ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
2026/06/20
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとりである、
由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。
昨日までに投稿してきた記事を未読の方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
さて、昨日から、
ドラマ『逃げ恥』の登場人物が
4つのザ・メンタルモデルのどれに当て嵌まるか
考察する記事を書きはじめたんですが、
①価値なしモデル(I have no value)
②愛なしモデル(I am not loved)
の2つを書いただけで結構な分量になってしまい、
そこで一区切りとさせてもらいました。
ですから、今日はその続きとして、
③ひとりぼっちモデル(I am alone)
④欠陥・欠損モデル(I am flawed)
を書いて行きますね。
③ ひとりぼっちモデル「わたしは結局ひとりだ」
⑺津崎平匡:主③/副④

平匡は、最もはっきり
③「ひとりぼっちモデル」として読める人物です。
(その12)の記事で紹介したシーンで
彼は自分を「プロの独身」と位置づけていました。
これは単なる独身生活の長さでなく、
何よりも他者と深く関わらないようにすることで
自分を守る〝生存戦略〟と言ってよいでしょう。
恋愛や親密さを避け、生活を整え、
ルールと距離で安全を確保する。
(その60)の記事でコメントしたんですが、
何よりも第5話のハグ交渉シーンは、
その象徴だという風に捉えました。
ハグという本来は
感情的・身体的な親密さを表す行為を、
平匡とみくりは
「交渉」「提案」「合意」「頻度」といった
契約の言語で処理しようとします。
これは、親密さに入りたいのに怖い二人が、
共同幻想=契約やルールを使って、
対幻想=二者関係の熱と怖さに
近づこうとする場面と捉えました。
第7話のキス後、平匡がみくりから
距離を取る場面も③の反応で、
近づきたいのに、近づいた瞬間に怖くなって逃げる。
(その40)の記事で触れた
ドア越しメッセージのやり取りなどは、
まさに「近づきたい/でも直接は怖い」という
平匡の距離感を表しています。
副④「欠陥・欠損モデル」は、
「自分は普通ではない」
「自分には恋愛や結婚は起こりえない」
という感覚に出ていました。
つまり、第10話で平匡が
「自分には起こりえない話だと思っていた。
ですが、みくりさんと出会って変わった」
と語る流れは、彼の根底にある欠損感が、
みくりとの関係で揺らいでいく場面です。
また、(その63)の記事で紹介した、
第8話「因数分解/素因数分解」の場面も
象徴的でした。
自分の気持ちを開こうとしている大事な場面で、
平匡が言葉の定義に引っかかる———これは、
彼の理系的な可愛さでもありますが、
同時に、感情の高圧に直接触れるのが怖くて、
言葉の正確さに逃げるとも読めます。
平匡は、
「ひとりでいれば安全。でも本当はつながりたい。
けれど、つながると自分の欠陥が露呈しそうで怖い」
という③+④の構造を
持っているんじゃないかと。
⑻梅原ナツキ:主③寄り

梅原は、平匡ほど
内面が描かれていたわけでなく、
かなり想像を含んだ私見ではあるんですが、
③寄りの人物と読むと納得できるんではないかと。
彼は百合の部下として登場し、
職場では飄々と仕事をしています。
(その66)の記事で触れたように、
最終話付近では、百合と風見の関係、
そして自分自身のセクシュアリティや
人間関係の問題が浮かび上がっていました。
ポジティブモンスター・五十嵐杏奈とともに、
物語に欠かせない脇役として
欠かせない人物の一人と言ってよいでしょう。
とても印象的だったのは、「いいじゃないですか、
それくらいのハードル。生きて会えるんだから」
という彼の言葉です。
これは一見、軽い台詞に見えて
人と人との関係性の本質を突いていて、
大きな困難や違いがあっても、
生きて会えるなら関係は可能だ、という見方です。
最終話では、沼田との同性カップルにも触れ、
星野源による主題歌『恋』の歌詞
「夫婦」「二人」「一人」という問題を超えていく
登場人物として描かれていましたね。
梅原の③は、自分を全面的に理解されることを
初めから期待しすぎず、それでも
関係を諦めない距離感にあります。
つまり、平匡のように閉じた孤独でなく、
もっと軽やかで現代的で成熟した③ではないかと。
⑼沼田頼綱:主③
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沼田も③「ひとりぼっちモデル」の
成熟形として読むと面白い人物ですよね〜
彼はゲイとして描かれ、
周囲を観察する鋭さを備えていました。
平匡に対しても、契約結婚の不自然さに
早くから気づきます。
沼田は、男目線と女目線の両方を持つからこそ
鋭い、と言及される場面もありました。
この「鋭さ」は、単なる勘の良さでなく、
周縁にいる人への観察眼です。
自分が多数派のど真ん中にいないからこそ、
人の嘘や距離感、不自然さに敏感になる。
これは③の「わたしはひとりだ」という感覚が
成熟すると、場を読む力・人の孤独に
気づく力へと変わる例なのでしょう。
第10話で、沼田は平匡をリストラ対象として選ぶ
苦しい役割を担います。
それでも平匡との信頼関係が完全には壊れない。
これは、沼田が単なるお調子者でなく、
厳しい現実もきちんと引き受ける人物として
描かれているからでしょう。
最終的に、沼田と梅原の同性カップルも、
「それぞれが自分の生き方で幸せを選ぶ」
物語の一部として配置されていましたね。
沼田は、孤独を知っているからこそ、
人の孤独を見抜き、場をつなぐことができる人。
だから、③の成熟形という読みが
妥当なのではないかと。
④ 欠陥・欠損モデル「私には根本的に何かが欠けている」
⑽森山桜:主④

森山桜は、表面的には明るく家族思いの母です。
ただ、④「欠陥・欠損モデル」で読むなら、
その根拠となるポイントは「自分がいなくなった後、
家族は大丈夫なのか」という不安です。
(その8)の記事で紹介したように、
第8話には、桜が骨折し、家事や生活の流れが
崩れてしまうシーンがありました。
このとき桜は、夫に厳しくする理由として
「もしわたしが先に死んだら……」という
不安を抱えていることが示されます。
これは、単に夫を鍛えたいのでなく、
自分が担ってきた家庭機能が失われたとき、
家族が壊れてしまうのではないかという
欠損不安から来ていたのでしょう。
また、星野源さんが語った
第8話の好きなシーンとして、
桜が「みんな帰っちゃって寂しいな」と言い、
その後みくりに「ずっといてもいいのよ」
(ホンネではそうではない)という
母子の会話が挙げられていました。
ここには、母として娘を手放す寂しさと、
家族の中で自分が満たされたい気持ちという
二重構造が滲みでています。
桜の④は、平匡のような
「自分は恋愛できない」という欠陥感ではなく、
もっと生活者的な欠陥感ではないかと。
わたしがちゃんとしていないと家族が困る
わたしがいなくなったらどうなるのか
母として、妻として、十分だったのか
という形で出ています。
それで桜は、〝家庭を支えてきた自分〟の裏側に、
「自分が欠けたら家族が崩れるのでは」という
不安を抱えた人として、④に置いてみました。
⑺津崎平匡:副④
前記したように、平匡の主モデルは
③ひとりぼっちと判断したんですが、
副④欠陥欠損も非常に強いんじゃないかと。
この④は、「自分には恋愛や結婚が起こりえない」
「自分は普通ではない」という自己認識からです。
だから、みくりが近づいてくると
嬉しい一方で、怖くなるという二重構造。
新婚旅行後のキス、ハグ、みくりの好意の表明など、
親密さが増す場面ほど、
平匡は逃げたり固まったりします。
(その74)の記事で紹介したんですが、
第8話で、みくりがいなくなった部屋に
残された料理を平匡が手に取れなかったことは
いちばん象徴的だったと言えるでしょう。
彼は料理そのものではなく、そこに込められた
みくりの気持ちを直視できなかったわけで。
後に「自分の気持ちでいっぱいで、
みくりさんの残していってくれた料理を
手に取ることもしなかった」と反省する流れは、
平匡が自分の未熟さ・怖さに気づく場面です。
つまり、平匡の④は、
「親密になれば、自分の未熟さや
欠けた部分が露呈してしまう」という恐れです。
だから彼は、ルール化し、契約し、
言葉を正確にし、距離を取ろうとする。
こんな風に、③の孤独戦略と④の欠損恐怖が、
かなり密接に絡んでいるんじゃないかと。
昨日今日2日間で書いて来た内容を
表にまとめてみました。

この続きはまた明日に!(^^)/
