ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
2026/06/19
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとりである、
由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。
今日の記事がその4回目になるので、
昨日までに投稿してきた記事を未読の方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
さて、昨日の記事では、
生いたちの話から、
〝ザ・メンタルモデル〟発見に至るプロセスを
由佐さんがプレゼンテーションされた動画を
文字起こしテキスト付きでご紹介しました。
・世界にないものは、あなたの中にある | Mikako Yusa | TEDxHimi
また、文字起こしテキストの後に、
4つのザ・メンタルモデルについて、
ざっくりとですが、概要を整理して示しました。

ところで、2/10から5/20まで
この寺子屋塾ブログでは、
100回にわたって、
TBSドラマ『逃げ恥』名セリフ&名場面集を
投稿したことがありました。
吉本隆明さんの『共同幻想論』を理解するのに
ドラマ『逃げ恥』のストーリーを
重ね合わせることが役立ったので、
由佐さんの〝ザ・メンタルモデル〟についても、
同じようにやってみるとどうなるかと。
せっかく知り得たことを
知っただけにしておくだけなら、
知らないのと大差ありませんからね。
何事においても、まずはやってみること、
知り得たことを現実の生活や仕事で活用してみて
自分で使いこなせるようにしていくのが
寺子屋塾の大切にしている流儀ですから。
それで昨日、記事の最後で予告したように、
ドラマ『逃げ恥』の登場人物が次の
4つのザ・メンタルモデルのどれに当て嵌まるか
考察してみようとおもいます。
①価値なしモデル(I have no value)
②愛なしモデル(I am not loved)
③ひとりぼっちモデル(I am alone)
④欠陥・欠損モデル(I am flawed)
とはいえこれは、登場人物の
性格を分析することが目的ではありません。
自分の〝痛み〟を避けるために
それぞれがどういう〝生存戦略〟を
発達させているのかという視点を土台に
人間観察を試みると、
見えてくることや気づきが沢山あるんですね。
もちろん、あくまでわたしの試論というか、
個人的な解釈にすぎず、
確定しているわけではないのはもちろん、
別の解釈も当然あり得ますし
異論、反論、大歓迎!です。
目的は、由佐さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について、
より多面的に理解するために
すこしでも参考になればという想いから
やってみようとおもったんですが。
①価値なしモデル「役に立たない・自分は価値がない」
⑴森山みくり:主①(副②)

みくりは典型的な「価値なしモデル」で、
その根拠は、まず第1話〜序盤の設定です。
(その98)の記事で紹介したように、
第1話では平匡に向かって
みくりがそれまでの経緯を語るシーンがありましたが
就職活動がうまくいかず、自分の能力や
学歴が社会にうまく接続されない状態に置かれます。
その中で、父親からの突拍子もない提案から
平匡のマンションに通い始め、結果として
家事労働が認められ、
「家事が仕事になったらいいのに」という発想から、
契約結婚へ向かっていく流れがありました。
みくりにとって家事は、単なる生活行為でなく、
自分が役に立てること/価値を
証明できる場所として捉えているわけで。
とくに「夫=雇用主、妻=従業員」という
契約結婚の構図は、
そうしたみくりにとってかなり象徴的です。
つまり、愛されるかどうかの不確かさよりも、
労働・対価・契約という見える形で
関係を成立させようとしている。
これは、「感情の場」では不安定だけど、
「役に立つ場」なら居場所を作れる、というのは
①の戦略に近いように感じるからです。
そういう意味で、
第10話ラストにあった「愛情の搾取」発言も
この見方を裏付けている重要なシーンでしょう。
平匡のプロポーズに対して、みくりは
「好きならば、愛があれば、なんだってできる」
という無償化の論理を拒みました。
これは一見、合理性やフェミニズム発言とも
受け取れるのですが、
ザ・メンタルモデル的に読むと、
自分の労働価値が〝愛〟の名のもとに
消されることへの強い恐れと読めるからです。
あと、副モデルとして②「愛なし」としたのは、
恋愛が動き始めた後の立ち居振る舞いからです。
たとえば、(その41)の記事で紹介したように、
新婚旅行という名の社員旅行の後、
第7話のエンディングで、
平匡に拒まれたシーンがありましたが、
みくりは「自分は求められていない」と傷ついて
母の桜が骨折したことを口実に、
303号室から実家に〝逃げる〟という
展開がありましたね。
第8話で、平匡がみくりの残した料理を
手に取れずにいたこと、
みくりが実家へ帰ろうとしたときに
二人がバスですれ違うことなどはすべて、
役に立つ存在であろうとしたみくりが、
愛の場面で傷ついた流れとして読めます。
つまり、みくりは、
「わたしは役に立てるなら、ここにいていい」
「でも、役割を超えて本当に求められるかは不安」
「だから、愛情だけに依存する関係は怖い」
という構造を持っているように
わたしには見えた次第。
⑵土屋百合:主①(副④)

百合もかなり強く①「価値なしモデル」で読めます。
独身・アラフィフ・管理職・キャリア女性
として描かれる彼女は
「仕事ができる」「かっこよく生きる」ことで
自分を支えてきた人物です。
頑張ってきた、と語られるように、
百合は自分の価値を
能力・自立・仕事上の強さで保ってきました。
第3話で大学の同期に
バーで口説かれそうになったときの
「一人って、どうしてこう足元見られるのかしら」
というセリフも象徴的でしょう。
これは単なる独身女性の嘆きではなく、
「未婚者」「若くない」「母ではない」ことで、
社会から価値を低く見積もられる痛みへの反応です。
さらに、(その11)の記事で紹介した
五十嵐杏奈に対して
「あなたはずいぶんと、自分の若さに価値を
見出しているのね」と言う場面がありましたね。
ここでは百合自身もまた、社会が女性に押しつける
「若さ=価値」という呪いと
戦ってきたことが見えます。
最終話で百合が「私たちのまわりには、
たくさんの呪いがある。そんな呪いからは
さっさと逃げてしまいなさい」と言う流れは、
自分自身を縛ってきた価値観からの解放でも
あったことでしょう。
副④「欠陥・欠損モデル」としたのは、
風見との関係から、そのように判断しました。
百合は本心では風見に惹かれているのに、
「親子ほど年が違う」と言って、
年齢差を理由にかわそうとします。
風見の本気を冗談や理屈で遠ざける姿には、
「若くない自分」「恋愛対象として
見られるはずがない自分」という、
根本的な欠損感が見えますね。
つまり百合は、〝仕事ができるわたし〟で
価値を保ってきたけれど、
〝女として愛されるわたし〟には
自信がない人物として見ると、
①+④の配置がしっくりくるんじゃないでしょうか。
⑶森山栃男:①寄り
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栃男は登場するシーンが少なく、
主要人物ほど内面が深掘りされていないので、
これはかなり推測の混ざった考察ですが、
4つのうちに分類するなら①寄りだろうと。
栃男は、みくりの父として、
家族を明るく支える役割を担っています。
平匡を激しくハグする場面や、
みくりの全記録を平匡に見せるような場面には、
感情を細かく言語化するよりも、
父親として場を盛り上げ、家族を包み込み、
役割で愛情を示す傾向が出ています。
①の「役に立たない自分は愛されない」が
強烈に出ているというより、
〝父として機能すること〟によって、
家族内の居場所を保っている人という意味で、
敢えて4つのどれかに分類するなら、
価値なしモデル寄りと見るのが自然ではないかと。
②愛なしモデル「わたしは愛されない・世界には愛がない」
⑷風見涼太:主②(副④)

風見は、一見「愛なしモデル」に見えにくいので、
意外におもわれる方もいらっしゃるでしょう。
むしろ、イケメンでモテるし、余裕あるし、
傷ついていないように見える。
けれど、そこがまさに②の〝成熟した防衛〟として
読むことができるんじゃないかと。
風見は、軽やかで、誰に対してもスマートに
距離を取れる人物として描かれています。
しかし、こちらの記事で取りあげた第8〜9話で、
中学時代の恋人の話が出てきていましたね。
彼女が「私は地味だし、かわいくないし……」
という自己否定を抱えていたこと、
風見が結局その相手を
どうにもできなかったことが語られてました。
この過去の体験は、風見にとっては、
「自分が誰かを本当に愛しても、その相手を
救えるとは限らない」「心でつながることは難しい」
という感覚につながっているように見えます。
だから風見は、恋愛に深く踏み込みすぎず、
魅力的に振る舞いながら、どこか一歩引いています。
とりわけ百合との関係で、
風見の②がよりはっきり見えます。
風見は百合に本気で惹かれていき、
「僕はかっこいい百合さんが好きです」
と伝えますが、
百合には年齢差でかわされてしまった。
風見はそこで、軽い遊びでなく、
ちゃんと「求めている」ことを伝えようとします。
副④は、風見の〝見た目のよさ〟や
〝ハイスペックさ〟の裏にある、
「それでも本当の自分は届かないかもしれない」
という感覚からです。
もちろん、風見は愛されない人ではないし、
むしろ外側では愛されやすい。
だからこそ、彼の痛みは、
表面的に好かれる。でも本当に目の前の相手と
心でつながれるのか?という不安が
拭えないところにあるように見えたんですが。
⑸田中安恵:主②

みくりの同級生やっさんこと安恵は、
夫の浮気や離婚を経て、
シングルマザーとしての生活を背負っていることから、
②「愛なしモデル」と見做すのは自然だし、
おそらく異論がないでしょう。
やっさんは漫画の原作にないキャラなんですが、
第3話で、旦那の浮気に
悩まされている親友として登場しました。
②の核は「私は愛されない」「選ばれない」
「求められない」という痛みです。
やっさんの場合、夫の浮気は
その痛みをさぞ強く刺激したことでしょう。
だからこそ彼女は、怒りや強さ、
元ヤン的なたくましさで自分を守ります。
ただしやっさんは、
単に「愛されない人」ではありません。
実家の八百屋や、みくりとの友情、
子どもとの関係の中で、
②の痛みを抱えながらも、
生活の中で回復していく人といっていいでしょう。
つまり、このドラマでやっさんは、
「パートナーから愛されなかった痛み」を、
女友達・家族・子どもとのつながりで
再構築していく人物として捉えました。
⑹堀内柚:主②(副③)

堀内は、登場するシーンが少ないので
慎重に考察する必要があるんですが、
この、②+③という組み合わせは
なかなかユニークな存在なんじゃないでしょうか。
堀内は、百合の職場側の若い女性として、
百合や梅原との関係の中で現れます。
特に、百合・梅原・若い女性たちの職場パートは、
「若さ」「女性性」「評価」「セクハラ/パワハラ」
「見られ方」の問題が扱われていました。
堀内の②は、若い女性として「どう見られるか」
「どう扱われるか」に敏感なように見えて、
その行動が、根っこのところで、
「自分はホントは愛されていないんじゃないか」
という怯え、恐怖からきているんじゃないかと。
(その45)の記事で紹介したんですが、
第1話のカフェで百合、梅原と話してるとき、
風見の「無くても困らないものをわざわざ買う?」
という発言に、ただ一人だけ
共感を示していたことがありました。
愛される/選ばれる/かわいがられるという
外側の反応に影響を受けやすくても、
その動機が、人からの愛情や人の見方を本当は
信じていないからではないかとおもったので、
そう判断してみたんですが。
一方で副③は、
職場の空気の中で本音を出しきれない、
若い世代特有の孤立感からです。
たとえば、第7話の後半で、同僚に向かって
「人のことあーだこーだ言う暇あったら
土屋さんの半分も仕事すればいいのに」と
ハッキリ発言するシーンがありました。
そうやってまわりから孤立することを恐れずに
自分の感覚をまっすぐ出しつつも、
どこか距離を取っているように見えたからです。
堀内は、主要人物ほど深く描かれませんが、
〝愛される若さ〟を武器にしつつ、
ホンネのところでは愛に絶望し、
本当にはわかってもらえない
孤立感を抱える若い女性として考察すると、
②+③が見えてくるんじゃないでしょうか。
……ってな感じでおもいつくまま書いてきましたが、
こんな感じで書き続けていくと
ちょっと収拾がつかなくなくなりそうなので、
③ひとりぼっちモデル
④欠陥・欠損モデル は、
明日投稿することにしましょう。
では、この続きをおたのしみに!(^^)/

