天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)②
2024/03/28
昨日3/27に投稿した記事の続きです。
今日は、昨日書いた
響月ケシーさんの講義録について、
わたしの感想やコメントを記しますので、
まだ、動画をご覧になっていない方、
講義録をお読みになってない方は、
まずは昨日の記事からどうぞ!
さて、運とは何かっていうケシーさんのお話は、
「天・地・人の三才でこの世界は成り立っている」
ってことでした。
運とは結局のところ、物の見方のことであると。
そういえば、もう15年も前になるんですが、
「天地人」ってありましたね。
この天地人、三才って考え方の原典は、
「伝(十翼)」といわれる易経の解説書のひとつ、
「説卦伝」に書かれたものが
最も古いのではないかと言われてきました。
また、その三才の各々について、
「天の時、地の利、人の和」という捉え方を
最初に示した人は、孟子と言われています。
孟子は、孔子の孫弟子にあたる人のようで、
「孟母三遷」などの故事成語も
よく知られていますね。
まあ、このあたりの話は余談というか、
知ってても、知ってなくても
どうでもいいことなんですが。
孟子は、「天の時は地の利に如かず、
地の利は人の和に如かず」と書いています。
(『孟子』公孫丑篇第二の33)
つまり、天のもたらす幸運とは、
地勢の有利さには及ばないし、
地勢の有利さは、人心の一致には及ばないと。
与えられた条件や日々の努力は
人間に幸運をもたらす大切な要因ではあっても、
それだけに力点を置かず、
見えない全体のつながりや関わり、
バランスを意識する心が
何よりも大事であるとしているところなどが、
東洋哲学の根幹と言っていいかもしれません。
さて、あとはこのケシーさんの話と
当塾の学習がどうつながっているかについて、
すこしコメントしておきましょう。
まず、自己受容———この寺子屋塾ブログでは、
「ありのままの自分を受け入れていく」って話を
これまでに何度も、
繰り返し繰り返し書いています。
とはいえ、この自己受容の姿勢が、
なぜ大事なのか、これまでにその理由については、
あまり書いたことがありませんでした。
モトをたどれば、
自分がいま持っているものは
すべて受け入れ、愛するの一択しかないという
天の時、三才の考え方に行き着くと
わたしも今回、ケシーさんのお話しを聞いて
改めて再認識した次第です。
そもそも、自己受容の大事さって話は、
東洋哲学から来てたんですね。
また、自分が他人をジャッジするように、
自分もまた他人からジャッジされてしまう・・・
人間関係とは〝鏡〟のようなものっていうのは、
比較的よく聞く言葉じゃないかと。
そして、ケシーさんは、
「不思議なことなんですけど」と添えて
その他人には、自分も含まれるってことや、
「二通りの自分」があるってことを
言われてました。
でも、だから、何よりもまずは
自分で自分を見張る、自己観察なんですね〜
これは、ナム・ジュン・パイクさんの
「TV仏陀」ってアート作品なんですが、
まさに、セルフモニタリングであり、
仏教の本質を端的に表現しています。
また、他者との関係だけじゃなく、
自分自身との関係もまた、
大事な人間関係のひとつっていう話は、
吉本隆明さんが『共同幻想論』で展開された
3つの幻想領域に基づく見方に
つながっているようにおもうんですが、
吉本さんは仏教への造詣が非常に深かったんですね。
ただ、この寺子屋塾ブログでは、
吉本さんのこの話は比較的頻繁に登場するので、
これまでの記事を丁寧に読まれている方は、
あまり不思議に感じなかったかも知れません。
つまり、その「他人」には自分も含まれていて、
自分が他人を大切に扱うように、
自分も自分を他人と同じように
大切に扱う必要があるわけですが、
結局のところ、なぜ自分が自分を
ないがしろにしてしまいがちなのかといえば、
自分のことをホントは何もわかっちゃいないのに、
すぐわかったつもりになりやすいからですね。
ケシーさんは、動画「現実創造の掟」④では、
幸運の流れの発動条件として、
最も優先すべきことは、
「自分自身の見張り役」になるってことだと
第一に挙げて
それだけでも十分幸せになれるって
話しておられましたし、
今回の動画では、
自分向けにコンサルティングができると
確実に運のいい未来へ歩んでいけるって
言われていました。
「自分で決めて、自分でやってみる」ことを
自己観察、自己発見の手段として、
自分で学ぶ力を、自分で培っていこうとするのが、
セルフラーニングなので、
ケシーさんの言葉をお借りするなら、
当塾のセルフラーニングとは、
自分向けコンサル能力を培う学習と
言ってよいでしょう。
次に、地の利ですね。
ケシーさんは、端的に表現するなら、
地の利とは「準備」なんだって言われてました。
この準備で一番大事なことは、
日々行い続けることであり、
そこに無理があってはいけないんだと。
そして何よりも、自分も他人も心地よいことの
追求に関しては、
「怠けない」ということと、
「折り合いが大事」というお話もありました。
これはまさに、寺子屋塾のテーマなんですね〜
このブログでは
いつも書いていることなんですが、
1日は誰でも平等に
24時間与えられているわけですから、
自分の意志で自由になる可処分時間について、
日によって多少の増減はあったとしても、
30分もあれば終わるようなプリント1枚の学習が
1日あってそれができない理由は、
ほぼないと言ってよいでしょう。
よって、誰からも強制されない環境のなか、
1枚のプリントを、自分の意志で
頑張らず、たんたんとやり続けられる状況を
維持できるように、
整えて行くということ自体がまさに
〝折り合い〟をつける練習であり、
そのまま〝準備〟につながっているわけなんですが。
つまり、それができないってことは、
何事も最終的には
自分自身が鍵を握っているという姿勢を
自ら手放してしまっているか、
あるいは、バランスを欠いてしまっている
可能性があるってわけで、
らくだメソッドのプリントは、
自分がそういう状態にあることを
知らせてくれているわけです。
いまできることを、自分がやろうとしていないのに、
いままでできなかったような何かが
いつか突然できるようになるナンテことは、
ほぼ起こり得ないでしょうから。
結局、日々のふつうのこと、
だれにでもできるようなあたりまえのことに対し、
どこまで丁寧に向き合えるかってことが
問われているわけですが、
そうした日々の姿勢がそのまま、
いざというときへの準備につながっているわけで。
ケシーさんも天の時、地の利、人の和の三本柱が、
すべて自分の中で調和的にバランスがとれた時に、
最大級の運を発揮できるんだと
言われてましたね。
自分の考えや、自分がやりたいことばかりに
集中しすぎてもダメだし、
他人の考えやまわりの状況に
合わせ過ぎるのも
引きずられてるのと同じだからダメなんだと。
となると、そうしたバランスを
保ち続けようとするなら、
いかなる時も自己観察を崩さない姿勢を
どう日常化するかってことになるんですね〜
【関連する参考過去記事】
・毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)
・響月ケシーさんの著書、動画のご紹介(その1)
・アインシュタイン「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」(「今日の名言・その17」)
・もともと知っているのなら、なぜわたしたちは本を読むのですか?
・読む力を身につけるにはどうしたらいいですか?(その3・最終回)
・自分の心を観察し続け、問い続ける姿勢こそ「学ぶ力」のもと(つぶやき考現学・番外編6)
・そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その1)
・そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その2)
・役にたたないことこそ一番いい生き方(梅棹忠夫『わたしの生きがい論』より)
・老子は形なきものの形を見、声なきものの声を聞くことを教えた最初の人
・中山正和『天才脳の構造からみた釈迦の悟り』『釈迦の悟りからみた天才脳の構造』
・〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)
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