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独学のすすめ 谷克彦『食と暮らしの技術』より

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独学のすすめ 谷克彦『食と暮らしの技術』より

独学のすすめ 谷克彦『食と暮らしの技術』より

2022/05/20

5/14に、独学の姿勢を身につけること

という記事を書きました。

 

35年以上教育の世界で仕事をしてきたわたしですが、

全生徒の98%が大学進学ルートを選ぶ

全日制普通科高校を卒業したにもかかわらず、

大学へ行かずに社会人になったという経緯もあり、

教育についてのみならず、

ほとんどを独学で積み上げてきました。

 

ピアノについては昨日の記事で書きましたが、

心理学や人類学、歴史学や哲学、

易経、論語、仏教など古典についての学習もそうです。

 

そうしたわたしの独学人生をふりかえってみて、

とても影響を受けた1冊の本、1984年1月初版の

谷克彦『食と暮らしの技術』のことを

今日はご紹介しようとおもい立ちました。

 

生活術の視点をふまえた独学メソッドともいえる

この本と20代半ばというタイミングで出会えたことを

本当にラッキーだったとおもっています。

 

ただ、自然塩復活運動の草分けでもあった

著者の谷さんが、この本を出版された翌年に

脳腫瘍のため48歳の若さで

逝去されたことを知った際はとてもショックを受け、

マクロビオティックの食事法や自然塩も

決して万能では無いということを

肝に銘じ自戒することにもなりました。

 

いずれにしてもこの本が

わたしの人生に欠かすことのできない

貴重な1冊であったことには変わりがありません。


以下は、本書の〝独学のすすめ〟という

副題のつけられた序文の後半部分です。


(引用ここから)

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私が、「独学」にはきっと何か

大きな利点があるに違いないということに、

明らかな解答を得たのは、

大学の高学年になろうとしている頃であった。

 

独学は、精神的にきびしさはあったが、

大きな利点がある。

学校教育のなかで勉強してきた人は、

期末試験を受けて、ある程度の点数が取れれば、

進級してゆける。

そして、次第に高等なところまで昇ってもゆける。

しかし、これでは、基礎に

十分な時間をかけていないので弱い。

 

独学者には、進級試験というものはない。

やさしいところが徹底的によくわからなければ、

次の段階に至ってもまったくわからず、

基礎を理解したうえでなければ高等学問は無理である。

独学者は、 学校教育を受けた者よりも同じ過程に

何倍もの年数をかけて、やっと同等になる。

 

したがって、独学者が学校教育を受けた者に

追い着いたときには、

その基礎の緻密さがはるかに異なっているのだ。

基礎が緻密であれば、はるかに応用がきくのは

当然のことだろう。

 

研究者の道は、創造の道である。

創造には師がなく、闇のなかの手探りに似ている。

独学者は、最初から手探りで進んでゆくのであるから、

一つひとつ物を当ててゆくのには馴れている。

もうひとついえば、発明や発見は、

たくさんの知識の集積だけをもっていても

仕方がなかった。

 

ひとつの研究テーマがあれば、

それに必要な知識は確実に把握しなければならないが、

その研究をこなすのに関係のないものは、

たとえ自分の専門科目でも不必要で、

手を出すべきではない。

 

その代わり、テーマをこなすために欠かせぬ基礎は、

専門であろうとなかろうと、

また得手不得手にも関係なく、

きちんと確実な学習を必要とする。

 

自然界には、専門なんてありえない。

大学のカリキュラムをみれば、

そのほとんどの科目が不必要で、こんな程度の高い、

むずかしいものに時間をかけて勉強する

根拠がわからない。

 

大学生のうちに研究テーマをつかむ人は、

きわめて少ない。だから、大学では、

もっともっと基礎的なものに徹底的に

時間をかけるくらいでよい。

大学教育で得た知識や技術は、

研究テーマが決まったならば、

たいていそのほとんどが、

不必要であることに気がつくはずだ。

 

研究テーマが決まると、そのテーマをこなすに必要な

知識のみを集めてゆく。そこには、専門は関係ない。

つねに、自分固有の判断を交えた確実な知識が

必要となるのだ。書物で読むよりは、

実験でつかむことのほうが基本であり、

確かなことである。

 

不確かなものの上に、不確かなものを積み重ねてゆき、

さらに推論をしてゆくと、

事実から大きくはずれてしまう。そんなところからは、

発明も発見も出てくるわけがない。

確かなものの上に確かなものを積み重ねるのでなくては、

推論もアイデアもあったものではない。

実験は、理論に先行する。

 

現代の学校教育をまともに受けてしまうと、

先入観が強くなり過ぎて、創造性に乏しくなってしまう。

 

私は、恩師からいろいろ学ぶことができた。

その研究には、オリジナリティーがあった。

また、そういう研究テーマにつねに専念されていた。

 

恩師は、「現状の大学教育制度では、

発明、発見の才能は伸びない。しかも、

この制度悪は、社会の要求に支えられているのだ。

したがって、社会が......」という。

 

学校教育制度に、かなり大きな欠点があることは、

私も知っていた。

しかし、学校制度を早急に改めようとしても、

今の私の研究には間に合わないことであった。

他へ責任を転嫁したところで、

問題は解決しないではないか。

二次的、三次的原因は、外にあるかもしれないが、

本質的、根本的な原因は、そのものの内にある。

 

学校教育制度が悪ければ、

どうやって自分はその弊害を逃れるかの方が大切である。

社会が悪ければ、どうやって自分は、

この悪い面の影響を受けないようにするかの方が

大切である。 それは、自分自身の問題なのである。

解決策は、それを踏まえての抜本的なものであろう。

 

私は、高校卒業以来、「自分はどうしたらよいのか?」

「自分の勉強態度はどこが悪いのか?」

「どこをどのように直したらよいのか?」

「自分の生活姿勢のどこが悪いのか?」の

くり返しであった。

 

民間の会社と違って、大学は真理探求の場であると

思っていた私も、大学にはもっと現実的な制約があって、

自由な研究テーマを追求する道は

ほとんどないことを知った。

のちになって考えてみれば、当然のことでもあった。

 

ほんとうにオリジナリティーに富む研究をしたいのなら、

あるいは真理の探求をしたいのなら、

独自の道を歩んでゆくはかはないことを知ったのである。

そこで高校時代の反省のうえに立って、

私は、実質的、実践的なもののみ求めていった。

それは、私自身のためにやってきたにすぎない。

 

谷克彦『食と暮らしの技術 実践健康ノート』

 序——独学のすすめより


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