「分かってから、聴こえる」とは?──長男の書いたブログ記事を読んで(その2)
2026/06/07
昨日投稿した記事の続きです。
長男の書いたブログ記事の紹介は、
当初、昨日の記事1回で終えるつもりでした。
それが、6/1にnoteに3本目の記事として、
わたし自身も少なからず関係している
ピアノ演奏やDJなど、
音楽に関わる話をアップしていたのです。
フォローしてくださった方には、
新しい記事がアップされれば
更新情報が届きますが、
皆さんそうされるわけではないでしょうから、
このタイミングで紹介しておこうと。
3本目の記事も、
昨日紹介した自己紹介記事に
負けない程の長文ではありますが、
親のわたし自身にも少なからず発見があって、
読み応えのある内容でした。
まずは読んでみてください。
分かってから、聴こえる―― 重度難聴の私がピアノとDJで見つけた「もう一つの音楽」

いかがでしたか?
記事の冒頭にもあったように、
重度難聴当事者の長男ですから、
音楽のことを話すと、
「え?難聴なのにピアノを弾くの?」
「DJもやってるの?」と、
多くの人が驚くようです。
でも、記事を読んでみると分かりますが、
本人は〝美談〟を書いているつもりは
ほとんどありません。
淡々と、かなり理詰めで、
「自分の聴覚では音楽がどう届くか」を観察し、
そこから「自分なりのやり方」を
組み立てているんですね。
このプロセスは自己観察抜きには成立せず、
まさに、セルフラーニングのアプローチです。
前記したように、
長男の記事文全体の分量は多めであっても、
内容別に章立てされ、
とても分かりやすく構成されているので、
読みにくくはなかったことでしょう。
とくに最後の「第5章 音楽を理解するとは何か」に
彼が伝えたいことの要点は
ほぼ集約されていました。
わたしが長男の記事に関して書きたい内容の核心は
昨日の記事に書きましたし、
今日シェアしたこの記事の記事について、
わたしの説明が必要なことや、
付け加えたいことはほぼありません。
よって、わたしが書いておきたいとおもったことは、
以下の3点です。
(1)記事に関係する動画を3本紹介
(2)健聴者基準を外すと可能性が見えてくる
(3)個人技に終わらせない「場の設計」へ
順番に書いていきますね。
(1)記事に関係する動画を3本紹介
文章を読んで「なるほど」とおもうのも大事ですが、
こういう話は、やっぱり映像があると
〝リアリティ〟が感じられるでしょうから。
①ピアノを弾き始めるきっかけとなったセッション
2013.8.8収録
・Charls Gounod : Ave Maria(John Gibby Huynh + Akio Inoue)
大学1年の夏休み、ホームステイで来ていた
ヴェトナム系アメリカ人の留学生と、
送別パーティーでセッションしたときの動画。
さいごのコーダでちょっとミスしているものの、
わずか1〜2週間の練習期間、
ほぼぶっつけ本番という状況で合わせて
最後まで止まらずに弾けたことに
何よりもビックリ!でした。
完成度がどうこう以前に、
「場に出た」「人前でやってみた」
「人と合わせた」という、
学びの始まりに必要なものが
ほぼ網羅されていると言ってよいでしょう。
②1年後の到達点(坂本龍一を弾く)
2014.7.20収録
・坂本龍一「Merry Christmas Mr.Lawrence」

つぎは、ピアノを本格的に練習し始めて
1年経過した時点の動画です。
この頃長男は、ほぼ毎日ピアノに触れてましたから
「聴こえの条件」が変わったからできた
というより、理解と反復練習で、
ちゃんと積み上がっているようすが
感じ取れるのではないでしょうか。
この〝1年〟という時間の使い方は、
学習として見ても示唆が多いようにおもいます。
③補聴器ユーザーとして公の場で話す(パネル登壇)
2020.9.6収録
この動画は、音楽とは直接関わりありませんが、
補聴器メーカーの企画したイベントのパネル討論会に、
スーパーユーザーの一人として登壇した動画です。
補聴器や文字起こしAIって、
時々「頼っていいの?」「ズルじゃないの?」と
言われることがあります。
眼鏡をかけるのがズルじゃないのと同じで、
道具は大切な生活インフラです。
北欧デンマークに本社がある外資系企業。
耳の聞こえを改善する発想でなく、
脳にダイレクトに信号として伝達する
考え方のもとに製品開発されています。
長男も子どもの頃に使っていた補聴器と比べると
オーティコンの製品は自分の脳にフィットしていて
疲れにくいと話していました。
本人の力が充分発揮できるかどうかについては、
必要な道具が整うということもまた
大切な条件ですからね。
(2)健聴者基準を外すと可能性が見えてくる
今日の記事の本題はここです。
運用のやり方は一通りでなく、
個別に異なるのが普通です。
健聴者を基準にしたり比較したりしなければ、
聞こえにくいからといって、
音楽を楽しめなかったり
理解できなかったりすることはありません。
すべて自分次第だと発想を切り替え
自分の特性を自分で把握できれば、
別のやり方、別の可能性が見えてくるわけで。
わたしが、長男の記事を面白く感じたのは、
まさにそれを「頑張り」「気合い」でなく
「経路の設計」として書いているところです。
たいていの人は、音楽って耳で聴くものだと
おもわれていることでしょう。
健聴者であるわたしも過去においてはそうでした。
でも実際は、長男が書いているとおり、
視覚(楽譜や波形)、身体感覚(指の形や振動)、
知識、反復、記憶というように、
聴覚だけにフォーカスすることを止めれば、
いろんな経路で立ち上がってきます。
つまり、音楽の理解は、
耳を経由するルートひとつだけじゃない。
で、これって音楽に限らなくて、
たとえば、勉強することだってそうですよね。
「読むのが苦手」「書くのが遅い」「集中が続かない」
そういう子がいたときに、
ついわたしたちは「平均」や「標準」を基準にして
点数をつけ評価したり、
人と人とを比較したりしてしまいます。
基準を置いた瞬間、
「できる」「できない」から話が始まって
息苦しくなってしまう。
でも、外側に基準や比較を置かずに、
仕組みや法則を理解し、
自分の特性から出発して
「どうしたら成立するか」を考えてみる。
つまり、「できない理由探し」を止めて
〝成立する条件探し〟から始めてみる。
どんなに行き詰まった状態に
追い込まれたとしても、
視点がここに切り替わった瞬間、
おそらく、子どもは息ができるようになるし、
大人もできることが見えてくるのではないでしょうか。
(3)個人技で終わらせない「場の設計」へ
そして最後に、もう一つだけ。
長男のとりくみは、
親としての贔屓目を除いて
重度難聴の当事者として客観的に見て
本当にみごとな実践と言ってよいでしょう。
でも、だからといって、
「本人が頑張ったからできた」という話には
着地させたくないとおもうんです。
結局、「本人が頑張ったからできたんだ」と
結論づけてしまうと、
じゃあ頑張れない人はどうなるのか?
頑張る前に折れてしまう人はどうするのか?と
個々の努力や能力の問題に
還元されてしまいかねません。
だからこそ、長男の実践している工夫を
〝個人技〟だけで終わらせず、
だれもがアプローチができるように
場の側(社会環境・教育制度)の設計に返して
反映させていく姿勢が大切なのではないかと。
たとえば、視覚化できるものは
要点メモ、手順、見取り図など
積極的に視覚化して
事前に情報を共有できる形にするとか、
録音、録画、振り返りといった手段で
後追い確認ができるようにするなど、
場の側にもできることがいろいろあるはずです。
合理的配慮というと、
「特別扱い」みたいに誤解されがちなんですが、
昨日の記事にも書いたように、
わたしは長男を特別扱いしようと
おもったことはありません。
障害の有る無しに関係なく、
一人ひとりが持っている力を
誰もがそのまま発揮できるために
インフラを整備していくと捉える姿勢が
何よりも大切なんじゃないかと感じました。
そういう意味でも、重度難聴者という
マイノリティの立場にある長男が
積極的にこのような文章をブログで書き
情報を広く発信していくことは
とても大切な姿勢で、引き続き
これからも応援していきたいとおもっています。
それで、この記事を読まれた
皆さんへのお願いですが、
もしまわりに重度難聴の当事者や家族の方が
いらっしゃるようなら、
長男のアカウントや書いた記事を
是非シェアしてください。
どうぞ宜しくお願いします。<(_ _)>




