ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
2026/06/21
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までに投稿してきた記事を未読の方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
さて、ドラマ『逃げ恥』の登場人物が
4つの〝ザ・メンタルモデル〟のどれに当て嵌まるか
考察する記事を2回にわたって投稿しました。

それで、記事を読んだ塾生のひとりから、
「日野さん入ってなかったけど、どうして?」
と聞かれたので、
今日は、そのことについて書いてみようと。

実は、昨日までの2回の記事中に
日野秀司を入れなかったのは
入れてないなりの理由があったんですが。
その結論を最初に書いておくと、わたしは
このドラマ『逃げ恥』において日野は、
「4類型の欠乏が比較的薄いバランサー役」を
果たしているように受け止めたためです。
でも、そういう意味で、
この日野秀司という人物の、
〝ザ・メンタルモデル〟の分類を
考察してみることで、彼がこのドラマ上では、
かなり面白い存在なんだなとも改めて感じました。
よって、もし敢えて4つのどこかに
分類しなければならないということなら、
①価値なしモデルの健全寄り/生活者型で、
ただし欠乏はかなり薄い
と見るのがよいとおもいます。
1.「役に立つこと」で関係を支える人
日野は、平匡と同じ3Iシステムの同僚ですが、
彼だけはかなりはっきり〝家庭を持つ普通の生活者〟
として描かれているんですね。
これまで書いてきたように、
平匡が「プロの独身」、
風見が「結婚に興味がないハイスペック独身」、
沼田が観察者・媒介者だとすると、
日野はその中で唯一、結婚・子ども・家庭を
日常の中で引き受けている人物と言えるので。
たとえば、(その80)の記事で紹介したように
第3話で、ぶどう狩りに行く予定だったのに、
子どもが風邪をひいて
キャンセルする出来事がありました。
結果として、沼田と風見が代わりに来るのですが、
つまり日野は「家庭の事情で予定を変える人」
として描かれています。
何かが欠落していることが動機としてあって
「家族のために動く」「父・夫として機能する」
というよりは、
自分の居場所をちゃんと見出しているという意味で、
もし、敢えて分類する必要があるなら、
①価値なしモデルの穏やかな形 と判断した次第。
2.平匡の「ひとりぼっち」と対照になる存在
日野は、平匡の対照的な存在として重要です。
平匡は「プロの独身」として、
他者と深く関わらない安全地帯にいます。
一方の日野は、家庭があり、子どもがいて、
面倒なことも多いけれど、そこから逃げていない。
日野は、平匡にとっての
「普通に家庭を持っている男性」のサンプルです。
ただし、ドラマ『逃げ恥』はこの日野を
理想化しすぎているわけではないんですね。
家庭があるから偉いとか、
結婚しているから完成している、
という描き方でなく、
家庭持ちには家庭持ちなりの制約・面倒・役割が
あるものとして描いています。
つまり日野は、平匡に対して、
人と暮らすことはいろいろ面倒だけど、
そうした面倒さの中にも
普通に生きている人がいるという
現実を見せる存在だったといえばいいでしょうか。
3.「結婚は楽しいし」と言える軽さ
つまり日野は、結婚を過剰にロマン化するわけでも、
過剰に否定する存在でもありません。
第1話〜序盤の同僚たちの会話の中で、
既婚者の日野は、結婚について
比較的自然に「楽しいし」という立場を取ります。
一方で、風見は結婚を
「必要ないものを買う行為」のように捉える
独身男性として対比されていたわけで、
ここが日野らしいところなんですね。
日野にとって結婚や家庭は、
思想でも理想でもなく、生活そのもの。
この「生活として引き受けている」感じが、
①の健全形に近いのではないかと。
①価値なしモデルというのは、こじれると、
役に立たなければ愛されない
稼がなければ価値がない
家族を支えられなければ自分はダメだ
になりがちです。
でも日野の場合、そこまで悲壮感はありません。
むしろ、家族がいるから予定は変わるし、
子どもが熱を出せばそちらを優先する。
でも、それも含めて生活なんだよねという、
かなり地に足のついた人物ですから。
4.物語上の役割は「普通の生活の代表」
このように日野は、
このドラマのメインの恋愛軸に
大きく絡む人物ではありませんが、
作品全体の中では大事な役割があります。
最終話でも、日野夫婦が子どもとともに登場し、
百合と風見、沼田と梅原、やっさん、
みくりと平匡たちと並んで、
それぞれの形の幸せの一部として描かれてました。

つまり、日野夫婦は、
〝普通の夫婦〟に見える人たちにも、
その人たちなりの生活があるという位置にいる
存在なんですね。
そもそも『逃げ恥』は、
「結婚している人が正解」
「独身は未完成」という物語ではありません。
むしろ、結婚・独身・契約結婚・同性カップル・
シングルマザー・年の差恋愛等々、
いろいろな形をフラットに並べて見せる作品です。
その中で日野は、
いわば〝既婚・子持ち・会社員〟という
世間的に最も一般的に見えるモデルを
担当していたんだと。
よって、日野をどうしても4類型に入れるなら
①価値なしモデル/生活者型・健全寄り
ではないかと。
5.根っこの信念として想定できるもの
自分は、家族や周囲の役に立っていることで
居場所を持つ。
夫として、父として、会社員として、
ちゃんと役割を果たすことが大事。
ただし、みくりや百合ほど
「価値を証明しなければ」という切迫感は弱いです。
なぜなら、みくりの①は、
「役に立てなければ、ここにいていいかわからない」
に近い存在だったし、
百合の①は、「仕事ができる私でなければ、
社会に価値を認められない」に近い。
その点、日野の①は、もっと穏やかで、
「家族や職場の中で、自分の役割を普通に果たす」
という形なんじゃないかと。
6.他のモデルでない理由
②愛なしモデルではなさそう
日野には、「愛されたい」「選ばれたい」
「見捨てられたくない」という切迫した動きは
ほとんど見えません。
家庭内での愛情不安よりも、
生活上の役割を淡々と引き受けている印象です。
③ひとりぼっちモデルでもなさそう
平匡のように、自分だけの安全な領域を作って
閉じこもる感じもありません。
むしろ、家庭・会社・同僚関係の中に
ごく普通に属していました。
④欠陥・欠損モデルでも薄い
「自分には根本的に何か欠けている」という痛みも、
日野にはあまり前面化していません。
もちろん、人間ですから、内面には
きっと何かを抱えていることでしょうが、
ドラマ上はそこまで描かれていません。
以上をまとめると
日野秀司は、メンタルモデル的には
次のように置くのがよさそうです。

一言でいうと、
日野は 「欠乏に強く駆動されている人」でなく、
〝役割を引き受けて生活している人〟です。
そういう理由で、昨日までの2回の記事では
敢えて4類型には入れなかったんですが、
無理無理にどこかに入れるとするなら
①価値なしモデルの健全形
でも、このドラマ『逃げ恥』の作品構造上は、
平匡たちのこじらせを
浮き彫りにするための〝普通の生活者ポジション〟
と見るのが
わたしには一番しっくりきたんですが。
……なんて、気づいてみると、
日野ひとりだけで、
随分長い記事を書いてしまったんですが、
皆さんなら日野をどう分類しますか?
この続きはまた明日に!(^^)/
