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親に必要な〝適切な無関心〟ということ

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親に必要な〝適切な無関心〟ということ

親に必要な〝適切な無関心〟ということ

2026/06/03

わたしがXで頻繁にリポストしている
アカウントのひとつが、

秘密結社+Mです。

 

何やら怪しそうなハンドルネームなんですが、笑
投稿されている内容は、

ナルホドとおもうことばかりで、

まったく怪しい感じなどありません。


Xのプロフィールを拝見すると、

お住まい(ご出身?)は名古屋とあって、

現在は東京の新宿歌舞伎町で

+Mというバーを経営されている方のようです。
 

ちなみに、わたしがフォローしたときには、
「+M laboratory」という名前でした。

 

laboratory とは、「研究室」「実験室」の意。
 

ネットにラボラトリー方式の体験学習

という言い回しがあるんですが、

名古屋には南山大学という

ラボラトリー方式の体験学習拠点があるので、

もしかすると、そちらと何らかの関わりを

持っておられる方かもしれません。


実験、つまり「まず、やってみる」姿勢であり、

「体験学習」という意味でもあるようで、

寺子屋塾のスタンスに通じるように感じました。

 

noteでも情報発信されているんですが、

メンバーシップに登録し課金しなくても

無料で読める記事も

ほぼ週1ペースで書かれているので、

ご覧になってみて下さい。

 

 

それで、今日の本題です。

 

4月にXで
秘密結社+Mさんが投稿されていた記事で、

親子関係に言及された話がありました。

 

深く響いた内容だったので

すぐにリポストしたんですが、
まずはそれを原文のまま引用してご紹介。

(引用ここから)
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親というものは、とかく子どもに関心を持ちすぎる。
気持ちはわかる。

昨日まで靴下もまともに履けなかった生き物が、

ある日突然、

もっともらしい顔で人生の選択をし始めるのである。
気にもなるだろう。誰と会っているのか、

何を考えているのか、なぜ相談しないのか、

そもそもちゃんと食べているのか。

心配の種はいくらでもある。

 

しかし、子どもがある程度育ってから親に必要なのは、

「深い理解」などという立派なものではなく、

もう少し地味な能力、

すなわち「適切な無関心」なのである。

 

無関心といっても、

「はいはいどうぞどうぞ好きにしなさい」と言って

本当に何も見ないことではない。
そうではなく、何でも知ろうとしないこと、

何でも聞き出そうとしないこと、

何でも親が意味づけしようとしないことだ。
要するに、子どもにも親に説明しない時間があり、

親の知らない感情があり、

親には理解不能な選択があってよい、と

認めることである。

 

これが意外とむずかしい。
親という生き物は、

しばしば「関心が深いほど愛情も深い」と

思い込んでいる。
だからつい、聞く。つい、詮索する。

つい、助言する。
つい、「あなたのためを思って」と言いながら、

自分の落ち着かなさを処理し始める。
こうなると愛情はだんだん重くなる。
気がつくと、支えのつもりが監視になり、

助言のつもりが介入になり、

親心のつもりがただの居座りになっている。

 

成熟した親は、

子どもの人生の小さな脇役にまで

自分を退けることができる親、

子どもに子どもの人生の主役を

割り振ってやることができる親なのだ。

 

気にはしている。だが、全部は知らない。
心配はしている。だが、全部は口を出さない。
何かあれば力になる。

だが、何もないのに真ん中には立たない。
この「半歩さがる技術」は、かなり尊い。

 

子どもにしてみれば、

親がいつまでも人生の解説者でいられるのは、

なかなかしんどい。
こちらももう、ひとりで勝手に失敗したり、

黙って遠回りしたり、親には理解不能な理由で

変な決断をしたりしたいのである。
それも込みで人生なのだから、

そこをいちいち回収されると息が詰まる。

 

親の愛に必要なのは、情熱などではない。
子どものことが分からないままで

放っておくことができること、

子どもが言わないことを

知らずに済ませることができること、

つまり子どもの領域を侵犯せずにいられる

適度な無関心が重要なのである。

 

秘密結社+M 2026年4月2日 Xの投稿記事より
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(引用ここまで)

冒頭に書かれていた

「親はとかく子どもに関心を持ちすぎる」
については、多くの方が共感できる姿勢でしょう。

 

でも、一般に「無関心」という言葉は、

ネガティブな意味で使われることの方が

圧倒的に多いので、

「無関心でいることが大事」って書かれていれば
ほとんどの人が

「オヤッ?」「えっ?」となります。

 

だから、その前の〝適切な〟という

修飾語が効いてくるわけで、
「適切な無関心」という表現が深く刺さりました。

 

つまり、冷たさでなく、

余白を認め、境界線を守り、

他者として尊重する〝無関心〟です。

 

わたしも教育の仕事に

40年以上関わっているので、

「親という漢字って

 〝木の上に立って見る〟って書くんですが

 ちょっと離れないと

 本当の子どもの姿は見えて来ないんです。」

という話は、これまで数え切れないほど

語ってきました。

もちろん、この説明はいわゆる俗説で、

漢字の起源や成り立ちを

正しく表しているわけではないんですが、

人間関係というのは、

他人よりも、親子、兄弟姉妹、夫婦といった

近い関係の方が却って難しいんですね。
【参考】漢字コラム9「親」 木の上に立っても・・・(外部リンク「kanji cafe」より)

 

 

以前、恋愛をテーマに書いた記事でも、

「距離が近いこと」と「親しいこと」を

混同し、勘違いしてしまいがち
という話を書いたことがありました。

 

距離が近づいたからといって、

残念ながら、そのことがそのまま

相手を理解できている保証にはなりません。

 

親というものは、なかなか厄介で
「関心が深いほど愛情も深い」と
おもい込んでしまいやすい存在なのでしょう。
 

むしろ、親子の場合は特に、

距離が近いことで、

関心が深いことで、

却って本当の姿が見えなくなっている関係の方が

わたしには少なくないように見えます。

 

そして、一番見えていないのが

他でもない〝自分自身〟だということも。

 


開塾以来当塾で基本教材としている

らくだメソッドの学習については、

「押しつけない、強制しない、命令しない」という

関わり方についての

キャッチフレーズがあります。

 

もちろん、これは少し離れたところから

手も口も出さずに見守る姿勢の
大切さを言っていて、

本人の好き勝手にさせることではありません。

気にはしている、けれど全部は知らない。

心配はしている、けれど全部に口を出さない。

何かあったときには力になる、
けれど何もないのに真ん中には立たない。

 

つまり、管理し強制することの対極にあるのは、

〝放任〟とおもわれがちですが、

そうでなく、

管理しない、けれど放任もしないという

距離のとり方が、

セルフラーニングという学習の根幹にあることを

秘密結社+Mさんのこの記事を読んで

あらためておもった次第です。

 

 

ちなみに、この3月に秘密結社+Mさんが
Xでトップに固定された記事に次のようにあり、

「内発性を生きる」と題されています。

 

なるほど!これなら、わたしが常々

教室で話している内容とも

自然につながるわけだと納得しました。

 

(引用ここから)
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おれが考え続けているのは、ひとことで言えばこういうことだ。

外から押しつけられる「正しさ」や「評価」や「物語」に飲まれずに、内側から立ち上がる感覚(自分の軸)で生きたい。 しかも、それを現実の人間関係と生活のなかでちゃんと回す形にしたい。

大事なのは、頭の中で納得することではなく、日々の判断や行動として機能すること。つまり哲学や倫理、美学を「説明」ではなく、「生のOS」にしたい、ということだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

 

 

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