「〝教えない〟性教育」考(その21)
2023/11/26
11/6より教えない性教育をテーマに
記事を書き始め、本日分が21回目となりました。
(その5)からは、
〝教えない性教育〟を実践しようとする際に
わたしが推薦するに値すると考える
参考図書などの情報素材を紹介しています。
未読記事がある方は、この記事の末尾に付けた
過去記事や参考記事のリストを
適宜参照の上で以下の記事をご覧ください。
ちなみに、11/23に投稿した(その18)では、
感染症専門医の岩田健太郎さんが書かれた
『感染症医が教える性の話』を紹介し、また、
岩田さんと同じ西洋医学の医師で
解剖学、発生学が専門の
三木成夫さんの『内臓とこころ』を紹介し、
昨日投稿した(その20)では、
その内容についての説明を復習しながら
補足しました。
さて、今日の記事で紹介したい書物は、
東京都立大学教授で社会学の研究者である
宮台真司さんが女子中学生5名に
「愛」についてのレクチャーを行った。
『中学生からの愛の授業』です。
本書については以前にも、
旧blog往来物手習いで、
男子と女子のすれ違いがなぜ生じるかに触れた部分を
第2章「性と愛」から引用して
紹介したことがありました。
11/8に投稿した(その3)で紹介した
『鈴木先生』でも、
中学生でセックスすることの是非についてが
テーマとして取りあげられていたことがありました。
〝性愛〟というコトバが示すように、
〝性〟と〝愛〟とは、
切っても切れない密接なテーマなんですが、
もちろん、唯一の正解があるわけではなく、
この本に書かれたことも
あくまで一つの考え方にすぎません。
今日は『中学生からの愛の授業』の
第2章「性と愛」から
同じテーマに触れた箇所を引用して紹介しますので、
すこし長いんですが、
ここに書かれていることをヒントに
〝人間にとって性とは何か?〟
〝愛とは何か?〟について考えてみてください。
(引用ここから)
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中学生がセックスするのは罪?
リカ:先生に聞きたいことがあるんだけどやっぱエッチって好きな人とだけしたほうがいいの?いろんな人とやりまくったりしないほうがいいのかな・・・。
宮台:それは第1限でも言ったことだけど、「気が済む」「残尿感がないように生きる」ことは一つの知恵だ。どうしてもやりまくりたいと思うなら、気が済むまでやりまくればいいと僕は思う。 いつまでも残尿感で、腹が据わらずに、いい歳こいてふらふらするよりいい。若いころの暴走も人生のひとコマだと思うよ。結局は※「人間万事塞翁が馬」さ。あれこれやって気が済んだら、結婚してそれこそ気が済むまで夫と愛し合ったり、子どもと付き合えばいい。前のステージで気が済むまで徹底するから、次のステージで徹底できる。このことは、どこの社会でも語り継がれてきた大切な知恵だから、覚えておくといい。日本だったら「よく学び、よく遊べ」だね。 今の話だと「よく遊び、よく学べ」っていう順序かもしれないけどね (笑)。 英語だと、 All work and no play makes Jack a dull boy (直訳すると「仕事ばかりで遊ばないと、ジャックはつまらないやつになる」)。
リカ:でも、学校の先生とかは遠回しに 「おまえら、中学生なんだからエッチなんかすんな」みたいなこと言うじゃん。中学生ってエッチしちゃいけないの?
宮台:大切なことは、バランスだと思うんだ。リカさんの先生のように「中学生はセックスなんかするな」って言う人がまわりにいてもいいと僕は思うんだ。「大学生だってまだ学生なんだからセックスは早い!」なんて人もいたっていいと思うよ (笑)。
ただ、その一方で「エッチはまだ早いぞ」って言いながらウインクするような大人もいるってことが世の中のバランスなんだ。説教する大人がいて、遊び人の大人がいる。堅気のサラリーマンがいて、テキ屋のおっちゃんがいる。そんな中で育つのがいいと思うんだ。
リカ:あ、「やるなら、うるさいやつに見つかんないようにうまくやれよ」みたいな?
宮台:まぁ、そんな感じだね。また、僕みたいにこの授業で語ってるようなことを話す大人もいてもいい。僕の語るような話にとても興味を持ったり、必要としていたりする中学生や高校生もたくさんいると思うしね。
リカ:中学生がエッチしてもいいの?罪ではないの?
宮台:法律では13歳になれば本人の意思でセックスしても咎められない。でも多くの都道府県の条例では、愛情がなければセックスしちゃいけないことになっている。つまり遊びでセックスしちゃいけないっていう条例があるんだ。僕は刑法を無視してこういう条例を作っちゃいけないと思うけど、第1限でも言ったように、若いころから半端なセックスをして「どうせセックスってこんなもんじゃん」なんて僕は思ってほしくない。だから僕は個人的には「遊びでセックスするなよ」って言うよ。ただ、統計的には中3までに8%の子がセックスを経験するんだ。10人に1人近くはいる。なかには不本意でそうなった子もいると思う。そうした子に「罪の意識」なんて持って欲しくないんだ。第1限での僕も、罪の話なんてこれっぽっちもしていないでしょ?僕が言っているのは、「こうするとこんなふうになりやすいので、こんなふうになりたくなければこうするのはやめよう」ってアドバイスだよ。「罪」や「罪の意識」といった道徳的な良心に関わるような話は、性愛についてはあんまりしたくないんだ。
人に迷惑をかけない限り、物事の良し悪しについてはいろんな考え方があって当たり前。それが人それぞれに違った心を持つ人間であるってことだ。性愛についての道徳的な良し悪しなんて、時代ごとに、地域ごとに、違いすぎるのさ。みんな同じに考えろったって無理だよ。たとえばの話、もしもリカさんが「中学生でセックスするのは罪」と思っていたとしようか。それでも人生いろんなことが起こる。レイプを含めて不本意にもセックスしちゃうことだってある。そんな場合にも「罪の意識」を抱えて生きるのかい?おかしいよ。
リカ:あとね、「エッチは好きな人としかしちゃいけないんだよ」って言う友達がいるんだけど。先生はどう思う?
宮台:確かに、好きな人とするセックスはいいものだと思うよ。ただね、「好きな人とセックスをしたら、なぜかそのあと盛り下がった」なんてこともある。「好きな人と結婚したら、なぜか盛り下がった」なんて話まである。なぜそうなるのか考えてみようか。
それは人間が動物でもあるからだよ。「好きだから」ってすぐセックスをしちゃうと、性欲が満たされて気分的にガスが抜けたりする。
逆に、たとえ好きでもセックスを先延ばしにすると、ガスが抜けないままでいられる。気分的に高まったままでいられるわけだね。それだけじゃない。なかなかセックスできない間に、もっと親しくなろうと努力するから、好きな相手と、濃密な関係を作れるってこともある。逆に、好きだからってすぐセックスしちゃうと、好きな相手との間に、濃密な関係を築けないままで終わりがちなんだ。
「好きだったらセックスしていい」っていう単純な考え方だと、相手との間に濃密な関係を築けない。それと同じように、「好きだったら結婚していい」っていう考え方だと、やっぱり濃密な関係を築けないまま結婚しちゃうから、あとで離婚することになりがちなんだ。
リカ:ふーん。じゃあ、具体的にどのくらい先延ばしにすればいいの?
宮台:ケースバイケースだよ。自分自身でよく考えて決めるべきことだと思う。とにかく、「好きだったらセックスしていい」「好きだから結婚する」っていうふうに考えるのは、とても幼いことだと思っておいたほうがいい。中学生だとしても少し幼すぎるんじゃないかな。
リカ:そっかぁ。ちゃんと自分で考えなきゃいけないんだね...。
宮台:繰り返すけど、男の子ってのはいつの時代も「やらせろ、やらせろ」って言うんだ。 だったら女の子は「やらせろって言われたからやらせてあげた」じゃダメ。女の子自身が欲しがっている濃密な関係が手に入らない。女の子にはもっと頭を使ってほしいんだ。
前にも言ったけど、女の子が簡単にやらせるようになったから、いろんなことが狂ってきた。単に「好きな人としかセックスしちゃいけないの?」みたいな話じゃ済まない。好きだろうが好きじゃなかろうが、ちゃんと人間関係ができてからセックスしてほしいんだ。
大学生くらいの男子になると、「あれこれ面倒だから風俗でセックスするほうがいい」とか「生身は面倒だからバーチャルな対象をオカズにしたオナニーでいい」っていう子が増えてきた。そういう傾向も、生身のセックスから濃密な関係が消えたからだと思うんだ。昔とは時代が違ってしまった。だから「好きな相手であっても、すぐにセックスしないほうがいい」って言わなきゃいけなくなった。リカさんの先輩に当たる女の子たちが簡単にやらせるようになって、社会のいろんなところにひずみが出てきたからなんだよ。
リカ:エッチって、そんなに世の中に影響を与えることだったの?ちょっとびっくりなんだけど。
「真実の愛」 とは何だろう?
リカ:あと聞きたいのは、誰とでもエッチするのはいけないのかってことなんだけど・・・。別に私がそう思ってるとかじゃなくて、相手が誰でもいいって人もいるでしょ?
宮台:いるね。ただ、リカさんは「たった一人を相手にした一途な愛」と「誰とでもエッチすること」とが対立すると思って、今の質問をしてるでしょ?本当にそういう対立があるんだったら、愛のためには誰とでもエッチしないほうがいいってことになるだろうね。
でも、そんな簡単じゃないんだよ。例えば、ラクロ(18世紀の作家)が書いた『危険な関係』に代表されるフランス恋愛文学がある。そこでは、単なる恋ではなく真の愛であるかどうかが「試される」「試練にかけられる」ってことが、重要なテーマになっている。リカさんにはレベルが高すぎるとは思うけど、「自分には愛する人がいるのに、他の異性とやりまくって、それでも愛は続くのか?」とか「自分の愛する人が、自分以外の異性とやりまくって、それでも思いは続くのか?」ってことが、重要なテーマになってるんだ。
リカ:マジでレベル高っ。なんかこう、障害みたいなもんがあったほうが燃えるっていうのはわかるよ。ドラマチックでときめきもあると思うし。
宮台:いや、ちょっと違うな。真の愛とは何か、ってことだよ。日本の文学者でも、フランス文学の影響を受けた谷崎潤一郎(主な小説に『卍』『鍵』など)や永井荷風(『墨東綺譚』『ふらんす物語』など)なんかも似たような「愛の試練」の観念を持ってるんだよね。つまるところ、フランス文学の伝統って「その愛は、真の愛か」「その誠実は、真の誠実か」という問題意識にあるんだ。つまり、「不真実に見える愛」「不誠実に見える愛」の試練を持ち出すことで、不真実・不誠実に見える愛こそが真の愛だった、と結論するわけだ。
僕もフランス出身の子とつきあったことがあるから分かるんだけど、フランスの子たちは小説の中だけじゃなく、現実にそうした問題意識を持ってることが多い。 その子も「乱交パーティやってるの、楽しいから直ぐ来て」と電話してきたりしたけど、本当にピュア。例えば、僕が彼女の愛を疑ったり、僕が浮気をしたのがバレたりすると、パニック障害を起こすんだ。彼女はこう言うの。自分は少しも後ろめたいところがないから電話して誘ったのに、こっそり浮気するってことは、あなたに後ろめたいところがあるからよ、と。その子によれば、本当のピュアは、見かけのピュアとは違う。自分がだれと寝ようとも、あなたに対する自分の愛は揺らがない。そういう私を信じられないのなら、あなたは、見かけだけで人の心を判断する、ただのヘタレということだ。あなたの心は弱すぎる、と。まさにフランス恋愛文学そのものでしょう。フランス映画にもよくあるテーマ。アメリカはどうか。ハリウッド映画を観りゃわかるけど、アメリカ人の恋愛観は「一途さや無垢さや貞操が何よりも大事」って感じ。だからフランス人はアメリカ人をバカするんだ。
リカ:やっぱ先生はフランスのほうが好きなの?
宮台:好きっていうよりは、僕自身はそういう意味で真のピュアを見分けられる存在でありたいんだ。それに、個人的にフランス的なものが好きかどうかってことよりも、フランス的な考え方が、今の時代にとても大切だと思うんだ。どういうことか説明してみようか。
今の時代は、昔に比べると、難しい言葉でいえば、ずいぶん流動性が高くなった。つまり、仕事をいろいろ変わったり、住む場所もいろいろ変わったりするのが当たり前になったでしょ。それだけでなく、恋愛の関係を見ても、相手がいろいろ変わるようになった。流動性が高くなると、環境がどんどん変わる。環境がどんどん変わると、何が良いかもどんどん変わる。みんなが流動性に適応すると見かけが「何でもあり」に近づいていく。すると、人は性愛に―――性愛だけでなく何ごとにも不安を抱きやすくなってしまうんだね。
具体的にいうと、恋人や結婚相手がいても、相手がいつどこで誰と浮気するかも分からない、知らないところで現に浮気しているか、疑うようになってしまう。昨日まで熱烈に愛し合っていた相手が、 今日は自分の親友と付き合ってるかもしれないってね。
リカ:実際そういうことってあったよ。私が今まで付き合った人とかすぐ浮気したし、親友に取られたことも私が取ったこともあった。
宮台:そうなると「本気で好きになっても、相手のことが信じられない」って思ってしまいがちだよね?でも 「何でもあり」なこの時代だからこそ、フランス文学のように恋愛を試練にかけることができると思うんだ。だったら、キミの恋愛を試練にかけてみるべきなんじゃないかな。ただし、嫉妬で見境がなくなるおそれもあるから、みんなに勧められない。でも、何もしなくたって、いずれは嫉妬に苦しむときが来る。そうしたら、ここで僕が言ったことを思い出せばいい。痴話喧嘩で別れるのもいいが、別の選択肢が見つかるかもしれないよ。
よく考えてごらん。キミは嫉妬して怒り狂う。怒り狂って関係は破綻する。でも、なぜ嫉妬しているんだい?好きだからだろう?ってことは「好きだから、嫉妬で怒り狂って、別れる」、短く言えば「好きだから、別れる」。ちょっとおかしくないかな?
嫉妬は動物にも見られる感情だ。でもキミは人間だ。人間だから、頭を使って、自然な感情をなだめたりすかしたりして、良い方向に向けられる。例えば、愛する相手がいても他の人とセックスができるってことをキミ自身が体験すれば、少しは寛容になれるかもしれないね。
リカ:そっかー。他の人と遊んでみて、彼氏のことが好きじゃなくなっちゃったら、それは本当の愛じゃなかったってことなんだもんね。
宮台:逆もあるよ。相手が、他の誰と遊んでもやっぱり自分のことを圧倒的に愛し続けてくれるかどうか、という試練だ。「愛が揺らがないなら何をしてもいい。オマエ(アナタ)の幸せがオレ(アタシ)幸せだから」という境地に至れば、僕はそれこそ本当の愛だろうと思う。ただし勘違いしないでほしい。さっき言ったけど、ただやりまくればいいということじゃない。危ない目に遭えば知恵がつくというわけでもない。幸せになるための試練ということを自覚して、激しく学ばなくちゃいけない。キミにそれだけの意欲があるかどうかだ。
ここで、リカさんに分かってほしい。第一に、他人を幸せにする力がない人は、自分も幸せになれない。第二に、他人を幸せにする力のある人は、失敗から這い上がった経験を持つ人だけだ。 このニつが分からないんだったら、僕が言ったことを忘れたほうがいい。逆に、「どんな試練も乗り越えて、他人を幸せにできる人になろう。他人を幸せにすることが、自分にとっての最大の幸せだ」ということが、本当に腑に落ちた子たちだけが、僕の言うアドバイスを聞く資格がある。そこのところをどうか勘違いしないでほしいんだ。
リカ: 先生の言ってることはメッチャ難しくて厳しい感じもするけど、私はわかるよ。私もそうだけど、なんか最近って自分のことしか考えてないやつって多いじゃん。自分だけよければいいみたいな。本当の愛はそうじゃなんだよね。相手を幸せにすることが自分の幸せ・・・か。 マジでそうできるようになりたい!
※「人間万事塞翁が馬」人生における幸不幸は予測しがたいということ、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。(故事ことわざ辞典)
※宮台真司『中学生からの愛の授業』 第2章「性と愛」(P.64〜74)より
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(引用ここまで)
いちばん最後のところで宮台さんが話されている
第一に、他人を幸せにする力がない人は、
自分も幸せになれない。
第二に、他人を幸せにする力のある人は、
失敗から這い上がった経験を持つ人だけだ。
このニつが分からないんだったら、
僕が言ったことを忘れたほうがいい。
逆に、「どんな試練も乗り越えて、
他人を幸せにできる人になろう。
他人を幸せにすることが、
自分にとっての最大の幸せだ」ということが、
本当に腑に落ちた子たちだけが、
僕の言うアドバイスを聞く資格がある。
というところは
本当にその通りだなぁとおもいました。
この続きはまた明日に!
【これまでの記事一覧】
・「〝教えない〟性教育」考(その11)
・「〝教えない〟性教育」考(その12)
・「〝教えない〟性教育」考(その13)
・「〝教えない〟性教育」考(その15)
・「〝教えない〟性教育」考(その16)
・「〝教えない〟性教育」考(その17)
・「〝教えない〟性教育」考(その18)
・「〝教えない〟性教育」考(その19)
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