坦々とやり続けていると後から自分のテーマが見えてくる
2024/04/11
今日の寺子屋塾ブログは久しぶりに
塾生関連の記事を。
2017年9月に入塾した板倉匡利くんは、
らくだメソッドの算数・数学教材を
最後までひと通りやり終え
2022年11月から2巡目を学習中です。
2巡目は、ただ問題を解くだけでなく、
1枚1枚のプリントの中味や構成を確認したり、
独自で課題を設定して臨んだりして
そのプロセスを板倉くん自身のblog
紹介する記事を書き続けているんですが、
この寺子屋塾ブログでも学年別に紹介しているので
記事の最後にリンクを貼り付けておきます。
さて、その板倉匡利くんが一昨日4/9のブログで
次の記事を書いていたんですが、
今日の寺子屋塾ブログは
ここに書かれている内容がメインテーマなので、
ちょっと長いんですが、
まずは記事を読んでみてください。
【定点観測は「自分で決める」もの】
ちなみに、板倉くんがこの定点観測会を
始めたことのきっかけは、
わたしが毎朝、天気と自宅の庭の草花の写真を
2011年からFacebookにずっと投稿し続けていると
『言葉のズレと共感幻想』読書会で
話したことだったんですが、
関心ある方は次の記事もどうぞ!
さて、このブログでは何度も繰り返し繰り返し
書いていることなんですが、
わたしが30年前に寺子屋塾を始めたきっかけは
その前に小中学生対象の進学塾で
専任講師として7年間仕事をしていた体験が
大きな土台になっています。
その塾では、毎年平均して150名ほどの
卒業生がいましたので、
わたしは7年間で約1000人程の
小中学生と関わりました。
7年間をふりかえって、
その約1000人の卒業生を見渡してみたとき、
その学習塾に入ってから
飛躍的に成績が伸びた生徒に
共通項があることに気がついたんですが、
それがその塾に
「自分で入塾することを決めた生徒」だったのです。
もちろん、成績が飛躍的に上がったことは
ひとつの結果にすぎないわけですし、
成績が上がったことと
自分で入塾することを決めたこととの間に
因果関係があると証明されたことにはなりません。
つまり、「学ぶことを自分で決めているかどうかが、
学んだ成果がその人の大事な糧となるかどうかを
大きく左右する」というのは
ひとつの仮説にすぎないからです。
そうした体験があったので、
わたしが寺子屋塾を始めた動機のひとつが、
「学ぶこと、体験することを
自分で決めているかどうかが、
その体験がその人にとって大事な糧と
なるかどうかを大きく左右する」という仮説を
きちんと検証したかったことにありました。
そして、その検証の結果は、
こうしてわたしが30年にわたって
寺子屋塾を続けられていること自体にあり、
その成果の一端を
こうしてブログ記事として
日々書き続けているわけなんですが。
シェアした板倉くんのブログ記事の
後半部から引用します。
(引用ここから・太字は井上)
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・・・ところで「無目的」という言葉が
出てきていますが、
無目的というのはどういうことでしょうか?
目的を持ってやるというのは、
例えば絵を描くことであれば
「表彰されるため」が挙げられるでしょう。
ですから上手に描くといった
スキル的なことやクオリティが付き纏います。
すると優劣が生まれます。
それに対して無目的というのは
「やってみる」が先であることなのでは
ないでしょうか。
「坦々とやる」ということです。
ですがその中に「なぜ自分がそれをやっているのか」
「それを通して自分がどうなりたいのか」という
テーマがないわけではありません。
いや、必ずあるはずです。
あるからやっています。
やってから後に自分のテーマが見えてくるのです。
見えていたテーマはさらに明確になっていきます。
ですがそのテーマも固定的ではありません。
人によって違えば、その人の中でも
時間経過によって変化することでしょう。
よって「無目的に取り組む」とは何かというと、
顕在化していない目的に沿って取り組むことから
潜在していることを見つめる取り組み、と
いえるのではないでしょうか?
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(引用ここまで)
たぶん、この「無目的に取り組む」という言葉が、
「まったく意味がわからない」っておもわれる方が
少なくないことでしょう。
でも、わたし自身、
この寺子屋塾の30年間をふりかえってみても、
最初はまったく意味などわからずに
始めたことでした。
いまのわたしは、コツコツやるのが苦手だった
30年前の自分とは
似ても似つかないような人間に
なってしまったというか、
30年前の自分に見えていた世界とは
まったく違うところに
やって来てしまったという感覚が強くあり、
この30年間にわたしが
寺子屋塾の実践を通して学んできたことは
測り知れないほどの厖大なものだったので。
こちらの記事で響月ケシーさんが
この宇宙にあるもので、
私たちの目に見えるものっていうのは
わずか4.9%という話をされていました。
わたしは、自分に意識できる範囲というのも
この割合に近いんじゃないかと
考えているんですが、
つまり、自分に意識できていない世界の方が
圧倒的に多いわけです。
となると、やる前から計画を立てたり、
目的を持って何かをするということは、
そのわずか4.9%の範囲のことでしかなく、
仮にそれが達成できたとしても、
そんなに大したことではないんじゃないかと。
無目的に坦々とやり続けるというのは、
いまの自分にわかっている
4.9%の範囲ではなく、
いまの自分にはわかっていない
残りの95.1%の方に
アプローチするってことですから。
自分自身の見張り役になって、
見えていない潜在意識を
自己管理することの大切さを
話されていたんですが、
どうしてそれが
幸運の波の発動条件の一番最初であり、
また、それだけでもやり続ければ
人間は十分に幸せになれるというのが
なぜなのかということを
板倉くんの記事を読みながら、
わたし自身もまた改めて納得した次第です。
板倉くんの記事を読んで
定点観測に参加してみたいとおもわれた方は、
「寺子屋塾のブログ記事で読んだ」と一言添えて
板倉くんに連絡してみてください。
【板倉くんのらくだメソッド2巡目ふりかえり記事】
・寺子屋塾生が書いているらくだメソッドの記事(その1・幼児教材)
・寺子屋塾生が書いているらくだメソッドの記事(その2・小1教材)
・寺子屋塾生が書いているらくだメソッドの記事(その3・小2教材)
・寺子屋塾生が書いているらくだメソッドの記事(その4・小3教材)
・寺子屋塾生が書いているらくだメソッドの記事(その5・小4教材)
・寺子屋塾生が書いているらくだメソッドの記事(その6・小5教材)
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ
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