「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その11)
2024/04/22
4/12から「自己決定」「自己責任」って言葉の
真意がなぜ伝わりにくいかをテーマに
記事を書き始め、
今日で11回目になりました。
これまでの10回の記事では、主に
「自己決定とは?」をテーマに書いてきたんですが、
今回は「自己決定」に伴って発生する
「自己責任」という言葉の〝責任〟に
スポットを当てる内容のものです。
したがって今回は、前回までの記事を
すべて読んでいないと
理解できない内容の記事ではありませんが、
テーマ的に関わりはあるので
未読記事がある方は、
この記事の末尾に付けた
過去記事や参考記事リストから適宜参照ください。
さて、卍易風水師でジュエリーデザイナーの
響月ケシーさんの動画を、
この寺子屋塾ブログでは、
これまでにも『現実創造の掟』などシェアし、
文字起こしした講義録もご紹介してきました。
今日は、2/8にご自身のYouTubeチャンネルに
アップされていた
「開運思考法 苦しくない責任感」と
題された動画を、
文字起こしして作成した
講義録とともにお届けします。
(引用ここから)
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2024.2.8配信YouTube動画(16分47秒)
【開運思考法】知らない人は損をする!生き方が楽になる責任感の捉え方って?
〔タイムテーブル〕
00:00 はじめに
00:37 責任はなぜ苦しい言葉なの?
05:55 他人の責任を負う必要はない
09:55 やめたくなったら やめる
16:20 さいごに
はい、皆さんこんにちは。ケシーです。今日は開運思考法の動画をまた撮っていきたいと思います。今回のテーマは、責任感、責任っていう言葉について。すごく苦しい思いを抱いちゃう人が多いんじゃないかなと思っていて、この言葉について、その背景にある思考を、開運思考に切り替えていくという形でお届けしてまいりたいと思います。それではいつも通り、ホワイトボードの動画で解説してまいりたいと思います。それでは動画スタートです。
●責任はなぜ苦しい言葉なの?
はい、それでは今日も始めていきたいと思います。
この「責任」という言葉、この言葉で結構苦しくなっちゃう人、多いんじゃないかなっていう感じがしているんですね。ただ、責任っていうもの自体が、悪いものとか必要じゃないものっていう風に思ってしまうと、それはちょっと違うかなっていう感じがしていて。ただ、この責任感とか責任という言葉と、どう付き合っていくべきなのかっていうことは、イコールこの世界とどう付き合っていくのかと直結してくるんですけれども、そこに皆さん、結構重たい思い込みだったり、観念のようなものがあるんじゃないかなと思っていて、今回の開運思考動画のテーマは、「責任」という形で進めていきたいと思います。
やっぱり、この「責任」って、とっても苦しい言葉に感じますよね。で、まず辞書で意味を調べてみました。責任とは、人や団体がなすべき務め———なすべき、べきべきとか言われますけど———なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの。こういう風に定義されています。で、似たような言葉で、「責任感」という言葉はどうかというと、「自分の仕事や行為について、責任を果たそうとする気持ち」であると、はい。こういう風になっています。つまり、「人や団体がなすべき務めとして引き受けなければならないもの」っていうのが、責任であると。で、責任感っていうのは、「責任を果たそうとする気持ち」です。一般的にこの気持ちが強い人ほど、どうしても自由の幅、選択の自由の幅が狭くなってしまうし、精神も病みやすい感じがあるんですね。それは、その責任とか、責任感とかがあるっていうのは、全然良いことなんだけれども、その責任感、責任というものとの付き合い方が、ちょっと違うだけなんですね。
で、なぜ苦しいのか、何ゆえに苦しいのかっていうところを深掘りしていくと、これが、これですよ「なすべき務め」だと思ってることですよ、言うなれば。「なすべき務め」が人や社会に押し付けられたものだからっていうことなんですよ。つまり、納得が伴っていないんですね。「そういうもんだろう」「なんでこれ、せなあかんねん」って、思ってはいけないっていう風に、押し殺してしまうことを、責任感とか、責任だって思ってる人が、とても多いんですね。むしろ、これは、人を使う側に、やたらブランディングされている感じさえある。自己犠牲的なヒーロー像みたいに、使う側に「責任感がある」とか「責任感かっこいい!」みたいな、ブランディングさえされてるような感じさえあると。
こんなのは、本当はどうでもいいことなんですよ。人や社会に押し付けられたものを、なすべき務めとして受け入れているから、責任感が自分にとって辛いものになっているだけであって、本来の責任感とは、とてもパワフルで清々しいものです。責任感がある人は、得てして仕事ができる人だったり、いろんなことをこなせる人だったり、全体の調和を考えられる人が多くて、優秀な人が多いんですよね。その人が、この責任感という言葉とのつきあい方を、開運思考にシフトして、パワフルで清々しい人生を手に入れるために、大事なことっていうのが何なのかっていうと、書き換えるべきはここなんですよ、「なすべき務め」。なすべき務めが、いまは人や社会に押し付けられたものだから苦しい。だから、この「なすべき務め」を、「自分の幸福」に置き換える。
自分の幸福———例えば毎日幸せに暮らせることだし、家族が笑顔であること、自分自身がゆとりがあることだったり、好きなことができていること、何でもいいんですけれども、自分がこの人生に求めているものが、達成できているっていうことを、自分の幸福として死守することだけに、責任感を持っていればいい。皆さんが、この人間という存在としてこの世に生まれて、唯一持たなければいけない責任は、この責任だけです。
●他人の責任を負う必要はない
って聞くと、ちょっと恐怖を感じる人がいると思うんですよ。「そんなの!」って、みたいな、「良くないんじゃないか」と。なんですけどね、本来人間は、自分以外のいかなるものにも責任を負う必要はないと。これを受け入れてしまうと、すごく人生楽になります。例えば、だけどこうなった時に、じゃぁ不倫してもいいんですか、みたいな子ども捨ててもいいんですかっていう話になるんですけど、それは、実は悲しい話なんですよ。責任感で子どもを育てる、責任感で旦那さん以外の人と恋愛しないっていうのは、実は悲しいことなんですね。
どういうことかって言うと、私にとって子育て、あと、私のパートナーのハナさんを愛することだったり、親の面倒を見ること、ここで、私はもちろん不倫とか浮気はしないですし、ハナさんにちゃんと愛情を届けたいと思うし、子育てに関しても、子どもが自分の選択ができるだけ広くいられるようにとか、あと親にも、不自由させたくないっていうことで、自分の年金から1円も持ち出しさせずに一緒に暮らしているわけなんですけれども、これを責任って考えると、これ悲しい———子どもは、子ども側からすると、親は責任でやってくれてるとか、親としても、子どもはそれをする責任があるとか、ハナさんとしても、ハナさんと以外の人とは恋愛をしない責任があるっていうのは、もしかしたら子どもとかハナさんとか親側からしたら、安心材料のように感じるかもしれません。でも、実際は苦しい考え方なんですよ。実際そうじゃないですか?責任感でっていうよりも、これの方が良くないですか?「やりたくてやっている」と受け入れてしまう。
で、そうなってくると、この世は無法地帯になっちゃうじゃないですか、みたいな。みんな不倫し放題、子ども捨て放題になっちゃうじゃないですかって言うんですけど、違うんですよ。子育てしてる人は、やりたくて子育てしてるんですよ。浮気しない人は、浮気したくなくて浮気しないんです。責任感でしないじゃなくて。で、どういうことかって言うと、不倫してもいいんですよ。だから、責任感でしちゃいけないじゃないですよ。不倫してもいいんだけれども、不倫することで起きるいろんな弊害とか、例えば、不倫される側でもいいし、不倫する側でもいいし、不倫相手になる側でもいいんですけれども、自分が好きでやってるから、それに伴って訪れる弊害も受け入れなきゃいけないですよね。それが責任なんですよ。不倫をしない責任じゃなくて、不倫をした以上、こういう扱いをされるのは、受け入れなきゃいけない。けど、それでも、好きでやってるからいいやと。それが、引き受けなきゃいけない責任なんです。
自分が選んだ選択に属してやってくる、いろんな弊害も共に受け入れる。だから、例えば、子育てしよう思ったら、お金かかるじゃないですか。子どもを育てるって言ったら、子どもといっぱい話さなきゃいけないし、エマちゃんなんか、まだまだ暴れるわけですよ。そういうのも一緒に頑張る。だけど、やっぱり、子どもと一緒に笑顔でいられるっていう幸せが得られる。その両構えであるっていうことを、受け入れるっていうことが、自分の幸福のための責任なんですよ。親の面倒を見ること———親の面倒見ることって、大変ですよね。どんどん弱っていくし、もちろん、補聴器壊れたとか、いろんなことにお金がかかるんだけど、それでも、親と一緒にいられるっていうことのメリットもあるし、親をちゃんと見ていられるっていう、なんかこう、素敵な感じとかもあるわけなんですよね。
●やめたくなったら やめる
それってことかって言うと、同時に、本当にやりたくなくなったら、いつでもやめていいっていうことなんですよ。これはもう全部です。子育ても、親の面倒も全部です。やりたくなくなったら、いつでもやめていいんです。一生涯やらなきゃいけない責任なんてないんです。たまたま、一生涯やりたくてやっちゃった人がいっぱいいるだけで。それで、本当にやりたくなくなるの基準なんですけど、やったりやめたりとかを繰り返すのは無責任です。やめるんだったら、ホントにやめなければいかん。となった時に、これぐらいの一生涯取り上げられても全く問題ない。いいです。いらないです、と思えるものは、やめてもいいんですよ。やめた方がいいんですよ、それは。
例えば、私の場合は、交流会とかですかね(笑)。経営者交流会みたいなものに行くとか、そういう人脈作りみたいなものは、人脈いらないです。一生いいですっていうぐらい、もう絶対嫌です。で、やめました。だけど、子育てと家事とか、家事を取り上げられて、できへん人生になってもいいかって言ったら、それは嫌ですね。やっぱりね。毎日やらないといかんっていうことがあるけれど、それをやる楽しさもある。子育てなんかも、まさにそうですよね。少しでも嫌だな、それは嫌だなと思う部分があるなら、好きな部分があって、好きでやってるっていうこの自覚、これがいわゆる責任です。これで、自分の人生がめちゃくちゃ楽になりますよ。
なので、責任っていうのは、人のなすべき勤めとして、他人や社会や常識から押し付けられたものを、自分の責任だと思って、自分が本当にどう思ってるのかっていうことを吟味しないまま、それを全うしようとすると病みます。けどね、やりたくてやってると、やりたくてやってないことは、やめなきゃいけないっていうことでもあるんです、同時に。自分の人生に責任を取るっていうことは。つまり、〝なすべき務め〟を〝自分の幸福〟に置き換える。自分が幸せでいられることに全責任を負う。これだけでいいです。これだけ。
どういう風に、それが納得いった場合、すごく強くなります。もちろん、これ、自分が選んだことだから引き受けます。それはっていうことが言える。周りの人も強くなります、これは。自分の人生に責任を持ってる人の周りには、自分の人生に責任を持ってる人が不思議と集まるので、すごく強くなります、家族もね。本当に大事なことをちゃんと大事にできる。だから、自分が本当にそれをするのかどうかっていうことをちゃんと吟味しないと、自分の人生に責任を取れないので、いわゆる逃げとか、そういったことで半端な選択することがなくなるので、すごくいい人生になります。
だけど、そうは言っても、社会や会社が押し付けてくる責任っていうのは、あると思うんですよ。会社員としてね、こういう責任って。そういうものに対しては、自分を一時貸し出すのはオッケーです。だから、響月ケシー、リースですよ(笑)。貸し出すんです。で、貸し出すっていうことですよ。貸し出すってことは、いつでも返却可。つまり、自分の手元に戻してくることができるって思っておいた方がいいです。
今でも、テレビの世界とかでも、島田紳助さんとか、替わりが効くかこの人っていうような人がいたとしても、やっぱり替わりの人が必ず育ってくるんですね。そういうポストが空いたとしても。だから、本当にあなたがいなきゃいけない場所っていうのは、社会においてはないです。いなくなっても大丈夫です。大体誰でも。でも、家族にとっての、パートナーにとってのパートナーはあなたしかいないし、子どもにとっての親は、あなたしかいないわけですよ。
社会や会社が押しつける責任に関しては、リースで十分です。家族に関しても、それでも一生涯取り上げられても全く問題ないものは、手放した方がいいんですけどね。それでも、一生涯取り上げられることってないですから、大体のこと。社会や会社が押しつける責任、その責任を求めてくる人の声は、絶対に、一切、聞かなくていいです。そんな甘ったれ、そんな甘ったれの言っていることは、「知らんやん」でいいです。自分がしたいか、したくないかだけです。
あなたは、あなたらしく、幸せでいることだけに責任を持てばいい。ね?はい。なので、責任っていうのは、自分の人生や生き方に対しての責任だけ取れば、あとはもうどうでもいいです。大体のことはどうにかなります。だけど、自分はこれは手放したくないってことに関しては、やっぱりそれをやるっていうことは、それをやるにあたって訪れること、有名になりたかったらアンチを飲み込まなきゃいけないのと一緒で、すべてのことが裏表というか表裏一体なので、「どちらも飲み込みます」「私は受け入れます」と思った時に、それが手に入るので。
●さいごに
今日の開運思考法は、「責任とは?」ということでした。これを聞いて元気になってくださる方がたくさんいたらいいなと思います。今日はここまで。参考になった方は、高評価とチャンネル登録をよろしくお願いします。
「この言葉も苦しいです。」「この言葉の開運思考法教えてください」っていうものがあれば、またコメント欄で教えてください。今日はここまで。じゃあね〜バイバイ。ブンブン!
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(引用ここまで)
これまでこのブログで紹介してきた
ケシーさんの他の動画や講義録に関心のある方は、
タグ「響月ケシー」からどうぞ〜
【これまでの投稿記事】
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その1)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その2)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その3)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その4)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その5)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その6)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その7)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その8)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その9)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その10)
【テーマに関連する過去記事】
・毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)
・「信頼できる人ってどんな人ですか?」(読書会での意見交換から考えたコト)
・坦々とやり続けていると後から自分のテーマが見えてくる
・〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)