ザ・メンタルモデルについて(その29)「脳と心の関係について」
2026/07/14
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会
の事前準備を兼ねて、
著者のおひとり、由佐美加子さんが発見された
〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。

昨日までの投稿記事に未読分がある方は
まず次から先にどうぞ!
・ザ・メンタルモデルについて(その1)「はたあそ(第1部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その2)「はたあそ(第2部)」
・ザ・メンタルモデルについて(その3)「TEDx Talksプレゼン動画」
・ザ・メンタルモデルについて(その4)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?①
・ザ・メンタルモデルについて(その5)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?②
・ザ・メンタルモデルについて(その6)ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ?③
・ザ・メンタルモデルについて(その7)『学習する組織』と『U理論』
・ザ・メンタルモデルについて(その8)「〝痛み〟とどう向き合うか」
・ザ・メンタルモデルについて(その9)「〝源(みなもと)〟とは何か?①」
・ザ・メンタルモデルについて(その10)「〝源(みなもと)〟とは何か?②」
・ザ・メンタルモデルについて(その11)「〝源(みなもと)〟とは何か?③」
・ザ・メンタルモデルについて(その12)「〝源(みなもと)〟とは何か?④」
・ザ・メンタルモデルについて(その13)「〝源(みなもと)〟とは何か?⑤」
・ザ・メンタルモデルについて(その14)「吉本隆明『共同幻想論』に重ね合わせてみて」
・ザ・メンタルモデルについて(その15)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その16)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その17)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その18)「自分の内面を観ることと〝経営〟のつながり④」
・ザ・メンタルモデルについて(その19)「ライフタペストリーとプロセスデザイン」
・ザ・メンタルモデルについて(その20)「ライフタペストリーと親鸞上人」
・ザ・メンタルモデルについて(その21)「価値なしモデルと愛なしモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その22)「欠陥欠損モデルとひとりぼっちモデル」
・ザ・メンタルモデルについて(その23)「実存的変容とのつながり①」
・ザ・メンタルモデルについて(その24)「実存的変容とのつながり②」
・ザ・メンタルモデルについて(その25)「実存的変容とのつながり③」
・ザ・メンタルモデルについて(その26)「動物脳と人間脳①」
・ザ・メンタルモデルについて(その27)「動物脳と人間脳②」
・ザ・メンタルモデルについて(その28)「動物脳と人間脳③」
この連載記事も回を重ね29回めとなりました。
7/12から「動物脳と人間脳」というテーマで
3回にわたって記事を書いてきたんですが、
まずそれをざっくりふりかえると、
(その26)の記事で紹介したのは、
2024年5月、前野隆司さんのYouTubeの番組に、
由佐美加子さんがゲスト出演されたときの
お話でした。
そのときの由佐さんの
その人の生存本能を司る「動物脳」と
その人自身を司る「人間脳」の区別が大事
というお話から派生し、
(その27)と(その28)では
そもそもなぜ「動物脳」と「人間脳」という
「分離」を産み出してしまったのか?
という問いについて
松岡正剛さんの自己編集についての
レクチャーをヒントに考察してきました。
そのなかでわかってきたこととして
・言葉の問題と脳の問題は密接な関係にある
・動物脳と人間脳を連続的に捉える視点
の2点はとくに重要だとおもいます。
ただ、この問題にアプローチするためには、
前提条件や付随することとして
整理しておく必要があるテーマがあり、
また、過去に投稿した記事のなかにも、
その辺りに触れた内容のものがいくつかあるので、
今日からしばらくの間は
そのあたりについて投稿することにしました。
それで、本日投稿する記事では
「脳と心」がメインテーマとなります。
(その24)の記事で紹介した
天外伺郎さんのまえがきにあったように、
「メンタルモデル」という言葉は、
もともと認知心理学の用語なんですね。
でも、由佐さんがセッションでされていることは、
対話を通して、その人の内面の奥にあるものが、
現実にどうつながっているのかを
可視化することでしたから、
認知心理学上での一般的な使われ方とは
区別しようと、
特定する意味合いの定冠詞theをつけて
〝ザ・メンタルモデル〟とされたわけです。
また、(その23)(その24)(その25)の
3回にわたって書いた〝実存的変容〟とは、
もともと深層心理学で使われている言葉ですから、
わたしがその続きの記事として
「動物脳と人間脳」というテーマを掲げた時点で
「なぜ心でなく〝脳〟なの?」と
違和感を感じられた方が
いらっしゃったかもしれません。
ただ、この「脳と心の関係」についてというのは
対象を生物一般でなく〝人間〟に限定しても、
ちゃんと考えようとするのは
なかなか厄介なテーマなんですね。
たとえば、「動物に心はあるのか?」という
問いについて考える場合、
動物にも恐怖や喜びの感情や知性があることは
アカデミックな世界においても
一応定説のようですが、
それが「心」と名づけられるものかどうかについて
さまざまな議論はあっても
それが事実であることを証明することは難しく、
確定的な答が出せていないようです。
つまり、「心は人間だけに存在するもの」
という捉え方も
それはそれで一つの側面を
言い当てている表現なんですね。
すごく乱暴な表現ではあるんですが、わたしは
「コンピュータに準えていうなら、
脳はハードウェアであり、
心はソフトウェアだ」というたとえを用いて
その相互関係について話すことがあります。
脳は神経細胞、シナプス、脳内物質、神経回路など
〝物質的基盤〟を差し示す言葉であるのに対し、
心は記憶、感情、思考、意識、判断、
自己イメージといった〝見えない働き〟を言うので。
たとえばコンピュータでは、同じハードウェア上で、
文章作成ソフト、画像編集ソフト、
ブラウザなどさまざまなプログラムが動いています。
それと似たように、人間の場合も、
脳という生物学的基盤の上で、
記憶、感情、言語、想像、自己意識などが
動いているわけですから、
脳と心を違った性質から
分けて捉えられるという点においても、
脳を「物理的な装置」とし、
心をその装置上で生じる
「情報処理のパターン」とするのは、
便宜上わかりやすいたとえと言ってよいでしょう。
しかし人間の場合は、
コンピュータのようにはハードとソフトを
きれいに分離することができないんですね。
コンピュータなら、同じソフトウェアを
別の機械にコピーすることができます。
でも、人間の心の場合、
脳の構造、身体、感覚、記憶、発達の歴史、
他者との関係、文化、言葉の履歴等々と
深く結びついていて、
同じ内容の〝心〟を別の人に
そのまま移植しようとしても無理でしょう。
つまり、人間の場合、心はたしかに
脳の上で動いている
プログラムのような側面があるのと同時に
脳そのものを変えていくものでもあるわけで。
また、人間は、学習することによって、
神経回路が変わることも起きるし、
トラウマや愛着経験も脳の反応傾向を
変えてしまうことがあります。
言葉の使い方、習慣、瞑想、教育、対話も、
脳の働き方を変えていく要素になり得るので。
だから、心は単に脳の上で走るソフトではなく、
ハードウェアを書き換える
ソフトのようなところがあるというか、
脳そのものを「自己更新可能なハードウェア」
と表現した方がいいかもしれません。
脳には、経験を重ねていくことによって
神経接続が変化していく〝可塑性〟があっても、
コンピュータでは、ソフトが動いても
CPUやメモリの物理構造そのものは
大きく変わることはないからです。
その意味で、脳は固定されたハードウェアではなく、
使われながら配線が変わる
ハードウェアです。
そして心は、その変化する脳の活動から生まれ、
さらにその脳そのものを変える〝はたらき〟を
持っているといってよいでしょう。
もう一つ大きいのは、
心は脳との関係だけで
完結していないという点が挙げられます。
たとえば感情は、脳だけでなく、
心拍、呼吸、胃腸の反応、筋肉の緊張、
ホルモン、自律神経、姿勢、皮膚感覚などとも
深く結びついて生まれるものなんですね。
「不安」は、脳内の情報処理だけでなく、
胸のざわつき、呼吸の浅さ、胃の重さ、
身体のこわばりとして現れますし、
「安心」も、脳内の判断だけでなく、
身体全体の状態として生じてきます。
だから、脳=ハードウェア、心=ソフトウェア
というよりも、
身体全体がハードウェアであり、
心はその身体・脳・環境のあいだに立ち上がる
〝プロセス〟の表現と言った方が近いでしょう。
さらに、心は「環境」や「他者」とも結びついていて
人間の心は、脳内だけで閉じていません。
言葉や道具、ノート、スマホ、家族、先生、友人、
文化、物語、宗教、制度など
まわりの環境要素によって大きく影響され
形づくられます。
たとえば、Notionなどのアプリケーションに
考えを書き出すことで、考えが変わったり、
誰かと対話すると、自分ひとりでは
出てこなかった感情や洞察が出てきます。
易経の卦を立てることで、自分の状況の見え方が
変わることもあるわけですが、
こうした場合、心は脳内のソフトウェアというより、
脳・身体・言葉・道具・環境のあいだで動いている
編集プロセスと見る方がしっくりくるんですね。
松岡正剛さんが生涯をかけてテーマとされた
「編集」という言葉に引き寄せて言うと、
脳は単なるハードウェアではなく、
情報を選択し、組み替え、フィードバックする
〝編集装置〟と言ってよいでしょう。
そして心は、そこに蓄積された記憶、感情、
言葉、身体感覚、社会的経験が、
そのつど組み替えられて立ち上がる
編集結果であり、編集過程そのものではないかと。
つまり、脳はハードウェア、心はソフトウェア
というより、
脳は生物学的な編集システムであり、
心はその編集システムが
身体・言葉・環境との相互作用する中で立ち上がる
〝動的〟な働きという感じです。
「脳=ハードウェア、心=ソフトウェア」
というのは、人間について考えようとするときの
入口としてはわかりやすい比喩であっても
人間の心を考える上では静的すぎるというか、
柔軟性に乏しい固定した見方に
なってしまうんじゃないかと。
脳は、経験によって自分自身を書き換え可能な
生きたハードウェアであるとは言えても
心は、その脳・身体・記憶・言葉・他者・
環境のあいだで絶えず生成される
〝動的な編集プロセス〟であるわけで。
だから心は、単に脳というハードウェアに
「インストール」されたソフトウェアでなく、
脳を使いながら脳を変え、
身体を通じて世界と接続し、
言葉によって自分自身を再編集し続ける
〝はたらき〟だと捉えるのが適切でしょう。
さいごに、2024年8月に
をテーマにして15回の連載記事を書いたので、
そのことについて。
時間に余裕があれば、
(その1)から(その15)まで全部の記事を
読み「内的観点と外的観点」について、
理解を深めて欲しいのですが、
「脳と心」をめぐる問題については、
(その10)から(その14)に
特に深く関係している話を書いているので、
シェアしておきます。
・(その13)吉本隆明・主要三部作の相互関係(〝心〟の捉え方)
ちなみに、明日の記事では
吉本隆明さんの『心的現象論』に登場する
「原生的疎外と純粋疎外」について触れる予定なので、
(その13)と(その14)だけでも目を通されると
理解の助けになるでしょう。
この続きはまた明日に!(^^)/


