ユング「易は自ら問いを発する人に対してのみ己自身を開示する」(今日の名言・その79)
2024/06/02
易経は、自らを誇ることもしないが、 決して近づき易いものではない。
それは自然の一部であるかのように、 自分が発見されるまで静かに待っている。
知恵を知ることを愛する人々にとっては、 誠に相応しい書物である。
易は、自ら問いを発する人に対してのみ、 己自身を開示する。
精神的に未熟で遊び半分の人には 易はむかない。
主知主義的で 合理主義的な性格の人にも適さない。
それとは全く逆に、自分の行為や 自分に起こる事柄を熟慮することを好み、 瞑想的で自省的な人々のためにこそ易は役立つ。
思索と行為のための英知を 愛する人々にとってのみ 真実の書となりうるのだ。
※カール・グスタフ・ユング(1875〜1961・スイス生まれの精神科医、心理学者)のことば
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昨日は月初め恒例の投稿記事、
前月5月の易経実践ふりかえりを投稿しましたが、
本日の寺子屋塾ブログも
易経関連の記事になりました。
昨日の記事にも書いたように、
今日は14時から中村教室にて、
第24回易経初級講座があり、
思考モードが易経に向いていたのでしょう。
前回は4/3だったので、
ほぼ2ヶ月ぶりの
今日の名言シリーズになったんですが、
心理学者ユングの易経についての言葉をご紹介。
先月は論語関連の記事ばかり投稿しましたが、
この6月は、
易経関連の記事を
集中的に投稿してみてもいいかなと
おもい始めているところです。
実は、ユングについては、
先月、論語499章1日1章読解の記事が続くなか、
中やすみ的に書いた次の記事、
・論語と易経のつながりに触れて(5/21日筮で火風鼎を得て)
にてユングの話にも触れていましたね。
先月はメインテーマが易経ではなく論語でしたし、
その記事ではユングについては、
詳しく触れなかったんですが、
英訳された易経テキストの序文を
ユングが書いていたという、
ついでのように扱うのは勿体ないくらいの
興味深い話題ではあったんですが。
フロイトの弟子だったユングは、
師と袂を分かち、
「集合的無意識」という概念を打ち出したことは、
その記事で引用した文章中にも
紹介されていましたが、
ユングは、人間の心の中に
普遍的に存在する集合的無意識と
易経のつながりを
模索していたのかもしれません。
つまり、ユングにとって、
易経を読むことや占うこととは、
集合的無意識との対話だったのではないかと。
また、冒頭紹介した
ユングのメッセージの核心部分は
タイトルにも引用した
「自ら問いを発する」という言葉に
集約されていると言ってよいでしょう。
易を立てるときにも、
結局、何を占おうとしているのか、
占的をはっきりさせることがポイントですし、
「聴くこと」「問うこと」の大切さは、
わたしがいつも教室で
繰り返し繰り返し話していることなので、
とくに説明は要らないとはおもいますが、
たとえば、「易による占いがなぜ当たるのか?」
という問いを考えるときには、
ユングの提唱した
「シンクロニシティ(非因果的並行性、共時性)」
という概念との関連性を意識してみると
おもしろいのではないでしょうか。
【最近投稿した「今日の名言」シリーズ】
・栗本慎一郎「ユニークであろうとすればユニークにはなれない」(今日の名言・その76)
・岡田謙三「弱くてはいけない。強くてもいけない。」(今日の名言・その74)
・ドビュッシー『ピアノのための12の練習曲』序文(今日の名言・その71)
・為末大「自分を認められるのは自分しかいません」(今日の名言・その69)
・J.クリシュナムルティ「あなたは世界であり、世界はあなたである」(今日の名言・その68)
・森下典子『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15の幸せ』より(今日の名言・その67)
・ハンナ・アーレント「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です」(今日の名言・その66)
・TVドラマ鈴木先生「体験は人間性を磨く上での貴重な教材だ。」(今日の名言・その65)
・ベートーヴェン「つねに行為の動機のみを重んじて帰着する結果を想うな」(今日の名言・その64)
・スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ」(今日の名言・その63)
・映画『シェルタリング・スカイ』より「満月が昇る姿をあと幾度見るだろう?」(今日の名言・その62)
・映画『マトリックス』より「これは最後のチャンスだ!青い薬を飲むか、赤い薬を飲むか?」(今日の名言・その61)
※(その61)の最後にその60以前の記事一覧を載せています