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「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その14)

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「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その14)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その14)

2024/04/25

昨日投稿した記事の続きです。

 

4/12から書き始めた「自己決定」「自己責任」って

言葉の真意がなぜ伝わりにくいかを

テーマにした記事も

今日で14回目になりました。

 

前後の2〜3記事はひとまとまりの

連続記事になっているものがありますが、

すべての記事が続き物ではないので、

未読記事がある方は、

可能な範囲で、末尾に付けた過去記事リンク集や

参考記事リストを適宜参照ください。

 

 

さて、昨日投稿した記事で紹介した

塾生・西尾亮さんのブログ記事は、

記事中にシェアされていた

ブログ記事「安全な責任」と併せて、

(その11)で紹介した響月ケシーさんの講義録

要点ポイントを整理したような

内容になっていましたね。

 

『言葉のズレと共感幻想』を紹介した記事でも

佐渡島さんが言われていましたが、

そもそも「責任」という言葉は

非常に多様で曖昧さを含んでいて、

ひとつに収束されるものではありません。

 

たとえば、(その2)の記事で紹介した

松尾匡さんの記事中に出てくるんですが、

責任という概念には2種類あると書かれていました。
 

①自己決定の裏の責任:
自分で決めたせいで他者に不利益を与えない。
他者に不利益を与えたときには、
自分が不利益を被っても自分で引き受け補償する。

 

②集団のメンバーとしての責任:
自分が決めたかどうかに関係無く、
ある集団に所属することに伴う役割を果たす責任

 

そして、この2つは時代や地域に関わらず存在し、

自己決定を要件とするかどうか、

人間関係のシステム如何で

どちらが前面になるかが変わってくるわけです。

 

このブログではこれまで阿部謹也さんの

『「世間」とは何か』などの著書を紹介しながら

何度も書いている話なんですが、

日本では②の方が強く感じられるのは、

「個人」「社会」という言葉が

広く使われるようになったのが

明治維新以後のことで、

世間の存在が未だ色濃く残っているためでしょう。

 

さらには、西洋の哲学にも

個人の決定から積み上げて社会を説明する

「リバタリアン」と、

社会の側から個人が作られた存在であると

強調する「コミュニタリアン」があって、

日本と欧米との違いだけではないんですね。

 

 

さて、今日はわたしが書いた

つぶやき考現学のなかにも

「責任」という言葉が出てくる詞が

いくつかあるんですが、

ケシーさんの講義録にもあった

本来人間は、自分以外のいかなるものにも

責任を負う必要はないという話を

確認しておく意味で、

そのひとつを再掲しておきます。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どこか自分の知らないところに

正解があるとおもいこみ、

正解探しをすることから悩みは生まれる。

 

じつは、答えは自分自身の内側に

すでに存在していて、

ただ気がつかないでいるだけなので、

外側に正解を求める人は、

別の誰かの答えを正解と信じ込むか、

当て所なく正解探しの旅を続けるかのいずれか。

 

どんなにネガティブに感じられるできごとでも

目の前に起きている現象そのものは、

否定しようにも否定できないから、

後からその善悪を判断したり

正解を見つけたりしたところで

所詮は後づけの理屈でしかない。

 

だから、いつどんな場合においても

自分自身の責任において

選択しているという自覚さえあれば、

それがいかなる選択であっても

いかなる結果が訪れようとも

後悔することなどあり得ないし、

あらゆることから学べる姿勢が

培われてゆくことだろう。(1996.10.2)

井上淳之典のつぶやき考現学 No.64

 

 

この続きはまた明日に!

 

【これまでの投稿記事】

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その1)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その2)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その3)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その4)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その5)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その6)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その7)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その8)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その9)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その10)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その11)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その12)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その13)

 

【テーマに関連する過去記事】

自分とは何か(阿部謹也『大学論』より・その1)

建前と本音(阿部謹也『大学論』より・その2)

教養とは何か(阿部謹也『大学論』より・その3)

個人と社会、学問と大学の関係をめぐって
なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その2)

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その3)

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その8・最終回)

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

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