陰と陽とは何か㉒「六十四卦(その4)天雷无妄〜雷風恆」
2024/06/24
6/3からこの寺子屋塾ブログでは、
「陰と陽とは何か」というテーマで投稿していて、
本日6/24の記事で22回目になります。
①〜⑤は陰と陽のベーシックな基本事項、
⑥〜⑩は八卦の基本事項、
⑪〜⑮は日常生活での応用、
⑯〜⑱は陰と陽についての練習問題集クラックス
⑲からは六十四卦を一つずつ註解というように
中テーマ的なまとまりはあるものの、
全体でひとつらなりの内容を書いてきました。
本日投稿する記事の内容は、
これまで投稿してきた記事をすべて読んでいないと
まったく理解できないわけではありませんが、
これまでの内容が前提としていて、
すべてつながりあっているものではあるので、
以下に未読記事がある方は
可能な範囲で確認下さると有難いです。
・陰と陽とは何か⑥「八卦(その1)」(易経の十翼『説卦伝』)
・陰と陽とは何か⑩「八卦(その5)」(なぜ陰が六で陽が九?)
・陰と陽とは何か⑬「日常生活での応用(その3)仁王像の不思議」
・陰と陽とは何か⑭「日常生活での応用(その4)食べ物にみる陰陽」
・陰と陽とは何か⑮「日常生活での応用(その5)運勢、運命、使命」
さて、今日は六十四卦註解の4回目で、
以下25番目から32番目までの8つの卦
25.天雷无妄(てんらいむぼう)
26.山天大畜(さんてんたいちく)
27.山雷頤(さんらいい)
28.沢風大過(たくふうたいか)
29.坎為水(かんいすい)
30.離為火(りいか)
31.沢山咸(たくざんかん)
32.雷風恒(らいふうこう)
について、これまでと同じように、
卦象の図版、卦辞の白文、読み下し文、ひらがな文、
卦辞の大意、井上のコメントと続けて記します。
〔卦辞白文〕
无妄。元亨利貞。其匪正有眚。不利有攸往。
〔読み下し文〕
无妄(むぼう)は、元(おお)いに亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。それ正(せい)に匪(あら)ざれば、眚(わざわい)有(あ)り。往(ゆ)くところ有(あ)るに利(り)あらず。
〔ひらがな文〕
むぼうはおおいにとおる。ただしきにりあり。それせいにあらざれば、わざわいあり。ゆくところあるにりあらず。
〔大意〕
天雷无妄の時、大いに通じる。貞正であれば良い。正しくないことや、真実のない行動は災いがあるので、進んで事を行ってはならない。
〔井上のコメント〕
「无」は無、「妄」は嘘、よって「无妄」とは嘘がない、誠、妄りに事を行わない、人工的な作為を施さない意味の卦。外卦が「天(乾)」で内卦が「雷(震)」ですから、天高く雷鳴が轟く象から、天意に従って動くべき時とみます。この卦は前の復卦との関連から、本来あるべき姿に回復し、霧が晴れたように澄み切った嘘偽りの無い状態が現れたと考えると理解しやすいでしょう。よって、天意に逆って小賢しいことをしたり姑息な手段を用いたりすると、天はそっぽを向いてしまいます。何かと変動が起きやすいときですが、みだらに動いたり、無茶をしたりせず、自然の成り行きに任せ、受け身に徹することです。基本的に誰かに助けられる運気にはないので、依存心を捨て、無心、無欲になることが開運のポイントでしょう。
「无妄」の綜卦である次の26.山天大畜との関係について、雑卦伝では「大畜時也、无妄災也。」とあります。无妄は卦辞に災いの文字があるのは、自分本位な行動を戒める意味で納得できても、大畜でタイミングが重要と解する理由や、どんな対比があるかは分かりにくいかもしれません。大畜へのコメントを参照ください。また、无妄は「まこと」の意味をもちますが、風沢中孚が人に対してのまことであるのに対し、天雷无妄は相手が人ではなく天地自然の運行であるため、人間の考える吉凶善悪では割り切れない道理であることに注意。正位にある爻辞は吉の意味が強く、位を得ていない爻は凶の意が強いこともこの卦が「まこと」の意味だからでしょう。
〔卦辞白文〕
大畜。利貞。不家食吉。利渉大川。
〔読み下し文〕
大畜(たいちく)は、貞(ただ)しきに利(り)あり。家食(かしょく)せずして吉(きつ)なり。大川(たいせん)を渉(わた)るに利(り)あり。
〔ひらがな文〕
たいちくは、ただしきにりあり。かしょくせずしてきつなり。たいせんをわたるにりあり。
〔大意〕
山天大畜の時、貞正であれば良い。家で飯を食うのではなく、世間に打って出て吉。大川を渡っても良い。
〔井上のコメント〕
「大畜」は、大いに養う、蓄える、とどめるの意。この卦は、外卦「山(艮)」+内卦「天(乾)」ですから、天を貫く壮大な山を意味し、大いに蓄積基盤のできた時と見ます。長い間の苦労もあってすでに蓄積は十分ですから、危険を恐れずに勝負に出てよいでしょう。ただし、無計画に進もうとすれば失敗するので、さらに実力や知識を内部に蓄えるよう努めることです。そのためには、家の外に出て社会の荒波に大いにもまれるべきです。また、多忙な人は休むことも大切とも解釈できるでしょう。責任や仕事を減らすことで、体力や気力が回復することもあるとされています。大業を成し遂げるためには、辛抱強く自分を磨きながら、大川を渡る時期を見極めることが大切ですから、これまで蓄えてきたものを遺憾なく発揮する日を待ちましょう。
偶数卦なので、綜卦25.天雷无妄との対比については、无妄が天意に従い自然に任せて動いて嘘がない状態をいい、山の湧き水や天然温泉など自然にあるものをそのまま利用することにたとえるとするなら、大畜は、頑張って自分の能力を培い、知識や金銭財物を内部に止めて蓄えようとする方向性。温泉リゾートホテルやテーマパークを建てたりして、実用的に人の手を加え拡張していくイメージといえば分かりやすいでしょうか。卦辞「家食せずして吉」は、そうして溜め込んだものを自分のために使ってはNGで、外に出て公共に与し、みんなのために使うのがよろしいという意味。また大畜は、09.風天小畜とも対照的に考えられ、山(艮)はもともと卦徳が「止まる」なので主爻が上爻で陽爻で止める力が大きいのですが、風(巽)は主爻が陰爻の四爻ひとつだけで止める力が弱いわけです。あと、この山天大畜は、亡くなった豊岡憲治先生から伺った、病気がにっちもさっちも行かない時は山風蠱、全快、寛解したときには山天大畜が出やすいという話が印象深く残っています(病占)。
・第721回 不思議なこともあるものですね(外部リンク)
〔卦辞白文〕
頤。貞吉。観頤自求口実。
〔読み下し文〕
頤(い)は、貞(てい)にして吉(きつ)。頤(い)を観(み)る、自(みずか)ら口実(こうじつ)を求(もと)む。
〔ひらがな文〕
いは、ていにしてきつ。いをみる、みずからこうじつをもとむ。
〔大意〕
山雷頤の時、貞正にして吉。養う目的を見定めて食べ物を自ら正しく求めることだ。
〔井上のコメント〕
頤は上下二陽(実)が中に四陰(虚)を含み、「頤」はあご、口のこと。卦辞の「口実」は、弁解するための材料ではなく食べ物のことを指していて、口から栄養を取り入れ自分の心身や人を養う意味の卦に。21番目に噛み砕く意味をもつ火雷噬嗑という卦がありましたが、この頤には噬嗑にあった異物(九四)がありません。外卦「艮(山)」と内卦「震(雷)」を組み合わせた卦象は、上顎は動かず下顎が動くことにたとえているのが面白く、口に関連する意味をもつように。飲んだり食べたりのお付き合いで忙しかったりするなど、飲食の意味あいだけでなく、不用意な言葉から失敗を招くことも暗示しているようです。言葉を慎むとともに、自分の生活態度を振り返って腹八分の生活を心がけ、健康に気を配ること。何を養うべきかについて他者に求めることなく自己省察する行為をすすんで実践する時という点においては、生活力が重要なキーワードと言ってよいでしょう。
上下対称の卦象のため綜卦は自分自身ですから、次は陰陽を反転させた錯卦28.沢風大過が来ます。頤と大過の関係については雑卦伝には対比として書かれていません。養う力があるのは陽爻である初九と上九のみで、この卦では上九に一番良い意味の爻辞が書かれていますが、次の大過卦の影響からか厲(あやうい)の文字があり、得られるものは少ないかもしれません。
〔卦辞白文〕
大過。棟撓。利有攸往。亨。
〔読み下し文〕
大過(たいか)は棟(むなぎ)撓(たわ)む。往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(り)あり。亨(とお)る。
〔ひらがな文〕
たいかはむなぎたわむ。ゆくところあるにりあり。とおる。
〔大意〕
沢風大過の時は、棟がたわんで家が傾くような大変な時であるが、逃げずに進んで良い。通じる。
〔井上のコメント〕
「大過」は大いに過ぎるの意。外卦「沢」+内卦「風」の卦象は、本来、水は木を潤すはずなのに、池(沢)の下に木(風)が埋没しているので、洪水や船の沈没、時代の激流に呑み込まれ置き去りにされた者を暗示しています。また2つの陰爻の間に4つの陽爻がぎっしり詰まった、圧迫され安定感のない構成になっていることから、気合いが入り過ぎての失敗、自分の力量以上の重荷を背負った非常時と見ます。よって、やり過ぎはほどほどに。現状を正しく把握して、それにふさわしい対応を心がけましょう。ただし、あなたの底力が試される時でもあり、逃げずに「当たって砕けろ」の不屈の精神が求められます。倒壊を食い止めるには、今までしてきたことの土台固めや内部刷新に目を向け、大きなことや新しいことは行なわないことです。
この卦も上下対称の卦象で綜卦は自分自身ですから、まずは陰陽を反転させた錯卦27.山雷頤との関係を考えてみるとよいでしょう。頤は「養う・摂取・費やす」意味の卦でしたから、大過は口から食べ物を入れすぎ、頭に情報を詰め込み過ぎ、養分摂り過ぎでオーバーフローの状態と捉えればよいでしょう。卦辞に「棟撓む」とあり、大きな柱が曲がってしまうほど無理がかかった非常事態でもありますから、「制御・削減・淘汰」をどのように進めて行くかがテーマとなります。もうひとつは、二陰四陽の大過に対し、陰陽バランスが逆になった四陰二陽の62.雷山小過があり、陽が過ぎることと陰が過ぎることの対比関係に注意することで、この卦をより深く理解できるでしょう。あと、通常は正位(陽位陽爻・陰位陰爻)が良しとされるところが、この卦では逆になっています。
〔卦辞白文〕
習坎。有孚。維心亨。行有尚。
〔読み下し文〕
習坎(しゅうかん)は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心(こころ)亨(とお)る。行(ゆ)けば尚(たっと)ぶことあり。
〔ひらがな文〕
しゅうかんはまことあり。これこころとおる。ゆきてたっとばるるあり。
〔大意〕
非常な困難の中にあっても、誠の心を貫きとおせば通じる。進んでいけば尊敬される。
〔井上のコメント〕
「習」は重なる。「坎」は陥り悩むこと。したがって、「習坎」は困難が重なって大変苦しいこと。「維」は一筋にの意味。外卦も内卦も陰陽陰の爻で、一見しても穴だらけの状況。一難去ってまた一難、何をやっても空回りしてしまうような、四苦八苦の大変な状況でもありますが、こんなときは、もとから期待しないほうが賢明と言えるでしょう。また、悪に染まりかねない危険性もあるので、こういうときこそ人の苦しみや痛みを知って、そこから学ぶ姿勢を持ちたいものです。これ以上落ちることのないどん底の時ですから、このような時こそ自分の真価が問われる時と腹を据え、日々の仕事を辛抱強くこなし、志を捨てることなく将来に備えること。ふだん出会わない大きな困難に対して、逃げずに誠実に対応することで深い思考を身につけ、大きく成長する契機としましょう。
八純卦(重卦)のひとつ。坎は卦象が水、卦徳(性質)は「陥(穴に落ち込む)」です。上経の最後から2番目に位置し、次の錯卦は離為火なんですが、上経にある乾為天、坤為地、坎為水、離為火の4つは、綜卦が自分自身で上下対照の形になっています。あくまで一つの解釈ですが、天の象徴である乾を気(空気)、地の象徴である坤を土(場所)、坎を水、離を光にたとえるなら、この4つは生物が生きていくのに最低限必要な条件という風にも読めます。坎為水の卦辞には「孚(まこと)有り。維れ心亨る。」とあり、坎が水の象徴であり、感情、心、無意識といった見えないもの(ネガティブ)の意味合いをもつのに対し、離が火の象徴であり、文明、物質、言葉など目に見えるもの(ポジティブ)と捉えられます。五行でも水と火は相剋関係にあるので、両者の対比は明確といえるでしょう。
〔卦辞白文〕
離。利貞。亨。畜牝牛吉。
〔読み下し文〕
離(り)は、貞(ただ)しきに利(り)あり。亨(とお)る。牝牛(ひんぎゅう)を畜(やしな)う、吉(きつ)なり。
〔ひらがな文〕
りは、ただしきにりあり。とおる。ひんぎゅうをやしなう、きつなり。
〔大意〕
離為火の時、貞正であれば良い。通じる。牝牛のような柔順さを守って吉。
〔井上のコメント〕
離為火は重卦で卦象は火。外卦も内卦もともに離なので、燃え上がる炎や強烈なパワーの暗示といえます。またそれは天の太陽であり、地の文明であり、人の輝ける知性や燃える情熱の象徴といってよいでしょう。「離」には「火が点(つ)く」から付く、着くという意味と、燃え移って離れるという相反する両面の意味を内在します。つまりこの卦の時は、才能を発揮するチャンスに恵まれる反面、強烈に火が燃え盛る危険な時でもあるので、情熱的でありながらも短気を起こさず、冷静さを忘れないように心がけましょう。美しい炎もあまりにも激しいと脅威となり、周囲に恐れられることもありますから、自分の付くべき立場を見定め、争いは避けて謙虚に振る舞うこと。外面を美しく飾るだけでなく、学問などに励むなど、内面の充実を図ろうとする姿勢を失わないことが運気上昇につながります。
重卦(純卦)で上経の終わり30番目に位置しています。卦象は「火」、卦徳は「麗(つ)く」。日本語だと麗(うるわ)しいと読みますが、「麗」は鹿が二頭連なりゆくさまを示した漢字で、「ならぶ」「かかわる」「くっつく」という意味に。日本語で「離」は「はなれる」「遠ざける」意味で使うことが多いので勘違いしやすいのですが、「火を着ける」の「つく」です。また、火で明るく照らして物事を明らかにすることから派生して文明、文化、学問、芸術などの意味にも。一つ前の坎為水とは、陰陽を反転させた形なので、水と火の相剋関係と覚えるのもよいでしょう。
〔卦辞白文〕
咸。亨。利貞。取女吉。
〔読み下し文〕
咸(かん)は、亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。女(じょ)を取(めと)るときは吉(きつ)なり。
〔ひらがな文〕
かんはとおる。ただしきにりあり。じょをめとるときはきつなり。
〔大意〕
沢山咸の時、通じる。貞正がよい。嫁をもらうには吉。
〔井上のコメント〕
「咸」は感じるの意。外卦「沢(兌)」で内卦が「山(艮)」ですから、沢の水が山に浸透し、山が潤い草木を生育する象。また、三陰三陽で陰と陽が半々で、しかもすべて応爻関係にあり、若い女(沢)と若い男(山)が互いに感じ合い、相通じる姿を暗示しています。調和を意味するこの卦は、恋愛はもとより、仕事や人間関係、金銭においてもよい相性に恵まれます。ツーといえばカーというような時で、直感に任せてすみやかに事を運ぶことがポイントです。一方で、周囲に流されやすい一面もあるので、他人に影響され過ぎないように留意しましょう。各爻は、相手の感じ方、反応の程度を人体の部位を用いて解説されています。
「咸」は瞬間的な感応や直感の意。綜卦の32.雷風恒が人や物事との関係を永く恒常的に保とうとするのに対し、咸は一瞬の反応に意義を見出すというように、対比的に捉えるとよいでしょう。大脳思考に基づく理知的な判断が優先されがちな世にあって、心で感じ取る力はとても重要ですが、そこに打算や私情が紛れ込まないよう、あくまで自然な流れに沿っているかどうか常に自戒したいところです。また64卦全体を外観したときの話ですが、若い男女の恋愛や結婚を示すこの卦が下経の一番最初に置かれていることから、上経は主に天地自然の創造進化にまつわる理について、下経は主に天人相関の具体的な理について明らかにしたものと言えるかもしれません。
〔卦辞白文〕
恆。亨。无咎。利貞。利有攸往。
〔読み下し文〕
恆(こう)は亨(とお)る。咎(とが)なし。貞(ただ)しきに利(り)あり。往(ゆ)くところあるに利(り)あり。
〔ひらがな文〕
こうはとおる。とがなし。ていによろし。ゆくところあるによろし。
〔大意〕
雷風恆の時、通じる。問題はない。貞正であれば良い。進んで良い。
〔井上のコメント〕
「恆」とは久しく変わらない、常に、継続の意。外卦「雷(震)」が内卦の「風」に乗って走り、風は雷に触発され一層勢いを増すということで、双方が協力して本来の力を発揮できる、いわば理想的関係を暗示しています。よって、人脈なども広げず、昔ながらの友人知人を大切にしましょう。未経験の新しいことや苦手なことにチャレンジするよりも、今までどおりやり慣れていることを選ぶことを吉と見ます。ただし、いわゆる倦怠期に入った夫婦のような、平穏無事な毎日に退屈し、刺激を求めてウズウズしている危険な時でもあり、自分の心に問うてよく反省してみること。多少退屈なところがあっても、現状を守って平凡の良さを認識し、この期に不動心を培いましょう。
ひとつまえの綜卦31.沢山咸とどんな対比があるかを考えてみましょう。恆は、人や物事との関係を永く恒常的に保とうとするのに対し、咸は、咸に心を加えれば「感」となるように、直感や一瞬の反応に意義を見出そうとします。咸が若い男女の燃え上がるような恋愛とするなら、恆は大意のところにも書いたように、倦怠期を迎えた夫婦のような関係と言えるかもしれません。笑。変化の哲学といえる易経に、〝変わらない〟を意味する卦があること自体は面白いとおもいますが、九二にしても「悔い亡ぶ」という消極的表現であり、どの爻も爻辞にはあまり良い意味のことばが見つからず、不変の関係を維持することがいかに難しいかを象徴しているようにも感じます。
本日分の卦辞註解は以上です。
今日は32.雷風恆まで8つの卦を書きましたが
易経の原典では
01から30までを上経(じょうけい)
31から64までを下経(かけい)の2つに
分けられています。
乾坤で始まり、坎離で終わる上経は、
天地自然の創造、進化の原理を中心に述べていて、
男女の感応を起点とする咸や、
始まる下経は、
それを具体的に人事や社会に応用したものと
解する見方があるようですが、
下経はまだはじまったばかりなので、
ピンと来ないかもしれません。
あと、上経が30で下経が34という風に
半分ずつになっていないことについても、
さまざまな説があるようですが、
これから4回このような投稿が続くので、
その間に考えてみてください。
明日も六十四卦の続きで、
33.天山遯から40.雷水解までを記す予定です。
【易経関連の主な過去投稿記事】
・わたしが易経から学んだこと
・易経というモノサシをどう活用できるか
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)①
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)②
・ユング「易は自ら問いを発する人に対してのみ己自身を開示する」(今日の名言・その79)