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ヴィパッサナー瞑想とは(GABAラボ動画の文字起こし)

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ヴィパッサナー瞑想とは(GABAラボ動画の文字起こし)

ヴィパッサナー瞑想とは(GABAラボ動画の文字起こし)

2026/05/28

5/23からこの寺子屋塾ブログでは、

お釈迦さまの臨終のことばとされる

「自灯明、法灯明」について

書いています。


今日の記事も昨日までの続きなので、

これまでの投稿を未読の方は

まず、以下から先にご覧下さい。

ブッダ臨終の言葉「自灯明、法灯明」について

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【訳文】

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【井上の解釈】

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その1)
ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その2)

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その3)

 

 

さて、昨日まで3日間にわたって、

ユヴァル・ノア・ハラリ

『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』より

「第21章 瞑想」全文をご紹介してきました。

自己観察———つまり観察力、

自分の声を聴く力がいかに重要かという話は

このブログでは

繰り返し繰り返し書いていることなので、

さすがに皆さん、もう耳にタコが

できるくらいかもしれません。

 

この3回の記事に、

わたしが常々伝えたいと感じていることは
ほぼ全部入っているといっても過言でないので、

繰り返し繰り返し読んでみてください。

 

(その2)と(その3)には、

第21章を丸ごと朗読しているYouTube動画を
紹介しましたが、

第19章 教育 の朗読動画もあるので、
これからの教育においては何が大切か

関心のある方は、聴かれるとよいでしょう。


挫折なし!聞く名著 ハラリ「21lessons」第19章 教育



とはいえ、これも繰り返し書いていることですが、

「わかる」と「できる」は

〝別次元〟のことです。


ハラリさんが本書で書かれたことを

アタマで完璧に理解できたとしても、
それは単に大脳思考次元の満足でしかありません。


それがそのまま実践できていることには

ならないのはもちろんのこと、
そういう意味でも

自分の内側に目を向けることなくして

理解と実践はほとんど進まないことでしょう。

 


さて、ブッダの遺言「自灯明、法灯明」とは、

結局、今日で言うところの

「マインドフルネス」や、

「ヴィパッサナー瞑想」のことでしたね。

 

「ヴィパッサナー瞑想」については、

それほど知名度が高いわけではありませんし、
スマナサーラ老師『ヴィパッサナー瞑想』を紹介した
2025年読書ふりかえり(その7)の記事で
シェアしたGABAラボの動画を

文字起こししてみました。

仏陀/ヴィパッサナー瞑想の教科書


釈迦の生涯やヴィパッサナー瞑想の

実践法にも言及されていて

とても分かりやすいですよ〜


(引用ここから)
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突然ですが皆さん、皆さんは物事を考えすぎ、そのせいで不安や悩みに苛まれていないでしょうか?こう聞くと、このように思うかもしれませんね。

 

「はぁ〜。何言ってんだおめえ。そりゃ、人ってのは日々過去を悔んだり、未来を心配して不安になるのが当たり前だろ。考えすぎちゃうのが人間ってもんだろうが!」

 

まあ、こんな感じで多くの人が過去の恥を思い出して後悔したり、起こってもいない未来を心配して毎日何かに悩んでいるんじゃないでしょうか。ですが、そんな人たちに対し、仏教の開祖であるブッダは、このように言います。

 

「人間ってのは、求める心が輪廻の洪水を起こし、満たされなさを繰り返し続けている。そのせいで欲望の汚泥に埋まっている。自ら開けた船の穴によって、自ら水を浸水させ、船を沈没させてしまうんだよ。」

 

このように私たちは、自らの心に眠る欲望によって、自ら自分の船を沈没させてしまうと言いました。そしてブッダは、そういった欲望を生み出す原因が「思考」という化け物だと考えました。思考という化け物によって、あらゆる悩みや不安が生み出されている。そのせいで、起こってもいない、起こるかも分からない未来を心配させられ、今さらどうにもならない過去を後悔させられる。思考のせいで、ありのままの現実ではなく、過去や未来ばかり考えて人生を辛いものに変えてしまう、と言いました。ですが、ブッダはそれは取り除けるものだと言いました。彼はこのように言います。

 

「生きることには苦しみが伴う。だが、苦しみには必ず原因がある。原因があれば取り除くことができる。それを取り除く方法が瞑想なんだよ。」

 

このように瞑想によって雑念を取り除き、それによってありのままに立ち帰ることができる。それによって悩みや苦しみから解放されると言いました。そんなブッダが実践したと言われているのが、ヴィパッサナー瞑想です。

 

実際このヴィパッサナー瞑想は、Googleなどもヴィパッサナーによく似たマインドフルネス瞑想というものを取り入れていると言います。


ブッダはヴィパッサナー瞑想を取り入れることで、自分の内面、自分の心を客観視できるようになり、それによって雑念という、あらゆるものを分別して貼ってしまう思考から解放されると考えていました。


それでは今日は「ブッダの語る 考えからの解放」という話を解説しましょう。

 

皆さんは仏教というと、お釈迦様のありがたい教え、いわゆる宗教的な「仏様が救ってくれる」とか「祈りましょう」とか、そういったものに感じるかもしれません。ですが今回の動画では、そういった仏教のありがたい教えではなく、仏教よりもより合理的で実用的な「原始仏教」をもとにしています。

 

まずは、この原始仏教というものを簡単に解説しましょう。原始仏教とは、ブッダが入滅してから100年くらいまでの、いわゆる大乗仏教や小乗仏教(上座部仏教)のような宗派に分裂する前の教えのことです。
 

ブッダは一国の王子として生まれ、29歳まで常に城の中で何不自由なく暮らしていました。そんなある日、初めて城の外に出てみると、そこには荒廃した世界が広がっていました。病気で苦しむ人や、年を取って体が動かなくなった人、さらには死んだ人なども見ました。それまで城の中で、病気に苦しむ人や年を取った人を見たことがなかったブッダは、このように言いました。

 

「なんだよ〜、人間って贅沢三昧で楽しいことが続くんじゃねえのかよ。なんだよ〜。結局ジジイになって、病気になって死ぬんじゃねえか。じゃあ、何のために生まれてきたんだよ〜。」

 

このように思い、一体何のために生きていくのか。その答えを求めて29歳で出家し、本当の生きる目的を探し始めました。もちろん王や家族に引き止められますが、それでも答えを自分で見つけなければならないと考えたブッダは、当時流行っていた「苦行に耐えれば最強の境地に達し、あらゆる不幸から解脱できる」という教えを信じ、6年間の修行を続けます。

 

その結果、文字通り骨と皮だけの体になったと言います。ですが、苦行を耐え抜いた末に「悟りに至るどころか、むしろ悟りを阻害しているだろう。」このように、むしろ苦行は逆効果だと考え、それ以降、木の下で瞑想をし続けるようになりました。
 

そうして瞑想を続け、頭に浮かぶ煩悩を無視し続けることで、ようやく彼は悟りに至ります。それ以降彼は、多くの人々の相談に乗るようになりました。それから亡くなるまでに説かれた教えが原始仏教です。

 

ブッダは80歳で亡くなり、当時の教徒たちはブッダのありがたい教えがなくなってしまわないように、彼の教えをまとめようとしました。ですが、ブッダの教えは困ったことに、そのほとんどが口頭で伝えられたものでした。さらに困ったことに、その言葉も非常に回りくどいというか、自分で気づかせることを促すものでした。例えば煩悩について尋ねた人に、ブッダはこのように言いました。

 

「植物の種があるじゃないですか。煩悩はそれと一緒ですよ。」

 

このように言い、尋ねた人たちは自分で考え、このように思いました。「そうか!煩悩は放っとくとどんどん大きくなるんだ。だから小さいうちに処理しないといけないんだ。」

 

こんな感じで答えを教えるのではなく、自ら考えさせたり、自ら行動させたり、自ら気づかせることを大事にしていました。最初はそういったブッダの教えを聞いた人の記憶を頼りではありますが、できるだけそのまままとめていました。ですがブッダが亡くなって100年後、その解釈を巡って根本的な分裂が起こります。ブッダの教えを緩めに解釈する大乗仏教、厳しく解釈する上座部仏教。現在日本で広く伝わっているのは、緩めに解釈した大乗仏教です。

 

そんな流れもあって、仏教は歴史の中で様々に変化し、本来のブッダの教えとはどんどん変わっていき、現在一般的な仏教はブッダの説いた教えとは似ても似つかないものになっていると言います。

 

ある仏教研究者は、大乗仏教の考え方はキリスト教やイスラム教に近く、神のような大きな力に救いを求めるものだと言います。ですがブッダの最初に説いた教え、原始仏教は、人智を超えた不思議な力に頼ろうとするのではなく、自分の心のあり方を見つめ直す、非常に合理的・実用的な内容だったんです。

 

そんなブッダの教えは、人が悩み、苦しみ、不安に苛まれるのは、すべて雑念や妄想のせいだと考えました。彼はこのように言います。


「人間ってのは妄想や雑念を考えるのが大好きだ。そのせいでどんどん本質から離れ、自分で自分が分からなくなる。そういった妄想や雑念まみれのせいで、あらゆる不安を生み出しているんだよ。」

 

このように、人は妄想や雑念が大好きで、そのせいで現実を現実のまま見れなくなる。そのせいであらゆる苦しみが生まれていると考えました。

 

仏教の有名な教えに「一の矢」と「二の矢」という考え方があります。一の矢とは、老いや病気、不慮の事故や、人からバカにされることなどを指します。人は誰でも体がある限り、老いや病気、怪我などから逃れることはできません。この世界には合わない人がいる以上、バカにされること、否定されることは必ずあります。どんな人だって嫌なことはあります。この一の矢は避けることはできません。ですが、その一の矢を恐れるあまり、考え、悩み、あらゆる苦しみを生み出していきます。これが二の矢です。

 

例えば会社で上司に嫌なことを言われた。だから嫌な気分になった。これは仕方ありません。ですが、まだ怒られていないのに「明日も怒られるかもしれない」と悩み苦しむのが二の矢です。
 

実際、(投稿者の)友人で先日親知らずを抜くことになった人がいます。その人は歯医者で「何日に抜く」と言われ、それ以来ネットで親知らず、抜歯の体験談などを調べまくっていました。そして大変な目にあった人などの体験談を見て、まだ自分には何も起こっていないのに、どんどん怖くなり不安に悩まされまくっていました。

 

ですが、実際に抜いたところ、ほとんど痛みもなく、その後も大したことはありませんでした。何をあれほど怖がっていたのかと拍子抜けしていました。まさに余計な情報に惑わされ、「一の矢」なんてないのに、それを恐れるあまり「二の矢」だけを受けていたわけです。
 

だったら最初から特に調べず、何も考えずに歯医者に行っていれば、何の不安も感じることはなかったはずです。もしも大変な目にあったとしても同様です。抜歯して血が出まくり、大変なことになることもあるでしょう。ですが、それならそれで、そうなった時に初めて調べれば済む話です。にも関わらず、わざわざ事前に調べ、考え、まだ起こっていないことを怖がり、どんどん不安を増やしてしまいます。ブッダはこのように言います。

 

「人が語る見解、意見、知恵や決まりごとに囚われない。良し悪しを判断しない。判断によって心をかき乱さない。自分を惑わすものは自分の自意識から出ている。そこから自由になることで苦悩から解放されるんだよ。」

 

つまり、そういった自意識から解放される、自意識をうまく使えるようになるために、瞑想による気づきが必要だと考えました。というのも、私たちが物を見るとき、そこには必ずエゴやレッテル、思い込みのようなものがいくつも貼られます。

 

例えば分かりやすい例で、コロナが流行っていた時、「コロナは風邪」という言説が広まりました。これを聞いて多くの人が「そんなわけない」と言ったり、「そうだそうだ」と大騒ぎしていました。ですが、これはすごく変な話です。なぜなら「風邪かどうか」というのは、ウイルス性の上気道の急性炎症の総称であり、いわゆるジャンル分けの話です。そこに「大したことはない」という意味はありません。ですが私たちは「風邪だから大したことはない」という事実以外の思い込みを付け加え、そのせいで「風邪か風邪じゃないか」の論争が起きるわけです。

 

ブッダは、私たちの苦しみなんてものは、そのほとんどが事実を見ず、意味のない決めつけに囚われるからだと言いました。実際、私たちは例えば貧乏になることを怖がります。なぜ貧乏を怖がるかと言えば、「貧乏になったらバカにされる」「バカにされたらきっと辛い」「きっと辛いからなりたくない」と、連想ゲームのように決めつけで考えます。

実際、貧乏になったって贅沢を求めなければバイトでも十分に生きていけますし、高い金を払わなくても現代は十分に美味しいものは食べられます。にも関わらず、まだ誰にもバカにされていないのに「バカにされるんじゃないか」と行動範囲を狭め、まだ誰にも笑われていないのに「笑われたら耐えられない」と勝手に自由を捨てていきます。

 

ブッダは、人間はこういった余計な思い込み、レッテル、雑念や妄想によって、まだ起こっていないこと、大したことではないことを異常に怖がり、自ら苦痛を増やしてしまうと考えました。そしてそういった雑念こそが、あらゆることをうまくいかなくする原因だと言いました。彼はこのように言います。

 

「人間は物事を逆に捉えているんだよ。悩みの原因となるものを欲しがり、苦しみの原因となるものを幸福と捉える。欲しがるから雑念を生み、考えすぎて逆のことをしているんだよ。」

 

このようにブッダは、人間は考えすぎて物事を逆に捉えてしまっていると言いました。いわば力を抜くべきところで力が入り、楽にした方がいいところで全力疾走してしまっている。そのせいで何もうまくいかなくなると言いました。

 

例えば、何かで結果を出そうと思った時、結果を出そうと思えば思うほど力が入ります。自分と会うか分からない成功者の真似をし、結果的に消耗してうまくいかない。ですが「ダメでもしょうがない」と力を抜き、自分にとって苦痛じゃないやり方にしようとした瞬間、急に物事がうまくいくようになる、なんてことが起こります。

 

人に好かれたい、認められたいと思うほど見栄を張り、嘘をついて嫌われ、「嫌われても仕方ない」と自分に正直に、リラックスしてる人の方が、はるかに好かれます。人を従わせようと怒る人ほど、「こんなやつに従いたくない」と人が離れ、素直に感謝を伝える人ほど「こんな人についていきたい」と人は従います。だからこそブッダは、もっと脱力すること。考えすぎから解放され、自分に素直に楽に生きることを勧めていました。ブッダはこのように言います。

 

「重要なのは、『できないことはできない』と諦めることだ。諦めるとは諦観、明らかに見ること。自分がリラックスしてできることに集中することが、諦めるってことなんだよ。」

 

このように人は「諦めてはいけない」と無理なことをしようとしてしまう。そのせいで力が入り、力が入るせいで体が強張ってしまう。だからこそ、一歩引いて自分を眺める。諦める、明らかに見る。これを実践することで、自分にできることが見えてくる。そのためのヴィパッサナーという瞑想法でした。

 

仏教では瞑想の方法として、大きく分けて2つの瞑想があると教えていました。1つはサマタ瞑想。もう1つがこの動画のテーマとなるヴィパッサナー瞑想です。現代言われている瞑想は、そのほとんどがサマタ瞑想のことです。それぞれの違いをざっくり解説しましょう。

 

まずサマタ瞑想ですが、サマタという言葉は、集中や落ち着きを表し、意識を1つの対象に集中させ、雑念を振り払うことを目指すものです。ですが、サマタ瞑想は瞑想をしている時間だけ雑念を振り払うもので、一時的なものに過ぎないと言います。

 

一方でヴィパッサナー瞑想は、ヴィパッサナーが「知恵」を表し、ここで言う知恵とは「物事をありのままで見る力」を指します。サマタ瞑想と比べて時間はかかる一方、物事の真理への気づきを目指すもので、ブッダが実践していたのがこのヴィパッサナー瞑想です。ブッダはヴィパッサナー瞑想についてこのように言います。

 

「今この瞬間に、自分の心と体が何を経験しているかに気づき、ありのままに観察するんだ。そこに一切の思考や判断を挟まず、感じた事実だけを言葉として確認していくんだよ。」

 

このように、思考や判断を挟まず、純粋な事実だけを確認する。それがヴィパッサナー瞑想だと言いました。

 

では、具体的な方法を紹介します。ヴィパッサナー瞑想には2つのステップがあります。1つ目が呼吸瞑想。そして呼吸瞑想の後に行う「気づきの瞑想」です。まずは呼吸瞑想から雑に解説しましょう。なるべく集中しやすい空間に身を置き、楽な姿勢で座って目を閉じます。よく座禅を組んでいる姿がイメージされますが、別に椅子に座っていても問題ありません。そうしたら何も考えずに呼吸に意識を置きます。鼻の穴に全神経を集中し、空気が出たり入ったりするのをただ感じます。ただ集中するのが難しければ、呼吸の数を数えるのなんかもいいと思います。

 

おそらくやっていると、すぐに雑念が生まれてくるでしょう。例えば「明日の仕事嫌だな」とか「今日のあれ恥ずかしかった」とか、など様々な思考が浮かんでは消えていきます。ブッダは、そうやって浮かんでくる雑念が、あなたの思考の癖だと言います。そうやって浮かんでくる雑念を、他人ごととして客観的に観察します。いわば無意識に浮かぶ雑念を、斜め上の位置から客観的に観察する感覚。自分の無意識を、他人を覗き見る感覚で観察します。

 

するとだんだん、自分がどんな思考の癖を持っているかに気づいていきます。無意識の自分が、どんな人間かが分かっていきます。

そうやって見ていくと、大抵まだ起こっていない不安や悩みばかりが浮かんできて、だんだん「自分が不幸を感じるのは、まさにこいつの考え方のせいなんじゃないか」と気づいていきます。

 

そういった雑念を観察し、消えたのが分かったら、また呼吸に意識を戻します。何度も呼吸に集中することを繰り返すことで、だんだんそういった自分に気づき、雑念を無視することに慣れていきます。くだらないレッテル貼りや決めつけという雑念から解放されていきます。ここまでが呼吸瞑想で、サマタ瞑想はここまでで終わります。ヴィパッサナー瞑想では、ここから次のステップ「気づきの瞑想」に入ります。ブッダはこのように言います。

 

「心の感覚は体の感覚とリンクしている。体の感覚が心の感覚を作り、体のどこかの嫌な感覚が心の嫌な気持ちを作り出しているんだよ。」

 

気づきの瞑想とは、このように体と心がリンクしていることに気づき、不安も悩みもただ流れているだけの無常のものだと気づく行為です。具体的な方法は、呼吸瞑想のやり方のまま、時間を決めて、その間は最初に決めた姿勢から動かずに瞑想をします。そして今度は体の感覚に意識を向けていきます。目、鼻、耳、首、右肩、右腕、指先、胸、腹、股関節、足先まで、1つ1つ意識を向けていきます。これを何度も毎日のように繰り返します。

 

同じ姿勢を続けると、どこかが痛くなってきます。そしてマイナスな雑念が浮かぶ時というのは、「腰が痛い」とか「喉に痰が絡んでる」とか、どこかが不調な時、というのが分かってきます。

 

ブッダは、こういった瞑想は野生の象を手なずけるようなものだと言います。というのも、野生の象を手なずけようと思ったら、まずはその象がどんな生き物で、どんな性格なのか、どんな時に荒らくり、どんな時に落ち着くのかを知らないといけません。だから瞑想によって、手なずけるべき心を観察するんです。

 

それを繰り返すことで、だんだんと自分の無意識、勝手に暴れ回る思考を「自分とは別の他人」として客観視できるようになる。それによって「どうせ雑念なんてものは生まれては消える、無常なものに過ぎない」と気づける。ブッダは、その心を落ち着かせる方法こそが、意識を一度呼吸に向けることだと言いました。ブッダはこのように言います。

 

「呼吸は常に今この瞬間に流れている。雑念というものは常に今ここから離れ、過去未来を想起する。だから今ここに立ち帰るために呼吸を利用する。いくら頭の中では大変なことが起こっても、今ここに立ち帰ることで心を落ち着かせることができるんだよ。」

 

実際(投稿者)は作業中に胸がざわざわしてきたり、余計な不安を感じている時は、一度手を止めて深呼吸し、呼吸に意識を持っていきます。すると意外なほど簡単に心を落ち着かせることができます。何度も繰り返していくと、常に雑念を生む心を、呼吸に集中しなくても客観的に観察する感覚が分かってきます。そうすると、今までの人生は自分の判断ではなく、無意識の判断に操作されていたことに気づいていきます。
 

ブッダはそれに気づくことで、今までとは違う、無意識に操作され雑念に惑わされる人生ではなく、初めて自分で選ぶ一歩を踏み出せるようになる。新しい生き方に進んでいけると考えていました。

 

ということで今回は「ブッダの語る考えすぎからの解放」という話です。瞑想というのは正直、慣れが必要です。もちろん、できる人はやった方が良いですが、実践することは難しい人も多いでしょう。実際この動画を見た後、1週間ぐらいは瞑想をしてみますが、まあその後は忘れ、今まで通り悩む人がほとんどでしょう。なので(投稿者)が実践している簡易的な瞑想になると思っていることを紹介します。ちなみにこれは(投稿者)が勝手に思ってることで、仏教の人が勧めていることでも何でもありません。

 

まずはLINEで自分しかいないトークルームを作りましょう。そして自分が悩んでると思った時、考えすぎていると思った時、頭に浮かんでいることをそのトークルームに全部書き出します。なぜか分かりませんが、雑念というのは吐き出してしまう、アウトプットすると大体そこで消えていきます。もしも書き出しても消えなければ、また浮かんできたことを書き出していきます。そうすると頭が空っぽになります。

 

大抵、人というのは頭で考えていると「きっと未来はとんでもないことになる。だから不安でしょうがない」と思ってしまいます。ですが書き出したLINEを後で見返すと、大体論理が飛躍しまくり、確率で言えば1%未満のことを恐れていて笑えてきます。

 

頭で考えすぎてしまうとは、まさにそんな自分に操られることです。だから書き出して書き消してしまう。それだけで本来の自分に立ち帰り、不安や悩みに苦しむことはなくなるのかもしれません。

 

うちの姪はさ、俺が瞑想してる時に限って、掃除機かけて邪魔してくるんだよな。「姪掃除、名掃除」なんつって  

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(引用ここまで)
 

この続きはまた明日に(^^)/
 

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●2021.9.1~2024.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

 2025年に投稿した365記事はすべて

 今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載

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