「書かれた内容を受け取る」こと(吉本隆明『フランシス子へ』あとがきにかえてから)
2026/08/12
8/10と11、2日間にわたって
吉本隆明さんの
「自己表出と指示表出」について書いてきました。
正直に言って、「自己表出と指示表出」を
理解することは易しくありません。
でも、この「自己表出と指示表出」の
本質をつかんで
自分の道具として活用できるようになると、
言葉の扱い方が柔軟になるだけでなく、
コミュニケーションに困難さを
感じるような時においても、
その困難さがいったい何に起因するのか
解明できることが増えてくるように感じています。
もちろん、ただ知識として
「言語には〝自己表出と指示表出〟がある」と
頭にインプットするだけならば、
それは難しいでしょうが。
泳げない人が、泳ぎ方が書いてある本を
一所懸命読んで泳ぎ方がわかっても、
それだけで泳げるようにはならないのと一緒です。
頭中に「〝わかる〟とはどういうことか?」
という問いが浮かんでいますか?
たとえば、どういう状態になったら、
〝自己表出と指示表出〟が本当に理解できたと
言えるのでしょうか?
でも、この「わかる」「わからない」は、
基準があいまいで、
「わかったつもり」でしかないことが
少なくありません。
2023年9月に〝わかる〟とはどういうことか?
をテーマに全8回の連載記事を書いたので、
「そもそも〝わかる〟とはどういうことか?」
という問いが自分の中にあり、
興味がある方は読んでみて下さい。
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その1)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その2)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その3)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その4)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その5)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その6)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その7)
・そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その8・最終回)
たとえば、本を読むときには、
①自分にどんな問いがあってこの本を選んだか
②なぜ著者はこの本が書けたのか(発見したのか)
という2つの問いについて考えみることや、
著者のルーツや人物像について
なるべく詳しく知るように心がけるといい、
という話をよくしています。
さて、吉本さんは2012年に亡くなられたのですが、
今日のメインコンテンツは、
吉本さんが亡くなる直前の肉声を収めている
最後の著作『フランシス子へ』の
「吉本さんへ あとがきにかえて」です。
フランシス子というのは猫の名前で、
この本の制作途中に吉本さんが亡くなられたので
本書が出版されたのは
吉本さんが亡くなられてから1年後でした。
『フランシス子へ』や『ひとり 15歳の寺子屋』の
編集に関わられたライターの瀧晴巳さんが、
亡くなった吉本さんへ向けてのメッセージとして
書かれた文章なんですが、そもそも
書かれた内容を受け取るというのは
どういうことなのか、
吉本さんの人となりを感じながら読んでみて下さい。
(引用ここから)
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吉本さんへ あとがきにかえて 瀧晴巳
吉本隆明さんが亡くなったのは2012年3月16日のことだった。愛猫フランシス子が亡くなってから9ヵ月と1週間後だったという。思い出すのは2009年の5月に初めて吉本家にうかがった日のことだ。
角を曲がると、通りを行った先で猫がくつろいでいる姿が見えた。あれは吉本家の猫なのか、それとも近所の通いの猫だったのか。ここまでは滅多に車が入ってくることはないと知っているのだろう。道の真ん中に長々と体を横にのばして天下泰平の風情である。表札より何より、通りのどんつきで寝そべっている猫が、そこが吉本家である目印だった。目印なんて言い方をしたら、猫たちには不本意かもしれない。
「ダレカキタ」
「ダレダ」
「ダレナンダ」
玄関先にたどりつくと、今度は植え込みの陰、木の上から何匹もの好奇心に満ちたまなざしにさらされることになる。こっちも猫は嫌いじゃないから手を出してちょっとかまおうとすると、ぴゅーっと身をひるがえして逃げてしまう。一斉に。クモの子を散らすように。
「ソウイウンジャナインデ」
気まぐれな門番みたいに、つかず離れずの距離からじーっとこっちを見ている猫たちに「すみませんね。怪しい者じゃないんで」と恐縮しながら門をくぐった。玄関はいつも半開きだった。
いまどき珍しい引き戸で、こうして半開きにしてるのは猫たちの往来のためなのか。たずねると「いやあ、とるものなんてなんにもないんでね。鍵なんてかけたことがない」という、なんとも太平楽な答えが返ってきた。
「鍵しめてるときは、みんな、寝てるときでね。来る人はみんな、悪いと思うのか、ちょっとだけたたくんですよ。知らんぷりして寝てる時もあります」
そう言って吉本さんは笑った。その笑い方に、なんとも言えない含羞があった。含羞なんて言葉、死語かと思っていたら、これがそれかと思わせるところがあって、楽しいから笑うとかうれしいから笑うとかいうより、吉本さんという人は「いやあ、参ったなあ」と困ったみたいに笑うのだった。自分のことを「なんの取り柄もないダメな人間だ」といい、ちょっとでもいいことを言うと「説教みたいなことを言ってしまった」と反省する。
そもそも「誰かが来ても、知らんぷりして寝てる時もあります」と言いながら、いっぽうで見ず知らずの人からかかってきた電話に2時間でも、3時間でもつきあったりするらしい。
「それは本当ですか」
「本当です」
「なんでまた」
「いやあ、どうしてと言われても」
「鍵なんかかけたことがない」ということで言ったら、吉本さん自身がそういう人だったのではないか。とことん受け入れる人。受け入れて、それから考える。それで思った。ひょっとしたら「なんで鍵をかけないのか」というこちらの不躾な質問は、吉本さんにしてみれば「お前という人間はどうしてそうなんだ」と言われたように感じたのかも知れない。だから、あの時も笑ったのではないか。「いやあ、参ったね」というふうに。
さかのぼれば、安保の頃には「危険な人が玄関まで来たことがあった」「いざとなったら、どうやって防御するかを考えながら寝た」という吉本さんにとって、あるいは「玄関のカギをかけない」というのはひとつの覚悟、ひとつの矜持のようにも思えてくるけれど、そう言ったら吉本さんはきっと「いやあ、そんなたいしたもんじゃない」と否定して困ったように笑うにちがいない。
この話には続きがあって、幾度もお話をうかがいに通うなかで、「どうして見ず知らずの人からかかってきた電話にそこまでつきあうのか」ということについて、あらためてたずねたことがある。そのときにどういう答えが返ってきたのかは忘れてしまった。
忘れてしまったのにはちゃんと理由があって、そのことについて吉本さんと話しているうちに、こうして吉本家にやってきては、「もっと話を聞かせてほしい」「また来てもいいですか」とお願いして性懲りもなくやてくる自分たちこそが、吉本さんに断られもせず受け入れてもらっているということに気がついてしまったせいだ。
「吉本さん、今、気がついたんですけど、私たちはその電話をしてくる人とおんなじです。こうして押しかけてきては受け入れていただいてます」「なるほど。それはどうも」そう言って、またみんなで笑ったのだった。振り返れば、それはなんという贅沢な時間だったのか。
もとはと言えば『15歳の寺子屋 ひとり』の企画で、講談社の編集者である長岡香さんとともに15歳の男の子女の子4人を率いて、吉本さんにお話をうかがうという寺子屋授業を丸一年にわたり、お引き受けいただいたのだった。私は、本にまとめるライターとして参加した。
子どもたちにとっては「戦後思想界の巨人」という大仰な肩書はぴんとこなかったにちがいない。それをいいことに、大人の私たちも「大人になるとはどういうことか」「恋をするとはどういうことか」「生きるとはどういうことなのか」、素朴すぎて出たとこ勝負。みもふたもないほどの疑問を率直にぶつけることができた。
その最初の取材が2009年の5月で、全部で何回とも決めなかったし、テーマもよくもまあ、そんな行き当たりばったりが許されたものだ。そんなわけで吉本さんもぶっつけ本番。毎回その場で話し始めるのだけれど、相手が子どもだろうと、あまったるい言説に置き換えたりはしない。それで3時間4時間と続く吉本節を、子どもたちも、私たちも容赦なく浴びることになった。
こっちから質問するなんて、大人だってなかなかできるもんじゃない。のりにのってきた時の吉本さんの話は、よどみない大河のようで途中でぶった斬ることもできないまま、その行きつく先を見つめるほかない。では黙って聴いてるからつまらないかと言えば、決してそんなことはなくて、子どもたちは子どもたちなりにいろんなことを感じながら、試験前だろうと、部活があろうと頑張って出席してくれた。
単に「15歳に向けて話をしてほしい」と言うこともできただろう。でも、長岡さんは長岡さんで、「生身の15歳にそこにいてほしい。そうして吉本隆明という人と出会ってほしい」と願った。あるいは吉本さんに「生身の15歳と出会ってほしい」と願った。そうして日が暮れる頃になると、誰に呼ばれたわけでもないのに、部屋に猫がやってくる。猫がくると、吉本さんも「ああ、来た来た」ということで一旦話が途切れる。そんなわけで、いつの間にか、それが寺子屋授業のおしまいの合図ということになった。
「じゃあ、今日はこれまでということで。また来てもいいですか」つぎの約束をしてお開きになる。猫たちも、そんなふうにその一年の間ずっと参加していた。猫と子どもと私たちと。肩肘はった質問なんて、したことがなかった。吉本さんともう1冊、本をつくりたいというのは、そういう流れの中で自然に生まれていった想いだった。こんどは私と編集の長岡さんと、大人たちだけで通うことにした。
その途中で、東日本大震災があった。まさに受け入れようとしても受け入れがたい現実がそこにあり、だれもが言葉を失った。その先をどう生きていったらいいのか。心のどこかでそういうことを思いながら、どんな本にしようか考えていたら、いつの間にか吉本さんが愛した猫を偲ぶ話になっていた。
一匹の猫の死についてうかがっている途中で、吉本さんが逝ってしまった。2011年12月20日にお会いしてお話をうかがったのが最後になった。その意味では、吉本さんの最後の肉声ということになるのかも知れない。まだまだうかがいたいこと、聞き足りないことはあったけれど、だからどうしても本にして届けたいと思った。「また来年お会いしましょう」
いつものように玄関まで見送りにきてくれた吉本さんの姿はまだ鮮明で、あの角を曲がれば猫たちがいて、半開きの玄関を開ければ、いつに変わらぬ寝グセ頭で出迎えてくれるような気がしてならない。
フランシス子とは一度だけ、会ったことがあった気がする。でもあれがフランシス子だったのか、さだかではない。確信が持てない。そのくらい、平凡な普通の猫だった。
※吉本隆明『フランシス子へ』より
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(引用ここまで)
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