ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
2026/06/16
6/2に投稿したこちらの記事に書いたように、
7/20(月・祝)13:30〜16:30に、
寺子屋塾 中村教室にて
読書会を予定しています。
(Facebookイベントページはこちら)
本書については
6/2の記事でも触れたように
2025年の読書ふりかえりベスト24として、
トップの次に選んだ1冊です。
・2025年のふりかえり「年間読書ベスト24」(その19)
この(その19)の記事にわたしは、
次のように書きました。
過去に出版された由佐美加子さんの著書の中では、
一番知られているとおもいますが、
このザ・メンタルモデルについては、
また日を改めて紹介したいと考えています。
ということで、今日からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20の読書会に向けて
わたし自身にできる準備として、
由佐美加子さんのザ・メンタルモデルについて、
書いていきます。

で、実は昨日まで4日間にわたって投稿した
わたしのコメント等々すべては、
本日から投稿していく記事の前段として
書いたつもりでした。
たぶん、このことは、
昨日までわたしが投稿してきたこれらの記事を
丁寧に読んで下さっている方であれば、
すぐピンと来られるのではないでしょうか。
ジョージ・ウェインバーグの言うように、
「人間の行動は、
その背後に隠された動機を強化する」のです。
とても重要なことを書きます。
本を読むときに
わたしがいつも意識しているのは、
自分がこれまでに知り得ていることを
いったん白紙の状態にして、
著者はなぜこのような考えに至ったのか、
その起点、動機、背景として
何があるのかまず探ってみる姿勢です。
でも、実際にはこの
過去に知り得ていることを白紙状態にする
ということが、なかなか易しくありません。
たとえば、わたしは本などを購入する前に
アマゾンのレビュー記事をよく読むんですが、
そこに書かれている内容の8割以上は、
レビュアーの価値観や見識がベースになっていて、
事実ベースで書かれたレビューは
ほとんど見当たらないように感じています。
過去に知り得ていることを白紙状態
にするのが難しい理由は、
少し前にこちらの記事に書いた
事実と認識を区別する姿勢とともに、
自分は何を知っていて、何を知らないのか
その境界線を自覚しているかどうか
常に問われるからではないかと。
つまり、セルフラーニングの根幹でもある
自分を客観的に観察する習慣が
日常化されているどうかがカギなんですね。
そして、その上で、
その著者の起点、動機、背景が、
自分がこれまでに知り得たことと
どんな接点や繋がりがあるかと問いを立て、
その〝融合〟を試みる。
このようなプロセスを丁寧に経ることなくして、
著者の実践を
自分自身の血肉としていくことは
難しいんじゃないかと。
読書会までまだ1ヶ月ほどあるので、
その準備を兼ね、
今日からわたしは
このザ・メンタルモデルについての記事を
書いていこうとしているわけなんですが、
もしかすると30回を超える
長い長い連載記事になるかもしれません。
……と、前置きばかり長くなってしまいましたが、
初回にあたる今日の記事では、まず
由佐さんの起点、動機、背景について
理解の入口となる素材を紹介したいと
おもった次第です。
由佐さんが出演されている
YouTube動画は100本以上あり、
この半年ほどの間に
その殆どを聞いてみたんですが、
そのうち1時間番組のうちほとんどが、
ザ・メンタルモデルの発見に至るまでの
前段にあたる自己紹介に充てられていた驚愕の動画を
文字起こしテキストとともに
ご紹介することにしました。
収録が1時間に及ぶ動画ですから、
文字起こしテキストも1万字を超える分量があり、
2回に分けてご紹介することにしました。
今日ご紹介するのは、第1部にあたる
幼少期から大学、大学院を卒業し就職されるまで。
(文字起こし・ここから)
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ひろき社長:
……どうもみなさん、ひろき社長です。今日はいつも以上におちょけてしまいましたが、僕的には素晴らしいゲストをお呼びしてしまって、いま脇汗が大変なことになってます。でもユニクロの汗を吸うやつを着てるので大丈夫だと思います。あ~緊張する!ということで本日のゲストはですね、この方です。簡単な自己紹介をお願いします。
由佐:
はい、由佐美加子といいます。仕事はですね、ファシリテーターというような「場づくり」をしていたり、いろんな組織・企業に入って、仲が悪いチームとか、行き詰まってるリーダーとか、内面的なところから変容を起こして、その人たちがより輝けるようなサポートをしている、というような仕事をしています。ただ「仕事は何ですか?」って言われると、いちばん難しくて、表現しきれないところがあるので、まあおいおい話せたらいいかなと思っています。よろしくお願いします。
ひろき社長:
お願いします。ありがとうございます。ということで、えーっと、みーちゃんと言わせていただいていいですか?
由佐:
はい。
ひろき社長:
じゃあ最初にですね、みーちゃんを社会に出る前――子どもの頃から大学生まで、学生時代の話を聞いていきたいんですけれども、全部じゃなくてもいいので、みーちゃん的なトピックで喋っていただければと思います。どんなお子さんだったのでしょうか?
由佐:
なるほど。わたしは日本で生まれて、9歳まで日本の千葉で普通の学校(幼稚園~学校)で育って。どんな子かというと、本当に動物が好きで、生き物がとにかく好きで、初めてのお小遣いで買ったのはカブトムシの幼虫、っていう感じでしたね。全然お人形遊びとか、女の子が興味あるものにあんまり興味がなくて、とにかく生き物が好きだったんですよね。
マンションに住んでたから犬とかは飼えなくて、カタツムリ、カブトムシ、鳥、金魚、ゲンゴロウとか、拾えるものを何でも拾ってきて飼ってるような感じで。愛読書も動物の飼育書みたいな本で。学校の帰り道、マンションの目の前が一軒家の住宅地だったので、犬を飼ってる家を転々と回って、全部の犬に会って帰ってくる、みたいな感じの通学路でした。人間よりも生き物の世界のほうが好きだったんだと思います。だから将来は、獣医さんになりたいと思ってました。
それで9歳の時に、父が急に転勤になって海外駐在員になって海外に行くことになって。当時は今みたいに海外旅行が当たり前の時代じゃなかったから、1981年ぐらいかな、「どこそれ?」って感じだったんだけど、ギリシャです。ギリシャのアテネに父が駐在になって。どんな国か、どこにあるのかもよく分からないまま、家族で引っ越しました。9歳のときに、そこから4年間、アテネで育ちました。現地の日本人学校で、幼稚園から中学3年生まで合わせて100人くらい。1クラス10人いるかいないか、十数人くらいで、ほんと寺子屋みたいな学校でした。みんな顔見知りで、家族も含めて、みたいなところで育ち。で、その頃、もう何にもなかったんです。
今みたいにDVDもないし、ビデオすらなかった。テレビも最高の番組はチャップリン……みたいな感じで、とにかく何もない。あまりにも何もないから、毎日遊びを作るしかないんですよね。だから、いろんなことやって遊んでましたよね。凧作ったり、裏山登りに行ったり、川に行ったりとか。与えられるものがないから、貪るように日本の漫画を読んでました———誰かが日本に一時帰国したとか、日本から人が来たとかいうと、漫画がたまに供給されると、クラス中で回し読みして。飢え感たっぷりという、日本の書物も学校の図書館くらいしかないから、すごく貴重で。最高のおやつは、ロンドンから来るお土産のキャラメルコーンみたいな。
ひろき社長:
結構、田舎っていうことなんですか?ギリシアの。
由佐:
その通りですね。何もないんですよ、日本食もほとんどないし。日本のスーパーみたいにきれいに切り分けて売ってる肉とかもない。市場にいくと普通に牛の頭がぶら下がってる、一羽買って来て鳥を捌くみたいなのも当たり前だし。日本食が恋しいから、母たちはパン焼いたり、カイワレ大根を育てたり、豆腐を作ったり。とにかく作らないとものがないんですよね。おいしいものが本当にない国だったから。売ってるものもそんなに良くなくて、現地で消しゴムを買うと消えないし、ノートは買えば破れるし、靴下を買えば1回で伸びちゃうし、みたいな。
でも、わたしはその体験がすごく大きくて、与えられなかったが故に何でも作り出せるっていう感覚がすごく備わった感じはあって、物が「ない」ことに全然抵抗がないんですよ未だに。何とかなるよねっていうか、だいたいできるし、ほとんどのものは作り出せるってうか、すごくクリエイティブでしたよね。遊びに関しても。ボーッと何か見てるだけってなかったから、与えられる刺激物が何もないってことは、能動的にやらないといけないってことだったので、全然幼少期の体験って違うんだなって思いますよね。
小学生はそんな感じ。で、中学1年生の2学期に父が日本に帰ることになって、また地元の千葉県の住んでたところに戻ったんですけど、これが管理教育ガリガリな公立の中学だったんですよ。すごいギャップで、一番衝撃だったのは、体育館を出るときに頭髪検査があって、「ここに髪の毛がついてたらダメ」とか。靴下の長さとか、スカートの丈とか、髪を結びなさいとか校則が結構厳しい。そんな世界を全然知らなかったから、すごい驚愕だったし。
いちばんしくじったと思ったのは、転入生の自己紹介で、わたしの育った日本人学校では言いたいことをそのまま言うのが当たり前だったから、そこで自分の自己紹介を普通にしたんですよ。そうしたら、あとで「それはしちゃいけなかった」ってことが分かった(笑)。要は「よろしくお願いします」しか言っちゃいけなかったんだよね。そのとき自分のことをペラペラ喋ったんですよ。だから、そういう暗黙のルールとかも分からなかったから、相当浮いてたと思うんですけど、最初ね。
でも、幸か不幸か誰かにいじめられたとかは特になく、ただ「ここはなんか変だな」っていう感じだけはずっとあった。自分の感覚と全然違うみたいな。戸惑いと異空間に来ちゃったみたいな感じはあったんだけど、まあでも徐々に馴染んじゃったというか、型に嵌められるのは嫌だったから、前髪全部伸ばしてポニーテールにして、誰にも文句言えないように髪の毛後ろで結わえたりしてするとか(笑)。面白いよね。環境変わるってすごく大きくて。
由佐:
それで、中学は中三までその公立の中学校に行っていて。高校受験を当然、日本でそのままどこかの高校に入ろうと思って受験勉強してた時に――中3のクリスマスだったかな、父がいきなり「シンガポールに行くことになった。一緒に行こう」って決まって。中1の2学期に帰ってきて、中3の3学期でまた出たので、中学校のほぼ3年間弱ぐらいは日本の普通の学校に通ってた、って感じですね。
今度は高校を現地の学校に入れなきゃいけないので、突然「英語が必要」になるんです。ギリシャは英語じゃない。日本人学校はギリシャ語なので、もちろん英語の授業もあったし先取りはしてたんだけど、中学3年間、教科書も開けないくらいの感覚で使い果たしてたから、高校レベルの英語には全然足りなかったんですよね。だから、その卒業式が終わってすぐ、次の日ぐらいから英語学校に通って。午前中から4時間クラス受けて、午後も個人レッスン受けてる、みたいな日が毎日続いて。とにかく7月か8月の入学試験に間に合わせないと、「入る学校がない」って言われてたんですよね。その頃インターナショナルスクールが3校ぐらいしかなかったから、そのどこかに入れなかったら行く学校がない、っていう感じだったんですよね。
ひろき社長:
うわぁ……。
由佐:
日本でみんな楽しく高校に通いだして、友達から手紙が来ると、本当にもう何だろう……「うらやましい」とか「なんでこんな目にあってるんだ」とか。同じような境遇の子がいないから、ものすごいひとりぼっちだったし。もうものすごい大変でしたね、その時期は。
ひろき社長:
それは……一応、自分の意思って言っていいのかな?
由佐:
家族が行くっていう。 父が仕事で動くっていうのと、うちはもう「子どもが大きくなって独り立ちするまでは、家族は一緒にいる」っていう方針だったので、日本に置いていくっていう選択肢はなかったんですよね。連れて行かれたのはいいんだけど、入る高校がなかったら行く学校がないっていう恐怖と、「入れなかったらどうするの?」っていう。でも日本に帰るわけにもいかない。逃げ道がなかったから。だからもう、やるしかなかった。ほんと塩漬けっていうとあのことですよね。でも、やるしかないから。
ひろき社長:
で、実際の高校生活はどんな感じだったんですか?
由佐:
で、本命の学校には実は落ちて(笑)、それも衝撃だったんですけど、ここだったら———3校のうちに、ここに行かせたいって親が思ってた学校があったんですけど、そこの入学試験が完全にアメリカ英語で、わたしはアメリカ人の英語に慣れてなくって聞こえなかったし、わからなかったんですよ、聞きとれなくて。
で、それが起きた時に、2つ選択肢があったんですけど、1つは、日本人はじゃ絶対に入れないような超難関校って言われていた。チャールズ皇太子が出資した官立イギリス系の学校があって。もうひとつ、インターナショナルスクールみたいなのがあって。そっちは日本人がものすごく多くて、日本人コミュニティみたいなものができてて、わたしはそっちには行きたくないって思ってたんですよね。日本人ばっかりみたいなところに入るのは嫌だったから、何したかというと、学校に電話をして、「入試課のヘッドにつないで下さい」といって、直談判しに行った。いや、もう後がなかったからね。
ひろき社長:
落ちたところに電話したんですか?
由佐:
いいえ、落ちたところは「ダメです」ってはっきり言われたので。そこで、超最難関校で、3つのうちで一番難しくて日本人は入れないって言われてた学校があるんだけど、そこに電話した。で、アポ取って、一人でタクシーに乗って、そのヘッドに会いに行って、「こういう事情で英語を勉強してきたんだけど、わたしはあっちの高校には行きたくないので、試験だけでも受けさせてくれないか」って話しに行ったんですよ、1人で。あれが結構、自分の転機だったね。しょうがないやって言って諦めるか、本当に自分が欲しいものを取りに行くかっていう分かれ目だったと思うんだけど、なぜかそっちを取って、「やってみたい」と思ったんですよね。
そのときどういう気持ちだったのか分からないですけど。親はもう、どうしたらいいか分かんないから。二人とも。でもわたしは、「ここから自分との勝負だな」って思って。誰も助けてくれない。助けられない。もう自分しかないから。そしたら、8月の最後にある入試を受けてもいいって言ってもらえて。そこまで、ほんと死ぬ気で勉強しましたね。後がなかったから。
ひろき社長:
それで、そこに合格したんですね。
由佐:
そう、ラッキーなことに滑り込ませてもらった。でも、日本人がものすごく少なくて、その学年から高校から入るなんて英語力がない人は絶対無理だ、と言われてる学校だったんですけど、まぁ何とか入れて貰えて。で、入ったはいいものの、レベルもすごい高い学校だったから、今度は、宿題が何出てるのかも分からない。今度はついていくので精一杯。学校から帰ってきたら、まず仮眠して、夕飯まで寝るんですよね。その後、朝まで勉強して。
ひろき社長:
え~っ!
由佐:
宿題が終わらないから。ものすごい量の宿題が出るんです。英語が不慣れだし、英語で読み取んなきゃいけないから、辞書と首っ引きで。時間もかかる。そういう日々が長かったですね。半年ぐらいかな……毎日ではなかったですけど、半年~1年ぐらい経ったときに、やっと追いついたかな、やっと慣れたって感じになった。
でも、やるしかない。受けて立つしかないっていうような感じで、あの時と比べたら、本当にいまは、毎日がディズニーランド行ってるみたいに感じる。あんなにハードな生活はもうないから、精神的にも鍛えられたし、やることもものすごいハードだったから、あれがわたしのストレッチ幅の一番の底(基準)になってる。あれ以上苦しかったことがないから。
ひろき社長:
自分で選んだ道だからということで、腹が据わったってことですか?
由佐:
そうですね。あれは自分で選択したからだと思う。もっと日本人がいっぱいいるところに行って、ゆるゆるラクして生きようと思わなかった。自分としては、もう「やるしかないよね」って腹をくくるのが、そこでかなり腹据わった感じはあります。
ひろき社長:
あの、僕からしたら、みーちゃんって腹座ってる代表みたいな人ですけど、当時からそうだったんですね。
由佐:
いや、当時のそれで鍛えられているんですよ。わたし、前半が修羅場だらけだったから(笑)。来るものは全部引き受けないといけない、必然的に。父の都合で引っ越す。どんな国かも分からないまま行かなきゃいけないし、行ったら行ったで学校生活に馴染まないと友達もできない。言語ができないと相手にされないから猿以下ですよね。それも悔しくて、這い上がりたい。這い上がらないとダメだと思ってたから、もうそこはすべて賭けてやりました。で、高校生活があまりにもハードだったから、自分的には「もうラクして、帰国子女枠で日本の大学に帰って遊びたい」って思ってたんです。「わたしの青春を返せ」って感じだったから(笑)。
ところが、高2の終わりになって、突然また父がアメリカ転勤になっちゃうんですよ。わたしはもう日本の大学に行きたかったから、結構抵抗したんだけど、父が「アメリカにいい大学があるから一緒に行こう」って説得され、仕方がないから、今度はアメリカの高校に高3から編入し、1年間。その時も、高3で編入って、みんなコミュニティが出来上がってるから入る隙間がないんですよね。孤独だし、大学どっかに滑り込まなきゃっていう状態で、その1年も結構大変なんだけど……。
でも、シンガポールの学校が相当ハードだったから、それに比べたら「こんなラクでいいの?」って思うくらい全然ラクでした。ただ、アメリカは好きじゃなかったんですよね。シンガポールの学校は、いない国籍がないぐらい多様なコミュニティで、そこではグローバルってどういうことなのか、多国籍とか、多様であるとはどういうことか、みたいな感覚をすごく持ってた。アメリカは「人種のるつぼ」って言われてるから同じかなと思ったけど、全然違ったみたいな。
アメリカ独特の「ポリティカリー・コレクト」っていうんですが、表向きの平等性みたいなものと、裏のホンネが違う。特に東海岸はそれが顕著だった。表では本音は言わない。日本人が気に入らないとか、黒人が……とか、本当は思ってても、政治的に正しさを求められるから言わない。わたしにとっては、すごく偽り感が強かった。人間関係そのものが。表向きは仲良くして、明るく話しかけるふりをする。社交辞令は上手い。それがサバイバル術として求められる社会なんだけど、わたしはあんまり好きじゃなかった。
だからアメリカに住みたいとは全然思えなくて。大学も保守的なところだったから飽きちゃって。だから3年の時は、半年ワシントンDCにいて、半年フランスに行ってました。フランスはホームステイして、楽しくやって帰って来て。4年生の時に「もうこんなところ長くいるの嫌だ」と思って、1学期カットして単位を取りまくって早く卒業しました。3年半で。授業料もいらなくて済むし、わたしは「死ぬ気でやる」のに慣れてるから、ガッと取って早く卒業したって感じ。
ひろき社長:
で、そこから社会人になる?
由佐:
いいえ、まだです。日本に帰ってきて、ICUの大学院に入るの。やっぱり日本の学校に行きたくて。ゆるゆるやりたくて(笑)。大学院の2年間は、全然勉強しないで遊んでましたけど。先生に付いてバイトしながら、好きな家庭教師して、塾でバイトしたりして。で、その2年が終わって就職しました。
ひろき社長:
なるほど!この第1部、ハンパないですね。ジェットコースター感というか、環境の変わり様が。
由佐:
あらゆる苦しみと恐れを、なめ尽くした感じですよね。だから、精神的にすごいタフだと思います。未だに。そのタフさは、その環境が作りだしてるんですよ。元からもあるかもしれないけれど、その環境をくぐり抜けてきたということで育てられた感はすごくあるよね。
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(文字起こし・ここまで)


