TBSドラマ『逃げ恥』名セリフ&名場面集(二巡目・その1)
2026/08/14
今年の2/10から5/20まで、
TVドラマ『逃げ恥』のシナリオを紹介しながら
わたしがコメントする形の記事を
100日間続けて書いたことがありました。
・TBSドラマ『逃げ恥』名セリフ&名場面集(その100・最終回)
その全100回のうち、後半に書いた記事に対して
コメントがとても面白かったという
評価をいただいたんですが、裏返すならそれは、
「前半のコメントはあまり面白くなかった」
ということでもあるんですね。笑
でも、(その1)から(その45)あたりまでは、
ネタバレにならないようにと、
ドラマのストーリーや内容に深く言及せず、
わたし自身も書きたいことを抑えながら書いていて、
ブレーキ踏みながらやっていることって
面白くなくて当たり前でしょう。
ちょうどその頃は自治会の仕事で
年度末決算など大変な時期にさしかかっていて、
わたし自身もブログを書くことに
エネルギーを充分注げない状態にあった
ということも確かにあったんですが、
それは体の良い言い訳でしかありません。
それで、前半で紹介したシーンについても
書きたいことをおもいっきり書くスタイルで
再度投稿し直したいと
その100を書き終えた頃からおもっていた次第です。
ちょうど昨日の記事で、「思考する」よりも前に
〝感じる〟ことがいかに大切かという内容の話を
書いたこともあり、
前半の記事は、感じるよりも
思考を働かせて書いた記事だったので、
このタイミングがいいかな、となりました。
さて、(その1)で紹介したのは、
第1話の後半36分20秒辺りからはじまる
みくりのモノローグでしたね。
前回同様、シナリオとドラマのスチール画像を
紹介しながらコメントを書いていきます。
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みくりM:(誰かに……。誰かに、選んで欲しい)
〔平匡のマンションを出ていくみくり。帰り道をひとり歩いている〕
みくりM:(ここに居ていいんだって、認めて欲しい)
〔会社のオフィスにいる百合。周囲の明かりが全部消えた中、パソコンに向かってひとりで残業している。眼鏡を外して、凝った肩をまわしたりしながら〕
みくりM:(それは、贅沢なんだろうか)
〔BAR山にいる沼田。〕
山さん:待ちぼうけ?
沼田:また振られちゃった。
〔駅近くのペデストリアンデッキにいる風見と茉菜〕
風見:じゃあね。楽しかった。
〔風見が茉菜と別れて歩き出す〕
みくりM:(みんな、誰かに必要とされたくて)
〔風見とすれ違うみくり〕
みくりM:(でも、うまく行かなくて)
〔マンションのベランダにいる平匡が丸椅子にむき餌を撒いている〕
みくりM:(いろんな気持ちを、ちょっとずつ諦めて。泣きたい気持ちを笑い飛ばして)
〔街中をひとり歩くみくり〕
みくりM:(そうやって、生きているのかもしれない)
※TBS系TVドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』第1話より








COMMENT:第1話の後半にさしかかった辺りのこのシーン。みくりのモノローグが流れながら、百合、沼田、風見、平匡へと次々に画像が切り替わっていくモンタージュスタイルになっていました。主人公の内面独白なのに、主人公だけの話で終わっていないところがとても面白かったですね。
まず、このみくりの言葉はひとりごとのようでいて、実のところかなり〝翻訳〟されているんじゃないかと。「誰かに……選んで欲しい」「ここに居ていいんだって、認めて欲しい」これは恋愛のときめきの話というより、存在許可の話になっていたからです。しかも続けて「それは、贅沢なんだろうか?」と自分自身に問いかけていて、欲しい、と言い切る前に、欲しがってはいけない気がしているんだと。ここには社会の目を内面化した自己検閲が入っていて、ただの感動的な独白とは受け取れないし、現実を突きつけられる感じというか。
第1話のここまで、みくりは「雇用」「従業員」「お願いしてよかった」といった契約っぽい言葉の中で、ようやく〝必要とされる〟経験をします。けれどそれは、安定した居場所の獲得ではなく、たまたま手に入った一時的な承認にすぎないようにも見える。だからこそ「誰かに選んで欲しい」という願いが、甘えではなく切実さとして響くんだとおもいます。選ばれたい、認められたい。けれどその願いを、胸を張って主張できない。贅沢なのかもしれない、と自分で自分にブレーキをかけてしまう。ここでみくりは、個人的な痛みをそのまま吐露しているのでなく、誰にでも起こりうる形にまで言葉を整え直して差し出している。だからこそ、このモノローグは〝独白〟というより、共有可能な言語への翻訳作業に見えるんですね。
そして、この翻訳が効いているのは、画面がみくりだけに留まらないからです。百合は、周囲の明かりが落ちたオフィスで一人残業している。沼田は「また振られちゃった」と笑う。風見は茉菜と別れ、軽い「楽しかった」の余韻のまま一人歩き出す。平匡はベランダで黙々と鳥に餌を撒いている。「みんな、誰かに必要とされたくて」「でも、うまく行かなくて」というみくりのモノローグは、彼ら全員に薄く重なっていく。つまりここで提示されているのは、主人公の恋の事情でなく、同時多発している〝居場所不足〟の風景。恋愛ドラマの狭い枠から、世界が一気に広がる瞬間でもありました。
さらに決定的なのが、「泣きたい気持ちを笑い飛ばして」という一節でしょう。泣く/笑うは感情ですが、「笑い飛ばす」は行為です。ここでみくりは、感情を感じないふりをしているのでなく、感情を〝処理〟している。泣きたい、でも泣けない。泣いてしまうと明日が回らない。だから笑う。あるいは笑ったことにする。これは気丈さの美談というよりも、感情のモデレーションというかセルフコントロールの技術に近い気がします。そしてその技術は、みくりひとりだけのものではありません。残業して肩を回す百合にも、振られて笑う沼田にも、軽く別れを告げる風見にも、淡々と鳥に餌を撒く平匡にも、大なり小なりそれぞれの形式で宿っているところを見せているんだと。誰も大泣きしないし、大騒ぎもしない。みんなそうした感情を少しずつ諦めながら、ギリギリのところで日常の形を保って生きている。
だからこの場面は、可哀想さを煽るための独白でも、恋を盛り上げるための感動でもなく、「居ていいと言われたい」という願いが、どれほど普遍的で、しかもそれがどれほど言い出しにくいものかを、静かに提示しているシーンなんだとおもいました。欲しいのに、贅沢かもしれないと自分で抑えてしまう。その抑え方が、「泣く」ではなく「笑う」という形で現れる。そうやってわたしたちは、何事もなかったような顔をして日常を回している———第1話のこの時点で、すでに『逃げ恥』が描こうとしているのは、恋の高揚以上に、ディスコミュニケーションの物語であり、関係と社会の中で生き延びるための感情処理の技術なんだな、と改めて感じた次第です。

この名セリフ&名場面集で紹介しているセリフは、2020年に放映された『逃げ恥・ムズキュン特別編』を土台に、野木亜紀子さんの『逃げ恥シナリオブック』での記述を参考にしています。なぜTVドラマ『逃げ恥』のシーンを毎日投稿することになった最初の動機については、初回として書いた(その1)の記事のコメントをお読みください。さらに詳しく知りたいという物好きなお方(笑)は、次の記事をはじめとしてタグ「逃げ恥」を付している過去記事等(とくに2021〜2022年に投稿)を適宜アクセスください。
・TVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」原作マンガ(全11巻)のこと
・『脚本家・野木亜紀子の時代』を読み始めています
この連載記事は、第1話から第11話まで
順番に紹介して一巡したらまた第1話に戻るという
スタイルで投稿していくので、明日は第2話、
明後日は第3話からとなります。
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