ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり③」
2026/07/10
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」
この連載記事も回を重ねて25回めとなりました。
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』は、
由佐美加子さんと天外伺郎さんお二人の共著の形で
出版されています。
さて、(その23)から「実存的変容」について
書いているんですが、
「実存的変容」という言葉は、
天外さんが書かれたまえがきの文章中で
触れられていることから、
昨日投稿した(その24)では、
アマゾンのサンプルページで全文が公開されている
まえがきの文章を引用してご紹介しました。
それで、昨日と今日の記事の冒頭の図は
Notion AIに作ってもらったんですが、
どんな考えから作成したのかを聞いてみたところ
返ってきた回答は次のとおりです。

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全体の構造は、左から右へ流れる構図で
左側にある赤茶色の
「×」と「=」を組み合わせたような図形は、
変容前の状態を表しています。
これは、恐れ・欠乏感・競争・管理・支配・
防衛反応などに縛られた旧い意識状態の象徴で、
「閉じている」「抑圧されている」
「交差して詰まっている」感じを、
赤系の交差線で表しました。
中央の淡い緑の円と白い光は、
実存的変容が起こる内面世界をイメージしています。
外側の制度や組織を変えるのではなく、
まず人間の内側でパラダイムシフトが起こるという
本の主旨を表しました。
中心の白い光は、「目覚め」「気づき」「存在の中心」
「エゴを超えた意識」の象徴で、
周囲に広がる同心円は、その変容が
個人の内面から、関係性、組織、社会へと
波紋のように広がるイメージです。
右側の葉のような図形は、変容後の状態です。
ティール組織や自律分散型の生命体的な組織を、
機械的な構造ではなく「育つもの」
「自然に展開するもの」として表現しました。
緑は生命性・信頼・成長、青は開放性や知性、
黄色は創造性やあたたかさを表しています。
左右を結ぶ矢印は、単なる改善ではなく、
旧いOSから新しいOSへの移行を示したもの。
『実存的変容』では、
組織改革や経営手法の話に見えて、実際には
その前提にあるリーダーや構成員の意識の変化が
重要だとされています。
そのため、左の「管理・支配」的な世界から、
中央の内面的変容を経て、
右の「信頼・自律・生命性」の世界へ移る
という流れにしました。
下部の大きな弧は、直線的な一回限りの変化ではなく
人生や組織が循環しながら
成熟していくことを表したもの。
実存的変容は、知識を得て終わるものではなく、
経験・葛藤・手放し・統合を通じて
徐々に深まるプロセスだと考えたためです。
背景を白〜生成りにした意図は、
宗教的・神秘的に寄りすぎず、
静かな、思索的な雰囲気にと考えたことにより。
また、文字を「実存的変容」だけに絞って、
あまり説明的にならないよう、恐れから愛へ、
支配から信頼へ、分離から統合へと向かう
〝変容の象徴図〟として見えるように考えました。
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さて、本日のメインコンテンツは、
〝実存的変容〟についての補足として
わたしの実体験をもとに語っておこうと
おもったことについてなんですが、
最後に書くことは
もしかすると一番重要と言えるかもしれません。
わたし自身に起きた〝実存的変容〟と呼べる体験、
つまり、内側の意識が変わったことで、
外側にある身体まで影響が及んだ体験として
比較的わかりやすく、
塾生などまわりの人によく話すエピソードは、
寺子屋塾を開いて間もない30年ほど前の
わたしが三十代半ばだった頃に起きたことです。
高校2年16歳のとき、
自然気胸という肺がパンクする病気になり、
学校を1ヶ月以上休まなければいけない
体験をした話はしばしばこのブログに書いてますが、
7年間さまざまな健康法などを試した結果、
わたしなりに出した結論は、
日常の食べ物が大事だということでした。
それで、23歳の頃から
食品添加物や農薬などを使わない
なるべく自然な食材を用いて調理するという
マクロビオティックの料理法、食事法を開始。
そのお陰で体調はかなり良くなったものの、
食事を崩すと体調に影響が出たり、
胸の圧迫感は消えることがなく、
完全に病気が良くなることは
10年ほど実践を積んだ頃にもありませんでした。
三十代半ばになって、
〝治さない医療〟を標榜する山下剛先生や
べてるの家の川村敏明先生と出会った影響で、
病気を治すことや健康を目的にする
それまでの姿勢に疑問を持つようになったのです。
結局、病気は自分の身体が正常に働いていないと
知らせてくれる有り難いメッセージなのだから、
そうした病気を敵視し悪者扱いする姿勢は、
根本的に間違っていたなぁと。
それ以降は、病気治しのため、健康のために
食事法を工夫するとか、何かをするという姿勢や
考え方そのものを改めました。
すると、何ということでしょう!
マクロビオティックの料理法、食事法を
病気治しのため、健康のために
頑張って行っていた頃より
体調がさらに良くなって、
完治したと言えるくらいにまで変化し、
それまでは呑めなかったお酒まで
平気で呑めるようになってしまったんです。笑
ということで、いまでは
GWのベルギービールイベントに毎年出かけ、
夏になると、教室の屋上で
ビヤガーデンイベントを企画するくらい
ビール好きとして知られているわたしですが、
35歳までお酒が全く呑めなかったという
ウソのようなホントのお話でした。
「健康=善、病気=悪」と見做すことは、
善悪二元論という大脳思考に毒され
囚われていたわけで、
そうした二元論で分離した内側の世界は
分離した病気の身体を
生みだしてしまうのかもしれません。
おそらく、二元論的な考えを手放すことで、
深いレベルで〝明け渡し〟が起き、
身体次元的にも統合へ向かったのではないかと。
さて、いま書いたことは、
わたしの個人的体験談にすぎません。
でも、この話からは
〝実存的変容〟についてのひとつの重要な原則が
導けるように感じました。
それは、こういうことです。
わたしは病気を完治させようと考えて、
あるいは、お酒が呑めるようになることを目的に
「健康=善、病気=悪」という二元論を
手放したのではないということ。
つまり、わたしに健康が訪れたのは
あくまで〝結果〟でしかない、と。
(その22)の記事に書いた、
ひとつひとつの段階がすべて大切であって、
その段階を精一杯生きる姿勢という話にも
つながるように感じているんですが、
つまり、〝実存的変容〟というのは、
「実存的変容を意識すると実存的変容は起こらない」
というパラドクスがあるんですね。
だから、〝実存的変容〟を
本気で自分に起こしたいとおもうのなら、
〝実存的変容〟を意識せず、
目の前にあるたった1まいの算数プリントを
疎かにすることなく、
取り組む姿勢が何より大切なんです。笑
この続きはまた明日に!(^^)/
