ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
2026/07/07
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
この連載記事も回を重ねて22回めとなりました。
由佐さんのプロフィールに関わることや、
「源とは何か?」など
前段、前提の話を長々と書いてきましたが、
ようやくメンタルモデル
四類型についての話に入っています。
昨日書いた「価値なしモデル」「愛なしモデル」
に続いて、今日は「欠陥欠損モデル」と
「ひとりぼっちモデル」について。
その前に(その20)の記事に書いた
つぶやき考現学 No.4について、
塾生のひとりから、
「井上さんがあの詞で伝えたいとおもわれたのは
どんなことだったんですか?」
と問われたので、
メインコンテンツの前に
それについて書いておこうかと。
あの詞のポイントが、最後の第7段階にあることは、
たぶん多くの方が感じられることでしょう。
つまり、人生の目的とは、
第7段階に到達することにあるわけではなく、
ひとつひとつの段階すべてが
同じように大切なんだと。
次の記事にお釈迦さまが悟ったことは
何だったのかについて書きました
全てのものが全く同じ重要度で見えた時に、
釈迦に見えたもの———これが
お釈迦さまが悟ったことでしたね。
わたしは別に悟りを開いたわけではありませんし、
この詞を書いたときにも
特別に仏教のことを意識していませんでしたが、
二十代の頃からずっと仏教を学んできたので、
多少はお釈迦さまがどういうことを
考えておられたのかということに
理解が進んでいたのかもしれません。
つまり、第7段階だけが重要なのでなく、
第7段階に到達することが重要なのでもなく、
一つひとつの段階すべてが同じように重要なんです。
わたし自身の体験から話してみましょう。
25歳のとき、小中学生対象の
進学塾で仕事をし始めたとき、
わたし自身、学生時代に進学塾に通った体験がなく、
進学塾の存在そのものには
懐疑的だったこともあって、
わたし自身が本当にやりたいと感じる
仕事ではありませんでした。
でも、だからといって、
手抜きしていいという理由にはなりません。
いま自分の目の前にあることに対し
できることを最大限活かして
精一杯取り組む姿勢を大切にしてきました。
そうするなかで、もうそろそろ
今の仕事に区切りをつけて
次のステップに進んでもいいんじゃないかという
徴候が感じられるようになったのは、
進学塾に勤め始めてから
7年目に入ってからのことです。
つまり、7つの段階があると言っても、
先の段階に進むことが大事なのではなく、
目の前にあることに精一杯取り組んでいたなら、
次のステップに進む必要があるときは
いちばん相応しいタイミングでやってくるんですね。
自分がどの段階にいるかを自覚することも
もちろん大事なんですが、
一番大事なことは、
「今、ここ、自分」に軸足を置き
目の前のことに精一杯取り組もうとする
姿勢なんじゃないかと。
これがわたしがこの詞で伝えたかったことです。
メンタルモデルの
ライフタペストリーについて、
5つのプロセスを示しましたが、
先の段階に進むことが大切なのではなく、
いまの自分の段階をよく自覚して、
その段階を精一杯生きることが
大切なのではないかとおもった次第。
さて、本日の本題です。
由佐さんご本人が語られている
「源から生きる、生き方革命」シリーズの動画から
昨日の続きで「欠陥欠損モデル」と
「ひとりぼっちモデル」についてのものを
文字起こし付きでご紹介します。
・源から生きる、生き方革命」第15回<メンタルモデル探究シリーズ>ひとりぼっちモデル & 欠陥欠損モデル
(文字起こし・ここから)
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みっつ(山本光裕):
「源から生きる、生き方革命」第15回を始めていきたいと思います。今日は前回から「メンタルモデル探究シリーズ」ということでお届けしていまして、前回は「価値なし」と「愛なし」タイプについて探究しました。今回は「ひとりぼっちモデル」と「欠陥欠損モデル」について、皆さんと深めていきたいなと思っています。
由佐:
わたしがメンタルモデルの中で一番お伝えしたいことは、この4つの「信念」(メンタルモデルと呼んでいる「わたしは○○だ」という)の奥にある痛みは、全人類と共有しているものだ、という仮説です。一人の人間の中に、その4つの痛みに対して全部共感できる、という状態で、人間は生きているんじゃないかな、というふうにまず思っています。
そしてわたしたちは、その痛みをどんなふうに味わっているかというと、「それを二度とこの人生で起きないように」できるだけ避けるように、なんとか回避して、生き残っていきたいと思って、日々「回避行動」と呼ばれる———その痛みに触れないために努力したり、頑張ったり、能力を上げたり、諦めたり、「もういいや」っていうふうにしたり。いろんなことを、わたしたちはやってるんですけれど、「〇〇が本当はあるはずだ。なのに〇〇がない」という、「ない」という世界。その〝ない痛み〟を避けるために生きる、という生き方が、構造的にどういうシステムで回っているのか。それを可視化したのが、メンタルモデルの構造です。
ただ、本当に理解してほしいのは、「わたしのメンタルモデルがどのタイプか?」ということではなくて、本当はそれが、どういうふうにわたしたちの日々の現実を作り出しているのか、ということ。自分の「ない世界」の思い込みから、どういうふうにわたしたちが自分たちの現実を作っているのか。その構造を本当は一番理解していただきたいと思っています。
でも、構造ってつまんないんですね。概念なんですね。だから、それを紐解く上では、やっぱり一人ひとりが人生で体験してきた出来事のストーリーというのが常にあって、その構造は、そのストーリーをもとにしないと見えてこないところがある。なのでわたしは、「メンタルモデルを紐解きますね」という言い方をして、「今どんな不本意な現実が起きているんですか?」「その奥にどんな思い込みを持っているんですか?」というのを、紐解いていくセッションを、いろんな人にやり始めたのがきっかけでした。そうしていくうちに、結果的に類型というか、「こういう信念で似たようなものを持っているグループがあるんだ」ということが分かってきた。それが数年前のことです。
ではまず、「欠陥欠損(けっかんけっそん)」の人たちについて。(これはあくまで)わたしのデータベースサンプルの話ですけど、このタイプの人たちにすごく多いのが、「自分は何かが欠けている」「人と比べて何かが足りない」「決定的に何かが欠けて生まれてきてしまった」「ポンコツだ」といった信念です。ものすごく持ってるんですね、その信念の中に。
欠陥欠損の人たちが、この社会、つまり人間社会をどんなふうに進化させたいと願っているかを見ていくと、欠陥欠損の人たちって、今の人間社会が、「これはダメだ」とか「人間としてイマイチだ」とか、マイナスだ、ネガティブだ、と捉えている〝へこんでいる部分〟にこそ、人間の美しさがあるでしょ、というものの見方をすごく持っているな、といつも感じます。
「凹(ボコ)だと思ってたものは、本当はギフトなんだよ」というふうに転換していく。「何かがない、だからダメなんだ」ではなくて、ありのままであっていい。どんな人も、そのボコって見えるところこそ、その人の本当のギフトなんだよ、という世界が欲しい。欠陥欠損の人たちの素晴らしいところで、みなさんその世界を本当は欲しいんですよ。
欠陥欠損の一つの共通項は、「自分のありのままで、この世にいることがめっちゃ不安」ということです。そのままでいたら何をされるか分からない。何を言われるか分からない。どう見られているか分からない。基本的に「不安」、というのがすごいキーワードなんですよね、欠陥欠損は。ちなみに、タイプごとのキーワードを言うと、ひとりぼっちは「孤独」、愛なしは「寂しさ」、価値なしは「恐れ」という感じになっています。
欠陥欠損には、「逃避型」と「克服型」があるんですけど、どちらも不安から何かをやっちゃう、というところは共通している。ただ、克服型は、不安だから、ひたすら動きまわるって感じです。だから、不安を解消するために活動量がめちゃくちゃ多い。でも、どこに向かって走っているのかよく分からない。ちょっと言い方が悪いですけど「迷走してる」感じに見える時もあるぐらい、活動量と行動量が多いんです。でもそれによって「何を目的に、何をしようとしてるのか」がよく分からない、ということも起きやすい。当たり前なんですけどね、安心が欲しいだけだから。
「今これがやりたい、次はこれが気になる」と、次から次へと興味関心が移り変わっていく。周りからはそう見えることが多いと思います。だから、何かをやり遂げて一つのものを形にしました、というよりは、すごく細切れにいろんなことをやっていく感じ。関心があるものに次々と乗り換えてやっていく、というふうに、まわりの人間には見えてます。まあ、本人がどのように認知していてるかというのはいろいろでしょうが。
欠陥欠損の「克服型」は、結構オモテに出ていく感じです。活動量も多いし、日の当たるところに行く、という感じ。その一方で「逃避型」は、基本的にひっそりしています。目立つと自分の至らなさがバレちゃうから、日の当たるところに出たくない。あんまり目立ちたくない。だから、裏方的な端っこにいたり、誰かを支えていたり、黒子的な役割をしていたり、縁の下の力持ち的なポジションを取っていることが多い。
特に組織だと、そういう仕事をしている人が多い。隠れて凹を埋めてるんですね。資格を取ったり、学んだり。裏ではいろいろやるけど、それを表で「わたしこんなことやっちゃってまーす!」みたいにパンパカパ〜ンみたいな感じでは絶対やらない。裏でひっそり努力されていてって感じで、フタ開けてみると、こんなスゴイことできるんだとか、こんなにイッパイ資格持ってるんだとか。欠損の人たちはもっているんですけど。でも、何をやっても、最終的に「わたしは〇〇だ」「ポンコツだ」「かなわない、人には」「所詮…」というところに帰ってくる、という感じになりやすい。
次に「ひとりぼっち」。ひとりぼっちは、本人よりもまわりが大変です、まちがいなく。なんでまわりが大変かというと、ひとりぼっちは簡単に「まわりと自分」を分離し、切り離すのが上手いんですね。割り切りと切り離しが絶妙に上手いから、都合が悪いものは全部切っちゃうんです、基本的に。たとえば、関係性だったら、「この人とは、もうやれないな」と思うじゃないですか。ひとりぼっちは「もともとつながりってないでしょ」という世界に生きているんですね。
ひとりぼっちの痛みの根っこは、本当は一つにつながっているものが、バラバラに切れちゃう、という分離の痛みなんです。4つのメンタルモデルの中で、この痛みがいちばん強いのは、ひとりぼっちなんじゃないかな、と感じることもあります。痛みがあまりにも強いから、ひとりぼっちは何をしだすかというと、「もともと無かった」という世界を作るんです。
本人が一番痛いので、痛みがやってきそうになると、すぐ切り離すし、すぐ割り切るし、なかったことにする。これがひとりぼっちの特徴です。だからドライと言われるし、別れる時にも跡形もないぐらい、人生から抹消します、基本的に。その人がいたってことすら認知できないぐらいの抹消のし方をする。もともと「なかった」という世界を作っちゃう。
ひとりぼっちは「依存」が一番怖い。つながっている状態で断たれることが耐えられないから、つながり自体をまず作らない、という回避行動を取る人たちが逃避型。「もともと分かってくれる人なんてほとんどいないんだから、いいです、別につながってくれなくても」「分かる人がいればいいけど、分かんないだろうね」みたいな感じで、籠もっていく。
一方で克服型は、「どうせ切れてるんだから、好きなようにやらせてもらう」というふうに自己表現に振れる。傍若無人で個性的で、人のことを気にしない。好きなように一匹狼で生きてる感じ。これがひとりぼっち克服型の特徴ですね。
ただ、ひとりぼっちの限界は、「人を信頼しない」ことです。基本的に「分かってくれると思ってない」から、いつでも切れるように構えている。なんでそう構えるかというと、いなくなった時の痛みに備えるため。つながった瞬間に「切れる日のこと」を考えているような防御の仕方をする。だから周りには、「つながりに希望がないよね」という感じにまわりには見えるんですよ。
だから、「去る者追わず、来る者拒まず」というのが、ひとりぼっちの人間関係の作り方の特徴です。「いなくなるなら好きにしたらいいじゃん」って、それを自由を認める、というふうに正当化をして、みんな好きなようにしてればいいよねって。一緒にいて楽しいならいいけど、つまらないならさっさと出て行けば、というふうに人のことを扱ってしまう。それに周りが傷ついちゃう。「要らない」と言われてる、とか、必要とされてないとか、つながりを断たれたとか、ズタズタな思いを周りはしていくんですけど。
でも、ひとりぼっちは、そのズタズタな思いをしていることすらつながろうとしないので、なかったことになってます、その先は。だから「どういう体験をしてるか知らないけど、わたしはあの人とは多分もう来世でも会わないわ」みたいな切り離し方をする。結局根っこは何かというと、痛みがあまりにも強くて、消滅させちゃう、ということ感じなんですよね。
ただ、ひとりぼっちの強みもあります。人の目をあまり気にしないから、とくに克服型の人たちは、他の人が「人がどう思うか」を気にしてやれないような新しいことや、パイオニア的なこととか、変わったこととかをやりやすい。だから立ち上げがすごい。何か新しいものを作ったり、立ち上げたりするのが得意です。一方で、組織を大きくしたりすることには関心が薄い。人間に関心がないんですね。
だから基本的には、新しいものを立ち上げ続ける、みたいなことをやり続ける方が向いている。何かに入れ込んで人間関係をこまめにメンテナンスして大きくしていく、みたいな会社の作り方は、ひとりぼっちには向いてないことが多い。ベンチャーを作って、また違う器を作って…というふうに、コロコロと新しいものに移り変えていく。そんな感じですね。
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(文字起こし・ここまで)
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この続きはまた明日に!(^^)/


