寺子屋塾

真・仏教入門「釈迦は何を悟ったのか」(苫米地英人)

お問い合わせはこちら

釈迦は何を悟ったのか(苫米地英人の「真・仏教入門」)

釈迦は何を悟ったのか(苫米地英人の「真・仏教入門」)

2026/05/29

5/23からこの寺子屋塾ブログでは、

お釈迦さまの臨終のことばとされる

「自灯明、法灯明」について

書いています。


今日の記事も昨日までの続きなので、

これまでの投稿を未読の方は

まず、以下から先にご覧下さい。

ブッダ臨終の言葉「自灯明、法灯明」について

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【訳文】

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【井上の解釈】

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その1)
ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その2)

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その3)

ヴィパッサナー瞑想とは(GABAラボ動画の文字起こし)

 

昨日は、ヴィパッサナー瞑想についての

解説動画を文字起こししてシェアしました。

 

GABAラボの動画は、仏教の歴史や

釈迦の生涯を概観しながら、

ヴィパッサナー瞑想に初めて触れた方に向けて

投稿者自身の体験も踏まえた

わかりやすい内容になっていましたね。

 

さて、今日も動画の文字起こしテキストの

紹介なんですが、

2025年のふりかえり「年間読書ベスト24」(その18)
で紹介した苫米地英人さんが

お釈迦さまの悟りについて語っている

動画の文字起こしです。

 

2010年6月17日に

『なぜ、脳は神をつくったのか』発刊記念

イベントとして

USTREAMにて生配信されたものなんですが、

このとき、水道橋博士さんは

体調を崩されて出演されず、

苫米地さんの独演会になりました。

 

 

以下のテキストは、

USTREAMで話された内容を編集して

配信されている切り抜き動画をもとに

さらに重複している箇所をカットし、

編集して中見出しをつけたものです。


(文字起こしテキストここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日、皆さんに教えてあげます。仏教に興味ある人、特に皆さんがお坊さんだったら———「釈迦は空も縁起も悟っていない」という話を、今日はします。


お釈迦さんが菩提樹の下で悟った、というのは有名ですよね。もちろん「本当に菩提樹の下で悟ったのか」みたいなことは、歴史的に本当にどうかという別のディスカッションがある。でも、いったん歴史的事実として「悟った」こと自体は事実だと置きましょう。で、「悟った内容は縁起である」という言い方をするのが上座部仏教、いわゆる原始仏教。いや、そうじゃなく「空である」という言い方をするのが大乗仏教。でも俺が言いたいのは、釈迦が悟ったのは縁起でもなけりゃ空でもない、ということ。どっちでもない。これからそれを教えてあげます。

 

釈迦はどうやって悟ったのか(推定されるストーリー)

まず、釈迦っていう人がどうやって悟ったか。もちろん歴史だから、我々は具体的に本当に分かるわけじゃない。だから、書かれたものからの推測になるけど、書かれたものがある程度正しいとするなら———お釈迦さんはクシャトリヤ(王族階級)だよね。王様の階級。まあ、戦士階級でもあるけど、その中でも最上級の王様の子どもとして生まれた。ネパールとインドの辺り。今の国境線はあんまり重要じゃないから、北インド〜ネパールのあたりに釈迦族の国があって、そこでバラモンでもないのに、バラモンになりたくなって出家して修行を始めちゃった人だよね。
 

本にも書いてあるけど、普通だったらその時点で殺されてる。というのは、今だってインドはカーストが厳しく残ってる国で、特にあの時代は階級がもっと厳しかったから。僧侶の仕事をしていい人は、僧侶として生まれた人だけって決まってた。いくら王様の息子でも、そんなことはできないわけだ。でも彼が生き延びたのは、おそらくこういう事情がある。釈迦族の国の中で王子様がバラモンの真似事をしてたわけだから、周りも「うちの王様の息子だから」ってことで、ある程度甘やかしたんでしょう。

 

もちろん、その後マガタとかいろんな国も行ってるんだけど、釈迦族の国と友好国のあたりを回ってたわけだから、今で言うなら「子会社の社長の息子が最近なんか放蕩してるらしいよ。まあいいんじゃない?」くらいの扱いだったんだろうね。だから、お釈迦さんがもしクシャトリヤの出じゃなかったら、絶対殺されてた。そしたら仏教は成り立たなかったと思う。

 

教団の初期事情(出家者の条件・女性出家の背景)

もちろん釈迦は、女性の出家を当分認めてないんだけど、おそらく下の階層の出家も最初はなかなか認めてないのね。最初、釈迦の弟子になったのは、自分だけで1000人、5000人ぐらいの弟子を持ってたウルヴェーラ・カッサパみたいな、バラモンの有名な先生たちが弟子になったわけ。だから、教団がでかくなるのも早かった。最初は下の階層とか女性の出家を認めてない。日本のお寺で「女人禁制の寺」みたいになったりしたけど、あれは論理が違うのね。

 

あの時代の釈迦の弟子たちは資産が限られてて、出家するなら基本は全財産を家か地元に布施して出家していかなきゃいけない。新宗教みたいに「全財産を教団に寄越せ」とかいうのは嘘で、教団なんかに持ってったら怖い。教団は最初から一文無しなんだから。教団に持っていくんじゃなくて、家に置くか地元に寄付してくる。で、無一文になってくるわけ。そうすると裸一貫で来た人が持てるものって、正確には全部伝わってないかもしれないけど、「衣三枚と鉢と爪楊枝」だと言われてる。
 

衣三枚のうち、一枚はその時着る。糞尿衣(ふんにょうえ)って言うんだけど、死体をくるんでた布を洗って継ぎはぎして着てたのね。釈迦以前の時代は輪廻転生を認める世界でしょ。死んだ瞬間に魂は次の生で生まれ変わるわけだから、死体はただの〝もの〟じゃない。でも釈迦は、死後の世界や霊の世界を完全に否定した人だから、死体から布を取っても「寒いだろう」とか「泥棒だ」とか言わない。死体を身ぐるみ剥いで、くるんでた布を川で洗って、それを継ぎはぎして作った服が袈裟。だから、今でも袈裟が黄色い色なのは、本当は糞尿や血液の色。いつの間にか金の布みたいになっちゃったのは仏教の堕落ね。今でも袈裟って継ぎはぎのパッチワークじゃん。元々そういうボロ布を繋いでた名残りなの。
 

それが三枚認められてたの。その三枚の使い方は、いま着るやつ、地面に敷くやつ、洗濯用。当時の決まり事で、仏弟子はベッドに寝ちゃいけないって書いてある。地面に寝ろ。家の中だったら床に寝ろ。贅沢だから。欲望を否定してるから。食事は、午前中に鉢を持って歩いて、施しを入れてもらって食べる。一日一食が基本。後に子どもの出家を認めるようになってからは、子どもは二食食べていい、ってことになったらしい。成長のためだよね。それと爪楊枝は認められた。虫歯が多かったんじゃないか。こういう生活だから、泥棒に遭うことも少ない。死体をくるんでた布なんて盗まないでしょ。
 

でも、こういう状況だから女性に出家されちゃ困る。女の子が少ない荷物で外を歩いて地面に寝る、なんて現実的じゃない。だから女性の出家を渋ったのね。ただ、北インドのあたりは雨季がすごいから、雨季の間雨をしのぐために精舎に住むようになって、だんだん長時間いられるようになり、季節を通して中に住むようになってから、ようやく女性の出家を認めていく。そういう歴史を知らないで「寺には女人禁制」と言われても、意味が違うわけ。

 

カースト外の出家がもたらした反発(推測)

それでも、カースト外の出家を認めたのはさすがにヤバい。というのは、バラモン教はカーストを徹底することで成り立ってるから、当時の主流宗教ね。王子がクシャトリヤで上から二番、しかも一番上の家柄。そんな人物が宗教者の真似事をするぐらいなら、まだ大ごとにならなかったかもしれない。でも一番下のアウトキャストを僧として認定しちゃったってことは、ものすごい反社会的。実際、その頃から釈迦の元にいたバラモンも含めて、当時の権力者たちが敵対した可能性は高い。

 

最期(チュンダのキノコ)について

仏伝では、チュンダっていう在家の仏弟子がキノコをどうぞって出した時に、それがたまたま毒キノコで当たって死んだってことになってる。でも宗教として見たらなんて正直な宗教でしょ(笑)。普通は宗教の教祖は話を盛って超能力者とか言うわけじゃん。それが毒キノコに当たってお腹壊して死にました、だぜ。復活もしない。仏教って正直者でしょ。ただし、チュンダが毒キノコを盛るわけはないから、もしかしたら誰かが忍ばした可能性はあるよね。でももちろん、具体的な本当のストーリーが分かってるわけじゃない。

 

「菩提樹の下で悟った」まで

一般に言われてるのは、釈迦は菩提樹の下で悟ったって話。悟る前の釈迦は、バラモン修行を真似てた若き王子だった。ものすごい苦行をしたのね。ある時、本当に腹ペコになって衰弱して、餓死する直前だった。山で倒れて行き倒れた。


そこに有名なスジャータっていう娘がいて、当時の文化で言うと、釈迦は見た目がバラモンに見える。バラモンはどんなボロい格好してても修行中ならありがたい人たちだから、布施をすると良いカルマを積める。そういう宗教を信じる親に育てられた子どもなら、ごく自然に「お布施しなきゃ」と思う。スジャータは、行き倒れた釈迦に乳粥を与えた。両親は裕福な商人だったみたいだけど、「娘が良いことをした。続けなさい」みたいな感じだったのかもしれない。逆に言うと、その段階での釈迦は、言い方は悪いけど図々しい乞食だったとも言える。人の家のそばで倒れて、乳粥もらったらラッキーと思って住みついちゃった人だぜ。悟る前だからしょうがないけどね。
 

それである時、菩提樹の下で悟った。「菩提樹」という名前も、悟った後に周りの子どもたちが名付けたって話もある(本当かどうか知らんけど)。そして「あなたのことをブッダって呼んでいいですか」って。ブッダってのは「目が覚めた人」って意味ね。

 

ここから本題:縁起/空は「悟りの内容」ではない

そこで菩提樹の下で悟ったことは何か。昔「小乗仏教」って言われたやつね。あれは大乗側が言った差別的な言葉だから、今は「上座部仏教」とか「部派仏教」って言う。釈迦のオリジナルに近いところでの考え方は「縁起」という呼び方をする。十二支縁起だよね。無明から始まって、誤った認識が生まれて……という体系。

 

一方で後の大乗仏教では、釈迦の遺骨(仏舎利)に価値があると思い始めた。舎利を祀ってるところをストゥーパって言う。そこに集まって、釈迦が生前語ってたことがいろいろ書いてあるものを読みながら、ストーリーを作って華々しく大袈裟に語る。その中で華厳とか法華とか、大乗の展開が出てくる。大乗の世界にはナーガールジュナ(龍樹)っていう賢い人がいて、主に「釈迦の悟ったのは〝空〟である」って言った。だから上座部は「縁起」、大乗は「空」。でも俺が今日言いたいのは、釈迦は空も縁起も悟ってない、ってこと。

 

重要:釈迦が「語ったこと」と「悟ったこと」は別

簡単に言うけど、お釈迦さんが十二支縁起について語ったことは事実。十二支縁起は「すべてのものは関係によって成り立ってる」という話。アプリオリなものは何もないって。アプリオリとはカントの言葉だから、釈迦が「アプリオリ」なんて言うわけないけど、ものすごく簡単に言うと「この世でそれだけで単独に存在するものは何もない」ってこと。数学の公理みたいなもんだね。「空」というのは、そういった縁起の考え方を基にして、龍樹たちがまとめ上げたひとつの概念。事実として釈迦は空は語ってない。でも、釈迦が教えた縁起の論理的帰結として龍樹級の人が「空」を言うことは、別に間違いじゃない。


ただし、ここが分かってない人が多い。釈迦が悟った内容と、その後語った内容が同じっていうのは変でしょ。俺が悟ったあとに「腹減った」って言ったからって、「悟った内容が腹減っただった」とは言わないでしょ。俺が問題にしてるのは「何を語ったか」じゃない。「何を悟ったか」だ。

 

縁起も空も「言葉」だ(悟りの中身は体感)

それから中論派みたいなのが出てきて、言葉でいろんなことをすごい勢いで言うようになって、もちろん現在の仏教学にも通じるんだけど、ものすごい長いタイムラグがある。というのは、日本に仏教はちゃんと伝わってないから。ただ、サンスクリットの拠点がチベットとかで見つかってから、最近また一気に大学の教授たちは研究するようになってきた。でもそれは言葉のレベル、論理のレベルなんだよ。縁起は言葉じゃん。
 

さっき言った「空」も、俺はクラスで空の数学的定義までやってんのね。で、ブログにちょっと書いたことあるんだよ。でも半分どころか1/5ぐらい書いたところで「全然分かりません」って非難が来たんで書くのやめちゃって。だけど空も数学的定義までしてるのね。

もちろん縁起も同時に定義できる。でもそれって言葉じゃん、数学という。だからそれは釈迦が語ったことであるけど、悟ったことじゃないじゃん。

 

「愛を定義しろ」って言われたとする。定義できるわけねえじゃん。でもそれは、言葉が足りないからじゃないのよ。言葉よりも抽象度の高い概念だから、言葉では定義不能なの。縁起の思想にしても空の説明にしても、俺の場合、それを数学の抽象度でちょっと上げてるかもしれないけど、それにしたって言語に近い抽象度だ。それより上の抽象度は言語化不能なんだよ。言語化不能なものは、そのまま君の脳で感じるしかないわけ。だから、全ての五感と脳を使った体感ね、それが釈迦が悟った中身ね。

 

俺がコーチングをやってる理由(僧籍の話)

簡単に言うと、俺はなんでコーチングをわざわざやってるかっていうと……。一つ、実は長いこと言ってないだけで、俺すごい昔から僧籍を持ってんのね。僧籍っていうのは、お坊さんとして出家してるってこと。日本仏教で、天台宗・比叡山延暦寺で、すごい昔に出家してんのね。ただ、科学者っていう立場を一方で持ってる。もう一方で出家した僧侶という立場もある。そういうので、俺はどの宗教にも肩入れもしたくないから、ずっと内緒にしてた。俺が仏教用語をちょっと使うと、「素人が偉そうに仏教について語りやがって!」みたいなことをいろんなブログに書かれたりして、本山に迷惑かけるわけにもいかないから。
 

でも今は本に「国際部長」って書いてある。俺の一つの仕事は、お釈迦さんの遺言だよね。「仏教を東に広めよう」って言ったんだよね。ハワイ別院まで行き、ニューヨークにも別院ができたのね。それもお手伝いしてる。そういう中で、縁起の思想を宗教っていう枠を超えて、ちゃんと語った方がいいかなっていうので話してる。で、「それと何が関係あんの」って思うでしょ?釈迦の悟りと。だから俺、コーチングやってんだよ。

 

コーチングの核:スコトーマ(見えの偏り)

コーチングというのは、本も書いた。『まずは親を超えなさい』っていう本ね。で、コーチングの一番中心な概念はスコトーマっていう概念なのね。スコトーマっていうのは、「自分が重要だと思ってることしか見えない」ってこと。自分が重要だと思ってないものは見えない。例えば知識がないものは、重要度ゼロで見えない。まず知らないものは見えないし、無理やり見せたとしても全然違う存在として見る。そうすると……悟りがだんだん分かってきたでしょ。まだ分かんない?実はこれが〝自我〟の定義なの。

 

自我とは「重要なものを選ぶ働き」

自分を定義してほしいって言われたとき、大抵の人は「お父さんが誰」「お母さんが誰」「好きな食べ物が何」とか言うでしょ。これを分かりやすく言うと、「自分にとって重要なものを挙げてる」んだ。自分を徹底的に定義すればするほど、自分ではなく〝自分以外〟について語ってる。住所はどこ、と言う。青山。じゃあ青山って何?港区。港区って何?……と、自分を定義しようとすればするほど、自分とは関係ないものを細かく言うだけになる。これが〝縁起〟という概念で、釈迦が語ったこと。悟ったことじゃないよ、語ったことね。まさに縁起であり、それを龍樹以降の用語では「空」って呼ぶんだけど。
 

「自我は空である」っていうのは、いくら自分を探しても結局〝定義〟しかない、ってこと。中学高校で習ったユークリッド幾何学で言うなら、二本の線が交わるところが点、って言うよね。点ってあるんですか?あるでしょ。交わってんだから。でも「見せろよ」って言われた時にヤバいのよ。線って幅がないもののことだから、線同士が交わったところを見せろと言われても困るでしょ。

自分という定義もそう。全部、関係の結び目でしかない。だけど、その結び目を「出せ」って言われて出したら嘘じゃん。自分は出せるわけない。だから「自分探しにインド行っても無駄ってことですよ」(笑)。単に(定義のための)線が増えるだけで、点そのものはいくら探してもない。だから、「縁起」の思想は、同時に「空」の思想でもあるのね。「空」の定義でもある。ただしそれは、釈迦の説明原理であって、釈迦が悟ったことじゃねえよ、っていうのが俺の主張。

 

俺は中観派でも唯識派でもない(釈迦派)

だから、偉い坊さんだったり仏教学者が「釈迦の悟ったことが空か縁起かどっちが正しいか」で喧嘩してるのを見ると、「いや、どっちも違うんですけど」って言いたい。もちろんそれは、釈迦が語ったことであり、圧倒的にすごいことであり、縁起だけが仏教の価値だと俺は思ってるぐらいだから、その価値は徹底的に認めた上で、でも悟ったことじゃないよ、と言ってる。

 

ここで「お前、中観派だろ」って思う人がいる。でも違う。俺は中観派でも唯識派でもありません。唯識派は、アートマンみたいなものや阿頼耶識みたいなものの存在を前提にする。釈迦はそんなものはないと言った人だから、唯識派は釈迦の教えじゃない。中観派は論理的には正しい面がある。ただし釈迦は論理と非論理の両方を全面的に打ち出してる人だから、論理だけの中観派では足りない。

 

仏教学者が論文を書いてても、「お前、坐禅したことあんのかよ」で終わりだし、逆に坐禅だけして「悟った」って言われても「勉強したの?」とも言いたくなる。両方必要なんだよ。ディベートは徹底的にやれ。そして最後、ディベートを超えなさい。まさにそれが釈迦のやったこと。だから俺は、釈迦派です。ブッダ派です。

 

自我=重要性関数(評価関数)という見方

そこでコーチングに戻る。自分を定義した時、自分以外で語ってるわけだ。自分から遠のいて、宇宙全体に広がるネットワークになっていく。ってことは、自我というのは宇宙と同じなのね。定義は全部に広がってくる。ただし、重要度が違う。だから自我というのは、宇宙を「自分にとって重要なもの」で並び替える関数として見てもいい。評価関数って言うんだけど。重要性並び替え関数。「地球の裏側のなんとかさんより、お母さんの方が重要」。そういうふうに重要な順番を付ける。

 

でも釈迦は、地球の裏側のなんとかさんとお母さん、どっちが重要かが分かんない人なのね。「このボールペンとお母さん、どっちが重要?」って聞かれて「う〜ん!」って悩む人が釈迦なのね。なぜなら、自我がないから。自我の定義は、重要なものを選べること。関係の結び目の中から、重要度を付けられること。でも自我がないなら、それが選べない。もちろん釈迦になれって言ってるわけじゃない。釈迦に近づく修行をしなさい、って言ってる。そうすると宇宙にいいことがありますよ、っていうことね。
 

それが釈迦の時代でいう八正道だけど、それも釈迦が語ったことであって、悟りの内容じゃない。縁起もそう。縁起を説明することには社会的価値がある。人が近づいていく助けになるから。でもそれは、社会への説明原理であって、釈迦が悟った内容じゃない。

 

コーチング=重要性関数を変える訓練

実はコーチングというのは、自分の重要性関数(評価関数)を自由自在に変える訓練なんだよ。なぜかというと、我々は自分にとって重要なものしか見えないから。じゃあ自分が定義されているのは、誰が定義してるのか。多くは過去の記憶なのね。多くは、っていうか、まず間違いなくほぼ全部だよ。

 

例えばサッカー選手。ボールが来て右に動くか左に動くかっていう時、敵の動きもあるし、芝生の目もあるかもしれない。何を重要として見るかが決定的になる。より強くチームがなること、本人が上手にパフォーマンスを出せることがベースで、「何が重要か」をはっきり認識できないとパフォーマンスが出せない。

 

ゴールを設定して、そのゴールに従って重要性関数が生まれるわけだ。同じサッカー選手でも、「目立ちゃいいや」と「パフォーマンス上げたい」「得点したい」は違う。「金持ちになりゃいい」も違う。「世界にインパクト与える」も違う。それはその人の自由だけど、ゴールによって見えるものが変わる。逆に言うとゴール設定によって自我が変わる。これがコーチングと、自我変更の定義の裏表になるわけ。

 

結論:釈迦が悟ったのは「全てが同じ重要度で見えたこと」

もうそろそろ賢い人は分かってきたでしょ。いきなり結論に行くけど、スコトーマっていうのは「自分にとって重要なものがあるから、見えないものができる」ってこと。じゃあ、何も重要じゃない人はどうなるか。重要なものしか見えないなら、何も重要じゃない人は何も見えない。でもそれはおかしい。じゃあ全部見える人は全部重要じゃん。全部重要って言った時に非常に難しい問題がある。〝重要度〟というものがある限り、重要でないものが生まれる。お母さんとボールペンで、お母さんの方が重要になった瞬間、見えないものが生まれてしまう。だから、全部同じように重要じゃないといけない。これが釈迦の悟りの境地。

全てのものが全く同じ重要性で見えた時に、釈迦に見えたもの。これが釈迦が悟ったこと。宇宙と自分は裏表。存在というのは部分関数として定義できる。自然数を奇数と偶数に分ける関数を定義したら、同時に反対側も定義される。自分というのは、宇宙の中からたった一人の自分を選び出す関数でもある。釈迦は宇宙を全て、全く同じ重要性で見ることができて、完全にスコトーマが外れた人。イコール、自分が完璧に見えた人。だから釈迦の悟りの内容は、徹底的に「彼が自分自身をはっきり見えた」ことなんだよ。

 

そしてこの境地を人に伝えるにはどうするべきか、と言って生み出した説明原理が「十二支縁起」。そういうことが分からない状態で世の中を見る、それを「無明」という。無明によって誤った認識作用が起きる、というので始まる十二支縁起を編み出した。その説明をさらに分かりやすくしようとして、龍樹が『中論』を書いて空の思想をまとめた。でもその後の中観派が、その説明原理に囚われすぎてる部分がある。釈迦は圧倒的体感として、瞑想修行の末に悟った。もちろん語ったのは言葉だけど、アタマで理解することと悟ることは違う。だから俺は中観派でも唯識派でもない。俺は釈迦派です。ブッダ派です。

 

ということで、ただで釈迦の悟りの内容を教えてもらっちゃったんだぜ。すごくない? 普通はなかなかお寺行っても教えてくれませんよ。ということで皆さん、いろんなとこで教えてあげてください。皆さんも「私は釈迦派」って言ってください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)
 

コメントはまた明日に!

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●2021.9.1~2024.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

 2025年に投稿した365記事はすべて

 今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内

 6/14(日) 10:30~18:30 寺子屋Notion

        未来デザイン考程セミナー
 6/28(日) 10:30〜 易経入門講座
      14:00~ 易経準中級講座 第12回

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎らくだメソッド無料体験学習(1週間)

 詳細についてはこちらの記事をどうぞ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。