.意欲、熱心さとともに感情の抑制力がある 7.すべて自分次第(=転原自在)の姿勢がある |
さて、あなただったらどう答えますか?
「優秀」って言葉は、
わたしたちの日常会話でも頻繁に登場するので、
意味が分からない人はほとんどいないでしょう。
でも、それが具体的にどういうことなのかと
人から問われたときに、
明確に答えられる人は少ないかも知れません。
結局、明確な定義を意識していないのに、
あの人は優秀だとか、優秀でないとか、
そういうことにすぐ囚われてしまうのが
人間なのでしょうから。
それでも、引用した箇所の後半部に書かれていた
KT法を生かすためには、
自分自身の無意識を乗り越えておくことが
要求される。
乗り越えるのは簡単でないが、
自分自身の無意識の方向を
知っておくことだけでも違う
についてはわたしも正直、進学塾時代には
あまりピンと来ていませんでした。
結局、優秀さについて考える上でも、
すぐ言語化可能な顕在意識レベルだけでなく、
潜在意識(無意識)を含めた
人間の心のしくみ全体を見通した上で
考慮できているどうかが問われるんじゃないかと。
最近投稿した記事では、
響月ケシーさんが『現実創造の掟』の動画で
「自分自身の見張り役になる」
「潜在意識を自己管理する」という言葉を
使われていましたが、
わたし自身、
この「無意識の方向を知っておく」という言葉の
意味するところがわかってきたのは、
らくだメソッドのセルフラーニングと出会い、
寺子屋塾を始めて指導する立場で
関わるようになって以後のことで、
さまざまな問題につきあたったときに、
意識できるところだけで
フォーカスするアプローチには
限界があることに気づかされたのでした。
【テーマに関連する参考過去記事】
・毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)
・自分の心を観察し続け、問い続ける姿勢こそ「学ぶ力」のもと(つぶやき考現学・番外編6)
・もともと知っているのなら、なぜわたしたちは本を読むのですか?
・マイケル・ポランニー「科学は観察の拡張」(今日の名言・その26)
※冒頭の画像は栗本さんが表紙の
雑誌「スタジオ・ボイス」1983年11月号より
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