ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
2026/06/18
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとりである、
由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。
昨日までの2回は
〝ザ・メンタルモデル〟発見に至るまでの
前史前段の話でしたが、
起点、動機、背景はとても重要なので、
未読の方はまずこちらから先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
今日は、前史前段の生いたちの話から、
〝ザ・メンタルモデル〟の発見に至るプロセスを
2017年1月に富山県氷見市で行われた
TEDのトークイベントで
由佐さんがプレゼンテーションする形で
話されている姿を収録した動画を
文字起こし付きでご紹介することにしました。
・世界にないものは、あなたの中にある | Mikako Yusa | TEDxHimi

(文字起こし・ここから)
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わたしは、日本で生まれました。父の仕事の関係で、9歳から22歳まで、3大陸4カ国で育ちました。最初に住んだ国は、ギリシャのアテネです。父は駐在員で、シルバーのBMWに乗っていました。ポンコツでよくエンジンがかからない車だったんですけれども、家族はよくその車で、中心街まで出かけていました。
よく行く交差点のところで、いつもそこに浅黒い肌の色をした子どもたちがいる場所がありました。信号が赤になると、その子たちは車に寄ってきて、コンコンと窓をノックするんです。「花を買って!」そう言って、わたしのほうを見ます。わたしはそのとき、全く同じ空間にいるのに、ドアを隔てた外側と内側にいるだけなのに、わたしのいる世界と、その子のいる世界は、全然違う世界なんだという感覚を覚えました。
それは、何か罪悪感のような、申し訳ないような、「何もできなくて本当にごめん!」という感じの、謝罪したいような、隠れてしまいたいような……言葉ではとても言いにくい、とても複雑な気持ちがありました。それは、もしかしたら、わたしがこの世界で最初に感じた「無力感」だったのかもしれません。
わたしはその後、日本に帰ってきました。その日本の中学校は、管理教育で有名で、初めて行ったその学校の始業式は、体育館を出るときに頭髪検査がありました。わたしは、そのようなルール———自分がよくわからないことだったり、すでにできているコミュニティの中で自分だけがよくわからない、という感覚。自分だけがいつも孤独だ、という感覚を、それから何回も何回も味わっていきます。
その後、父はまた転勤になり、シンガポールへ。わたしは死ぬ気で英語を勉強しました。だけれども、クラスに座ったら、一体宿題が何が出ているのかもわからない。そんな中でわたしは必死に、「その中に溶け込まなくちゃ」「自分だけひとりぼっちで、早くこの人たちの中に入っていかなくちゃ」そう思って、頑張って生きてきました。
日本に帰ってきてから、わたしはコンサルティング業界で仕事を始めました。基本的には、顧客の課題を解決する仕事です。何か問題を特定して、そこに対して「こういうことをやったら、その問題はなくなりますよ」という処方箋を書きます。それを顧客に提案して、行動を取ってもらえたら、現実は変わるはずだ。あらゆるロジカルシンキングを駆使して、わたしは仕事をしていました。
そこから、わたしの関心が人事———「人や組織はどうやったら良くなるんだろう」というキャリアに変わっていったときに、わたしは考え始めました。「どうしてこんなに外側で、一所懸命、何か行動したり直したりするのに、現実はなかなか変わらないんだろう?」確かに、一所懸命何か行動したら、一瞬物事は良くなったかのように見えます。けれども、また次の問題が起きてしまう。わたしの関心は、人や組織から、社会課題へと移っていきました。
この世界には、たくさんこの世界を良くしようと思って、活動したり運動したり、いのちを使っている人が、こんなにたくさんいるのに、どうして、なかなか現実は変わらないの?そんなとき、わたしは本当に自分は無力で、自分のやっていることが本当にちっぽけで、まるで、あの花を売りに来た子たちに何もしてあげられなかった———その無力感を想い出して、絶望するようになっていきました。
そんなときに、ある考えに出会います。「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」。この「内側の世界」が何なのかを知りたいと思うようになりました。外側で為す術がない課題がいっぱいある中で、もし、人間の内側の世界が何か変われば、外側の現実が変えられるんだったら、内側の世界をどう変えるのか、知りたいと思うようになりました。
その頃、わたしは人事の仕事をするようになっていて、毎日たくさんの人が相談に来ました。「部下が思い通りに仕事をしてくれない」「自分の家族のことで悩んでいる」「パフォーマンスが出ない」その悩みはみんないろいろでしたが、みんな何か「変えたい現実」を持っていました。わたしはその一人ひとりと一緒に、「自分の内側にどんなことがあるから、その現実が生まれているのか?」ということを、一緒に探し始めました。その数は、何年か経つと数百人を超えるぐらいになっていました。
わたしはその中から、ひとつの真実を見出したのです。どんな人の中にも〝痛み〟がある。そしてその痛みは、感情が守っています。悲しみや怒りといったものを、みんな一所懸命押し殺して。そして、その痛みを二度と味わいたくない、というふうに、人生で頑張って生きている。でも、その痛みを二度と味わいたくない、というふうに行動すればするほど、わたしたちは頑張っている気持ちにもなれるし効力感も感じられる。でも、そこから創り出す現実は、やっぱり不本意なんです。
わたしはこれを「欠乏モデル」と名づけました。大きく言うと、
「世界には愛がない」(もしくは「わたしは愛されない」)
「自分には価値がない」
「自分は何かが欠けている」
「わたしはひとりぼっちだ」
こんな信念を、みんな心の奥に持っています。
わたしのモデルは「ひとりぼっち」なんです。わたしは2歳のときに、妹が生まれるとき、母が流産しそうになって、祖父母の家に預けられました。わたしはそのとき、言葉を少し話していたようで、多分、事情はよくわかっていたんだ、というふうに親は思っていたんだと思います。でもわたしは、そのときに、自分の母親が突然目の前からいなくなってしまった悲しみを自分で封じ込めるために、「わたしはどうせひとりぼっちなんだ」という信念を創り出したらしいのです。わたしはそれに気づいたときに、自分のそれまでの人生を全部振り返ってみました。
高校に行ったときに、アメリカの高校で高校3年生で、もうみんな卒業間近で、みんな仲良くって、わたしは図書館でひとりで勉強して、ランチの時間、怖くて食堂に行くことができなかった。わたしは、ひとりぼっちだったんです。でも、その「ひとりぼっち」という体験は、みんなに言えば「それは頑張ったね」とか「環境のせいだ」と言ってくれるかもしれない。けれどもわたしは、その「ひとりぼっち」という体験を、自分で創り出しました。
わたしはこのひとりぼっちを回避するために、20代は死ぬ気で働きました。「自分は強くならなくちゃ」「誰に見捨てられても、わたしはひとりで生きていかなくちゃ」そんなふうに思っていたことに気づいたのです。わたしは人を信じていませんでした。どうせわたしは見捨てられる。いつかみんな自分の元から去っていく。そうやって人を試して、切られそうになると、自分からその人のところを離れていきました。
そんな自分の人生が、本当に走馬灯のように自分の中で巡ったときに、わたしははっきりわかったんです。わたしは人生を創り出してきた。そして、その創り出す大元になった信念は、わたしが望んだものではなかった。じゃあ、わたしが本当に望んでいる世界は何なのか?わたしがこの世界から新しい世界を創るには、わたしは本当は何を想い出したいのか?そしてわたしは、行きついたんです。わたしが欲しい世界は、身体がバラバラに見えたとしても、わたしたちは「いのち」として、ひとつにつながっているという世界です。
数年前に、あるアメリカ人の長老———ネイティブアメリカンと言われる部族の長老に出会いました。彼はわたしに、こう言ったんです。「人間は、本当に大事なことを、生まれてきたときに忘れてしまうんだ。でも誰もが、この人生をかけて、それを想い出していくんだよ」。わたしは、「いのちがつながっている」という世界をこの世界にもたらしたい。わたしがそれを生きるにはどうしたらいいのか、ということを試行錯誤し始めました。この世界にないものなんか、本当はないんです。
もしあなたが今、「この世界に愛がない」と思っているなら、あなたの内側にある愛を、「世界にこれがある」というふうに表現してください。その愛を、世界に与えてあげてください。もしあなたが、「自分は価値がない」と思っているなら、「人間はいのちとして、存在として価値がある。何をやっても、何ができなくても、価値があるんだよ」ということを、世界に表してください。もしあなたが、他の人と比べて、何か自分を劣っていたり欠けていると感じているなら、人間はみんなでこぼこで、一人ひとりできることとできないことがある。だからこそ世界は支え合える。だからこそ世界は、一人ひとりがユニークで、かけがえのない存在なんだ、ということを、世界に表現してください。もしあなたが、ひとりぼっちだと思っているなら、あなたは決してひとりではない、ということを想い出してください。
わたしたちはこれまで、「何かがない。だからもっとこうならなくちゃ。だからもっと成長しなくちゃ。だからもっといろんなものを手に入れなくちゃ」というふうに、わたしたちの外側の世界は、そんなふうにどんどん豊かになっていったのかもしれません。でも、わたしたちの内側の世界が、「自分はダメだ」「何かが足りない」――そんな世界でできていたとしたら、そこから創り出せる外側の世界は、本当に満たされた世界にはならないと思います。
でもわたしたちは、想い出せる。忘れてしまったものを今、みんなで。一人ひとりが想い出すときだと思います。一人ひとりが本当に自分の中にあること、本当にすべてあるということを想い出し、そこから現実を創る。どんなに世界に、それが「ない」というふうに思えたとしても、あなたが「ない」と思うのは、あなたの内側にそれが「ある」からだと思うんです。
わたしたちの社会は今、とても大きな転換期を迎えていると言われています。難民の数は増える一方で、核や放射能の問題もあるし、ひとりでは手に負えないと言われているような問題が、たくさん、たくさんあります。それでもわたしは、一人ひとりが本当に自分の中で大事にしたいものを想い出すために、世界の現実———わたしたちの外側の世界に起こることは、すべて起こっていると思っています。
そこからわたしたちが、自分の内側にあるものを想い出し、そこから本当に自分が生み出したい世界を創り出せたら、きっと世界は希望の持てる場所になっていくと思うのです。何かすごいことをやろうとか、何か大きなことをやろうとか、世界を変えなくちゃ、じゃなくって、一人ひとりが今、自分の半径5メーターでいい。この自分のつながっている日常の中で、自分が大事にしたい人たちとのつながりの中から、自分が本当に大事にしたいものを表現していける。そんな世界が、次の世界の希望を創っていけると、わたしは思っています。
自分たちの外側の世界は、それを想い出すためにすぎない。わたしたちは、幸せは内側で感じるから幸せなんです。何か外側で持っているから、何かがあるから幸せなんじゃない。わたしたちは、感じることができます。わたしたちにあることを感じて、わたしたちが「あるもの」から表現したときに、わたしたちは一緒にきっと希望を創っていくことができると思います。
この人生は本当に冒険で、人生はこの身体を通して体験をしていく。その体験から、わたしたちは「自分が本当は誰なのか」を想い出していく旅なのかもしれません。わたしたち一人ひとりがこれから、きっと一緒に支え合って、どんなことが外側で起きたとしても、そこから自分たちが本当に大事にしたいこと、そこから起こる力につながって、現実を創造していきたい。「人間は現実を創造できるようにできている。完璧に」わたしはそう思っています。
子どもたちに、孫たちに、その先の世代に、本当にこの豊かな自然と、この美しい環境を、わたしは残していってあげたいと思っています。わたしは誰よりもその自然を享受してきたと思うし、この豊かさをほんとうに人生で楽しんできました。だから、それを継続して渡していきたい。そして、ここにいらっしゃる皆さんも、きっとそうだと思います。そしてそれは、わたしたち一人ひとりの半径5メーターから、きっとできる。わたしはそう信じています。
ご清聴ありがとうございました。(拍手)
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(文字起こし・ここまで)
このプレゼンテーションでは、
メンタルモデルの発見に至るプロセスと、
四類型が示されていましたね。
以下、整理しておきましょう。
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◆4つのメンタルモデル(生存適合OS)
①価値なしモデル(I have no value)
特徴: 「私には価値がない」という感覚。
行動: 成果や結果を出し続け、自分の価値を証明しようとする。何もしない自分を許せない。
恐れ: 「役に立たない自分は愛されない」
②愛なしモデル(I am not loved)
特徴: 「私は愛されない、求められない」という感覚。
行動: 他者から愛されようと魅力的に振る舞う、または愛を奪い取ろうとする。相手の反応に敏感。
恐れ: 「誰からも愛されず、孤独になる」
③ひとりぼっちモデル(I am alone)
特徴: 「私は結局一人だ」という分離感・疎外感。
行動: 誰とも深く関わらず、自立して一人で生きようとする。感情を閉ざす傾向がある。
恐れ: 「人と深く関わって傷つくこと」
④欠陥・欠損モデル(I am flawed)
特徴: 「私には何か根本的な欠陥がある」という感覚。
行動: 欠陥を隠そうとし、完璧主義的になる。または、あえて欠陥のある自分を晒して反応を見る。
恐れ: 「根底から拒絶されること」
全ての人がこの四つの要素を
すべて持っているので、
グラデーションというかスペクトラムというか
その濃淡が個別に違うだけであって
自分がこの四類型のうちのどれに当て嵌まるかを
知ることが重要なのではありません。
でも、どうやらわたし自身は、由佐さんと同じ
ひとりぼっちモデルに最も親和性が高いようで、
そんなところも、
由佐さんの生き方やアプローチに
共感する理由なのでしょう。
さて、明日はドラマ『逃げ恥』の登場人物が
このメンタルモデルの
どれに当て嵌まるかを考察してみようかと。
おたのしみに!(^^)/
