ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳」
2026/07/11
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」
この連載記事も回を重ねて26回めとなっています。
まず、朗報!なんですが、こうして毎日
記事を書いてきた成果とも言えることなんですが、
7/20の読書会が開催1週間まえの時点で
満席となりました。
ありがとうございます!<(_ _)>
今後のお申し込みは、
キャンセル待ちとさせて頂きますので
宜しくお願い致します。
さて、(その23)から(その25)まで、
3回にわたって「実存的変容」について書きました。
それで、3回目だった昨日の記事の終盤部には
とても重要なことを書いたので
それをふり返ってから、その内容を入口にして
今日の本題に接続してみようかと。
その、とても重要なこととは何か、端的に書くなら、
「〝目指さないこと〟の重要さ」です。
未来に実現すべき何かを
目指そうとしていること自体思考の産物でしかなく、
結局その思考が
分離を産み出してしまっているモトなので。
そもそも「健康=善、病気=悪」の二元論は、
人間のアタマの中にしかないし、
〝考え〟でしかないんですね。
つまり、人間のアタマが産み出したものであって、
もともとなかったものですから、
そんなものはもともとなかったと
気づくだけでいいわけです。
わたしは病気を完治させようと考えて、
あるいは、お酒が呑めるようになることを目的に
「健康=善、病気=悪」という二元論を
手放したのではないと書きましたが、
「病気を完治させよう」とか、
「お酒が呑めるようになろう」とかいうのも
すべてアタマの思考でしかありません。
アタマの思考が
理解や行動にブレーキをかけて
邪魔をしていることに気づくだけでいいんです。
わたしに健康が訪れたのは、あくまで
自己認識の書き換えと自己受容が
深いレベルで起きた〝結果〟でしかない。
〝実存的変容〟というのは、
「実存的変容を意識すると実存的変容は起こらない」
というパラドクスがあると書きました。
もうすこし丁寧に書くと、
「実存的変容を起こそうとして、
実存的変容を意識すると実存的変容は起こらない」
となるんですが。
実存的変容というものが、
自分にはどういうことなのかがわかっていて、
それがわかっているなら、自分にはできるはずだ
という考えが元になっているから、
わかればできると考えること
そのこと自体が勘違いだよ、と言っているわけです。
もし、〝実存的変容〟を
本気で自分に起こしたいとおもうのなら、
〝実存的変容〟を意識せず、
目の前にあるたった1まいの算数プリントを
疎かにすることなく、
取り組む姿勢が何より大切なんです。
という話が、飛躍していると感じる人って、
結局のところ、
目の前にあるたった1まいの算数プリントを
疎かにすることなく、取り組むことと、
〝実存的変容〟との間につながりが感じられず、
これらが分離してしまっていて
統合されていないんじゃないでしょうか。
これは、(その22)の記事に書いた、
ひとつひとつの段階がすべて大切であって、
その段階を精一杯生きる姿勢という話にも
つながるように感じているんですが、
言い換えると、
いま、自分が仕事上での問題解決したいことと
将来叶えたいと思っている夢、
人間関係での軋轢など、
これらのひとつひとつはすべて
目の前にあるたった1まいの算数プリントを
疎かにすることなく毎日取り組むことと
すべては深いところでは繋がっているのに、
そうしたつながりが感じられない自分だから、
さまざまな問題が
解決できずにいるのではないでしょうか?
ってことなんですが。
さて、では、なぜそうなのか?
この問題に具体的にどうアプローチをしていくか?
今日から数回にわたって書いて行く
「動物脳と人間脳の違い」という記事の
焦点となります。
次の動画は、1時間半ほどの分量があって、
ちょっと長いんですが、
後半の方ではメンタルモデルのセッションの
実演もあり、人間の内的世界がどのように
外側の現実をつくりだしているのかなど、
いろいろ発見があるとおもうので、
とにかく聞いてみて下さい。
冒頭の10分間だけ、文字起こしをしてみました。
・由佐美加子が語る『ウェルビーイングってなんだろう?』第3回 ウェルビーイング玉手箱

(文字起こし・ここから)
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前野:
皆さん、こんにちは。
「専門家に聞く講演会シリーズ」、ウェルビーイング玉手箱をやっています。第1回目は僕がゲストだったんですけど、今日は僕が司会をさせてもらって、「ウェルビーイングって何だろう?」というシリーズの第3回目をお届けしたいと思います。
これはもともと、ちゃんらーとか、まじくんと一緒に考えた企画です。ウェルビーイングについて専門家に聞いてみよう、同じ質問をしたらいろんな答え方があって面白いだろう、ということで始めました。とはいえ、決まった質問からどんどん展開していくので、同じ質問をしているような、していないような感じもするんですけど。
今日は、由佐美加子さん、みーちゃんです。僕も一緒に本を書きましたけど、結構売れましたね。要するに、心についての専門家というか、ご本人はまた別の言い方をされるかもしれませんが、由佐美加子さんに登場していただきます。お願いします。
由佐:
お願いします。よろしくお願いします。
前野:
ではまず、初めての方はそんなにいないのかもしれませんが、初めての方向けに、自己紹介をお願いしてもいいですか。
由佐:
自己紹介。前の方もおっしゃっていましたけど、一番難しいですね。
前野:
そうですよね。自己紹介を、と言われてもね?
由佐:
はい。自己紹介はですね、自己紹介がが一番難しいんですけど。
わたしが最初に何に興味を持って、どういうところから入ったかというと、なかなか外側の現実は変わらないな、ということに人間は直面するなと思っていて。いろんなことを、課題解決とか問題解決という形で、当然会社の中でも散々やろうとしますよね。人や組織の領域で言うと、いろんな「問題」と言われるものがあります。チームがうまくいかないとか、部下のパフォーマンスが上がらないとか。そういうものを何とかしようとしたときに、ハウツーだけではもうどうしようもないレベルがあるなと思ったんです。
そのときに、「人間の内側の世界が外側を作っているんだよ」というような話があって、そこに食いつきました。「え?では、それはどういうことでしょうか」と。それをずっと探求してきたというか、可視化する方法を、ああでもない、こうでもないと、いろんな人たちの悩み相談から作ってきました。その構造を、「メンタルモデル」と呼んでいます。
対話を通して、その人の内面の奥にあるものが、現実にどうつながっているのかを可視化する。そういうアプローチを作ってきた、というか、できてきたものを皆さんに共有している、ということを中心にしています。
人間が、いわゆる「自分さえよければいいじゃないか」という自我意識、エゴと呼ばれるようなものから、どうしたらいのちにすべてかなっている状態で生きられるのか。その幅をどう拡張していくのか、というところにもすごく興味があります。メンタルモデルでは、「痛み」という、生存的には一番避けたい衝動が起こる構造を扱います。
でも、それを人間が区別して、本当に人間がこの地球でどう在れるのかを、可能性として探求したい。それが個人的な興味関心であり、テーマとして追いかけていることです。
前野:
ありがとうございます。僕と本を書いたのは、対談本で、もうだいぶ前ですね。3年ぐらい前ですかね。タスマニアに行く前だから、4年前ですかね。
由佐:
行く直前でしたっけ?多分そうかな。
前野:
そうだと思います。僕の印象だと、みーちゃんって、1年ぶりに会うとすごく進化している感じがあるんですよ。「また新しいことが分かったのよ」みたいな感触があるんですけど、最近はさらに進化しているんですか?
由佐:
そうですね。ベースでやっていることは、あまり変わっていないとは思うんですけど、時代の流れがいろいろ加速していることもあって、結構面白いフェーズにやってきたな、という感じはありますね。
前野:
そうですか。4つの痛みの原型があって、ひとりぼっち、価値なし、愛なし、欠陥・欠損。4つがベースだというのは変わっていないんですね。
由佐:
変わっていないですね。
前野:
それについて、僕が本で面白かったのは、昔はこの4つの痛みに気づいてもらうために、ものすごく相手を切り刻んでいた時期もあった、と。でも今は、優しく「あなたにはこれがあるんだ」と、そちらへ導くことができるようになった、というふうにおっしゃっていたと思うんですけど、今はもうそんな感じなんですか?
由佐:
そうですね。結局何をやっているかというと、その人の生存本能がどう駆動しているのか、そのメカニズムを可視化しているんですよね。生存本能は、やっぱりそれを暴かれないように、うまく生き延びています。だから、それを可視化しようとすると、強烈な抵抗が起こるんです。
それを昔は、どの部分がその人間の中の生存本能の部分で、どれがその人自身なのかという区別がついていなかったと思います。なので、どうしても地雷を踏んでしまうんです。地雷を踏むと、相手が本当に反応する。 その反応することに、こちらの生存的なものも反応する。だから、そこがすごく大変だったんです。でも、だんだん、「あ、今しゃべっているのは、生存本能の言語として出てきているな」という区別ができるようになってくると、すり抜けられるようになってくるんです。
あと、大きく2つ発見がありました。一つは、「正当化」です。「それは正しいことです」「いいことです」というふうに、生存本能がしゃべり出すところが分かるようになってきた。もう一つは、「幼児性」と呼んでいるものです。「これは人にやってもらわないと叶わないことだ」という認知がありますよね。幼児は、ご飯を食べるにも食べさせてもらわないといけないし、愛を求めても、結局、誰かに何かをしてもらわなければいけない。そこが要求になるんです。その2つがどう働いているのかが分かるようになることで、結構うまく扱えるようになってきた感じがあります。
昔は、お互いにすごく大変だったんだと思います。でも今は、かなり合気道みたいな感じです。ガチンコで戦わなくてよくなった、という感覚があります。生存本能同士で組み合うと、どうしても組んでしまうんですよね。でも、うまくのらりくらり、すり抜けられるようになった。そこは、慣れて卓越していったところがあると思います。その摩擦や抵抗が起こりにくいやり方で、少しできるようになってきているのかな、という感じがあります。なので、今はそういうセッションがYouTubeチャンネルにもなっているんです。昔は絶対、あんなことはできなかったと思います。
前野:
YouTube、僕は見ていないですけど、社長を切っているんですか?
由佐:
経営者に限定して、通称「今日斬り」という名前でやっています。「社長、今日も斬らせていただきます」という名前なんですけど、これはわたしがつけたネーミングではなくて、つけてもらいました。経営者で、現実に起こっていることが自分の内側とどう紐づいているのかを見てみたい、という方が、わざわざ収録に来てくださるんです。リテイクなし。それこそファーストテイクです。本当にその場でやったものを、編集もなくそのまま流す、ということをやっています。隔世の感がありますよね、という感じです。笑
前野:
では、合気道みたいな感じで、軽くできるようになったんですね。
由佐:
そうですね。軽くできる。軽く切れる。痛くないように、スーッと切れるようになった感じです。どうしても内面は怖いんですよね、人は。内面には、人間のとんでもないものがあるんじゃないかと、多くの人は思っています。だから、その奥を見ることは、基本的にみんな「見たくない!見たくない!」という感じがどうしてもあると思います。別に、そんなとんでもないことがあるわけではないんです。
でも、どうしてもその部分を見るのが怖い、という感覚は、どんな人にもあると思います。本当は、意外と見ると自分のことがすごく分かるので楽しいんですけどね。ただ、そこに対して、「それ、面白いね」と面白がれるところまで行くには、ちょっと慣れがいる感じがあります。楽しく、面白くやれるということは、すごく大事です。深刻に重くなってしまうと、どうしても生存本能が反応してしまうので。遊ぶように、楽しく、軽く、面白く扱える。 そこまで行くのに、やっぱり15年ぐらいかかったな、という感じです。
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(文字起こし・ここまで)
この続きはまた明日に!(^^)/
