陰と陽とは何か㉖「六十四卦(その8)巽為風〜火水未済」
2024/06/28
6/3からこの寺子屋塾ブログでは、
古典研究カテゴリー記事にあたる易経について
「陰と陽とは何か」というテーマで
投稿しているんですが、回を重ねて
本日6/28の記事が26回目になりました。
①〜⑤は陰と陽のベーシックな基本事項、
⑥〜⑩は八卦の基本事項、
⑪〜⑮は日常生活での応用、
⑯〜⑱は陰と陽についての練習問題集クラックス
⑲からは六十四卦を一つずつ註解というように
各々に中テーマ的なまとまりはあるものの、
全体でひとつらなりの内容を書いています。
したがって、本日投稿する記事内容は、
これまでの投稿をすべて読んでいないと
理解できないものではありませんが、
これまで書いてきた内容を前提としていて、
その内容はすべてつながりあっているので、
以下に未読記事があれば可能な範囲で確認下さい。
・陰と陽とは何か⑥「八卦(その1)」(易経の十翼『説卦伝』)
・陰と陽とは何か⑩「八卦(その5)」(なぜ陰が六で陽が九?)
・陰と陽とは何か⑬「日常生活での応用(その3)仁王像の不思議」
・陰と陽とは何か⑭「日常生活での応用(その4)食べ物にみる陰陽」
・陰と陽とは何か⑮「日常生活での応用(その5)運勢、運命、使命」
さて、本日の投稿は六十四卦註解の8回目で、
これで最終回となります。
以下57番目から64番目までの8つの卦
57.巽為風(そんいふう)
58.兌為沢(だいたく)
59.風水渙(ふうすいかん)
60.水沢節(すいたくせつ)
61.風沢中孚(ふうたくちゅうふ)
62.雷山小過(らいざんしょうか)
63.水火既済(すいかきせい)
64.火水未済(かすいびせい)
について、これまでと同じように、
卦象の図版、卦辞の白文、読み下し文、ひらがな文、
卦辞の大意、井上のコメントと続けて記します。
〔卦辞白文〕
巽。小亨。利有攸往。利見大人。
〔読み下し文〕
巽(そん)は少(すこ)し亨(とお)る。往(ゆ)くところに利(り)あり。大人(たいじん)を見(み)るに利(り)あり。
〔ひらがな文〕
そんはすこしとおる。ゆくところあるにりあり。たいじんをみるにりあり。
〔大意〕
巽為風の時は、小事は通じる。進んで良い。有識者と相談することだ。
〔井上のコメント〕
「巽」は従う、遜る、伏入の意。外卦も内卦も「風(巽)」が2つ揃うこの卦は、どんな環境でもすぐに馴染める状態にあると見ます。柔軟に相手に合わせられるため、敵を作りにくく楽しく過ごせますが、自分の意見がなく優柔不断になりがちな傾向があります。大事なことについてもあっちへフラフラ、こっちへフラフラでは、ただのイエスマン、薄情で信頼のおけぬ者とレッテルを貼られ、嫌われかねません。卦辞に「大人を見るに利あり。」とあるのは、心底信用できる人、正しい方向へと導いてくれるよき指導者に相談し従うことが運気を好転させる鍵になるかもと言っているようです。緩やかな風は、穏和さや柔順さの象徴とはいえ、ひとたび荒れて嵐となれば時代を問わず天地を揺るがし、過酷な凶暴さでわたしたちに襲いかかってくるので、目に見えない空気の化身といえども、その変幻自在な多面性こそこの卦の特徴と言ってよいでしょう。各爻では、自己の信念を持たない人間がどのように従うか、6つのパターンで表現しています。
六十四卦のうち01.乾為天、02.坤為地、29.坎為水、30.離為火、51.震為雷、52.艮為山のように同じ八卦の組み合わせでできている大成卦を重卦(または純卦)といいます。この巽為風が7つめになり、残りは次の58.兌為沢ひとつだけになりました。易経の教科書や解説テキストは、序卦伝の順序で六十四卦の説明をしているものが大半ですが、まず八卦(小成卦)の意味をしっかり理解することが大切と考えて、8つの重卦を先に始めているものもあります。巽は卦象が「風」、卦徳(性質)は「封入」。風は身軽でどんな隙間にも入り込んでいけます。巽順(そんじゅん)という熟語があるんですが、一番下にある陰爻が主爻で陽に従う性質をもち、下の方に入り込むということから、へりくだる、謙遜の意味になります。また、同じ従うでも、全て陰爻からなる坤為地の卦徳「順(したがう)」との違いがわかると、この卦への理解がまたひとつ深まるかもしれません。女性になぞらえると、坤は肝っ玉母さんのどっしり感ある従順さ、巽はお妾さんの不安定な従順さといったところでしょうか。自由気ままで臨機応変さ、身軽さが売りでも、自分が中心になって、重きを支えたり、坤のように草木を生じさせたりはできないため、卦辞の言葉「小しく亨る、大人を見るに利あり」となるわけです。
あと、巽為風の綜卦にあたる次の58.兌為沢との関係について、雑卦伝に「兌見而巽伏也。」とあり、「兌は(陰爻が)見えているが、巽は伏している(見えない)」と分かりやすい対比表現なんですが、詳しくは次の兌為沢のところでコメントします。余談ですが、西洋占星術では、約200年ごとに4つのエレメント(火・土・風・水)を変えるという見方があって、2020年の暮れに「土の時代の終わり、風の時代の始まり」という転換期を迎えたという話を聞いたことがあります。ウィルス、情報、AIプログラムといったキーワードは、八卦巽に分類されるので、いまの時代の象徴と言ってよいかもしれません。
〔卦辞白文〕
兌。亨。利貞。
〔読み下し文〕
兌(だ)は亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。
〔ひらがな文〕
だはとおる。ただしきにりあり。
〔大意〕
兌の時、通じる。貞正であれば良い。
〔井上のコメント〕
「兌」は喜ぶこと。重卦の最後を飾るこの卦は、口(沢)が二つ重なっていることから,にぎやかで愉快、楽しく過ごせる運気にあり、笑い声が溢れる楽しい雰囲気を表すもの。その一方で、遊びや娯楽に目がないために、仕事や勉強など苦労が必要なことは避けがちであったり、口に災いの多いことも暗示しています。また、小さいことには良くても、大きいことを行うにはパワー不足のため、現状を守るのが無難でしょう。この運気を生かすには、好奇心をくすぐる何かを優先するのがよいと考えられています。ただ、何事も口先ばかりを優先させがちなため、誘惑が多くて他人の口車にも乗りやすく、交際する人の選定や異性問題にはくれぐれも注意してください。言動に気をつけながら、日々楽しいとおもえるような環境で働いたり学んだりできれば、学んだことが身につき人脈が広がるきっかけにもなるでしょう。各爻は、どのように喜ぶか和兌、孚兌、来兌、商兌、引兌とさまざまなパターンで表現しています。
また、綜卦関係にある57.巽為風との対比については、巽為風のところで雑卦伝を手がかりに短くコメントしましたが、巽為風は一陰の上に二陽があり、不可視、伏入の意味で下部の欠所で陰門(女性器)の象徴。兌為沢は一陰が二陽の上にあるので、力弱い者が力強い者に持ち上げられて悦び、可視顕現で上部の欠所を意味し口の象徴となります。喜びごとは大事ですが、その一方で「口は災いの元」とも言います。気が緩み調子に乗りやすく、甘い考えから興奮状態で物事を推し進めようとすると足元をすくわれかねません。
〔卦辞白文〕
渙。亨。王仮有廟。利渉大川。利貞。
〔読み下し文〕
渙(かん)は、亨る。王(おう)有廟(ゆうびょう)に仮(いた)る。大川(たいせん)を渉(わた)るに利あり。
〔ひらがな文〕
かんは、とおる。おうゆうびょうにいたる。たいせんをわたるにりあり。
〔大意〕
風水渙の時、通じる。王が宗廟に祖先を祀る。大川を渡っても良い。貞正であれば良い。
〔井上のコメント〕
「渙」は散る、離れる、氷が解けるの意。外卦が「風(巽)」、内卦が「水(坎)」ですから、この卦は風が吹いて険難を散らすということで、春が到来し長年抱えていた問題が解決する時。個と全体を考えることがテーマの卦ともいえるでしょう。現状を打開し挽回する絶好のチャンスで、勇気を出して一歩踏み出してよいでしょう。ただし、これといった問題がない場合は、悩みの解消でなく、結婚関係や雇用関係など、安定していたものが解消する暗示も。つまり、悩んでいる人は吉に転じますが、良い状態なら凶に向かうというように、各々のモトの状況によって解釈は異なり、人間関係やお金の扱いなど、現状をしっかり把握するように注意をうながす運気と捉える姿勢が求められます。
既出卦との関連について、長年の難題が解決するという意味では、雷水解に似ていますが、風水渙には卦辞に「王有廟に仮(いた)る」とあります。雷水解は、解決したら余計なことはするなとしているのに対し、風水渙は、解決した後が重要で、大事な霊魂までも散ってしまわないように先祖を祭って参拝、祈願せよとしています。雷水解との違いを意識することは、この卦を理解するひとつのポイントと言ってよいでしょう。
また、次の綜卦60.水沢節との関係について、雑卦伝には「渙離也、節止也。」とあり両卦の対比は非常に明確です。また、序卦伝には「渙者離也。物不可以終離。故受之以節。」とあり、「渙とは離れることであるが、物事はもって離れるに終わってはいけない。ゆえにこれを受けるのに節をもってす」という意味に解されています。序卦伝については明日の投稿で全文を紹介し、六十四卦の全体の流れをふり返ります。
〔卦辞白文〕
節。亨。苦節不可貞。
〔読み下し文〕
節(せつ)は、亨(とお)る。苦節(くせつ)貞(てい)にすべからず。
〔ひらがな文〕
せつはとおる。くせつていすべからず。
〔大意〕
水沢節の時、通じる。度を超した節制は常道とすべきでない。
〔井上のコメント〕
「節」は節度、節制のこと。険難を暗示する外卦の「水(坎)」が内卦の「沢(兌)」に漲(みなぎ)っている状態と解し、水は多過ぎると洪水になってしまいますし、逆に少な過ぎると枯れ果ててしまうことから、何事も程合(ほどあい)を利かせることが大事なときを意味しています。ただ、水沢節の時は、おおむね節度を越えている状態にあるので、節度を守れ、止まれと解することが少なくありません。すなわち浪費や飲食の摂りすぎ、恋愛面のだらしなさ戒めるのみならず、身分不相応な願望を求めるなという状況を暗示しています。つまり、度を超さないようにと呼びかけているのがこの卦で、何事もやり過ぎはよくありません。節約もやりすぎて切り詰め過ぎれば、却って人間関係がギスギスしたり、心に余裕がなくなってしまったりすることがありますから、厳し過ぎず、かといって甘すぎず、規則正しく生活しつつもゆとりを忘れないようにしましょう。
あと、既出卦との関連については、この卦が坎為水の初六が陽転した変爻之卦でもあること(節卦初九の変爻之卦が坎為水)から、重卦坎為水の意味で解釈する場合もあることを記しておきます。初九の爻辞が「戸庭を出でず。咎なし。(家の中に閉じ籠もって庭にも出ないようにして、自ら慎み節制すれば咎められない)」は、落とし穴だらけの坎為水を意識しての言葉でしょう。
また、ひとつ前の綜卦59.風水渙との対比や、節卦が渙の後に置かれている意味については、渙卦は、「散る」「解ける」「離れる」という言葉から、内側にある淀みを外側に発散し、気分転換を図る外側に向かう方向性に対し、節卦は、節を使った「節度」「節制」「節約」「節倹」という熟語から想像できるように、ブレーキをかけ内側に抑制する方向性を持ちます。竹の節が等間隔にあるように、三陰三陽でバランス自体はとれていて、剛にも柔にもいずれにも偏らないよう制する姿勢は肝要ですが、制するのも行きすぎれば苦節になってしまうので、卦辞の「苦節貞すべからず」、つまり「抑制するのも固執せず、ほどほどに」となるわけです。「過ぎたるは及ばざるが如し」で意地を張らないことでしょう。
〔卦辞白文〕
中孚。豚魚吉。利渉大川。利貞。
〔読み下し文〕
中孚(ちゅうふ)は、豚魚(とんぎょ)吉(きつ)。大川(たいせん)を渉(わた)るに利(り)あり。貞(ただ)しきに利(り)あり。
〔ひらがな文〕
ちゅうふは、とんぎょきつ。たいせんをわたるにりあり。ただしきにりあり。
〔大意〕
風沢中孚の時、豚や魚にまでその誠が及んで吉。大川を渡っても良い。貞正であれば良い。
〔井上のコメント〕
中孚は、外卦の風(巽)が従順さ、内卦の沢(兌)が喜びの性質を表すことから、「信(まこと)」の意に。「孚」は爪+子で鳥が卵を抱えて孵化する意味の漢字で、包み込むような愛おしさや慈しみのこと。「中孚」で私心のない真心や誠実さを表します。初爻二爻五爻上爻が陽、三爻と四爻が陰(「中虚」とも言う)で、ふたつの陰爻を四つの陽爻が包み込むような形の卦象からも、親鳥が卵を抱いている様子(次の画像を参照)をなぞらえ、陽爻を見えるものとし、陰爻を見えないものとすれば、心は見えませんから、親が子を思う気持ちやいかなる困難にも揺るがない固い絆で結ばれた信頼関係、真の友情などを暗示しています。風沢中孚の時は、心を開いて誠意をもって行なえば、相手にも天にも伝わり万事順調に進みます。何かを選ぶ際には、目先の損得ではなく真心が感じられるかどうかで決めること。ただし、心に何ら真実のない人にとっては諸事裏目に出る時でもあり、大勢で過ごすよりもお互いのよさをじっくり実感できる1対1の関係がよい時と言ってよいでしょう。
これまで書いてきたように、六十四卦の順序については、奇数番の卦とその次の偶数番の卦は、上下を180度ひっくり返した綜卦(初爻→上爻,二爻→五爻,三爻→四爻・・・)の関係にある組み合わせが多いのですが、1.乾為天と2.坤為地、27.山雷頤と28.沢風大過、29.坎為水と30.離為火、61.風沢中孚と62.雷山小過の四組8卦については、その卦象自体がもともと上下対称(シンメトリー)の形であるため、綜卦ではなく各々の陰陽を逆にした裏卦(錯卦)の組み合わせになっています。
陰と陽について㉒六十四卦(その4)の記事の終わりの方で、「上経が30卦で下経が34卦と半分ずつに分けられていない理由について考えてみて下さい」という問いを書いたのですがいかがですか? 綜卦の関係にある2つの卦を1つに数えると、上経の30卦のうち、上下対称になっている6つの卦(乾為天、坤為地、山雷頤と沢風大過、坎為水、離為火)とその他の24卦は12組あり、また、下経の34卦は上下対称になっている2つの卦(風沢中孚、雷山小過)とその他の32卦は16組となるので、上経も下経も18で同じ18卦(6+12=2+16)となります。
また、次の62.雷山小過との対比について、詳しくは雷山小過のところに書きますが、雑卦伝の記述に対してのみ短くコメントしておきます。雑卦伝には「小過過也、中孚信也。」とあり、「小過は陰が陽に過ぎて過度の意味、中孚は内心を虚しくする形で信ずる意味あり。」と解されているのですが、この記述を読むだけでは、両者がどういう対比関係にあるのかが分かりにくいように感じました。
〔卦辞白文〕
小過。亨。利貞。可小事。不可大事。飛鳥遺之音。不宣上宣下。大吉。
〔読み下し文〕
小過(しょうか)は、亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。小事(しょうじ)に可(か)なるも大事(だいじ)に可(か)ならず。飛鳥(ひちょう)これが音(ね)を遺(のこ)す。上(のぼ)るに宜(よろ)しからず下(くだ)るに宜(よろ)し。大(おお)いに吉(きつ)。
〔ひらがな文〕
しょうかはとおる。ただしきにりあり。しょうじにかなるもだいじにかならず。ひちょうこれがねをのこす。のぼるによろしからずくだるによろし。おおいにきつ。
〔大意〕
雷山小過の時は通じる。貞正であれば良い。小事は良いが大事を行なうのはよろしくない。鳥が高く飛び去り、その音のみが後に残る。あまり上に昇りすぎると行き場を失い、下ると安んずる場を得られる。こうした謙虚な心がけであれば、大吉。
〔井上のコメント〕
小過は、外卦「雷(震)」が動くことを、内卦「山(艮)」が止まることを、本来は地中で震うはずの雷が山の上で轟いている様子を表しています。卦辞「飛鳥之が音を遺す」は飛び去った雉の姿が見えず、その音だけが聞こえる様子と解しています。「上るに宜しからず、下るに宜しくして大いに吉なり」とはつまり、更に高く飛んだら音も聞こえないが、下ってきたなら少し聞こえるわけで、傲慢さから自らを高くすることに過ぎるのはよくないが、へりくだることに過ぎるのは、礼儀を弁えているから𠮷と解されてきました。この卦は、志ばかりが大きすぎて見合った実力が備わっていなかったり、口先ばかり達者で日頃の実践・実行が伴わなかったりするような、バランスが悪い人物も意味します。よって、空回りが多く、まわりからの協力も得られにくいため、願望の達成は困難なとき。攻めるよりも一歩引いて目線を下げ、様子見の気持ちでいるほうがよいでしょう。礼儀をわきまえた謙虚な態度や、節約し慎ましく過ごそうとする姿勢が賢明です。
既出卦との関連では、小過は四陰二陽で陰の気が過ぎていて、陰陽バランスが逆転している四陽二陰で陽の気が過ぎている28.沢風大過と対比して捉えるといいでしょう。また、錯卦にあたるひとつ前の61.風沢中孚との対比については、両卦が八卦「離」と「坎」の全卦であることから考えると分かりやすいかもしれません。陽爻が陰爻に向かうエネルギーの方向性でみると、風沢中孚は内側に向かう求心力の卦(火は上昇)、雷山小過は外側に向かう遠心力の卦(水は下降)となるので。河村真光『易経読本 入門と実践』に、「易における陰・陽の概念を正しく理解するには、雷山小過ほどふさわしい卦はない。」と書かれており、以前この寺子屋塾ブログで註解文を引用し紹介したことがありました。次の記事も併せてご覧下さい。
・卦辞「雷山小過」の解説
〔卦辞白文〕
既済。亨。小利貞。初吉。終乱。
〔読み下し文〕
既済(きさい)は、小(すこ)し亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。初(はじ)めは吉(きつ)にして終(おわ)りには乱(みだ)る。
〔ひらがな文〕
きせいは、すこしとおる。ただしきにりあり。はじめはきつにしておわりにはみだる。
〔大意〕
水火既済の時、小事は通じる。貞正であれば良い。最初は吉でも終わりは乱れる。
〔井上のコメント〕
「既済」は既(すで)に済(ととの)うで完成の意。外卦「水(坎)」は下がり、内卦「火(離)」は上がる、つまり鍋に入った水を火の上に置けば暖まりますからバランスのよい構成です。しかも陽卦はすべて奇数の爻、陰卦はすべて偶数の爻に位置していて、六十四卦のうちで唯一6つある全ての爻が正位にあることから、既済を意味することに。この卦は功成り名遂げた時で、とりあえず今はいい時といえましょう。しかし、卦辞に「最初は吉でも終わりは乱れる。」とある通り、完成は没落や乱れの始まりとも言えるので、その完成した状態をどうすれば維持できるのかを心すべきです。新規に始めることは避け、欲張らず今以上のものを求めないことはもちろん、謙虚な姿勢で努力を継続し、現状維持に努めること。さらに、状況が悪くなったときを想定し、準備を怠らない姿勢が大切でしょう。
次の64.火水未済とはこの卦と綜卦でもあり裏卦でもある関係で、この両卦で六十四卦の締めくくりとなりますが、雑卦伝では「頤養正也。既済定也。」というふうに、水火既済は、27.山雷頤と対で記され、火水未済と対に書かれていません。とはいえ、既済「終わった」と未済「まだ終わっていない」ですから、この対比はあまりに明白で、敢えて書かなかったという風にも考えられるでしょう。
〔卦辞白文〕
未済。亨。小狐汔済。濡其尾。无攸利。
〔読み下し文〕
未済(びせい)は亨(とお)る。小狐(しょうこ)汔(ほと)んど済(わた)る。其(そ)の尾(お)を濡(ぬ)らす。利(り)することなし。
〔ひらがな文〕
びせいはとおる。しょうこほとんどわたる。そのびをぬらす。りすることなし。
〔大意〕
火水未済の時、努力すれば通じる。小狐が川をほとんど渡りきろうとして力尽き、その尾を濡らしてしまう。良いことはない。
〔井上のコメント〕
六十四卦の締めくくりとなる最後の卦です。「未済」とは未だ済まず、まだ終わっていない、未完成の意。外卦が「火(離)」で内卦が「水(坎)」ですから、この卦は煮炊きもできず用を為さない状態。事が済ろうとして未だ済れずにいる、というところから実力不足で準備が整っていないため、何かとうまくいかない時と見ます。しかし、焦らず慌てず様子を窺うほうがよいでしょう。たとえ挑戦できるレベルになくても、来るべき日のためにコツコツ努力を継続していれば、思いがけない大きなチャンスを掴む可能性も秘めているとも言え、まだまだこれからなのです。卦辞に「小狐が川をほとんど渡りきろうとして力尽き、その尾を濡らしてしまう。」と書かれているのに、「未済は亨る」としているのは、うまくいかないことがあっても、自分の未熟さを棚に上げず素直に認め、初心に戻りやり直すこと。まぐれ当たりや奇跡を期待せず、方向軸を明確にし、辛抱強く進む姿勢の肝要さを暗示しているかのようです。
水火既済のところでも書きましたが、綜卦であり爻の陰陽をすべて反転させた錯卦でもある63.水火既済とこの火水未済は、両卦をセットで全六十四卦の締めくくりとして捉えるとよいでしょう。既済は奇数位が陽爻、偶数位が陰爻で全6爻すべてが正位にある卦なので、その裏卦にあたるこの火水未済は、すべての爻が位に当たっていませんが、それでも応爻比爻については、両卦ともすべての爻が応じ比している関係にあります。「完成すなわち永遠の未完成」という言葉がありますが、六十四卦の最後の一つ前を既済「終わった」とし、一番最後を未済「まだ終わっていない」としているのはとても意味深な配置で、どんな物事も一旦一段落することがあっても、終わりはまた新たな始まりでもあり、そこで気を緩めず次に備えよという応援の言葉と受け止めました。河村真光『易経読本 入門と実践』には、易の真髄である既済と未済の両卦の妙趣を味わうのに、勝海舟の遺した言行録『氷川清話』『海舟座談』が参考になったとあり記しておきます。
六十四卦の註解は、これですべて終了です。
これまで何度も繰り返し書いてきたことですが、
六十四卦のモトは八卦にあり、
八卦のモトは陰陽にあるので、
まず、陰陽をしっかり理解することです。
ずっと続けて書いてきた
「陰と陽とは何か」の記事ですが、
明後日で6月も終了するため、
月の最終日は恒例の記事一覧を投稿する予定で、
六十四卦のふりかえりとして
『十翼』の序卦伝全文を紹介し、
明日で締めくくる予定。
【易経関連の主な過去投稿記事】
・わたしが易経から学んだこと
・易経というモノサシをどう活用できるか
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)①
・天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)②
・ユング「易は自ら問いを発する人に対してのみ己自身を開示する」(今日の名言・その79)