寺子屋塾

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』②

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甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』②

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』②

2023/07/24

昨日の記事の続きになるので②としました。

 

冒頭の写真は、

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』

裏表紙の帯です。

 

「人間が生きているとはどういうことか?」

あなたはこれまでにこのような問いを立てて

考えたコトがありましたか?

 

タイトルの「身体は考える」って

ヘンな言葉だなぁとおもわれるかもしれません。

 

でも、アタマよりも身体のほうが賢いのです。

 

5日前に投稿した記事

事実を柔らかく受け止められる心はどうしたら育つ?(その3)
 

 アタマ → 身体 

という順序で行っているのはわずかでしかなく

 身体 → アタマ

と言う順序がほとんどなのですが、

この認識が逆転してしまっているんですね。

 

と書いたんですが、覚えていますか?

 

動物の進化を考えても、大脳というのは

一番後から発達してきたわけで、

たとえば、ミミズとかクラゲとか、

脳が無い動物と言われていても

ちゃんと生きてますよね?

 

以前、単細胞生物の粘菌にも

すごい知性があるってことを、

仏教の話と絡めつつ次の記事に書きました。

原生的疎外・・すべての生物がもつイノチの力について

 

つまり身体の方が親で、

アタマの方が子のはずなんですが、

何故か人間には、アタマが親だとおもっている人が

少なくないように感じるんですが。。。

 

 

さて、引き続き本書を読み進めているんですが、

73ページから76ページに

まさに、寺子屋塾で実践している

らくだメソッドのセルフラーニングに

直結する話が登場していたので、

今日は「自分でやる」「存在価値」をご紹介!

 

(引用ここから)

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自分でやる

見回せば、「この世界」という最高に優秀な「教育者」に我々は囲まれている。
にもかかわらず、「大人の了見」で余計な事をしようとしてしまう。
それが、「教育」というものの根本的な問題だと私は考えます。


「この世界の地図」を「この世界」のまま、この世界として、作ってもらう。
そのために最も手っ取り早いのが、「この世界」を体験してもらう事です。


自分の手で「やる」事により、この世界の面白さ素晴らしさを、「失敗する」事により、世界の「厳しさ」を、自ら学ぶことができるのです。

無闇に褒め、与えるだけではこの世界そのものが自分自身を「甘やかしてくれるもの」だと誤解します。
無闇に叱るだけではこの世界を「敵」とみなします。
大人の「常識」「価値観」に適う行為だけを褒め、背いた時に叱るようにすると、顔色をうかがい、媚びへつらう人間に育ちます。「叱られなければいいんだ」と表面だけそれらしく振る舞い、裏表のある人間になります。

これらはどれも、「作り物」の価値観であり、「加工された世界」だからです。

つまり、問題はそれほど難解でも複雑怪奇でもなく、できるだけ「早い段階」から、できるだけ「自分自身」でやらせ、考えるようにさせれば良いだけです。

 

自分自身で洋服を着替えさせ、食事の片づけをさせ、海で泳がせ、野山を走らせる。

弟妹が生まれたら積極的に「子育て」に参加させ、もう少し成長してきたらガス代の振り込みや携帯電話の手続きを頼んでみる。


「厳しい」は「作為的」で「加工品」ですが、「自ら選んだ失敗は、「この世界」そのものに無加工で無作為なまま「厳しい躾」をしてもらえます。

そうして「自分の力」でやり遂げた喜びは、どんな大人の褒め言葉や「ご褒美」よりも、「生きる糧」となります。

 

存在価値

子育てを複雑にしているのは、いつでも「余計なこと」をしたくなる大人です。

その中には、自分の存在価値を「確認したい」「証明したい」という欲望も隠れています。
過剰に口出しをするスポーツコーチや会社の上司なども同じ心理です。

 

しかし、「人を育てる」という事の本質は「自分の存在価値を無くしていく行為」です。
人を育てる事の最終目標は育てた相手を「一人前」にする事であり、一人前とは「自分がいなくとも一人でやっていける人間」です。

つまり、「自分がいなくても良い」状況に持って行く=「自分の存在価値を無くす」事なのです。


しかし、多くの大人、上司はこれと逆行する事をやってしまいます。

自分に「依存させる」方向に育ててしまうのです。

こちらの言う通りにやらせていれば、確かに想定内の成果は上がり続ける

しかし、自分がいなくなったら何もできない。
そんな「でくのぼう」のような存在に作り上げようとします。
現代社会は、そうした「でくのぼう量産工場」のようになっています。


政府は国民に依存させ、
親は子に依存させ、
夫(妻)は妻(夫)に依存させ、
教師は生徒に依存させ、
上司は部下に依存させ、
コーチは練習生に依存させ、
師匠は弟子に依存させ、
教祖は信者に依存させ、
医者は、患者に依存させる。


なぜなら「依存させる」は、システムにさえ乗せてしまえば、ろくに考えずとも「それなりの」成果を上げさせる事ができるからです。

また、練習生や患者が依存してくれれば自分の元を離れずに、繰り返しお金を払ってくれるので、「商売」にもなりやすい。


「権力者」からしたら依存をさせておけば思い通りにコントロールできます。

これらを、一定の自覚と悪意をもって積極的に行なっている人は、ろくでもないですが、まだましです。

さらに問題なのは、「無自覚」に「善意を持って」行なっている場合です。

 

相手にとって良くない事はどこか気付いていながらも、自分の中では「無いこと」にし、「相手のため」と自分に都合よく事実を「書き換え」ながら実行している。

こうしたある種の「自己洗脳」は、形を変えながら誰しも行なっている事です。

特にたちが悪いのは、親や導く立場の人間が、自分の「存在意義」を保つために、我が子や教え子を「不完全」で居続けるよう、無意識に仕向けてしまっているケースです。

 

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』より

 

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