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ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(その1)

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ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(その1)

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(その1)

2026/05/25

5/21からこの寺子屋塾ブログでは、

お釈迦さまが亡くなる直前に言われたとされている

「自灯明、法灯明」という考え方について

書いているんですが、今日もその続きなので、

昨日までの記事を未読の方は

まずそちらから先にご覧下さい。

ブッダ臨終の言葉「自灯明、法灯明」について

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【訳文】

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【井上の解釈】

 

これまで書いてきたことを

ざっとふり返ってみましょう。

 

ブッダ臨終のことば「自灯明、法灯明」とは、

お釈迦さま自身が悟りを開かれた

方法論に言及しているものですが、

それだけでありません。

 

仏教徒でなくても、生活上で実践することで

得られる価値が大きいことが確認され、

後年になって「マインドフルネス」であるとか、

「ヴィパッサナー瞑想」と

呼ばれるようになりました。

 

わたし自身は、ユヴァル・ノア・ハラリさんの著書

『21Lessons 21世紀を生きる』を読んだときに

〝ヴィパッサナー瞑想〟という言葉を

初めて知ったということから、

ハラリさんの本の内容を紹介することをおもいたち、

今日がその第1回目です。

 

ハラリさんがヴィパッサナー瞑想と

どのように出会い、どう体験されたかが

具体的に詳しく書かれている箇所は、

本書の終章にあたる「第21章」でした。

 

でも、いきなり第21章の内容を紹介しても、

「ヴィパッサナー瞑想」がなぜ

いま、この世の中で必要なのかは

納得できないことでしょう。

 

それで、なぜ「ヴィパッサナー瞑想」なのか、

その背景や前提となる諸々を知っておくために、

今日は、本書の全体像についてふれた

まえがきの冒頭部分を

そのまま引用して紹介することにしました。

 

第1章から第20章までの内容については

わたしが各章の概要を

400字前後の文章で要約し、

ざっくりどんなことが書かれているのかが

把握できるようにします。

 

 

ではまず、まえがきです。

 

(引用ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
はじめに

的外れな情報であふれ返る世界にあっては、明確さは力だ。理屈の上では、誰もが人類の将来についての議論に参加できるが、明確なビジョンを維持するのはとても難しい。議論が行なわれていることや、カギを握る問題が何であるかに、私たちは気づきさえしないことも多い。物事をじっくり吟味してみるだけの余裕がない人が何十億もいる。仕事や子育て、老親の介護といった、もっと差し迫った課題を抱えているからだ。あいにく、歴史は目こぼししてくれない。もし、子どもたちに食事や衣服を与えるのに精一杯なあなたを抜きにして人類の将来が決まったとしても、その決定がもたらす結果をあなたも子どもたちも免れることはできない。これはなんとも不公平だが、そもそも歴史は公平なものではないのだ。

 

私は歴史学者なので、人々に食べ物や着る物を与えることはできないけれど、それなりの明確さを提供するように努め、それによって世の中を公平にする手助けをすることはできる。それに力を得て、私たち人間という種の将来をめぐる議論に加わる人が、たとえわずかでも増えたなら、私は自分の責務を果たせたことになる。

 

最初の拙著『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福〜』では、人間の過去を見渡し、ヒトという取るに足りない霊長類が地球という惑星の支配者となる過程を詳しく考察した。 

 

第二作の『ホモ・デウス―テクノロジーとサピエンスの未来』は、生命の遠い将来を探究し、人間がいずれ神となる可能性や、知能と意識が最終的にどのような運命をたどるかについて、入念に考察した。


本書では、「今、ここ」にズームインしたいと思っている。かといって、長期的な視点も失いたくない。遠い過去や遠い未来についての見識は、現在の問題や、人間社会が抱える差し迫ったジレンマを理解する上で、どう役に立つのか?現時点で、何が起こっているのか?今日の重大な課題や選択は何か? 私たちは何に注意を向けるべきか? 子どもたちに何を教えるべきか?

もちろん、70億の人がいれば70億通りの課題リストがあり、すでに指摘したように、全体像について考える余裕というのは、なかなか手に入らない贅沢だ。ムンバイのスラムで苦労して二人の子どもを育てているシングルマザーは、次の食事のことしか頭にない。地中海の真ん中で小舟に揺られている難民は、陸影を求めて血眼で水平線を眺め回す。込み合ったロンドンの病院で死にゆく人は、残る力を振り絞ってあと一度、息を吸い込もうとする。彼らはみな、地球温暖化や自由民主主義の危機よりも、はるかに切迫した問題に直面している。どんな書物もそのすべてを公平に取り扱うことはできないし、そのような状況にある人々に与えるべき教訓を、私は持ち合わせていない。彼らから学べることを願うのみだ。


ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』まえがき より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(引用ここまで)

 

ハラリさんは、歴史学者ですから、

最初の著書『サピエンス全史』では、

過去にフォーカスしてこれまでの人類史を概観し、

そして2作目『ホモ・デウス』で

未来にフォーカスしてこれからの人類が

どうなるか、どうあるかを予測されたんだと。

 

そしてこの『21Lessons 21世紀を生きる』では、

「いま、ここ」にフォーカスしたいと。

 

もちろん、「いま、ここ」と言っても、

刹那的に今この瞬間だけを切り取るのでなく、

長期的な視点もふまえつつ、

現時点で、何が起こっているのか?

今日の重大な課題や選択は何か?

私たちは何に注意を向けるべきか?

子どもたちに何を教えるべきか?について

考えてみたいという書物です。

 

また、本書全般の特徴として次の3点

①世間の人々やジャーナリスト、同業者などとの

 対話によって書かれたこと

②グローバルな視点に立ちながらも

 個人のレベルをないがしろにしないこと

③自由主義の世界観と民主主義制度の欠点に触れ

 現実にどういう改善が可能かに言及していること

 


本書は大きく次の5つに分かれています。

Ⅰ テクノロジー面の難題

Ⅱ 政治面の難題

Ⅲ 絶望と希望

Ⅳ 真実

Ⅴ レジリエンス

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Ⅰ テクノロジー面の難題

第1章 幻滅———先送りにされた「歴史の終わり」
20世紀後半から続いた「自由主義(リベラル)」の物語———民主主義、市場経済、個人の自由が拡大し、科学技術が生活を改善する———は、21世紀に入って揺らいでいる。テロや金融危機、格差拡大、国家間対立の再燃によって、人々は未来への確信を失い、「何を信じ、どこへ向かうのか」という物語の空白に直面する。ハラリは、自由主義が敗北したと断じるより、なぜ説得力を失ったのか、代替の物語がなぜ危ういのか(宗教原理主義、排外的ナショナリズムなど)を点検し、次の世界像を考える出発点を示す。


第2章 雇用———あなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない
AIと自動化が労働を再編し、多くの職が消える一方、新しい職も生まれる。しかし問題は失業そのものより、変化の速度と、適応できない人々が大量に生む「無用者階級」化のリスクにある。雇用の安定が崩れ、転職や学び直しが常態化する中で、国家は再教育や社会保障の設計を迫られる。個人は「一つの専門で一生」を前提にできず、柔軟性・学習能力・心理的耐性が重要になる。さらに、労働がアイデンティティの中心である社会では、仕事の喪失が尊厳や意味の喪失に直結するため、経済政策だけでなく文化・倫理の課題として扱う必要がある。


第3章 自由———ビッグデータがあなたを見守っている
自由は「内面の意思で選ぶこと」と理解されがちだが、脳科学や心理学は、人間の意思決定が多くの無意識的プロセスに左右されることを示す。さらに21世紀は、個人の選好や行動がデータとして収集・解析され、アルゴリズムが「あなたが何を望むか」を予測し、誘導し得る時代になる。国家や企業が膨大なデータを握れば、個人は形式上は自由でも、実質的には操作されかねない。自由主義が守ろうとしてきた「個人の主体性」は、データ支配の構造の前で脆い。自由を守るには、単に国家権力を制限するだけでなく、データの所有・透明性・説明責任など新しい制度設計が必要だと論じる。


第4章 平等———データを制する者が未来を制する
近代は平等を掲げてきたが、AI・バイオ技術・データ経済は格差を「拡大」するだけでなく、「固定化」させる恐れがある。資本や教育へのアクセス格差が、健康・寿命・認知能力の差へと結びつけば、社会は階級を超えて生物学的に分断されかねない。富裕層が高度医療や能力増強技術を利用し、政治的影響力も強めれば、民主主義の基盤である「同じ人間としての対等性」が揺らぐ。従来の再分配や福祉政策だけでは追いつかず、データと技術の利益をどう共有するか、公共財としての知識・医療・教育をどう守るかが中心課題になる。

 

Ⅱ 政治面の難題

第5章 コミュニティ———人間には身体がある
人は共同体なしに生きにくいが、伝統的共同体(地域、宗教、家族、労働組合など)は弱まり、代わりにオンラインのつながりが拡大した。だがオンラインは、同質な人々を集め、分断や憎悪の増幅器にもなる。国家も市場も、個人を単位に扱う傾向が強く、孤立や不安を深める場合がある。ハラリは、共同体の温かさと排他性が表裏である点を指摘しつつ、多様性を許容し、個人の自由を守りながら連帯を作る難しさを検討する。共同体を「戻す」のではなく、都市化・移動・デジタル化に合った新しい帰属の形、ローカルとグローバルをつなぐ中間的な仕組みが求められる。


第6章 文明———世界にはたった一つの文明しかない
現代の文明は一体化しており、経済・科学・情報が世界規模で絡み合う。しかし文化や価値観は多様で、しばしば「文明の衝突」という語りが好まれる。ハラリは、実際には文明は混ざり合い、互いに影響を受け続けてきたこと、そして現代の最大課題(気候変動、核、AIなど)は単一文明で解決できないことを強調する。文明間対立の物語は政治動員に便利だが、現実の問題解決には不向きで、却って視野を狭める。グローバルな協力を可能にする共通基盤———科学的方法、国際制度、最低限の人権観など———をどう維持し、同時に文化的多様性も尊重するかが問われる。


第7章 ナショナリズム———グローバルな問題はグローバルな答えを必要とする

国家は近代の成功した協力装置であり、税・法・教育・医療など多くを提供してきた。だが21世紀の主要課題は国境を越えるため、過剰なナショナリズムは解決を妨げる。移民や貿易、感染症、環境、技術規制など、単独国家では対処しきれない。とはいえ、国家を否定するだけでは社会は回らず、人々の忠誠や連帯の受け皿も必要だ。問題は「愛国心」そのものより、排外主義や事実軽視を伴う政治利用である。ハラリは、国家への健全な責任感と、地球規模の協力への参加を両立させる視点を提案し、「私たち」概念を広げる努力が必要だと述べる。


第8章 宗教———今や神は国家に仕える
宗教は道徳や共同体、意味を与えてきたが、しばしば「世界の説明書」や政治権力として振る舞い、科学や他宗教と衝突してきた。ハラリは、宗教を迷信として一掃する単純図式ではなく、宗教が人々の心に働きかける物語・儀礼・規範の力を認める。一方で、テロや排外主義など、宗教が暴力と結びつく危険も直視する。現代社会では、宗教が科学的事実を決めるのではなく、倫理や共同体の領域でどのように建設的役割を果たし得るかが問われる。AIやバイオの倫理判断においても、宗教的・世俗的価値観の対話が必要だが、絶対的真理の独占を主張すると破綻すると論じる。


第9章 移民———文化にも良し悪しがあるかもしれない
移民は経済成長や人口構造の調整に寄与するが、文化摩擦や不安も生む。ハラリは「移民を受け入れるべきか否か」という二択ではなく、取引として整理する。受け入れ国は労働力や多様性の利益を得る代わりに、移民に一定の同化・法遵守を求める。一方で移民側は安全や機会を得る代わりに、受け入れ社会の制度に適応する。しかし同化を過剰に求めれば差別を助長し、逆に多文化主義が共有規範を失えば社会統合が崩れる。鍵は、権利と義務、寛容と共通ルールのバランスであり、時間軸(第一世代、第二世代…)も含めた現実的政策が必要だと説く。

 

Ⅲ 絶望と希望

第10章 テロ———パニックを起こすな
テロは恐ろしいが、客観的には他の危険(交通事故、生活習慣病など)より死亡者数が少ないことが多い。それでも社会が過剰反応するのは、テロが「恐怖を演出する戦略」だからであり、メディアと政治がそれを増幅しやすいからだ。テロリストは軍事的に大国を倒せなくても、世論を揺さぶり、政府に過剰な弾圧や戦争をさせ、自由社会を内側から傷つけることができる。ハラリは、テロ対策で重要なのは冷静な比率感覚と、情報の扱い、そして政治が恐怖を利用しない制度だと主張する。完全な安全を求めて自由を放棄すれば、テロの目的に加担することになるという警告で締める。


第11章 戦争———人間の愚かさをけっして過小評価してはならない

歴史上、戦争は常態だったが、現代は大国間戦争が起きにくくなった側面がある。核抑止、経済相互依存、戦争の利益の低下(領土より知識・技術が価値を持つ)が理由として挙げられる。しかし「平和が当然」になった結果、人々は戦争の可能性を過小評価しがちでもある。サイバー攻撃や情報戦、無人兵器など戦争形態は変化し、誤算や事故でエスカレートするリスクも残る。AIが軍事意思決定に入れば、速度が上がり人間の制御が追いつかない恐れもある。ハラリは、戦争の構造的要因が弱まったことを認めつつ、平和維持は放っておけば続くものではなく、国際協調と危機管理の不断の努力が必要だと論じる。


第12章 謙虚さ———あなたは世界の中心ではない
多くの文化は自らを特別視しがちで、他者を理解するより「自分たちの物語」を押し付けてしまう。ハラリは、現代世界では文化が混ざり合い、純粋な伝統など存在しにくいこと、そして自文化の優越を前提にすると対話が成立しないことを説く。謙虚さとは自己否定ではなく、「自分の見方は部分的で、他者から学べる」姿勢である。宗教・ナショナリズム・文明論争など、アイデンティティが政治化するときほど謙虚さは難しい。しかしグローバル課題の解決には、異なる価値観の人々と協力し、共通の事実基盤(科学、統計、検証)を共有しつつ、価値の違いも認める必要がある。謙虚さは個人の徳目であると同時に、教育・メディア・政治制度の設計課題でもある。


第13章 神———神の名をみだりに唱えてはならない
近代以降、宗教的権威は弱まり、科学が世界説明の中心になった。しかし「神なき世界」は必ずしも平和や寛容を保証しない。世俗イデオロギー(民族、階級、国家、進歩など)もまた絶対化されると宗教と同じく暴力を生み得る。ハラリは、神の存在証明・反証の議論より、社会が「超越的正当化」を求める心理と、それが政治的に利用される構造に注目する。さらにAIやバイオ技術が人間の理解を超える領域に進むと、新たな「神話」や崇拝対象(データ、アルゴリズム)が生まれる可能性もある。重要なのは、権威を絶対視せず、倫理判断を人間の責任として引き受ける姿勢であることを示唆する。


第14章 世俗主義———自らの陰の面を認めよ
世俗主義は「無宗教」ではなく、真理探究を教義ではなく証拠に、道徳を神命ではなく共感と責任に、政治を聖典ではなく議論と制度に基づけようとする態度だと整理される。世俗社会にも価値観(個人の尊厳、自由、寛容、批判精神など)があり、完全に中立ではない。だからこそ、世俗主義は自らの誤り可能性を認め、自己修正(科学的方法、民主的手続き)を組み込む点が強みになる。ハラリは、宗教と世俗を敵対として単純化せず、世俗主義が提供する公共の共通語(検証・議論・法)を守ることが、複数宗教・多文化が共存する条件になると説く。同時に、世俗社会も消費主義や国家崇拝など別の「宗教化」に陥り得るため、批判精神を失わないことが必要だと述べる。

 

Ⅳ 真実

第15章 無知———あなたは自分で思っているほど多くを知らない

情報が溢れる時代なのに、人々は必ずしも賢くならない。専門知の高度化によって、個人が世界全体を理解するのは不可能になり、多くを「信頼」に依存する。さらにSNSや政治宣伝は、注意を奪い感情を刺激する情報を優先するため、誤情報や陰謀論が広がりやすい。ハラリは、無知を恥として隠すより、自分が知らないことを自覚し、信頼できる制度(科学、ジャーナリズム、司法など)をどう維持するかが重要だと説く。民主主義は市民の判断を前提にするが、判断に必要な共通の事実基盤が崩れると機能不全に陥る。個人のリテラシーだけでなく、プラットフォーム設計や教育、透明性の確保が不可欠である。


第16章 正義———私たちの正義感は時代後れかもしれない
「正義」は普遍のようでいて、文化・歴史・権力関係に左右される。ハラリは、植民地主義や国境線、民族対立など、過去の不正義が現在の制度と感情に残り、単純な清算が難しいことを示す。誰が被害者で誰が加害者か、どこまで遡るか、補償の形は何か――合意は容易でない。それでも、過去を忘れることも、復讐の連鎖に囚われることも危険である。重要なのは、事実の検証、被害の認知、制度改革、そして未来の協力を可能にする合意点を探ることだと論じる。正義の議論は道徳的熱量が高く分断を生みやすいが、だからこそ謙虚さと現実感覚が求められる。完璧な正義より、持続可能な和解と公正な制度を目指すべきだという立場が見える。


第17章 ポスト・トゥルース———いつまでも消えないフェイクニュースもある

人間は必ずしも真実を求める存在ではなく、物語や信念、集団帰属に沿って世界を解釈しやすい。歴史的にも宗教神話や政治宣伝は常にあり、「真実の時代」があったわけではない。だが現代は、情報流通が高速化し、嘘や扇動が拡散しやすく、社会の合意形成が壊れやすい。ハラリは、真実の基準を守るには、個人の誠実さだけでなく、検証制度(科学コミュニティ、独立メディア、司法、教育)への信頼が必要だとする。また、複雑な現実を単純化する魅力的な物語に抗うのは難しいため、真実追究にはコストがかかることを理解し、時間と注意を投資する覚悟がいる。批判精神と同時に、自分の信念も誤り得るという姿勢が鍵となる。


第18章 SF———未来は映画で目にするものとは違う
AIやバイオの未来を語る際、現実的課題よりもSF的想像(ロボット反乱、意識のアップロードなど)が注目を集めがちで、議論を誤らせる。ハラリは、恐れるべきは「人間そっくりのロボット」より、目に見えないアルゴリズムと官僚的システムが社会を管理し、人間が理解できない意思決定が行われることだと説く。未来の危険は、派手な終末より、徐々に進む監視、差別の自動化、権力集中のような形で現れる可能性が高い。SFは想像力を刺激し倫理を考える助けにもなるが、比喩を現実と混同すると政策判断を誤る。だからこそ、技術の現状と実装の経路を踏まえ、地味だが重要な制度(データ規制、透明性、責任所在)を議論すべきだという主張している。

 

Ⅴ レジリエンス

第19章 教育———変化だけが唯一不変
AI時代に必要なのは、特定の知識の暗記より、変化に適応する能力である。ハラリは「4C」として、批判的思考(Critical thinking)、コミュニケーション(Communication)、協働(Collaboration)、創造性(Creativity)を強調し、さらに不確実性に耐える心の柔軟性や自己理解も重要だと説く。学校は、固定的な職業技能を与える場から、学び続ける力と人格的成熟を支える場へ再設計される必要がある。情報が多い時代には、何を信じ、何を疑うかの判断が教育の中心になる。加えて、自己の感情や偏見を扱う力(瞑想などの内省も含む)が、外部のアルゴリズムに振り回されないために役立つ。教育は国家の競争力だけでなく、民主主義の維持に直結する基盤だと位置づけられる。


第20章 意味———人生は物語ではない
近代は宗教的意味づけを弱めた一方、自由主義は「個人の幸福」や「自己実現」を意味の源泉として提示してきた。しかし、消費や地位競争だけでは空虚さが残り、さらにAIが人間の役割を侵食すると、自己の価値や目的が揺らぐ可能性がある。ハラリは、宇宙的な大目的が与えられない世界で、人が意味を作るには、物語への依存とその危険(カルト的物語、排外的物語)を自覚する必要があると説く。意味は外部から授かるというより、関係性・責任・共同体・内省を通じて編み直される。ここで重要なのは「自分の心を理解すること」であり、欲望や恐怖に支配されると、外部の権力やアルゴリズムに意味の判断まで委ねてしまいかねない。意味の問題は哲学的だが、政治・経済・技術の選択にも深く関わる現実的課題として提示される。

 

 

明日からいよいよ第21章の内容を紹介していきます。

 

ではまた(^^)/
 

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