「〝教えない〟性教育」考(その19)
2023/11/24
11/6より教えない性教育をテーマに
記事を書き始め、本日分が19回目となりました。
(その5)からは、
〝教えない性教育〟を実践しようとする際に
わたしが推薦するに値すると考える
参考図書などの情報素材を紹介しています。
未読記事がある方は、この記事の末尾に付けた
過去記事や参考記事のリストを
適宜参照の上で以下の記事をご覧ください。
『性迷宮 身体に聞いたSEX学』の序章を
また、一昨日11/22投稿した(その17)では、
生物学者である団まりなさんの
そして、昨日11/23投稿した(その18)では、
感染症専門医の岩田健太郎さんが書かれた
『感染症医が教える性の話』を紹介しました。
岩田さんが上梓されている本の数は膨大で、
『感染症医が教える性の話』以外にも
数冊読みましたが、
「教えない性教育」というテーマに付随する
オススメの本をあと2冊だけ挙げるとするなら、
とくに右側の『主体性は教えられるか』の方は、
わたしが最初に読んだ岩田さんの本だったこと、
そして、寺子屋塾のセルフラーニングに
直結するテーマだったこともあり、
共感する箇所が多かったことを付け加えておきます。
岩田さんのblogは次のアドレスからどうぞ!
さて、本日紹介する書籍なんですが、
岩田さんと同じ西洋医学の医師で
解剖学、発生学が専門の三木成夫さんの
『内臓とこころ』を取りあげました。
三木成夫さんの本は、読書会つんどくらぶでも
取りあげたことがありましたし、
以前この寺子屋塾blogで紹介したこともあるので
記憶されている方がいらっしゃるかとおもいます。
今日は、前記の記事で取りあげた箇所より
ちょっと前のところにある
「食と性」「生命と宇宙リズム」という
見出しがつけられた箇所をご紹介しようかと。
(引用ここから)
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食と性
つまり動物というものは、子どもを生む場所と、餌をとる場所と、はっきり分かれているんです。生まれてからの前半生を、ずっと餌場で過ごして、ここで大きくなり、ある一定の時期がきたら、突如として、その生命形態を変える。それまでは、ただ 〝食べる〟だけが楽しみだったのが、もうそれからあとは、飲まず食わずで、生まれ故郷へ子どもを作るために、死を賭して還ってゆくのです。 そして、次代がふたたび餌場へ向かう.....。まことに壮大な往復運動です。鳥の渡りも、これですね。あの渡り鳥が、夏になると北上して子どもを生む。冬がくると餌を食べに南下する........。こうなりますと、一種の振子運動ですね。 それも、 地球的な規模の振子運動です。しかも、その振りのリズムは、地軸の振りと一致している。
これで皆さんおわかりでしょう。動物は「食」の生活と「性」の生活をはっきりと分けている。私ども人間は、とくに男性はもう〝食い気〟も〝色気〟も、ごっちゃ混ぜ(爆笑)ですから、こういった分け方は、まったく理解できない。しかし、生命の流れというものは、ちゃんと「食の相」「性の相」に分かれているんです。しかも、その位相は、自分勝手なものではない。ちゃんと季節の流れに乗って、交代してゆくのです。
ところで、この模様は、なにも鮭の産卵や鳥の渡りをわざわざ見にいかなくてもいい。じつは、植物の世界で理想的なすがたが見られるのです。田んぼに出て、あのイネの育ちを見れば充分です。春がきたら苗床から、芽が吹き出してくる。それから、夏に向かって葉っぱを茂らせて大きくなってゆく。「成長繁茂」の相です。やがて夏至が過ぎて日が短くなってゆくと、そこでポイントが完全に切り換えられる。つまり個体の維持から種族の保存に向かって、いわば生きざまが変わってしまう。あの秋の黄金の波。それは「開花結実」の相です。
植物というのは、このようにして「食と性」の位相交代を居ながらにしてやっている。動物がこの「二つの場」を往ったり来たりするのと対照的ですね。まさに生まれ故郷に根を生やしたまま、そこで、二つの生活相を交互に演じてみせる。太陽の高さと歩調を合わせながら......。もちろん、これは一年生草本で理想的なかたちが見られますが、多年生草本でも原理はまったく同じです。
このことは、もう皆さん方もご存じでしょう。植物には「独立栄養」すなわち「光合成」の能力があるので、動物のように人さまのものを横取りする必要がない。いいかえれば動物がその日その日の糧を求めて、草食・肉食の別なく、あちこちさまようように、自分のからだを移動させる必要がまったくない。このため植物のからだには「感覚・運動」にたずさわる器官が、もう最初から完全に欠如しているのです。
植物の本来の姿は、このことを抜きに考えることができない。と申しますのは、私たち人間も動物と同じですが、この「感覚・運動」のしくみを持っているために、どれほど目先の変化に振り廻されているか・・・・・・これまでいやというほどご経験されてきたと思います。このことを裏返しますと、植物の世界にはまったくこれがない。山火事がやってきても平然と植わっているし、柿泥棒が登ってきても知らん顔している。 ではいったいなにをやっているのか・・・・・・それはまことに明瞭です。つまり、ここで問題にしている「宇宙リズム」とのハーモニーに、まさに全身全霊を捧げ尽くしている、ということになるわけです。そのからだは、いってみれば天地を結ぶ巨大な循環路の毛細血管にたとえられる............。こうして「食と性」のリズムが、宇宙リズムと完全に一致するようにできているの が、植物の本来の姿であることがわかったのですが、私どもは、この宇宙的な生のリズムを「生の波動」と呼んでいるのです。
ところで皆さん、いま、ちょうど南下を続けている”モミジ前線”ですね......。これと、あの春になって北上してくる“サクラ前線” この二つの往き来の姿が、私は、この「生命の波動」の、もっとも純粋なものだと思っています。いま申しました、宇宙リズムと生の波が、ここでは完全に一致している。植物というものは、さきほどの魚や鳥のような振子運動はいたしません。居ながらにして、あの電光掲示板のように、二つの前線を交互に移動させながら“宇宙の調べに参加する。それは、なにか天体の音楽を連想させます。
このように植物の生命は、天体運行の、あの厳しい枠のなかに完全に組み込まれているといった感じですが、しかしこの関係は、もちろん動物でも見られる。釣りの餌のゴカイの類がそれです。東京湾のは、年に一ぺんの日どりがちゃんときまってます。満月の晩か、そのつぎの晩か忘れましたが、海底の砂のなかから出てきて、雄と雌が一世一代の大フェスティバルを繰り広げる。東京湾の海面に全ゴカイが上がってくるわけです。そこでかれらは、体の一部卵巣と精巣を切り離し、それを接合させるわけですが、その晩、ハゼはゴカイをたらふく食べますので、翌日は餌を見るのもいやで、つぎの日のハゼ釣りは船を出さないことになっております。それから南洋のサモア群島のゴカイの一種は、10月の満月の前日と、11月の満月の前日と、年に2へんやるらしい。それで土人たちは暦を作る。それぐらいはっきりしているんです。
これは、身近の動物を見ていてもわかる。うちに昔ペチャコというネコがいました (笑声)。彼女の場合、1月29日とだいたいきまっている。団地の3階ですから、砂場を作って、そこで用を足すようにさせているので、ほとんど外へは出ません。冬がきますと、こたつのなかのいちばん気持ちのいいところに、ひとの足を押しのけて、寝そべっています。それが、1月29日がきますと、朝からなにか目つきが変わってくる。昼頃になると、ウウウとうなり声を発する。もう、そうなりましたら、吹雪であろうが、ぬかるみであろうが......。まず1週間は音沙汰なしです(笑声)。階段の下で、ミャア......と鳴く頃は、もう紙のように軽くなっている(笑声)。
生命と宇宙リズム
このように、動物たちの「食と性」の周期も、これくらい〝暦〟がはっきりしています。あるものは太陽と地球との関係、あるものは地球と月の関係で、それぞれ厳密にきまっています。そこへもってきて最近、火星だとか土星だとか、あるいは土星の衛星だとか、かなりたくさんの順列組合せができてくる。そのいずれかの周期に沿って、それが行なわれるということです。
ここまできますと、もう動物の体内にこうした宇宙リズムが、初めから宿されていると思うよりないでしょうね......。そして、その場が内臓であることはいうまでもない。もっと厳密にいえば、内臓のなかの消化腺と生殖腺でしょう。この二つの腺組織の間を、そうした食と性の宇宙リズムに乗って「生の中心」が往ったり来たりしているのです。
本日のテーマからすれば、いわば二の次に置かれている「体壁系」にも、もちろんこの宇宙リズムは見られます。そのいちばんはっきりしているのが、さきほどの胃袋のところで出てきた睡眠と覚醒日リズムです。 昼間動物では夜がくれば、まず目・耳・鼻といった順序で感覚器官が眠り、ついで五体の筋肉すなわち運動器官が眠りにつく。そして朝がくれば、ここでも再び同じ感覚・運動系の順序で目がさめてくる。 こうして体壁系もまた、天体の運行とともに、ひとつの波動を起こすのですが、しかしさきほども申しましたように、この、動物にしか見られない感覚・運動の器官は、身近のどんな些細な変化にも、いちいち反応するため、ともすればこの自然のリズムは乱されがちになる。あのゴキブリの実験がなによりの証拠ですね.....。
このようなわけで、私どもは、宇宙リズムがもっとも純粋なかたちで宿るところが、 まさにこの内臓系ではないか、と考えているのです。専門的に内臓器官を「植物器官」と呼びならわしてきたのは、この間の事情をもののみごとに把握していた、なによりの証拠ではないかと思うわけです。
なるほど、私たち人間の内臓系を見ますと、この食と性の宇宙リズムは、ほとんどなくなりかかっている。こうしたなかで、しかし皆さん方の卵巣だけはいぜんとして健在です。まっ暗やみの腹腔のなかに居ながら月齢だけはちゃんと知っている。べつに潜望鏡を出して天体観測をやっているわけじゃないでしょう......(笑声)。こうなれば、もう卵巣そのものが一個の〝天体〟というよりない。 小宇宙が内蔵される、とはこのことをいったのでしょう。
これまでの実験調査から見ますと、三十億年の昔、原始の海面に小さな生命のタマができた時、もうそのなかには、地球を構成するすべての元素が入っていたという ......。げんにこのからだには、鉛も入っているし、砒素も入っているし、六価クロムも入っております。 猛毒の元素がきわめて微量に入っております。 それはちょうど、地球というモチをちぎったようなものですから、ひとつの星——————〝生きた地球の衛星〟ということになりますね......。 ただ、それがあまりに小さい。しかも海水の表面張力が強すぎるので宇宙空間に出ることができない。ですから、星のまま漂っているそういうものが一緒に集まってできた多細胞は、まさにあの「大宇宙」に対する「小宇宙」ということになるわけですね......。
昔から渡り鳥とかミツバチというものが、いかにして時を知り、いかにして方角を知るかという問題に多くの生物学者が取り組んできました。そうして、そのメカニズムがわかってきているようですが、しかし、そういう解説書を読んでみますと、いちばん最後には、みんな申し合わせたように同じことをいっている「メカニズムがわかればわかるほどナゾが深くなっていく............」。それで終わっているわけです(笑声)。つまり科学者というのは、これが星であるということは口が裂けてもいえない。そんなことをいったら文学者になれといわれる......。
ただ、最近では、遺伝子の姿が、だんだんはっきりしてきましたね。遺伝子と申しますと、からだのどの細胞の核のなかにも、みな入っております。細胞の核というのは、それを百倍ぐらいにして初めて針の先ぐらいの大きさになる。そんな小さななかに、長さは霞ヶ関ビルぐらい、幅はオングストロームの単位ですから、1ミリの数十万分の一ぐらいの、超々マイクロフィルムが1本1本、それは細かく細かくたたみ込まれているのです。まことに気の遠くなるような話ですが、なるほど、そのなかには太陽系の〝運行リズム〟の暗号が入っているとしては太陽系の〝運行リズム〟の暗号が入っているとしても、けっして不思議でない、ということに情勢が傾いてきたわけです。ですから最近は「遠」との共鳴という言葉が文字通り心ある科学者のなかから出始めています。
しかし、これは、はじめにも申しましたように、ギリシアの昔から言い古されてきたことです。あの「大宇宙と小宇宙」の世界ですね。古代インドの「人天交接」も、まさにこのことをいったものではないでしょうか......。 私たちの内臓系の奥深くにこうして宇宙のメカニズムが、初めから宿されていたのです。「大宇宙」と共振するこの「小宇宙」の波を、私たちは〝内臓波動〟という言葉で呼ぶことにしております。
※三木成夫『内臓とこころ』Ⅱ内臓とこころより
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(引用ここまで)
結局、人間という生物を外側から観察すると、
植物由来の「内臓系」と
動物由来の「体壁系」の2つの系統があり、
その二者のハイブリッド的存在であることが
わかってきます。
そして、この内臓系と体壁系のうち
どちらがより重要かという問いを立てると、
進化論的に見たときには、
動物よりも植物の方がより昔から存在し、
環境の突発的な変化により、
自分の力で自分の生命を維持するための養分を
得ることができなくなった植物が
それを外部から得るために動く必要が生じ、
手足や筋肉、感覚器官、神経、脳といった
体壁系を発達させていった経緯があるわけですから、
内臓系の方が主で、体壁系が従という
関係が見えてきます。
そして、その内臓系の役割を中心に据えて
内臓感覚、内臓波動というところから、
人間の身体を見ていくとするなら、
イノチを維持するための「食」
イノチを繋いでいくための「性」という
2つの系統があるコトが見えてくるわけですね。
あと、11/13に(その8)で投稿した
春画絡みの情報で、
ドキュメンタリー映画『春の画』の公開が
本日11/24から始まりましたよ〜
この続きはまた明日に!
【これまでの記事一覧】
・「〝教えない〟性教育」考(その11)
・「〝教えない〟性教育」考(その12)
・「〝教えない〟性教育」考(その13)
・「〝教えない〟性教育」考(その15)
・「〝教えない〟性教育」考(その16)
・「〝教えない〟性教育」考(その17)
【参考記事(外部リンク)】
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