朝の散歩が連続1500日になったことでおもったこと(その3・最終回)
2024/08/10
昨日投稿した記事の続きです。
2020年7月1日から始めた朝の散歩の日課が
立秋を迎えた8/7にて
連続1500日になったって話を
一昨日に投稿した記事から書いてきました。
昨日の記事では、
教室にきていた塾生とのやり取りを
書いたんですが、今日はその続きを。
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S:井上さんが寺子屋塾を始められた頃など、、
以前はコツコツ続けることが
それほど得意ではなかったと伺ったんですが、
その当時と現在と比べて
結局のところ何が変わったとおもわれますか?
A:30年前の自分をおもいだすと、
ほんとうに別人のようです。
ただ、30年前と今の自分とで比べて、
具体的にどこが変わったのか細かく挙げていくと
いろいろたくさんありすぎるし、
それは機会を改め、させてもらうつもりなので、
コツコツ続けるってことに限定して
お話ししましょう。
人間の思考を生み出す脳のしくみというか、
そのメカニズム、構造がある程度は
把握できてきたってことは大きかったですね。
とくに仏教の考え方と
最先端の脳科学ってそのままつながっていて、
そういうふつうには別モノとおもわれている
諸々のことを関連付けて捉えることの大事さに
気づいたこともありました。
身体がコツコツ続けることに
ブレーキをかけてしまうものの正体って
ひとことで言ってしまうと、
結局、アタマの思考なんですね。
生きていくのに生きがいとかやりがいとかを
必要とするところが、
人間の人間たる所以であって、
他の動物と違うところなんですが、
でも、そうした意味づけが過剰に働いてしまうと、
心を病んだりして、
いろいろ弊害が起きてくるわけで。
そういう意味では、
昔の自分はアタマでっかちというか
知ることばかりに重きを置きすぎていて、
アタマの思考にガンジガラメになっていたと
言って良いでしょう。
23歳のときに書物を通じて出会った
マクロビオティックの開祖・桜沢如一から
学んだことなんですが、
理論と実践は車の両輪のようなもので、
どちらが欠けてもいけないんだと。
まあ、両方大事って話はアタリマエですから、
結局どちらから始めるかという
順序の問題になってくるんですけどね。
自分は大学に行かない道を選んだこともあり、
正規に学問を積んだ
人間ではないという自覚があるためか、
本を読んだり勉強したりすること自体は
まったく苦にならずにやれることなんです。
ただ、ごく普通に生きていても大脳優位に
働いてしまうのが
今の世の中なんだってことや、
知識や情報が
入力過多になることの弊害がわかってきてからは
まず、自分で実際にやってみて、
実効性のあったものを手元に残していくように
こころがけてきました。
そういう意味では、
この30年間というのは、
わたしにとっては
アンラーンの30年間だったといえますし、
寺子屋塾で提供している学習ツール、メニューは
すべてわたし自身が実体験してみて、
その効果を実感できたモノばかりなんです。
S:散歩はいつまで続ける予定ですか?
A:無理して頑張ってやってるわけでもないし、
止める理由がないんですよね〜
2年続いた際に書いたふりかえり記事のとおりで、
30分の散歩を継続することで、
わたし自身のタイムマネジメント力は
明らかに向上した実感があります。
なぜそうなったかという原因を
ひとことでいうなら、
誰かからやらされているのではなく、
〝自分で決めて〟やっているからですね。
さらには、令和6年度から新たに始まった
自治会長として回覧物を配達したり、
町内の掲示板にポスターなどを貼る仕事も、
毎日の散歩を継続していたお陰で
さほど大きな負担を感じること無く
やれているところがあるので、
もちろん、先のことはわかりませんが、
すくなくとも、その任期の期間中は、
止めてしまうことはないんじゃないかと。
【関連記事】
・【里仁・第四】072-4-04 我未見好仁者惡不仁者(論語499章読解より)
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