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ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(その3)

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ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(その3)

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(その3)

2026/05/27

5/22からこの寺子屋塾ブログでは、

お釈迦さまの臨終のことばとされる

「自灯明、法灯明」について

書いています。


今日の記事も昨日までの続きですから、

これまでの投稿を未読の方は

まず以下から先にご覧下さい。

ブッダ臨終の言葉「自灯明、法灯明」について

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【訳文】

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(涅槃経)』【井上の解釈】

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その1)
ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』(その2)

 

 

さて、昨日は「第21章 瞑想」の前半部をご紹介したので
今日は「両側から掘る」という
中見出しのつけられた後半部を。

 

(引用ここから)
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両側から掘る

科学が心の謎を解明するのに苦労しているのは、効率の良い道具が不足しているからだ。多くの科学者を含め、大勢の人が心を脳と混同しがちだが、じつは両者はまったく違う。脳はニューロンとシナプスと生化学物質の物質的なネットワークであるのに対して、心は痛みや快感、怒り、愛といった主観的な経験の流れだ。脳が何らかの方法で心を生み出し、何十億ものニューロンの中の生化学的反応が何らかの方法で痛みや愛のような経験を生み出すと、生物学者は決めてかかっている。ところが、これまでのところ私たちは、心がどのようにして脳から現れるのかは、まったく説明できずにいる。何十億というニューロンが特定のパターンで電気信号を発していると私が痛みを感じ、別のパターンでニューロンが発火していると愛を感じるのは、いったいどういうわけか?私たちには見当もつかない。したがって、たとえ心が本当に脳から現れるのだとしても、少なくとも当面は、心の研究は脳の研究とは異なる仕事だ。

 

脳の研究は、顕微鏡や脳スキャナーや高性能のコンピューターの助けを借りて飛躍的に進んでいる。だが、顕微鏡や脳スキャナーでは心は見えない。こうした機器のおかげで、私たちは脳の生化学的な活動や電気的な活動は検知できるものの、これらの活動と結びつけられている主観的な経験にはまったくアクセスできない。2018年現在で、私が直接アクセスできる心は私自身のものしかない。もし他の感覚ある生物が何を経験しているかを知りたければ、間接的な報告に基づいてそうするしかないが、そうした報告は当然ながら、多大な歪曲や制約を免れない。

 

私たちはさまざまな人から間接的な報告をたくさん集め、繰り返し現れるパターンを統計的手法で識別することなら、間違いなくできるだろう。心理学者や脳科学者はこれまで、そのような方法のおかげで心の理解を著しく深められたばかりでなく、何百万もの命を救うことさえできた。とはいえ、間接的な報告だけを使っていたら、自ずと限界にぶつかる。科学では、特定の現象を詳しく調べるときには、直接観察するのが最善だ。たとえば人類学者は、二次情報源を大量に使うが、サモア諸島の文化を本当に理解したければ、遅かれ早かれ荷物をまとめてサモア諸島を訪れざるをえないだろう。

 

もちろん、訪れるだけでは不十分だ。サモア諸島を旅するバックパッカーが書いたブログは、科学的な人類学研究とは見なされない。たいていのバックパッカーは研究に必要な道具も持っていなければ教育も受けていないからだ。彼らの観察はあまりにランダムだったり偏ったりしている。信頼できる人類学者になるには、先入観や偏見のない、組織立った客観的な形で人間の文化を観察する方法を習得しなければならない。それこそ大学の人類学科で学ぶことであり、それがあってこそ、異文化間の溝に橋を架ける上で人類学者は不可欠な役割を果たすことができたのだ。

 

心の科学研究が、この人類学のモデルに倣うことはめったにない。人類学者は遠方の島々や謎めいた国々を訪れて、その報告を行なうことが多いのに対して、意識を研究する学者は、心の領域へ自ら出向くことはほとんどない。なぜなら、私たちが直接観察できる心は自分の心だけであり、偏見や先入観なしにサモア諸島の文化を観察するのがどれほど難しくても、自分の心を客観的に観察するのは、それに輪をかけて難しいからだ。一世紀以上も懸命の努力を重ねた人類学者たちは、今日、客観的な観察のための効果的な手順を思うままに使える。それに対して心の研究者たちは、二次的な報告を収集して分析する道具をたくさん開発したものの、自分自身の心を観察する段になると、まだかろうじて上っ面を撫でた程度だ。

 

心を直接観察する現代的な方法がないので、現代以前の文化が開発した道具をいくつか試してみる手もある。古代の文化のなかには、心の研究にたっぷり注意を向けたものもあり、それらの文化は間接的な報告を集める代わりに、人々を訓練して自分の心を体系的に学ぶという方法に頼った。これらの文化が開発したさまざまな方法を一まとめにして「瞑想」と呼ぶ。今日、瞑想という言葉は宗教や神秘主義と結びつけられることが多いが、原理上は、自分自身の心を直接観察するための方法はどれも瞑想だ。多くの宗教が現にさまざまな瞑想のテクニックを広く利用しているが、だからといって、瞑想は必ずしも宗教的であるわけではない。多くの宗教が書籍も広く利用しているが、だからといって、書籍の利用が宗教的慣行であることにはならないのと同じだ。

 

数千年のうちに、人間は何百もの瞑想のテクニックを開発してきたが、その原理や効果はさまざまだ。私はそのうち、ヴィパッサナーという一つのテクニックしか自ら経験していないので、確かなことを語れるのはそのテクニックについてだけだ。ヴィパッサナーは他の多くの瞑想テクニックと同じで、ブッダによって古代インドで発見されたと言われている。何世紀もの間に、多くの場合、裏付けとなる証拠がいっさいないまま、おびただしい数の理論や物語がブッダのものとされてきた。だが、瞑想するためには、そのうちのどれ一つとして信じる必要はない。私にヴィパッサナーを教えてくれたゴエンカは、とても実践的な種類の指導者だった。心を観察するときには、間接的な説明や宗教の教義や哲学的な推量はすべて脇に置き、自分自身の経験と、何であれ実際に出合う現実に的を絞らなくてはいけないと、受講生に繰り返し指示した。毎日大勢の受講生が彼の部屋に来て、指導を求め、質問を投げかけた。部屋の入口には、こんな掲示があった。「理論的な議論や哲学的な議論は避け、質問は自分の実際の訓練に関連した問題に絞ってください」

 

実際の訓練とは、体の感覚と、感覚に対する精神的な反応を、組織立った、連続的で客観的なやり方で観察し、それによって心の基本的なパターンを明らかにすることを意味する。人は瞑想を、至福と恍惚の特別な経験の追求に変えてしまうことがある。とはいえ実際には、意識はこの世で最も大きな謎であり、熱さや痒さなどのありきたりの感覚も、有頂天の感覚や宇宙との一体感に少しも劣らぬほど不可思議なのだ。ヴィパッサナーの瞑想者は、特別な経験の探求にはけっして乗り出さないように戒められ、自分の心の現実を理解することに集中するよう言われる。その現実がどんなものであろうとも。

 

近年、心の学者も脳の学者も、そのような瞑想のテクニックにしだいに強い関心を示すようになったが、ほとんどの研究者は今のところ、この瞑想という道具を間接的にしか使っていない。典型的な科学者は、実際に自分で瞑想をすることはない。むしろ、経験豊かな瞑想者を研究室に招き、頭に多くの電極をつけてから瞑想してもらい、脳の活動を観察する。そうすると脳について興味深いことがたくさんわかるが、心を理解することが目的だとしたら、私たちはじつに重要な見識のいくつかを手に入れそこなっている。こんなふうに考えるといい。拡大鏡を通して石を観察することで物質の構造を理解しようとしている人がいるとしよう。その人の所へ行って、顕微鏡を差し出し、「試してみてください。ずっとよく見えるでしょう」と言う。相手は顕微鏡を受け取り、信頼を寄せる拡大鏡を手に、顕微鏡を形作っている物質を念入りに観察する......。瞑想は心を直接観察するための道具だ。もし自分で瞑想する代わりに、誰か別の瞑想者の脳の電気的活動をモニターしたら、瞑想の持つ可能性の大半を見落としてしまう。

 

私は現在の脳研究の道具や慣行を捨てることを提案しているわけでは断じてない。瞑想はそれらに取って代わるものではないが、それらを補うことはできるかもしれない。巨大な山にトンネルを掘っている技術者に似ている。どうして片側からしか掘らないのか?同時に両側から掘ったほうがいい。もし脳と心が本当に一つの同じものなら、二本のトンネルは必ず出合うはずだ。では、もし脳と心が同じではなかったら?それなら、脳だけではなく心も掘り下げることがなおさら重要になる。

 

脳研究のたんなる対象としてではなく、研究の道具として瞑想を実際に使い始めた大学や研究所もある。とはいえ、道具として使う過程は、まだ黎明期にある。なぜなら一つには、研究者が莫大な時間と労力を注ぎ込まなければならないからだ。真剣な瞑想を行なうには、途方もない量の修練が求められる。自分の感覚を客観的に観察しようとすれば、まず気がつくのは、心とはどれほど自由奔放で短気なものか、ということだ。鼻から出入りする息のような、比較的明確な感覚を観察することに的を絞ったとしてさえ、心はたいてい、ほんの数秒もすれば集中力を失い、思考や記憶や夢の中をさまよい始める。

 

顕微鏡の焦点がぼけたときには、小さなハンドルを回しさえすればいい。もしハンドルが壊れたら、専門の技術者を呼んで直してもらえる。だが心の焦点がぼけたときには、そう簡単には直せない。心が自らを組織立てて客観的に観察し始められるように、心を落ち着けて集中させるには、たいてい長い修練が必要となる。将来は、薬を飲めばたちまち集中できるようになるかもしれない。とはいえ、瞑想はたんに集中するだけではなく心を探究することを目指しているので、そのような近道を通ったら、逆効果になりかねない。薬を飲めばとても鋭敏で集中した状態になれるかもしれないが、同時に、心のスペクトル全体を探究する妨げにもなるかもしれない。なにしろ、今日でさえ、よくできたスリラー映画をテレビで観ていれば簡単に心を集中させられるが、心はその映画にあまりに集中してしまい、自分のダイナミクスを観察できない。

 

それでも、たとえそのような薬の類に頼ることができなかったところで、諦めるべきではない。人類学者や動物学者や宇宙飛行士に奮い立たせてもらうことができる。人類学者や動物学者は、これでもかと言うほどの病気や危険にさらされながら、遠方の島々で何年も過ごす。宇宙飛行士は長年、困難な訓練に没頭し、宇宙への冒険旅行に備える。外国の文化や未知の種や彼方の惑星を理解するために、私たちがこれほどの努力を惜しまないのなら、自分自身の心を理解するためにも同じぐらい一生懸命取り組む価値があるかもしれない。そして、アルゴリズムが私たちに代わって私たちの心を決めるようになる前に、自分の心を理解しておかなくてはいけない。

 

自己観察は昔から難しかったが、時間とともにさらに難しくなっているかもしれない。歴史が展開するにつれ、人間は自分自身についてますます複雑な物語を創り出し、そのせいで、私たちが本当は何者かを知るのもますます困難になった。これらの物語は、大勢の人間を統一し、力を蓄積し、社会の調和を維持することを目的としていた。それらは、何十億もの飢えた人々に食べ物を与え、彼らが激しく争ったりしないようにするために、不可欠だった。人々が自分を観察しようとしたときにたいてい見つけたのは、こうした既成の物語だった。制約のない探究はあまりに危険だった。社会秩序を損ないかねなかったからだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons 21世紀の人類のための21の思考』第21章 瞑想(後半部分)
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(引用ここまで)

第21章 後半部は、前半部の主張を承け、

なぜ、いま「瞑想」なのか、

ハラリさんが、その根拠として、

科学が「心」を解明しにくい理由を

述べるところから始まっています。

 

脳は、ニューロン・シナプス・生化学物質などの

物質的ネットワークであっても、
心というのは、痛み・快感・怒り・愛など

主観的経験であり、

脳と心は別物であるから、
脳科学がどんなに発達しても、

それがそのまま、心を研究し、解明するための

道具とはならないわけですね。

 

人間をコンピュータたとえるなら、

脳は目に見えるハードウェアで

心は目に見えないソフトウェアと

言っていいかもしれません。

顕微鏡のたとえがとても分かりやすかったです。

 

AIのアルゴリズムがわたしたちに代わって

わたしたちの心が何を望むか

わたしたちが何者であるかを決める前に、

自己理解を深める必要があるということや、

自己観察が難化している背景にも言及されていて、

論旨が非常に明確でした。

 

昨日紹介しましたが、

第21章を丸ごと朗読しているYouTube動画を

今日も貼り付けておきます。

 

わたしはもうこれを5度ほど聴きましたが、

復習のつもりで聴いてみてください。

 

挫折なし!聞く名著 ハラリ「21lessons」第21章 瞑想


さいごに全体のふりかえりとして

本書全体を貫く論点を、
AI/自由主義/ナショナリズム/真実/教育の

5項目に分けて整理しておきます。

 

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『21 Lessons』全体を貫く論点

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0) 本書の中心軸
・21世紀の「最大の変化要因」は、AI・バイオ・データが結びついて、人間の“意思決定・労働・政治”の土台を組み替えること  
・その結果、近代を支えた自由主義の物語(個人の自由・平等・民主主義)が、制度的にも心理的にも揺らぐ
・しかも課題(気候・核・AI・感染症など)は国境を越えるため、世界規模の協力が不可欠になる一方で、分断を煽る物語(排外的ナショナリズム、陰謀論、宗教原理主義など)が力を持ちやすい 
・鍵は「正しい答え」より社会が誤らないための〝思考のOS〟を更新すること(事実基盤・制度・教育・内省)

 

1) AI(データ×アルゴリズム)の論点:

何が危険で、何が新しいのか
・最大の論点は〝人間そっくりのロボット〟ではなく、不可視のアルゴリズム支配  
・行動予測・注意操作・評価の自動化が、政治・経済・社会の意思決定を静かに支配し得る。  
・仕事の再編:失業より「変化速度」と「適応できない層(無用者化)」が問題  
・社会保障・再教育・尊厳(意味)の再設計が必要。  
・格差の質が変わる:富や教育格差が、健康・能力の差へ結びつき「固定化」し得る。  
・軍事・安全保障:AI化で意思決定が高速化し、誤算・事故のリスクが増える。


2) 自由主義(リベラル)の論点:

なぜ揺らぐのか/守るべき核心は何か
・自由主義は「個人の自由な選択」を前提にするが、脳科学的には意思は必ずしも透明ではなく、データ社会ではアルゴリズムが“選択を予測し誘導”できる。  
・よって自由を守る戦いは、従来の「国家権力 vs 個人」だけではなく、データ権力(国家・企業・プラットフォーム)を含む。  
・守るべき核心:個人の主体性(自分で選ぶ感覚)  
        説明責任・透明性(なぜその判断が出たのか)  
        権力の抑制(集中の防止)  
        自由主義の空白を埋める代替物語(排外主義など)は短期的に魅力的でも、長期的には危うい。


3) ナショナリズムの論点:

必要だが、過剰だと世界課題に勝てない
・国家は協力の装置として有効(税・法・福祉・教育など)で、簡単に捨てられない。  
・しかし、主要課題は国境を越えるため、「自国第一」だけでは解けない。  
・重要な整理:愛国心(責任・共同体)と、排外主義(敵を作る動員)は別物。  
       21世紀に必要なのは、ローカルに根を持ちつつ、グローバル協力へ参加する二重の帰属。


4) 真実(ポスト・トゥルース)の論点:

民主主義を壊すのは“意見の違い”より“事実基盤の崩壊”
・人間は元来、真実より物語・帰属・感情に引っ張られる。  
・SNS時代は、注意を奪う情報(怒り・恐怖・陰謀)が優位になり、誤情報が増幅しやすい。  
・民主主義に必要なのは「全員が賢い」ことではなく、検証の制度(科学、独立メディア、司法、教育)への信頼と保守。  
・個人の態度としては、無知の自覚(知らないことを認める)+ 信頼に値する仕組みを選ぶ力が中心。


5) 教育の論点:

知識の時代から〝更新可能な人格・技能〟の時代へ
「答えを覚える」より変化に適応し続ける力(レジリエンス)へ。  
中核(4C): Critical thinking(批判的思考)  
         Communication(伝える/聞く)  
         Collaboration(協働)  
         Creativity(創造)  
追加で重要:不確実性への耐性(職・価値観が変わる)  
      自己理解・感情の扱い(操作されないための内的リテラシー)  
      教育は経済政策ではなく、民主主義のインフラ。
→アルゴリズム時代の自由主義を守るには、国家の枠を超える協力と、事実基盤を維持する制度、そして変化に適応できる力を培う教育(外的リテラシー+内的リテラシー)が不可欠。


6) まとめの5つの〝問い〟
・AIが社会に入るとき「効率」と引き換えに失われる自由は何か?  
・〝個人の自由〟を守るために、データは誰のもので、説明責任は誰が負うべきか?  
・国境を越える課題に対し、国家と地球市民の両立は可能か?  
・民主主義は、事実の共有が崩れたときどう再建できるか?  
・教育は、AI時代に「何を教える」から「どんな人を育てる」へ、どう転換するか?

 

 

では、この続きはまた明日に(^^)/
 

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●2021.9.1~2024.12.31記事タイトル一覧は

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