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ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」

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ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」

ザ・メンタルモデルについて(その31)「反応しちゃう自分の扱い方」

2026/07/16

6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会

の事前準備を兼ねて、

著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された

〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

 

昨日までの投稿記事に未読分がある方は

まず次から先にどうぞ!
ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」

ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」

ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①

ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②

ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③

ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』

ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」

ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」

ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」

ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」

ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」

ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」

ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」

ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」

ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」

ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」

ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」

ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」

ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」

ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」

ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」

ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」

ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」

ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」

ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳①」

ザ・メンタルモデルについて(その27)「動物脳と人間脳②」

ザ・メンタルモデルについて(その28)「動物脳と人間脳③」

ザ・メンタルモデルについて(その29)「脳と心の関係について」

ザ・メンタルモデルについて(その30)「原生的疎外と純粋疎外」

 

この連載記事も回を重ね31回めとなりました。

 

(その26)の記事から考察しているテーマは、

その人の生存本能とその人自身をどう区別するか

ということです。

 

なぜ「動物脳」と「人間脳」という「分離」を

産み出してしまったのか?という問いから、

松岡正剛さんのレクチャーをヒントに
脳というフィジカルな側面からアプローチしたり、

「脳と心のつながり」を考察したりしてきました。


それで、昨日投稿した(その30)の記事では

「動物の心」と「人間の心」は

どう違うのかを考察し、

吉本隆明さんが『心的現象論』で提唱された

「原生的疎外と純粋疎外」にチャレンジしようと

宇田亮一さんの解説本、

『新版 吉本隆明「心的現象論」の読み方』から

ヒトの心とネコの心の違いにたとえながら

わかりやすく説明されている箇所を

引用して紹介した次第です。

 

難しかったですか?

 

7,000文字近くあって分量は多かったですが、

中味はかなりわかりやすかったのではないかと。

 

Notion AIに「1/4くらいの分量で要約して」と

頼んだところ、次のように返してきました。

 

復習のつもりで読んでみてください。

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宇田亮一『吉本隆明「心的現象論」の読み方』第1章の「ネコの心と人間の心の違い」では、吉本隆明が「心」をどのように捉えたかを、ネコがネズミを追いかける場面を手がかりに説明している。吉本は、心を単に脳の中にあるものとは考えない。心は、外界にある対象と、それを受け取る身体とのあいだに生じるものだと考える。たとえばネコがネズミを見るとき、まずネズミという外界の対象が、ネコの目に刺激として入る。この刺激を受け入れる過程を「空間化」、つまり対象と関係づけるプロセスと呼ぶ。次に、その刺激が脳内で再構成され、ネコが「ネズミだ」と了解する。この了解のプロセスを「時間化」と呼ぶ。


このように、外界の対象と身体の感覚器官が出会い、そのはざまに心の動きが生じる。吉本はこの生き物一般に共通する心のあり方を「原生的疎外」と呼ぶ。「疎外」とは、心が外界や身体から生まれてくるにもかかわらず、外界そのものにも身体そのものにも還元できない、という意味である。つまり、心は外界と身体から押し出された独自の領域として現れる。動物の心は、この原生的疎外の領域において、対象を感覚的にとらえ、それを了解し、行動へとつなげていく。


しかし、ヒトの心はこの動物一般の心とは質的に異なる。吉本は、ヒト固有の心のあり方を「純粋疎外」と呼ぶ。ネコがネズミを見る場合、ネコにとってネズミは「捕まえるもの」「食べるもの」として、ほとんど一塊の刺激—反射連鎖の中に現れる。空腹のネコにとって、「ネズミ」「捕まえたい」「食べたい」はほぼ同義であり、対象の意味は一義的である。これに対して、ヒトがネズミを見る場合、単に「ネズミ」を見ているのではなく、「ネズミがいること」を見ている。つまり、外界のネズミだけでなく、心の中に立ち上がったネズミの像を見ているのである。


ここに人間の心の多義性がある。ヒトはネズミを見て、「でかい」「気味が悪い」「かわいい」「追い払いたい」「研究対象だ」「物語に使える」など、さまざまな意味づけや価値づけを行うことができる。同じ対象であっても、人によって感じ方や了解の仕方は異なる。吉本は、この人間固有の関係づけを「固有空間性」、人間固有の了解の仕方を「固有時間性」と呼ぶ。動物の心が外界を空間化し時間化することで成り立つのに対し、人間の心は、その了解された内容そのものをさらに対象化し、もう一度関係づけ、了解することができる。


この仕組みを、文章では「時間を空間に転化する(時空転換)」と説明している。たとえばヒトは、まず「ネズミがいる」と了解する。次に、その「ネズミがいる」という了解そのものを対象としてとらえ、「でかい」と意味づける。さらに「でかい」と感じたその了解をまた対象化し、「気味が悪い」と意味づける。このように、ヒトの心は、自分の心の動きそのものを対象化し、重ねて了解していくことができる。いわば「心で心をとらえる」のであり、「目で目を見る」ような自己反省的な働きを持っている。


吉本にとって、純粋疎外は原生的疎外を切り捨てたものではない。ヒトもまた動物である以上、外界と身体のはざまに生じる原生的疎外を土台としている。しかし、その土台の上に、心そのものをさらに対象化し、多義的な意味や価値を生み出す純粋疎外が重なっている。したがって、ヒトの心は「二階建て」の構造を持つ。

 

下層には生き物一般に共通する原生的疎外があり、上層には人間固有の純粋疎外がある。この違いは一見すると小さいが、決定的である。ヒトはこの働きによって、言語、歴史、宗教、文化、思想、文学を生み出した。同時に、本能だけでは生きられない「本能の壊れた動物」となり、無限の欲望や心の不調を抱えこむ存在にもなった。だからこそ吉本は、実験心理学や神経生理学が扱う心の領域と、思想・哲学・文学が扱う心の領域を混同しないために、「原生的疎外」と「純粋疎外」という概念を立てた。両者を区別することで、動物一般の心と人間固有の心の質的な違いを明確にしようとしたのである。
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最後2つのパラグラフがポイントですね。

純粋疎外は原生的疎外を切り捨てたものではない。
ヒトもまた動物である以上、
外界と身体のはざまに生じる

原生的疎外を土台としている。

 

しかし、その土台の上に、

心そのものをさらに対象化し、多義的な意味や

価値を生み出す純粋疎外が重なっている。

 

したがって、ヒトの心は「二階建て」の構造を持つ。

 

そう、二階建てなんです。

 

人間が動物の脳を脳内に抱えているように

心も二層構造になっている。

 

吉本さんの原著『心的現象論序説』には、

原生的疎外と純粋疎外の位相関係を示した

次の図が載っています。

 

宇田亮一さんは、この図は

すこしわかりにくいと感じられたようで、

『吉本隆明〝心〟から読み解くの思想』には

上の図をディフォルメして

次のような図を載せておられました。

 

さて、(その26)の記事でシェアした

前野隆司さんの番組に

由佐美加子さんがゲスト出演されている動画に

生存本能の2つの性質として、

自己正当化と幼児性って話がありました。

 

生存本能が駆動してしまっているときに

それをどう自覚するかってことなんですが、

「ヒトの心とネコの心の違い」という話は、

そのことの大事さと難しさを

暗示しているようにも感じています。

 

 

ところで、2024年2月に、

「大人ってどんな人のこと?」をテーマに8回、

プレ的位置づけで書いた

内田樹さんの本の紹介を含めて

9回の連載記事を書いたことがありました。

 

「自己正当化と幼児性」について考える

ヒントになるように感じたので、

未読の方はご覧になってみてください。

 

●大人ってどんな人のこと?
2/9 内田樹『寝ながら学べる構造主義』(その0)

2/10 大人ってどんな人のこと?(その1)

2/11 大人ってどんな人のこと?(その2)

2/12 大人ってどんな人のこと?(その3)

2/13 大人ってどんな人のこと?(その4)

2/14 大人ってどんな人のこと?(その5)

2/15 大人ってどんな人のこと?(その6)

2/16 大人ってどんな人のこと?(その7)

2/17 大人ってどんな人のこと?(その8・最終回)

 

 

わたし自身、もう高齢者と呼ばれる年齢なのに、

未だに精神年齢は17歳ぐらいだなと

常々感じているくらいですから、

子どもがダメで大人がイイだなんて

もちろんこれぽっちもおもっていないんですが。

 

そもそもの前提として、

善し悪し、正しい正しくないの〝二元論〟から

離れることが大事なので。

 

世の中にはいろんな考え方があり、

自分の中にもいろんな自分がいるわけですが、

人生の主役から降りるわけには行かないし、

「どういう自分でありたいか」であって、

常に問われているのは

自分以外の誰でもないんですね。

 

 

さて、昨日の復習と前置きが

随分長くなってしまいましたが、

本日のメインコンテンツは、

(その9)の記事で紹介した、

「源から生きる、生き方革命」動画シリーズの

第5回「反応しちゃう自分の扱い方」です。

 

文字起こしテキストも付けましたので、

昨日今日と書いてきた

「原生的疎外と純粋疎外」の考え方と、

由佐さんの話されている内容を

重ね合わせながら聞いてみてください。

 

 

(short.ver)「源から生きる、生き方革命」第5回「反応しちゃう自分の扱い方」

(文字起こし・ここから)
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みっつ:

「源から生きる、生き方革命」第5回です。第5回は「反応しちゃう自分の扱い方」というテーマで進めていきたいと思います。


由佐:
やっぱり「反応」と「感情」って、何回も言っているんだけど、とにかくわたしは「世界平和の鍵はここにあるんじゃないか説」を持っていて。人間が、本当にお互いに苛立つこの状態を、違う形でちゃんと扱えるようになったら、関係性は絶対に変わるはずだ、と思ってるんですね。感情を相手にぶつけたり、「それは相手の問題だ」として切り離すやり方じゃなくなったときに、劇的に関係性は絶対変わるはずだと思っているので、テクノロジーの中でもわたしはこれがすごく好きなんです。

 

これを見つけたとき、超感動したっていうのもあるし、「これってこういうふうに扱ったらこうなるんだ」みたいな体験が、自分の体験の中にもいっぱいあるから。自分の周りの人たちがどれぐらい〝平和〟になるかっていうのを体験しているが故に、皆さんに掴んでもらいたいな、と思っています。結構重要なやつの一つっていう感じです。
 

反応というものを捉える前提として、わたしは「わたしたちは世界と分離している」ということがある、と思っています。つまり、「この世界がわたしに対して何かをやってくる」という世界観がないと、反応ってそもそも起こらないっていうことがあるんですね。
 

みんなが今話してくれた「こういうことに反応してるんです」というときに、そこには「わたし」と「わたしが見ているもの」、あるいは「わたしが感じている世界」は、切り離されている、という状態がないと、もともと反応はできない、っていうのがあります。人間の反応が何を表しているかというと、「わたしは、切り離された世界の中で、どういうふうに世界に扱われると思っているのか」という世界観がそのまま表れているのが反応なんですね。
 

で、今回、一番見てほしいポイントはここです。わたしたちは分離している。だから世界はわたしに何かやってくる。世界に何かされちゃう。何かしてくる。つまり、自分は〝何かの対象〟になっている。そういう人間のあり方そのものが、本当はあるべき姿ではない、とわたしは思っています。わたしたちは本当は、「自分がそれをどう捉えるか」を選べるし、「自分がそれをどう見るのか」もまったく自由に決められる。


でも、反応の世界っていうのは、それがないんですよね、その自由が。それが起きたら、もう自分はある特定のフィルターを通して、「世界はそういうものだ」と体験せざるを得ないという風に固定されちゃってるっていうのがポイント。


だから「いつも同じことが起こる」という感じになる。世界は、いつも同じフィルターを通して体験され、同じ反応を延々繰り返す。そういうことなんだよね。ここでまずすごく大事なのは、反応は「相手のせい」ではない、ということです。反応を起こしていることに関与している、外側にいる人——その人の性格や言動とは、基本的に関係ない。これがまずすごく大事です。

 

「その人たちがわたしに何をしている」というふうにわたしが捉えている〝捉え方〟が、反応を作り出している。だから、自分の中でこういう信念を見つけてください。まず、自分のなかで。「自分はこういうふうに世界に扱われても仕方がない」と、そう思っている場面です。


たとえば、自分は感情をぶつけられても仕方がないんだとか、自分はのけ者にされても仕方がないんだとか、自分は尊重されなくても仕方がない、大事にされなくても仕方がないんだと、こんなふうに世界にされちゃっても仕方がないんだというものがあると思うので、それをまず見つけてください。


反応は、つねに「世界に対して受け身である自分」が作り出しています。「被害者である自分」が作っている。「そういうふうにされる」という世界観がないと、反応はできないんです。世界に対して自分は無力で、それを〝食らうしかないんだ〟という感覚がないと、反応はできない、です。


だから反応は、すべて「無力感」と「絶望感」から生まれています。「この世界に対して、わたしができることは何もない」という感覚。小さい頃の体験に根ざしていて、当時は能力的にどうしようもなかった。だからこの痛みを「ただ耐えるしかないんです」。そういう〝かわいそうな世界〟で成り立っているわけですよ。


この信念構造を、どうやって扱うか。一番効果的なのは、こういうふうに可視化して、分解していくことです。ここで何が起きているのか、メカニズムとして何があるのか。これがわたしが「テクノロジー」と呼んでる仕組みなんだけど。その信念がどういうふうに成り立って、自分のなかで無自覚に、しかも自分ではまったくコントロールできない状態で作動しちゃってるのか。とにかく分解して、全部の仕組みを知る。これを扱うすごいカギなんですね。


そしてまず、「この信念を持ったのは、自分のせいじゃない」と思ってください。どこかのタイミングで、何かの瞬間に、その〝痛み〟から自分が“この信念を作り出しちゃった。ある意味、偶然に。だけど同時に、自分で選んでる部分でもあるんですよね。反応の根っこには、必ず「自分を卑下する信念」があります。自分を卑下している。自分をダメなものとしている。自分のことを良くないと捉えている。そういう信念が根っこにある。

 

で、これだけだったらまだいいんだけど、人間はここからさらに厄介なことをやり出します。「この信念を持ってた方が生きやすい」という状態を、同時に作り出すんですよ。人間は合理的だから、本当にこのことが嫌だったら、こんなのコンマ何秒でやめちゃうはずなんです。不快なものは避ける。当然、こんな信念、持っていたくないですよね。なのに、なぜ持ち続けるのかというと、このことに「強烈な旨味」が残ってるからなんです。

 

だから、外的世界でいろんな反応が起きるとしても、反応を引き起こしている信念は、大抵ひとつだから、そこにいつも立ち返って、「また〝ない〟ところからやってる」「また〝ない〟フィルターで見てるんだな」ってそのたびに自覚できるようになると、この反応自体が変わってくる。なぜかというと、「被害者」という立場で見なくなるから。「何かされちゃってる」という風に見なくなるから。このパラダイムシフト———見る観点の枠組み、立ち位置のシフトがすごく大事なんです。


外の世界に対して「あなたがわたしにこんなことするんですね」という見方から、「自分が、自分の信念からこういうふうに見て、こういう体験を作り出しているんだ」というところに立てるっていうこと。これが一番大きいです。
 

この転換が起きると、なんて人間は満たされて幸せだって感じられるし、満たされてるから人に貢献できるし、満たされているから愛があると思えるというふうになるのに、こんなにみんなが頑張っているのに満たされない世界を作っちゃってるのか———まあ充足するわけがないんだよね、って見えてくる。
 

今、プロセスを細かく分けて順番にやってもらったんだけど、このプロセスを通ると、自分の中で感覚が何か変わるはずなんですよ。「ああ、こうだったのか」という理解が生まれてくるから。なので、ここでいったんブレイクアウトして、ここまでやってみて、自分が分かったこと、感じたこと、気づいたことを、何でもいいのであるものをちょっと喋ってきてもらってもいいですか。

 

最後にまとめると、反応は日常の中で「今の構造」に気づいてもらうだけで充分です。「どうにかしよう」としないで。書き換えようとか、その信念を何とかしようとか、しないで。「ああ、確かにそうやってます」って気づいてもらうといいです。

 

「またこういうふうに見てるんだ」っていうことだけ。イヤんなっちゃったときに人間って変わるから。それが一番自然に人間が変容していくプロセスだから、「何かしよう!」としないでください。ただ、今日気づいたことを、日常で見つめられるようになってもらえたらいいなと思ってます。
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(文字起こし・ここまで)

 

 

※関連参考記事
朗報!5/26宇田亮一『吉本隆明「心的現象論」の読み方』新版発行!
人間の精神作用を表した『五蘊無常無我』

原生的疎外・・すべての生物がもつイノチの力について

内的観点と外的観点の両方を同時にもつこと(その10)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』前編

(その11)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』後編

(その12)(その10)(その11)へ井上のコメント

(その13)吉本隆明・主要三部作の相互関係(〝心〟の捉え方)

(その14)吉家重夫「統一場心理学」の紹介

 

 

この続きはまた明日に!(^^)/

 

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●2021.9.1~2024.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

 2025年に投稿した365記事はすべて

 今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載

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