改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その19)
2023/06/24
昨日投稿した記事の続きです。
改めて、「書くこと」と「教えない教育」の
関係を明らかにする というテーマを設定し
書き始めたこの記事も、
回を重ねて19回目となりました。
したがって、いきなりこの記事から読まれても
前提となっている話や
これまでのプロセスがある程度見えないと、
主旨が伝わりにくいかもしれないので、
未読記事のある方は、
この記事の最後に記した
関連記事リンク集から
適宜アクセス下さるとありがたいです。
さて、6/18に投稿した(その13)からは、
寺子屋塾で学んでいる大人の塾生たちが書いている
blog記事を紹介しながら
その書かれた記事を手がかりに、
わたし自身のコメントも書いてきました。
塾生たちの記事については、
もうすこし書きたいことがあるのですが、
それを書く前に書いておきたい記事が
いくつかあるので
それはもうすこし先にしようとおもいます。
今日は昼間に中村教室で
インタビューゲーム4時間セッションがあり、
プログラムのなかで、
インタビューのまとめを書くプロセスは
まさに、考現学そのものだと気付いて、
平井雷太さんが
松岡正剛事務所のニュースレター
〝一到半巡通信〟用に書かれた記事内容が
おもいだされたので
それをご紹介しようとおもいます。
(引用ここから)
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松岡さんは私にとっての「教えない教育」 の先生でした
教育に関心を持って28年になりますが、20年前に松岡さんと出会って刺激を受けて、学校のなかに「編集、インタビュー、赤入れ」という概念が入るだけで学校は随分と開かれていくと思ったのですが、松岡さんからインタビューを学んだプロセスで、私のなかに「教えない教育」が生まれたことについて書いてみたいと思います。
いまから18年前、工作舎をやめたばかりの松岡さんに、「教育批判をしない」をコンセプトにした隔月刊誌『こどもの季節』の制作を協力してもらったことがありました。 そのとき、松岡さんから、「雑誌の表2と3にできるだけ多くの人に登場してもらってはどうだろうか?毎号、100人にインタビューしてみないか?」と提案され、やってみました。このときが私にとってはじめてのインタビュー体験であったにもかかわらず、それなりにできたのです。インタビューしたことで、聞く相手によってさまざまな自分がでてきて、固定観念が壊れていく体験をしながら、自分のアイデンティティが次第に消えていきました。
その後、インタビューが「押しつけない、命令しない、強制しない」指導を実践していく上で、子どもを先入観で見ない、子どもとのコミュニケーション力を高めるためにも重要な要素になっていることに気付いて、「インタビューを教える講座」を行ったのですが、そのやり方では、インタビューは伝わりませんでした。インタビューを教えれば教えるほど、自分には向いていない、自分にはできないと決めてしまう人が結構いるのです。そこで、松岡さんが私にしたことを思い出し、教えなくても、誰でもできてしまうシステムとして生まれたのが、「インタビューゲーム」でした。
できるできないを考えず、できた結果を評価せず、まずやってみれば、インタビューは誰でもできることが体験できます。松岡さんが私にインタビューを教えてくれなかったからこそ、私は最初からそれなりにインタビューができてしまったのだと、18年経過してみてそのときの意味がやっと見えてきたのでした。そして、「教えない教育って何ですか?」の問いに、「それは、わからないことをわからないまま学ぶ教育です」と答えられるようになったのも、松岡さんから、わからないまま、とりあえずやってみることを体験するチャンスをたびたびいただいていたからだと思いました。松岡さんは私にとって、「教えない教育」 の先生であったのです。
※一到半巡通信No.57(2000年9月)より
雑誌『こどもの季節』創刊号と第2号の表紙
表2と表3のインタビュー記事
インタビュー記事の拡大
続きはまた明日!
【関連記事】
・ブレヒト『真実を書く際の5つの困難』より(今日の名言・その60)
・改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)
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