ジョージ・ウェインバーグ「人間の行動は、その背後に隠された動機を強化する」(今日の名言・その127)
2026/06/14
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人間の行動は、
※ジョージ・ウェインバーグ(1929〜2017・アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの臨床心理学者)『自己創造の原則』より
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ウェインバーグのこの言葉は、
言い換えると、
「行動の結果は、外側(評価・成果)だけではなく、
内側(動機)にも跳ね返ってくる」
という指摘でもあるのでしょう。
わたしたちがしばしば耳にする言葉に
「アタマで考えているだけでなく、
行動することが大事だ」があります。
わたし自身も過去に
そういう言葉を使ったことは何度もありますし、
その言葉は間違ってはいません。
けれど人は、行動によって
まわりの世界を変えようとする一方で、
その動機次第では、同時に
自分の〝心のクセ〟を育ててしまうんですね。
ここが、少し怖いところでもあります。
たとえば、自らの意志でなく、
「人から言われたから」ということだけを動機に
行動することを繰り返していれば、
自分の意志で行動する力が弱っていく。
これは、ある意味で自明の理でしょう。
昨日の記事で取り上げた、中村元さんの
「生きる意味は問うてはならない」という言葉も、
同じ地平から捉えることができます。
中村さんは「意味を問うこと」それ自体を戒める。
でも、これは「考えるな!」という話ではなく、
「意味を問うという行為の背後に
生きることへの 〝恐怖〟が隠れていないか?」
「その〝問い〟は、あなたを自由にするのか?」
という問い返しなんですね。
ここで、問いを一つ置き換えてみましょう。
×「この行動にはどんな意味があるのか?」
○「私はどんな動機で、いまこれをしているのか?」
同じように見える行動でも、
動機が違えば、そこで育つものが違います。
たとえば、「人に親切にする」という行動は、
それだけ見れば立派なことです。
けれど、その動機がその人への「愛情」なのか、
その人から「嫌われたくない恐怖」なのか、
その人から「注目されたい渇き」なのかで、
育つ心の方向はまったく変わってくる。
つまり、外側に現れた〝行動〟は同じでも、
その行動の内側では
まったく正反対のものが強化されていく。
ウェインバーグの言う「強化する」とは、
たぶん、こういうことなのでしょう。
恐れから親切を繰り返せば、
恐れが拡大し、上達してしまう。
人からの承認欲求からがんばり続ければ、
その承認欲求がどんどん育って鋭くなってゆく。
不安を消すために生きる意味を探し続ければ、
「意味がないと耐えられない心」が
出来上がってしまう。
ここが、中村元さんの言葉と
ウエィンバーグの言葉が接続するところなんですね。
「生きる意味」を問うのは、もちろん切実です。
苦しみの底にいる時、人は支えを求め、
「問い」は、内側の〝痛み〟の表現でもある。
けれど、その問いがいつの間にか、
「意味が見つからないなら、この人生は失格だ!」
という構造にすり変わってしまうことがある。
すると、意味探しという行動がそのまま、
意味への依存を強化し、
さらにまた不安を強化し、と
問いへのループが無限に止まらなくなってしまう。
つまり、人間は行動だけ見ていても、
その背後にある
〝動機〟を見ようとしない限りは、
本当の姿を見たことにはならないということです。
いかに行動するかを問うより前に、
「意味」や「正しさ」を探すより先に、
まず、何がその〝動機〟となっているかを
点検することが必要なときがあるんですね。
ただし、厄介なことに、
行動は目に見えるけれど、心は目に見えません。
そして、さらに言うなら、
世の中を動かし、社会を動かしているのは、
その行動の前にある
目に見えない〝動機〟の方だってことに
なりませんか?
だから、行動と動機は分けて考えなければいけない。
いまの努力は、愛情からか。恐れからか。
いまの親切は、自由からか。義務感からか。
いまの問いは、わたしを開くのか。固めるのか。
この行動を続けると、どの動機を鍛えることになるか。
〝問い〟を変えると、世界の見え方が変わります。
「何の意味があるか?」が分からないとしても、
「自分はいま何に突き動かされているか?」を
注意深く観察すれば、
少なくとも〝気づく〟ことは可能なはず。
そして、自分でそれが見えたのなら、
その瞬間に、少しだけ選べるようになる。
動機に〝恐れ〟があるのなら、
自分はいったい何を恐れているのか。
何を失いたくないのか。
何を大切にしたいのか。
少し立ち止まって
そこを考えることができるはずです。
動機が承認欲求なら、
承認を求める自分を責めずに、
少し距離を取ってみる。
無理に意味づけしようとせず、
意味づけを急がずに、
目の前の一歩を丁寧に踏み出してみる。
行動は、心を育てます。
だからこそ、行動を変える以前に〝動機〟を見直す。
「意味を問う」代わりに、「動機を問う」。
ウェインバーグのこの言葉は、
わたしの〝問い〟の立て方を
こんなふうに静かに軌道修正してくれたのでした。
※冒頭の画像、ウェインバーグの著作2冊は
タイトルが異なりますが、
同じ本の旧版、新版(改訳版)です。
