寺子屋塾

塾生のらくだメソッド学習ふりかえり

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塾生のらくだメソッド学習ふりかえり(Bさん・50代女性)

塾生のらくだメソッド学習ふりかえり(Bさん・50代女性)

2022/09/10

土曜は原則として教室での塾生とのやりとりや、

らくだメソッド関連の記事を書いています。

 

昨年11月から寺子屋塾に入塾されて

学習を始められたAさん(50代・女性)が

プリントを学習した後で

毎日ふりかえりの文章を書かれているんですが、

今年の3月には半月分ずつ9回にわたって

それまでに書かれたふりかえり文を

全部ご紹介したことがありました。

一人ひとり異なる学習プロセスに立ち合うこと を
(その1)として(その9)まであります。


それで、約2年ぶりにらくだメソッドでの学習を

7月下旬から再開された

別の塾生Bさん(50代女性)が、

これを読まれて「わたしも書いてみよう」と

おもわれたようで、

プリントを学習した後で書かれたふりかえり文が

送られてくるようになりました。


今日はその中から、

8月1日から14日までの2週間分を

ご紹介しようとおもいます。


(引用ここから)
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8/1(月)

小5-22 11分34秒 ミス6

今日は直行なので、ゆっくり出勤。
だから、昨日やるお弁当の下拵えを今朝やろうと思ったのだった。
そして、プリントもやろうと思ったのだった。
前回の遅出の時、お弁当を作ってそれからプリントをやろうとしたら、お弁当作りだけで時間がきてしまったので、今朝はプリントから。

2021年にやったプリントではあるが、今回は新しいプリントなので、どれだけかかるか見当がつかない。時間はかけても15分まで、と決めてとりかかる。
11分でできたが、やっていると最後までやりたい気持ちが強くなるのに気付いた。途中でやめるの難しいだろうな。
お弁当作りとかいつもギリギリになるのも同じところに原因がありそう。

そして今日のお弁当は、作ったけれど(時間がなく)詰めるのが雑だった。
いつものように写真を撮ったが、気持ちの荒れが出ていて(丁寧さが抜けていて)、自分としてはざわざわする。

プリントは、前半はすいすいだったが、後半は頭を動かす必要があった。

答え合わせをしたらうっかりミスが多かった。ちゃんと確認をしてたら、問題にぎゅっと入り込んでいたら、間違えなかったのでは?と思われるミス。

約分してないとか、足し算、引き算ミスとか。

 

 

8/2(火)
やっちまったのでありました。

朝起きた時、「今日はいつもの電車で行けない」「プリントはみゅー(※名鉄の特急電車のこと)でやることになる」の思考が持ち上がる。

昨夜会社の近くの花火を見に行ったこと、帰宅後家族で紛失物を探したことが「起きれない」「時間まくれない(てきぱき動けない)」の原因と思われる。

みゅーに乗る時間帯で準備、なんか今日は荷物が少ないなぁと思ったけど、電車に乗った途端、プリントセットを忘れた!!ことに気付く。

昨朝直行だったため家でやったこと、その時昨日の分は終わったから(会社でやらないから)カバンに入れず、そのまま机の上に置いたことを思い出す。
そして今朝はてきぱき脳(いろいろ拾う脳)が閉じていたから、プリントに気付けなかったんだろうなぁ。すぐ隣に置いてあるんだけど。

今後もあり得る事項だと思われる。自分Aが「たまにやりたいと思っていた約分プリントを(忘れた時用に)手帳に挟んでおくのはどう?」と自分Bに問い、「うん、そうする」となる。

「やりたかった」「今やる気あるのに」としくしくするBを「対策を考えることで今後に活かせる経験になるよ」とAが慰める。

そっか、1日やらないと(また)やらなくなるのでは?やりたくなくなるのでは?やらなくてもいい習慣(気持ち)の第一歩になるのでは?ということを恐れているねー。

なら、ここで1日抜けることは、その気持ちへの答えや自信になるのかもしれない。

「帰ってやる」という選択肢もある。
今(朝)はやる気あるのだが、帰宅後にやり(慣れないことをして)明日に疲れをひきずることになったらいやだな、という思いがある。これも恐れだな。

「半分やるでもいいんじゃない?」というA。「やるなら後半がいいかな」というB。さて、どうなるでしょうか。


8/2(昨夜)のらくだはできなかった。
持参するプリントを準備し(毎日分と手帳挟み分)、「最低限のやれることはやりました」と自分を褒めました。

 

 

8/3(水)

小5-22 8分25秒 ミス1
朝起きた時、そのだるさから「今日は(も)みゅー」と思ったのだが、お弁当が簡易だったので(夜翌日の献立を考えるのだが、手の込んだものはムリと思って簡単にしていた)、いつもの電車の時間に準備ができ、いつもの電車に乗れた。

となると、「会社に行って(プリント)するしかないな」と思う自分Bに、「それを望んでるんでしょ」と言う自分A。
「みゅーが良かったなー」と思うBを「そうだねー」と認めているので、(会社に行ったら仕事をしたい気持ちはあるけれど)多分やれるだろうな。

で、やれました。

前回(2020年?)の帯分数の引き算プリントでは、書いてある問題(数字)に斜め線を引いて仮分数にしてから、通分したり、引き算したりしていた(工程をひとつ少なくなるように工夫していた)。

今回は書いてある問題には触らず、プリントの説明通り、イコール後に、通分して、そのまま引き算できない時(足りない時)は仮分数にして、引き算して、約分して、とひとつひとつ書いた(書くことを惜しまないようにした)。

書くことを省略すると、あれやって、これやって、と覚えておかなければならないことが増える。そして計算もしないといけないので、うっかりが出てくる原因のひとつになっていると思う。私のメモリー容量では足りないのだった。
惜しまずひとつずつ書いた方が覚えなくていい分、“その時”の通分や引き算に集中できる。
今回早く合格したのは、書き惜しみしなかったから、な気がする。

しかし時間内にやるためには(例えば約分プリントみたいに)、書くことを省略する(約分の選択肢を増やしインプットする)ことを求められることもある。

その違いはなんだろう。
やっていくとわかっていくのかな。

 

 

8/4(木)
小5-23 16分55秒 ミス2

今日は有料特急でやりました。
まあまあ揺れました。
どこでやったのかを書くのはもうやめようと思っていたけれど、言い訳したくなる字の汚なさです。
そして酔いました。
みゅーだとあまり気にならないけど、有料特急は、前回今回共に酔いました。とても気持ち悪かったので、電車でやりたいという気持ちが薄れました。良かったのかも。

昨日合格したので、今日はお初プリントでした。今まで1枚目はミスが少なく、翌日(2枚目)はミスが増える気がしています。今回(明日)はどうなるか。
1枚目より(少し慣れたはず、学習しているはずの)2枚目のミスが多くなるのはなぜだろう。緊張(気配り・細部まで情報を漏らすまいという気力)がなくなるのが原因かなー。

そして16)5か1/5-3か1/3の次に、17)5か1/5-1/3があるのはなぜだろう。
似通った問題であることに気付くか(気付きなさい)のサイン?

プリントは16分かかり、気持ちも悪くてミス直しができませんでした。のでお昼休憩にミス直しをやりました。できるもんだなー。

 

 

8/5(金)
小5-23 10分31秒 ミス1

朝の会社でやれました。
電車の中から「会社に着いたらこれをやらないと」が頭をぐるぐるしており、仕事をするかプリントをするか迷いました。が、やらないといけないし、やりたいんだけど、いつも仕事をやってプリント時間がなくなっていくんだよねーとプリントを15分間だけすることにしました。
しかし10分経ったところで(あと1段だったけど)もう我慢できなり、中断、答え合わせをして仕事に移りました。

他ごと(仕事)を考えていたのに、思ったより時間は短かったし、ミスも少なかった。なぜだろう。

ミスを直す時間はなく、その後怒涛の1日。昼休憩なし、夕ご飯を食べたのは19時。その後も仕事で今電車(22時半)。もう今日はミスは直せない。(体力がない)

明日、プリントをやる前に今日の間違い直しをしよう。

試験を終えてどうしてもやりたいことはふたつ。ひとつはプリント、もう一つはダイエット。
ダイエットはどこかにお任せしよう(人任せで進めたい)と思っていましたが、プリントに取り組んで、自分であーでもない、こーでもないと自分ごととして主体的に取り組むことが、続けられたり軌道修正できるコツなんだなと思いました。
ダイエットも考えないと。人任せにやってもリバウンドするのが目に見えてきた。

 

 

8/6(土)
小5-23 13分23秒 ミス3

今日は隣から借りてきているのを忘れて、そのまま(引く前)の整数を書き、違う違うと直した問題がいくつかあった。
と思ったら、それ(整数)で一問ミス。ハインリッヒの法則、らくだバージョンだなぁ。

通分する時、分母が大きくなる。そこで隣から借りてくると、分子がデカくなる。計算がやりづらい。
小学生の頃の計算問題はここまで大きな数にならなかった気がする。でも大きい数の計算になる場合もそりゃあるよな、と思う。
小学生の時は、小学生用に、計算がやりやすいように考えられていたんだなと思う。
相手(周り)に気遣われていること・時はそれが“当たり前”であって、その気遣いに気付かないもの。

先日、あきのすけさんに感想文を紹介してもいいですか?と聞かれ、「はい」と答えた。

その翌日?、寺子屋ブログで「誰に向けて書いているか?」の記事を読み、あきのすけさんに向けて“書いている”ことに気付いた。

あきのすけさんだったら、なんでも書いていい(曲解されることが少ない)(どういうことを言いたいのか行間を読んでくれる)と思っている。

つらつらと思いのままを書いているが、よそさまが読む可能性があると思うと、“自慢”と受け止められるかもしれないことは書かない方がいいのだろうと思いをめぐらせた。家族から「家ではいいけど、人前では言っちゃダメ」とかちょくちょく注意を受けるので、気を付けたいと思っている。が、その感覚がどうも人と少し違うらしい。
自分では自慢するつもりはないけど。(いや、多少ある?これできるようになったとか、ここ進歩したとか、うれしーと言いたい時ある。それを自慢と言うのか?)
そして要らぬ誤解を招かないように『話さない』を選択する。
伝わる人にだけ伝わればいいと開き直るべきだろうか。
美学はみんな違う。
フェイスブックの文章を読んで、会いたくなる人と離れたくなる人がいる。
そーゆーことなんだろうな。

 


8/7(日)
小5-23 13分55秒 ミス0

今日は寺子屋でやった。
合格できてしまった。すらすらではない。もう少しやりたい気もするが一歩進もう。

どこかで書いたかもしれないが、小5-23プリントから、書いてある問題に斜め線を引いて通分している。

 

(2枚目)
小4-41 8分11秒 ミス2

その後何やろうかなと考え、土日にやりたいと思っていた約分プリントをやる。

思ったより解ける。
と思ったらミス2問。
約分しきれていない。
よくしていたミスだ。

その後何やろうかなと思い、未来デザイン考程をやるには時間がないかな、とすると帰るか、帰ったら家仕事がどどーんと待っている。
試験終わったら余裕時間を作ろうと思っていたのになー(この詰め込み具合は何)

「何もやらない、をするのはどう?」と自分に対して聞いてみる。

 

 

8/8(月)
小5-24 17分1秒 ミス5

(いつものように)思考はぐるぐるしていたが、問題を解いて答え合わせをしたところで降車の時間だった。
(会社ではできなかったため)帰宅後にミスの直しをやった。感想で何を書こうとしていたか、時間が経つと忘れてしまった。

思い出したー。
電車の中でどうしたら酔わないか、
どういう時に酔うのか、
を観察したいと思ったんだった。

鳥の目虫の目ができていない時に通分発想が湧かないとか。

そして帰宅後にミス直しをする自分をえらいとしか言いようがない、と思って寝た。

 

 

8/9(火)
小5-24 15分42秒 ミス1

『電車の中でどうしたら酔わないか、どういう時に酔うのか』を観察してみると、揺れることが原因というより、
文字を書くために揺れないように肩に力を入れており、揺れに抗うと酔う、という仮説が出てきた。
検証してみます。

そして、プリント2枚(やるようと答え合わせ用)、土日用の約分プリント1枚、忘れた時用の約分プリント1枚(手帳挟み)、計4枚を持ち歩いている自分を眺め、「こうやって荷物が多くなるんだなぁ」とため息。荷物が多いのは構わないが、重過ぎると思うことはたまにある。

今回のプリント、行頭の問題の解答すべて分子が1になる。
なぜ?
何かを示唆?
練習?
各行の何かに役立っているのだろうか?
と疑問だったが、解決しないまま合格してしまった。
少しもやもやがあっても次へ進む練習をしているから進もうと思うが、
なんだったんだろう?

昨夕の会社のミーティングは、『残業をどう減らすか』がテーマだった。ムリと思う自分がいて、あまり本腰を入れて参加してなかった気がする。

残業を減らそうと言うなら、「各人がちょっとしたこと(でもやらないとどこかで支障が出ること)を忘れずやって」と思う自分がいる。ちょろっと仕事の積み重ねが残業につながっている部分はあると思っている。
そしてそれを言えない自分もいる。
支障(ハプニング)が起きても臨機応変に対応できる人は日々の雑務にモレがあってもかまわないんだろうなぁとか、相手は雑務が苦手だからそこを言ってもね(弱い部分を指摘したくない)とか。

テーマがないからやれないと言っていた未来デザイン考程、前回、寺子屋を帰る時に『隙間時間を作る』『余白のある生活をする』のテーマでやりたいと思えてきた。
残業をなくす、減らす、はつながると思うので、(ムリじゃなくて)身を入れて付き合った方がよい。

 

 

8/10(水)
小5-25 11分56秒 ミス3

会社でやれた。
最初は足し算引き算が交互にあるが思ったより簡単とやっていたが、ラスト2段で難しそうと諦め、そこで終わりとした。
定時より早く帰ったので、その後直しができそうなものだったが、ぐだぐだしたい感を優先して直しは明日とした。(この感想も翌日書いている)

時間がない時のほうが「やれる時にやらないと」とやれるのは不思議。
時間がある時もない時もやるのが“毎日コツコツ””習慣化”なんだなー。

 

 

8/11(木)
小5-25 24分41秒 ミス3

ラスト2段は想定通り(というか想定以上に)難しかった。
168÷9の問題で、いくつを立てればいいんだろう?18かな?と思った時に、18×9をやって、162だからOK、そこから168-162とやっていた。
その後何問かをその方法で解き、いくつを立てるかの発想ができないとやれない→発想ができないんだけどどうする→他のやり方はないのか?となって、236÷16をしてみたら、14あまり12となった。…最初に「立てる数の発想」が出なくてもできるじゃんかー、そう言えば小学生の時はこうやってた気がする。いろいろ忘れている算数である。

としても時間かかり過ぎ。しばらくこのプリントをすることになるだろう。

 

 

8/12(金)
小5-25 17分くらい ミス3

ケータイのタイマーを途中で止めてしまったらしい。
何時から始めたのかは見ていたので、だいたい17分くらいです。

ラスト2段、計算式を書きたいが余白が少ないと思い、プリントを折り曲げて裏の余白を使った。やりやすい。この方法良い。

昼休憩は直しの存在を忘れており、帰宅後は家族の話を聞いていてできなかった。(翌日に直しをした。感想も翌日書いている)
家でやる時、プリントを出して勉強するぞモードを醸し出せば相手が引くのはわかっているけれど、家族のなんでもない話を聞くのも大事(自分の役割)なんだよねと思う。
が、直しもやりたいんだよねー。
やはり早く帰ることが解決策なんだよなー。

 


8/13(土)
小5-25 14分41秒 ミス1

やはり家らくだはやりやすい。揺れないし、始業時間まであと何分のプレッシャーもない。

(そして揺れないと書きやすく、字が歪まず、思考も集中しやすいので、「電車でやれます」は多分強がり。)

現らくだ人(プリントをやっている人)は全国で何百人かいるだろうが(何千人ではない気がする)、やる時間の選択肢をみゅーにしているひとは少数派だろうなぁ。

しかし、(※寺子屋塾の)らくだ人は大人が多いらしいし、中高年は時間をお金で買う時期だとどこかで読んだし、きっとどこかにみゅーらくだもいるはず。会えたらお互いニヤリだな。

(『選択の科学』に、人と違う自分を見出したいと思うのがフツーみたいなことが書いてあったような。(本の内容を確認しようとしたが、会社に置きっぱなしのようで手元にない))

プリント中「鳥の目虫の目になって通分や約分をするのを楽しむ」のを意識すると、立てる数の発想が湧きやすく間違えにくい。

発想が湧かなくても、何度もやり直して、解き方(約分や通分・なんなら答えも)を覚えればいいと思ってやっている。繰り返せば自然と頭に入る。
前は「早く進まないと(そして覚えちゃいけない)」の(自分作成)囲いがあった。高いハードルを自分に課していたなぁ。
そりゃやりたくなくなるわ、、

 


8/14(日)
小6-1 6分22秒 ミス2

ミス①問題45
92÷21
よくやる間違い(書く数字と頭の中の計算中に出てきた数字を間違えて書いてしまう)

ミス②問題30
59×59
これは慢心。
9×59をやって、その後5×59をしないといけないのに、9×59じゃんの思い込みから計算をせず、そのまま書いて間違えた。
丁寧さがウリじゃなかったんかいと自分にツッコミ。

 

(2枚目)
小4-41 9分41秒 ミス3

1枚目が早く終わり、やりたい気持ちがあり始めたのに、やり始めた途端、“飽きた”と思った。
鳥の目虫の目になろうとしてもなれず、もう何度も同じ問題を解いているのに、約分の数が出てこない。

ああこれが調子が悪い(いつもと違う)ということかーと思う。
なるほどねー。同じプリントだから気づいた。

問題97
65/78
これが一番苦手なやつ。この答えがすっと出ると調子が良い、出ないと調子が悪い。

ーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)
 

セルフラーニングの大事な要素の一つに、

「自己内対話」があるんですが、8/2〜8/3に

自分A、自分Bと二者になぞらえて

書かれている部分などはまさにそれですね。

 

どちらかがどちらかをねじ伏せてしまったり、

言い訳をすることで済ませてしまうのでなく、

二者間でいかに折り合いをつけるかが

大事なんですが。

 

また、らくだメソッドを開発された平井雷太さんが、

この学習について、

「〝算数を学ぶ〟から〝算数で学ぶ〟へ」

と表現されていたことがあるんですが、

Bさんのふりかえり文は、

そのことがとてもよくわかる内容だとおもいました。

 

つまり、わたしたちは何か問題が起きたときに、

すぐに「どうしたらいいか」と考えてしまうことなど、

その問題自体に、そして

その問題を解決することばかりにフォーカスしすぎて、

自分の置かれている現状を観察したり、

自分の今の状態を意識したりすることが

おろそかになってしまうことがあります。

 

もちろん、算数の問題を解いているわけですから、

「問題が解けるようになる」ことを意識するのが

当然じゃないかとおもわれる方が

いらっしゃることでしょう。

 

でも、よく考えてみてください!

 

問題を解いている状態にある人は、

その時点においては、

自分が問題が解けるようになった状態を

まだ体験していないわけですから、

「解けるようになった状態」が、

具体的にイメージできていることが

現実にはあまりありません。

 

もし、目指しているものが、

自分で勝手につくりあげた幻想であり、

妄想イメージでしかないのであるなら、

そうした幻想や妄想や目指そうとする姿勢は、

結果として無いものねだりに

なってしまいかねないわけです。

 

佐藤学さんの、学力についての名言をご紹介した

こちらの記事に書いたことにもつながるんですが、

つまり、わたしたちはごく普通に、

「算数を学ぶ」という言い方をしていても、

実は、問題を解くこと自体が最終目的ではないし、

学力はあくまで一つの〝手段〟にすぎなくて、

また、「算数」というのも抽象的な概念ですから、

算数そのもの「を」学んでいるというよりは、

算数を通じて、別の何かを学んでいるんですよね。

 

Bさんのふりかえり文のなかには、

算数の問題を具体的にどのように解いたのか、

触れている部分もあるんですが、

問題を解くことだけにとどまっていなくて、

Bさんがそのプリントとどのように対峙しているかが

言語化されています。

 

つまり、1日のなかに「プリントを学習する」という

行為が存在することによって、

Bさんの生活や仕事の様子までが

鏡のようにそこに映し出されてきますから、

まさに、〝算数を学ぶ〟ではなく、

〝算数で学ぶ〟になっているということが

とてもよくわかるふりかえり文だったと

そんなふうに感じた次第です。

 

 

コメントしたいことはまだ他にもあるんですが、

とりわけ、8/6の後半部に書かれている、

「自分が伝えたいこと」と

「まわりに実際に伝わること」との

ズレという問題については、

それだけでタイヘン大きなテーマでもあり、

またいずれ、日を改めてということで。

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