TBSドラマ『逃げ恥』名セリフ&名場面集(二巡目・その2)
2026/08/15
今年の2/10から5/20まで、
TVドラマ『逃げ恥』のシナリオを紹介しながら
わたしがコメントする形の記事を
100日間続けて書いたことがありました。
最終回は100記事を書き終えての総括コメントと
すべてのリンク集も記しています。
・TBSドラマ『逃げ恥』名セリフ&名場面集(その100・最終回)
それで、(その1)の記事で取り上げたシーンの
わたしのコメント部分をリライトして
昨日二巡目の記事を書き始めたんですが
その理由については昨日の記事に書いたので、
未読の方はご覧ください。
8/10に投稿した記事にわたしは、
次のような文を書きました。
結局のところ、AIの問題にしても、
アートの問題にしても
コミュニケーションの問題においても、
この「自己表出性」というものの正体が何なのか
しっかり掴んでいるかどうかが大事だと
浮き彫りになってきたとも言えます。
また、その記事で引用した宇田亮一さんの
『吉本隆明「マスイメージ論」を読む』の
最後のところにも、
吉本は一貫して作者の〝自己表出〟に耳をすませる
とありました。
文章を受け取る、わかるということは、
作者の自己表出性を〝感じる〟こと抜きには
起こり得ないと言って良いかも知れません。
ということで、本記事は
そうした試みをTBSドラマ『逃げ恥』に対して
再び始めたということで二巡目の2回目です。
今日紹介するシーンは
第2話の前半部18分過ぎたあたり、
津崎・森山両家顔合わせを終えた後、
みくりと平匡が橋の上を歩きながら話すところを。
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〔両家顔合わせの帰り道、大岡川の北中橋を二人が歩きながら〕
森山みくり:父も母も、想像以上にがっかりしたり喜んだりしてくれて、結婚という言葉の重さを、ずしっと、いまさらですが。
津崎平匡:ぼくはむしろホッとしました。肩の荷が下りた。
みくり:?
平匡:ぼくは父の望むような息子にはなれないので、たとえ真実じゃなかったとしても、喜んでくれたのなら、いいと。
みくり:……
平匡:両親を安心させられたという点においても、今回のことは有意義でした。
みくり:〔立ち止まって〕……よかったぁああああー。
平匡:?
みくり:津崎さんが、後悔してたらどうしようかと…
平匡:……
みくり:嘘つかないといけないし、重い事させちゃってるかなって。まわりを説得する自信がないから、普通の結婚のふりをするって、逃げと言えば、逃げだし…
平匡:……逃げたって、いいじゃないですか。
みくり:え?
平匡:ハンガリーにこういう諺があります。「逃げるのは恥、だけど、役に立つ」
みくり:役に立つ?
平匡:後ろ向きな選択だっていいじゃないか!恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことの方が大切で、その点においては、異論も反論も認めない!
みくり:……逃げるのは恥だけど、役に立つ。
平匡:はい!
みくり:そうですね。逃げても生き抜きましょう!









※TVドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』第2話より
COMMENT:第2話前半、両家顔合わせというセレモニーを無事に通過したあと、みくりと平匡が橋の上を歩きながら話す場面。ここって、出来事としては「終わったね」というだけなのに、二人の間では、「結婚」という言葉の〝重さ〟がいったん解体され、別の形に組み替えられていく様子がよく分かるシーンです。その静かな更新と、二人が見ている世界の違いが浮き彫りになっていくところが、すごく『逃げ恥』らしいなとおもいました。
みくりはまず、「父も母も、想像以上にがっかりしたり喜んだりしてくれて、結婚という言葉の重さを、ずしっと。いまさらですが」と静かに語り始めます。結婚が〝言葉〟でありながら、物理的にずしっと来たと。これは情緒の描写と言えるでしょう。ところが、平匡は「ぼくはむしろホッとしました。肩の荷が下りた」と返します。「重さ」を受け止めた直後に「肩の荷」。同じ出来事を通過した二人なのに、重力が逆向きに働いていて、この捉え方のズレが興味深いところ。
そして、平匡が続ける言葉がまた独特で、「たとえ真実じゃなかったとしても、喜んでくれたのなら、いい」と言う。これって嘘を善意として引き受けようと言ってるわけで、聞きようによってはけっこう驚くセリフかも。なぜなら、第1話〜2話のこのシーンの前まで、どちらかと言えば平匡は、嘘を嫌う人として描かれていたからです。「両親を安心させることを正直さよりも優先する」というのは、開き直りのようにも見えるけれど、〝倫理の更新〟と言った方がいいのかもしれません。つまり平匡にとって結婚は恋愛の完成でなく、〝社会に対する効果〟であり〝生存戦略〟として語っているわけで。
みくりが立ち止まって「……よかったぁああああー」と叫ぶのも、感動の爆発というより、検査を無事通過したときのチャイム音のように聞こえます。「後悔してたらどうしようかと」。みくりはずっと、平匡の内心の〝後悔〟というリスクを見積もっていたんですね。嘘をつかないといけないし、重いことをさせちゃってるかな、普通の結婚のふりをするのは逃げと言えば逃げだし———と、自分たちの行動をちゃんと負債として数えている。ここがみくりの生活者としてのリアリティであり、同時にこのドラマ『逃げ恥』でこの後何度もテーマとして浮き彫りになってゆく誠実さでもあります。気持ちの問題だけで終わらせない。コストと責任の所在を曖昧にしない。
だからこそ、この後の平匡の「逃げたって、いいじゃないですか」というセリフが効いて来るんですね。平匡はドラマタイトルでもある「逃げるのは恥、だけど、役に立つ」を、この場面で〝ことわざ〟として差し出すだけでなく、「異論も反論も認めない!」と、珍しく強い口調で言い切っています。ただの名言でなく、思想宣言などと言ったらちょっと大袈裟かもしれませんが、みくりが抱えた罪悪感———逃げている、嘘をついている、相手に重いことをさせている———それらを「生き抜くための知恵」として救い上げようとする。
タイトル回収が、単なるキャッチコピーではなく、ドラマのメインテーマとして提示された瞬間でした。脚本としても、ここで視聴者に「この作品は何を語りたい物語なのか」をちゃんと渡しているわけで。しかも、この対話の場所が〝橋の上〟でなされたのがまた巧いですね。このシーンを吉本隆明的に言えば、セレモニー(両家顔合わせ)という共同幻想の場から、二人の対話(対幻想)の場へ戻る〝途中〟として、橋ほどしっくり来る場所はない。ちょうど境界の上で、二人の言葉が組み替わっていくからです。
以上をまとめると、両家顔合わせという〝共同幻想〟の場から、〝対幻想〟の場へ戻る途中。そこでいったん、結婚という言葉の重さと、肩の荷が下りたという機能の話がぶつかり、最後に「逃げても生き抜きましょう!」という二人だけの合意に着地した——つまり、セレモニーの後始末ではなく、自分たちの言葉を二人で作り直している場面なんだとも言えるでしょう。
結婚を重いと言っていいし、ホッとしたと言ってもいい。嘘を抱えたままでもいい。逃げでもいいし恥でもいい。役に立つならそれでいいんだと。そうやって、共同幻想の重さを受けた直後に、対幻想の仕様を二人の対話によって更新していく。派手な展開はなくても、ここで『逃げ恥』という物語の背骨がシャキッと一本通った感じのする場面でした。

この名セリフ&名場面集で紹介しているセリフは、2020年に放映された『逃げ恥・ムズキュン特別編』を土台に、野木亜紀子さんの『逃げ恥シナリオブック』での記述を参考にしています。なぜTVドラマ『逃げ恥』のシーンを毎日投稿することになった最初の動機については、初回として書いた(その1)の記事のコメントをお読みください。さらに詳しく知りたいという物好きなお方(笑)は、次の記事をはじめとしてタグ「逃げ恥」を付している過去記事等(とくに2021〜2022年に投稿)を適宜アクセスください。
・TVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」原作マンガ(全11巻)のこと
・『脚本家・野木亜紀子の時代』を読み始めています
この連載記事は、第1話から第11話まで
順番に紹介して一巡したらまた第1話に戻るという
スタイルで投稿していくので、
明日は第3話からとなります。
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