寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その11)
2023/08/30
8/20からこのblogでは、
寺子屋塾生のひとり、本田信英さんが
入塾時から3年余りの間、3ヶ月毎に書いていた
らくだメソッド学習のふりかえり文を紹介しながら、
わたしのコメントを記してきました。
今回なぜこのような記事を投稿しようとしたかなど、
そのきっかけなどの前口上については、
8/19に投稿した(その0)をご覧ください。
こうして連載記事として投稿してきた目的の一つに、
本田さんが寺子屋塾で学習を始めて以後
具体的にどう変化してきたのか、
そのプロセスをこの寺子屋塾blog内でも
辿れるようにしたかったこともあったので、
(その1)では3ヶ月めと6ヶ月めを、
(その2)では9ヶ月めと1年めを、
(その3)では1年3ヶ月めと1年半を、
(その4)では1年9ヶ月めを、
(その5)では2年めを、
(その6)では2年3ヶ月めを、
(その7)では2年6ヶ月めを、
(その10)では3年3ヶ月めをのふりかえり文を
紹介していますので、
時間の許す方は最初から順番にどうぞ!
それで、今日の記事が11回目となるんですが、
3ヶ月毎に書かれたふりかえり文は、
昨日投稿した(その10)にて終了しましたので、
今日は、これまでの記事の元ネタというか、
本田さんが日々メモしてきた文章から
その一部を抜粋してご紹介することと、
3年3ヶ月のふりかえり文以後、今日までの間に
らくだメソッド関連で書かれた記事を
シェアすることで、
長く続いたこの連載記事も
一区切りとするつもりでいます。
高校教材に入ってからのメモは、
1年9ヶ月以後のふりかえり文中に、
本田さん自身によって
ピックアップされていたこともあり、
以下ご紹介するメモ文は、
入塾された2015年11月から2017年3月まで、
小学校教材と中学校教材を学習していた
1年5ヶ月ほどの期間に
書かれたものから選びました。
プリントをやり終えたときだけでなく、
プリントができなかった、しなかった日も含めて
書かれた約400日分のメモから、
面白いとおもったものを中心に選んだつもりですが
選んだ基準はあくまでわたしの主観で、
全体の一割強という分量しかなく
飛び飛びで抜粋しているので、
読まれてあまりピンと来ないものも
あるかもしれませんが、ご容赦のほど!
(引用ここから)
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●2015/11/25 小3-20,21
反復練習の中で気づけるようになってるらくだメソッドはなんだか武道の稽古のような気がする。やる側としては訳もわからぬままやっていくうちになんとなくわかってくる。ただ、問題の制作者の視点に立った時にやる内容への深い造詣が必要であり、なおかつやる人が自然に行える段階を用意しておくかが大事。
●2015/12/2 小3-33,34
丸付けにも自分の性格が出る。丸をつけかけて、間違っていたことに気づき、赤を入れる。合っているだろう、自分は間違っていないだろうという思い込みがそうさせるのか。自信がないと言いながら、誰かを批判するのは結局のところ自分がよくわかっていないのだ。
ただ、丸付けにすらも自分が出るということが面白かった。見ようと思えばどこまででも見ることができる。
計算しているはずなのに、いつの間にか製作者と対話している自分に気づく。ここは余りなしだろうな、と思いながら計算している時ほど解くのが速い。それは計算が速いのではなく、問題の製作者の心理を読んでいるから速い。問題ではなく、その問題の向こう側をいつの間にか自分は見ているのだ。
●2015/12/9 小4-8,9
割り算では計算間違いが全然ない。ただ、あまりを書き忘れることの多いこと多いこと。理由を考えてみた時に小数計算の頭になってるからじゃないかと思った。余りを書く習慣がなくなっている。あとはラクダをやることに使命感みたいなものを感じている自分がいる。もっと自然体でありたい。
●2015/12/13 小4-14,15
一番最初の問題をとんでもないミスをした。なんでだろう、意味がわからない。余りを書き忘れることはなくなってきた。自分の頭が小学四年生用にカスタマイズされてきた感覚がある。一時的に急増したミスがここにきて一気に減ってきた。
●2015/12/17 小4-22,23
書くべきところではないところに回答を書いていて、自分で笑ってしまった。四角形を解答欄だと思い込んだ。思い込みというのは人を盲目にさせるとしみじみ思う。分数で突然簡単になったけれど、子どもがどんな手順を踏んで新しい概念を覚えていくのかわかって面白い。
●2015/12/23 小4-33,34
今日、小4-33のプリントで見返しをしていたらミスを発見することができた。この経験はものすごく大きいと思う。見返しは大事なんだ、ということを痛感させられた。こういうプロセスは学校の先生が生徒の採点する時には見ることができない。だって、テストが提出されている時にはもう修正が終わっているから。このプロセスを意図的に体験させられることができれば、見返しや振り返りの重要さを感じてもらえるんじゃないだろうか?
それぞれの場においてルールがあって、それを最大限きちんと利用すべきだ。私は時間内により早く終わらせることが良いことだと自分ルールを作ってやっていたけれど、らくだメソッドってそういうもんじゃないよね。時間内にミスを3個以内であればいいんだ。なに勝手に自分で可能性を狭めているのか。自分を萎縮させていくのは自分だ。
●2016/1/7 小5-12,13
繰り返しでやっていると、最小公倍数を覚えていく。いちいち考えなくても、これとこれはいくつ、と覚えていく。愚直な繰り返しは確かな進歩を与える。それだけは間違いない。思い悩むよりやるのだ。それで進める。
●2016/2/1 小5-28
寺子屋塾でやるとものすごく集中できる気がする。場所によって、自分の集中力が違うことを感じるようになってきた。
●2016/2/3 やらず
できなかったわけじゃない。他にやりたいことがあったからやらなかった。できないこととやらないことには明確な違いがある。できなかった時には後悔が伴うけれど、やらないと決めた時には後悔はしない。
●2016/2/11 小5―33
話しながらでもできる。問題に集中しながらも、他のことが同時進行的にできるようになってきた。頭の回転が少し速くなってきた気がする。気のせいかもしれない。
●2016/2/12 小5-34
すらすらできた。でも、すらすらできた時ほどシンプルに間違うことがよくある。速さを求めているんじゃないんだ。
●2016/2/13 できず
ベッドに入って、体調が悪いのを言い訳にしてやらなかった。そういう問題じゃない。ラクダをやる努力をするのではなく、ラクダをやる環境を整えることをする必要があるのかもしれない。
●2016/3/29 小6-18
自分の中ではスピードアップしたつもりが結果に反映されていない事実。まだまだ「身についていない」のだな。
●2016/3/30 小6-18
また1分半縮まった。始めた瞬間から「これはイケそうだ」という直感がしたけれど、クリアできず。原因は消しゴムを用意してなくて焦った。ストップウォッチを押したところからがスタートじゃない。準備段階から既に自分の物事へ取り組む姿勢が滲み出している。何なら、時間の設定(朝か夜か、いつも同じ時間か違うのか)からしてもう現れているのだ。ただ、比べる他者がいないためにそれを知ることができないだけ。じゃあ、どうなったら自分が満足できるのだろう。
●2016/4/2 小6-22
自分の字が汚くて、読み間違えて計算ミスをしていた。思わず笑ってしまった。自分で地雷を仕掛けて、引っかかるこの感覚。知ってる知ってる。よくやるやつだー。笑 いやはや、本当にらくだメソッドは自分が反映されてて面白いな。
●2016/4/3 小6-22
ちょっとずつ自分の頭が最適化されていく感覚。ようやく計算の順序が自分の中で確立されてきた。結局のところ、下手に頭の中で計算しようとするよりもひたすら計算式を書き出した方が早い。それに気づけたことは大きい。
●2016/4/19 小6-29
ほぼ5分オーバー。できなさすぎて、笑っちゃった。おまけに昨日からの流れで答えを約分できてなくてミス。でも、とてもありがたい。なんでかって、昨日までのプリントでは「移項」が自分でわかってないと感じながらもクリアできていたから。もともとあった問題がただ表出しただけだ。ラクダの凄いところは「ちゃんとできなくなる」ことと感じる。問題のレベル設定が絶妙だから、わかっていなければ進めなくなる。でも、だからこそ安心して委ねて前だけを進んでいける。楽しい。
●2016/4/24 中1-1
中学校突入。94問中30問ミスという快挙。1問を除けば、不等号を書き忘れただけなのだが。
そこで、「それくらい良いじゃん」と正解にしてしまうこともできるのだけど、問題にきちんと不等号書けと記載されているのだから、それはやっぱり自分の落ち度だし、ミスはミスなのだ。
昔だったらこうはならなかったなぁ。結局自分で学んでいる以上、自分以外に騙す相手もいない。そして、自分を騙すことなんてできないんだ。だから取り繕ったって虚しいだけ。悔しくて、直後にもう1枚やった。勉強嫌いの私が自分から余分にやる日が来るなんて、とっても滑稽だ。
●2016/4/27 小6-30
また2分縮まり、時間内にクリア。この2日間を見ていると、人間の成長がいかに比例的ではないかがわかる。伸びる時には一気に伸びる。だからこそ、いかに伸びない時期と付き合うかが大事。突然記録が縮まるこの成長感覚を体験しているかいないかがその人の「努力」への姿勢にも関わってくると思う。1番最初にその感覚を味わう体験をさせてあげるといいよね。そのためには強制することも悪くないと思う。ただ、それはこれをしろあれをしろ、というようなものではなくて、合宿のようなやらざるをえない環境を用意する方法がいいかもしれない。だからお寺の修行というものは効果的なのかな。
●2016/5/8 中1-8
終わりがけに時間が目に入ってしまい、少し急げば時間内に出来るし、そのままのペースでは時間をオーバーすることがわかった。その瞬間が今日のターニングポイント。そこで急ぐことはできたし、それが今までの私の行動パターンだった。だからこそ、あえてパターンから外れて丁寧に最後まで問題を解いて時間をオーバーした。最近また壁にぶつかりつつある。以前の問題は、「自分の癖に気づくかどうか」だったけれど今は「自分の問題と向き合うかどうか」に移行している。じっと、丁寧に観察する。そういや「丁寧に」という単語を最近よく使う。
●2016/5/11 中1-9
頭の中で革命が起こった。今までしてこなかった計算の仕方を突然始めた。その結果、3分縮まって制限タイムに収まる。「そうだ!」という閃きもなく、自然とそういう方向へと身体が行っていた。途中で気づいて、我ながら興奮してしまい、終盤でミスが頻発してしまったのはご愛嬌。パラダイムシフトは、ある時突然起こる。でも、それは半年間の積み重ねがあったからだと確信している。とても気分がいい。
●2016/5/22 中1-15
2日連続でミス0、素晴らしい。絶好調の時って、「絶好調である」ということにすら気づかないんだな。でも、終わった時に結果として現れている。あとは、その状態をいかに引き出せる環境を整えるか。
●2016/5/24 中1-17
割と混乱していて、マイナスプラスがゴッチャゴチャ。ケアレスミスが多いときっていう時は余裕がない時。最近、また感情の波を感じるようになってきた。そして、それはラクダプリントをやる時間の乱れにも表れている気がする。もう一度、リズムを作る。頑張らず、淡々と。どうでもいいけど「淡い」って表現が凄い好き。
●2016/5/30 中1-21
途中式って大事だということを思い知らされた。ちゃんとやればできる。それを誰かに言われたって意味がないんだな。自分で実感することで、自己効力感が生まれるのだ。だからプロセスが大事だし、思考錯誤してできる体験とできない体験の時の差を感じることが必要なんだ。
●2016/6/2 中1-23
なんか釈然としないまま合格してしまった。時折訪れるこの「なんとなくできてしまった感」への対応の仕方に戸惑う。きちんと消化できるまで向き合うのか、それともモヤモヤを抱えたままでも前に進むことでそれがいつか解消される時が来るのか……。ああ、この迷いが今の私の課題なのか。決断を下して下した後は突き進めばいい。でも、決断することを躊躇い、決断した後も悩み続けている。
●2016/6/10 中1-30
やっている最中に約分が発生しないように問題を作っているんだな、ということが透けて見えて、凄く丁寧に配慮された問題作りがされていることがわかって、嬉しくなった。なんだろう、愛されている感じ。こう言う配慮に気づける人でありたいし、みんなが気づけるようになれると素敵だなと感じる。
●2016/6/14 中1-30(めやす15分) 13:31ミス②
3日前はダメダメだったものが今日やったら、あっさり3分以上タイムが縮まりクリアする。もちろん問題は覚えていない。何度経験しても不思議だ。けれど、解けない問題について集中して取り組む必要はないという証明でもある。別のプリントをやっている間にも経験値は積み上げられている。だから、行き詰まったら少し離れてみればいいのだ。その間なにも起こっていないなんて考える必要はまったくない。
●2016/7/2 中2-4(12分) 16:50⓪
ようやく少し希望が見えてきた感じ。一旦、先に進んでみて思ったのはやはり時間を置いたり、違う問題を解いてみることで頭が整理されてくる。今日も問題を解いている最中に検算の仕方を変えれば短縮できるじゃん、と閃く。結局、記入する時間というのはどうしても必要なのだから、計算の部分をいかに行っていくかだ。書きながらも次の問題を視界に入れておく。それだけで無意識は働き始める。意識だけで解こうとするからダメなのだ。使えるものは無意識だろうがなんだろうが使う。自分を信頼するってそういうことだな。
●2016/7/18 中2-10(12分) 16:03①
そういや今週は結局1枚もプリントをクリアすることができなかったなとふと気づいた。でも、その事実に対して善悪を判断をつけようとしていない自分がいて、随分変わったなとしみじみ感じる。半年前だったら大騒ぎだったよなぁ、と
●2016/7/20 中2−11(10分) 15:25⓪
自分は計算を一つしか教えてもらってなかったなんだな。そして、たった1つの方法が正義だと思い込まされて、思考パターンそのものまでも刷り込まれていたんだ。ふと立ち返ってみて、自分は他者との関わりの中でも同じことをしていないだろうか?もちろん状況によって違えど、もっと選択肢を広げるような関わりがしたいな。
●2016/7/22 中2-7(12分) 12:20⓪
検算を面倒に思っている自分がいる。正解かどうかを確かめることよりも時間内に私はやりたいのだ。何に駆り立てられているのだろう?早くしなきゃ早くしなきゃとどこからか囁かれている。その正体を探る必要がある。
●2016/7/26 中2-9(12分) 12:46①
だいぶ1元1次方程式については自分なりのスタイルが確立できてきた。これからは少し余裕が出てくるだろう。うーん、でも最近少し違和感を覚えてきた。「続けられている自分」を認められるためにやっている気がする。すなわち継続することが目的になりつつある。それを頼りにしていたら意味がないんだよなぁ。どこかで区切りを作って継続しない日を作った方がいいかもしれない。
●2016/7/29 できず
寝てしまってできなかった。本当に久々にできなくて、でも何も変わらなかった。自分が崩れ去るというような恐れていたことは何も起こらなかった。以前は続けることで自由になっていたのに、今度はやらないことで自由になったな。自分が未だに縛り付ける鎖を作り続けているのだなぁ。
●2016/7/30 できず
まさか2日連続でできないとは思わず自分でもびっくり。でも、不思議と嬉しさが込み上げる。そっかぁ、今自分は新しいステージに進んだんだと思っている。プリントよりもやりたいことができたんだな、って。この感覚は他人に理解してもらうのは難しいよな。明日からまたやろう。
●2016/7/31 中2-12 (10分) 12:55⓪
2日空いて、自分の頭の回転が遅くなったように感じる。けれど、なんだかとても新鮮に感じるようになったので、良い方向に運んだなと感じる。具体的には、きちんと自分のやっていることに意識を向けるようになった。
●2016/8/2 できず
1度できなくなると、途端にできなくなるのが面白い。自分の生活をリセットする時期に来ているのだなと思い知らされる。
●2016/8/3 中2-12(10分) 8:54⓪
プリントをやるのがめちゃくちゃ楽しい。このできなさをこんなにも楽しく感じるなんて、不思議だ。自分が知らず知らず固着していたんだと思い知らされる。毎日できるかドキドキして、凄く新鮮な気持ち。
●2016/8/9 できず
150日以上、続けていたのが嘘だと感じるくらい全然できない。寝てしまった。でも、続けている時よりも私は自由で、それがどうしようもなく嬉しいのだ。
●2016/8/11 中2-13(10分) 10:39⓪
他のことを考えずに問題に集中できた。問題の解き方にもだいぶ慣れてきて、ほとんど詰まらずに解けるようになってきた。わからないままにできるようになっていく。その状態を受け入れることができるようになってきたと感じる。
●2016/9/11 中2-20(14分) 14:29⓪
かなり頭が冴えてきた。また続けられそうな感覚がある。休息の時間は終わったんだなと朧げながら思った。結局のところ、やる気があるかないかなんてどうだっていいのだ。やるかやらないかしかない。やらなかったことの言い訳として、「やる気」を持ち出しているだけ。またペースを作っていこう。
●2016/9/17 中2-25(20分) 20:55②
1問以外はかなりペース良くできた。そのおかげで1問にたくさん時間をかけられた。間違えたり、上手くいかない時はやり方を変えろ。そんな言葉がやっている最中に降ってきて、それはよくよく考えれば、私が子供達に言っていることじゃないか。おかしくて笑える。
●2016/10/22 中2-37(15分) 05:23⓪
これまで数字だけだった計算に言語的な部分が加わってきた。説明があるし、感覚の世界を言語によって立体的に表現する。ああ、これが算数から数学の世界への変容なのかと奇妙な感動を覚えている。そうそう、中学になった時に一番不思議だったのは突然「算数→数学」になったことだ。そこにはどんな違いあるの? 誰もそれを丁寧に説明はしてくれなかった。そのくすぶり続けた疑問と今向き合っている。
●2016/10/24 中2-40(15分) 10:33⓪
今までやってきた文字式の計算ってこういう風になっていたのかとようやく繋がった。文字式が突然現れて、その解き方を教えられて、そしてそれが終わったら、関数のグラフを教えられて…。そこは島のように離れ離れの断片的な知識だった。それが繋がっていたのかってようやく実感した。ラクダすごい。
●2016/11/16 中3-10(8分) 05:09②
周りで面白そうな話をしている中だったけど、かなり集中してできた印象がある。自分の中でONOFFの切り替えが苦手だったのだけど、もしかしたらそのコツみたいなのが少し掴めたかもしれない。
●2016/11/27 中3-16(15分) 15:07①
私はとりあえず1回失敗しきゃわからないんだなということがわかってきた。1度失敗してみると、自分の中でこうしようああしようと色々なアイディアが湧いてくる。だからあえて失敗しに行ってみるのもいいのかもしれない。
●2017/1/9 中3-32(12分) 16:00②
時間があまりにも足りないということを久々に経験した。これ12分でやるってどうやったらいいんだろう?そんな途方に暮れた気持ち。でも、続けていればできるようになるんだから不思議だよな。続けることは大きい。
●2017/1/13 中3-34(12分) 11:31③
完全平方式の導入の仕方に感動した。そういうことか!と閃くものがあった。これが数学的思考というものか。抽象的な概念を使うことで物事を整理して簡単にしていくんだ。なるほど、数学が好きになれそうだと感じた瞬間だった。
●2017/1/15 中3-35(12分) 17:35①
前回よりはだいぶつかめてきた。最後の問題に直面したのはいきなり抽象思考を教えられても全く理解できないということ。問題数をこなした先に抽象思考がある。だから、具体的なものをまず体験していない人は抽象思考は無理なのかもしれない。
●2017/1/16 中3-36(12分) 21:05③
なんで文字式にするんだろう?ずっとそう思っていた。だけど、今日のプリントでわかった。そうか、公式を作るためだ!これまではまず公式が提示されて、それについて説明されるというやり方だった。計算を容易にするために文字式にするんだ。へぇー、凄い凄い!今日の今日まで全然わかっていなかったよ。
●2017/2/23 中3-49(20分) 15:41⓪
解き方さえ分かってしまえば、困らない。自信満々で答え合せをできた。頭の中だけで考えず、図形化するのは普段の考えや悩み事にも使えるな、と改めて思った。
●2017/3/18 中3-52(20分) 20:49③
基準的にはクリアしているのだけど、でも納得できないからもう一回やるつもり。最近サボり気味なのはよくないな。
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(引用ここまで)
次に、3年3ヶ月のふりかえり文を書いた後に
らくだメソッド関連で本田さんがnoteに書かれた
記事タイトルをハイパーリンクの形で
リストアップしておきます。
・当然を当然のごとく
・人間になっていく過程(高校2年の単元まで終了)
・できなかったことができるようになるのに、理由なんかいらない
昨日、記事の最後に予告していたように、
最後にわたしの総括コメントを記して
締めくくろうと考えていたんですが、
これらの記事を改めて読み直してみると、
らくだメソッドを学ぶ上で
重要だとおもわれることは、ほぼ網羅されていて、
これまでの(その0)から(その10)までの記事で
わたしが書きたいことは
コメントの形で書いたつもりですし、
これ以上わたしが付け加える必要など
ないなぁというのが、正直な実感です。
そうです。
わたしは本田さんに、
何も教えていないのですから。
自分で自分の可能性を開くことができるように、
自分にもともと備わっているものを
自分自身で引き出せるように、
場とツールとチャンスを
提供しているだけなのですから。
また、本田さん自身は今回わたしが
過去に書かれた文章をとりあげ紹介していることを
こんな風に受け止めて下さってます。
この、本日の投稿記事を合わせると、
同じテーマで12本のblog記事を書いたわけですが、
これらの内容を素材に熟成させ、
プリント道という切り口から
いずれはわたし自身の熟達論とも言うべきような文章に
昇華させられたらと考えていますので、
それを楽しみにして頂けたらとおもいます。
長い記事をお読みくださり
有り難うございました。<(_ _)>
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